4.覚醒する者
その日、エンジュ・アンジェは緊張した面立ちで学園の校門にたっていた。
少女はかわいらしい外見をしている。桃色の髪が腰まで伸びている。目は丸々としていて、小動物のようだ。加えて背丈も低い。カイザ国の女性の平均身長は160センチ前後であるが、彼女に関して言えば150センチも身長がない。
エンジュ・アンジェは元々、平民として育った少女である。それが、アンジェ家の庶子であると突然言われ、引き取られ、そして教育を施され学園に通うことになったのだ。
ほとんど貴族しかいない学園に、庶子であり、貴族の血が混ざっているとはいえ、平民育ちのエンジュは通わなければならないのだ。
そのことに不安を覚えるのは当然である。
転入手続きをするためにこの学園を訪れた際に親しくなった人がいるからまだ安心できるものの、不安がなくならないというわけではない。
加えて、意を決して学園の敷地内へと足を踏み入れたエンジュのことを周りの生徒たちは見ていた。
珍しい転入生であることと、エンジュの見た目が目立つために注目されていた。
しかし、エンジュは自分の見た目に無自覚で、鈍感な少女であった。
自分が粗相を犯しているから、注目されているのではないかと不安になっている。
その不安を振り切るかのように、エンジュは急いで歩き始めた。
この学園の学園長はエンジュにとって昔から知っているお兄さんであった。まさか、昔から遊んでもらっていた顔見知りが学園で学園長をやっているなどとは思わず、初めて知ったときはそれはもう驚いたものである。
学園長室の前にたち、コンコンッとノックをする。中から「どうぞ」と声が聞こえたので、エンジュは部屋の中へと足を踏み入れた。
「エンジュ、よくきたね」
学園長――ダッシュ・トランヤはエンジュを視界にとどめると、穏やかな笑みを浮かべた。
まだ、若い。この国では珍しくもない茶色の髪を持つ、美青年である。この年で学園長を任されているといった点で彼は優秀なのだろう。
座るように促され、エンジュは高級そうなソファへと腰掛ける。手続きの際にもこのソファに座ったことがあるものの、相変わらず驚くほどにすわり心地がよい。
「エンジュ、ようこそ」
ダッシュがそういって笑えば、エンジュも花が咲くような笑みを浮かべた。人をひきつけるような愛らしい笑みだ。
「エンジュがこの学園にきてくれてうれしく思うよ。ただ、ひとつ注意すべきことがあってね」
「注意すべきことですか?」
「ああ、エンジュ、周りに誰もいないときは敬語じゃなくてもいいよ」
「うーん、学園では学園長と生徒という立場なので、敬語使います」
ダッシュはため口でよいなどと、身内贔屓なことを言えば、エンジュは困ったような顔をしてそういった。
「それで、注意をすべきこととはなんですか?」
「この学園には王族がいる。そのことは理解しているかい?」
「はい。お父様からお聞きしました。第三王女であるマリアローゼ・フィス・カイザ様がいらっしゃるのですよね?」
「ああ、そうだ。それで、マリアローゼ様は困ったことにこの学園で好き勝手にしていてね…。平民出身ということで絡まれるかもしれないから、気をつけなさい」
マリアローゼ・フィス・カイザは多くの人々に好かれる姫だ。しかしまぁ、全員に好かれるなんてことはもちろんなく、少数だが、マリアローゼをよく思わないものもいるのだ。
王族に対する悪い感情を顕にするダッシュにエンジュは少し困った。
どういう場合であってもそんなこと言うべきではないからだ。エンジュを信用してそんなことを言っているかもしれないが、王族に対してのそんな感情を言われてもエンジュは困ってしまう。
やさしい近所のお兄さんであったダッシュがそれほど言うのだから、恐ろしい、横暴な人で、みんなに嫌われている人なのだろうか? と少し思ったが、平民として暮らしていた頃はマリアローゼ・フィス・カイザは美しいと評判で、それ以外の噂など入ってくることもなく、エンジュにはマリアローゼがどういう人間なのか想像できなかった。
それからダッシュとしばらく会話を交わして、担任の教師が迎えにきてくれたのでその人とともにエンジュは教室へと向かう。
相変わらず生徒たちからの視線が注目しており、エンジュは居心地が悪くて仕方がなかった。
そして、教室へと歩いていく中で、
「ああ。アンジェ、あの方がマリアローゼ様だから覚えておくように。くれぐれも無礼がないようにな」
担任がそう告げる。
エンジュは彼の示したほうへと視線を向けた。
そして、マリアローゼと、その幼馴染―――アイゼス、シラン、ミーレアン、ネルを視界にとどめた。
その瞬間、エンジュの視界は暗転した。
保健室の中で、エンジュは目を覚ました。
虚ろな瞳で、起き上がったエンジュは、呟く。
「『VS傾国の姫』……」
そんな、エンジュ自身にしかわからない単語を。
覚醒するもの。
マリアローゼの姿を見て、そのものは覚醒した。




