1.母のこと
マリアローゼ・フィス・カイザ。
カイザ国の至高のお姫様。
誰もが知ることだが、至高の姫と呼ばれる彼女の母親は身分が低い侍女であった。
ただの、侍女。
権力者たちにとってとるに取らない存在。
だけれども、彼女は美しかった。
至高の姫へと受け継がれたその美しさ。それゆえに王の目に留まった。
そして手をつけられ、生まれたのがマリアローゼである。
彼女の母親は、もう随分前に儚くなってしまっている。自分の母親であるが、マリアローゼ・フィス・カイザがその話題を自ら口にすることはあまりない。
ただ、誰もがマリアローゼ・フィス・カイザが亡くなった母親に対して愛情を感じていたことは知っている。それは、毎年彼女が母親の墓参りをしっかり行っているからだ。
王家の墓の、ほんの隅っこ。小さな場所におまけのように存在する墓。
それが、マリアローゼ・フィス・カイザの母親のこじんまりとした墓だ。王家の血を継ぐ姫を産み落とした功績から死後、王家の墓に入れられることになった存在。
彼の人を知る人は言う。
その側妃は美しかったと。その誰もを魅了する美しさが故に、王の手が付けられた幸福な存在であるのだと。
平民の出であるというのに、王族の墓に入るまでに王に愛された幸福なままに死んだ存在であるのだと。
身よりもなく、すがる存在もいない侍女。美しく、今でもどこかしらで噂される侍女。あの、マリアローゼ・フィス・カイザの母親。
実際に、彼の人が何を思って生きていたか。
事実は、彼の人が何を思って死んでいったか。
それは本人しか知りえない話。だけれども、誰もが彼の者は幸福であるという。
王家として墓に入り、そして、至高の姫を産み落とした誰よりも幸福な側妃であったと。
その日、マリアローゼ・フィス・カイザはその場所で佇んでいた。王家の墓。王家として生きたものが、死後眠るその場所の片隅。
自らの母親が眠る場所。
その目の前に彼女は存在していた。
手に持つのは、花々。眠る存在へと捧げる品物。
その日は、マリアローゼ・フィス・カイザが母親を永遠に失った日。彼の人が亡くなった日。
彼女はいつも、この日にお墓を訪れる。最低限の護衛のみを連れて。ただ母親の元へと訪れる。
涙を流す事はない。何かを語りかけることもない。何を考えているかわからない、そんないつも通りの表情で、ただそこのいる。
おそらく、何かを墓場に語りかけている。
おそらく、沢山墓場に話しかけている。
黙ったままだが、しばらくの間、ずっとそこにいるのだ。
それは母親が亡くなってから、毎年見られる光景。毎年、毎年、こうして足を運んで、忙しいながらに時間を作っている。
傍に控える護衛たちは、彼女の事情を知らない。
彼女が母親に何を感じているかも、彼女の母親がどういう思いを持っているかも。毎年訪れるのだから、何かしらの特別な感情はあるのだろうとはわかる。
王族の親子など、あまり深い関係がないことの方が多い。王の妃であるのだから、面倒を本人が見ない事も多くあるのだ。育て親が別にいるといった方が多い。マリアローゼ・フィス・カイザの母親は侍女であり、平民であった。だからこそ、王の妃であっても、子供の面倒を見ていただろう。護衛の者は、彼女の昔をよく知らない。それは、彼女が捨て置かれた姫であったから。
今でこそ、至高の姫と呼ばれているマリアローゼ・フィス・カイザは、昔は名も知らない国民がそれはもう多かっただろう。王と貴族の子ではなく、王とただの侍女との子。それだけで知名度の差は大きくなるものだ。
王家の王女の数を国民は知っていても、侍女の子供の王女の事を国民はよく知らないというのも仕方がないことだ。
でも、そんなマリアローゼ・フィス・カイザは、今やカイザ国の至高の姫である。誰もが知り、誰もが愛している、そんなお姫様。
護衛たちも彼女の事を好いている。
誰もが彼女の事を守りたいと思っている。
だけれども、彼女は過去を語らない。
捨て置かれたそんな昔の事を彼女は語る事はない。
そんな語られない過去の中に、彼女の母親は存在している。
王に愛されたが故に、王女を生んだ平民の母親は。
王からその美しさが故に愛されたそんな侍女の母親は。
マリアローゼ・フィス・カイザはいつもそんな捨てかれた記憶の中に生きていた母親に、語りかけている。
それが終われば、
「待たせてごめんなさいね」
と最低限に存在する護衛たちに向かって笑いかけるのだ。
にこりと満足したように、綺麗な笑みを浮かべる。過去は知らなくても、その満足気に微笑む表情で、彼女が母親を思っている事はわかる。好いていることもわかる。
語らなくても、その心は理解できる。
そして彼女は、笑って、その場所を後にするのだ。
母のこと。
彼女の母親はそういう人。
彼女の母親はもういない。
彼女の母親は―――。




