4.転入生のこと
エンジュ・アンジェ。
それはマリアローゼ・フィス・カイザの学園を乱している者の名前。
学園への転入生である少女の周りに存在する人間は少ない。
少女に好意的な目を向ける存在も少ない。
なぜなら、少女はこの学園において最上位の存在に真っ向から反旗を翻しているからである。
少女は、この学園をおかしいといった。
少女にとっておかしかろうと、そのおかしい事は学園にとっての常識である。
考えてみてほしい。
自分たちの世界に新しく入る仲間と思っていた存在が、その世界の常識を否定する。
挙句、その世界にとっての絶対的なお姫様に反抗をしている。
そのお姫様を引きずりおろそうとしている。
そんなことは、よっぽどの力がなければ成功などしない。
常識を常識ではないという、そんな非常識な存在は排除されるだけである。
「ふふふ、上手くいっているわ!」
普通、周りからこの子は何をやっているのだろうと距離をおかれ、白い目で見られていればもう少し色々と考えて行動するものであろうが、エンジュ・アンジェは笑っている。
エンジュ・アンジェは寮室の中で不気味に笑っている。
目の前には鏡。
そう、この少女、自分自身の顔を見ながらニヤニヤ笑っている。
自分の顔を触って、むふふと笑う姿は不気味である。それに加えて、その目は鏡の中に映る自分自身をいとおしそうに見ている。
「本当に、私が”エンジュ・アンジェ”なんだ」
まるで自分がエンジュ・アンシェとは別物だとでもいうような言葉を言い放ちながら、少女は笑う。
その笑みは、未来を疑ってはいない。その笑みは未来に希望を抱いている。
心配になることなど起こるはずがないとでもいうような、そんな表情。
相変わらず自分の顔をぺたぺたと触って、むふふとだらしなく笑う。
「それにしてもマリアローゼ・フィス・カイザは本当に動かないのね……」
そしてそうつぶやく。
少女はそれからはっとしたように鞄の中からノートを取り出す。
それを開く。
そこにはたくさんの文字が書かれていた。
「むふふ、今はこの時期だから―――、ただそれ以外の時は……」
エンジュはベッドの上に座って、ノートをじーっと見つめている。
「うーん、アイゼスはもう私に落ちているから問題ないでしょ。なら、次はどうしよう。選択肢があれば楽なんだけどな」
エンジュはわけのわからない事を言いながらも、悩んでいる。
「マリアローゼ・フィス・カイザが……」
ぶつぶつと告げる独り言。マリアローゼ・フィス・カイザの名をいいながらも、その声には敬意の欠片もない。
マリアローゼ・フィス・カイザという至高の姫に対して、同等の存在だとでもいうような、いや寧ろ格下に見ているような言いぐさ。
「澄ました顔しちゃって、余裕そうでなんかむかつくわ」
挙句、至高の姫に対してむかつくなどと告げている。
王族に対しての暴言を、たかが、伯爵家の娘が言っていいはずはない。それはこの身分制度の存在する世界にとって常識的な話である。
エンジュ・アンジェが学園へと入学できたのは、庶子であった少女が学園に入学できるぐらいの教養を身に着けたからだった。が、今のエンジュ・アンジェを見て、それに納得できる存在はまずいないだろう。
それほどまでに、エンジュ・アンジェがつぶやいている言葉はこの場に一人しかいなかったとしても、せめて心に留め、つぶやくべき事ではない。
「でもアイゼスはもう私の方にいるから……。これから、あの顔をゆがめさせられるかしら」
などと告げているエンジュの方が心が歪んでいると、聞く者がいたら思う事であろう。しかし、エンジュは本気でそんな事をつぶやいている。
「……生徒会の方はスザクは私に落ちているとして、生徒会のあとの三人は」
ぶつぶつぶつぶつ。
相部屋であったら、ルームメイトに引かれる事間違いなしな不気味な光景なのだが、本人は気づいていない。
「次は……」
ぶつぶつぶつぶつ。
「……そうだ。ダッシュ兄様が、理事長なんだからもっと……。好きに出来るんだからもっと……」
ぶつぶつぶつぶつ。
エンジュは真剣にこれからどうするべきかを模索している。
そしてある程度どうするか決めたエンジュは、ベッドに寝転がるとニヤニヤと顔を歪ませる。
「ふふふふふ! 私の時代が来ているわ! バッドエンドさえ回避できれば、私の幸せは確定だものね! むふふふふふふふふ! 私は今度こそ幸せになるの!! そのために打倒傾国の姫!!」
むふふふと怪しく笑いながら、そんなことをつぶやく。
誰かに見られたら頭のおかしい子であるが、生憎誰もここにはいない。
転入生のこと。
転入生は夢を見る。
転入生は幸せを疑わない。
転入生は未来を信じている。
転入生は自分が不幸になるはずがないと信じている。
転入生は―――。




