貴方に捧ぐ血
吸血鬼。
それは人間の生き血を啜る妖怪。
東ヨーロッパには多くの伝承が残っている。しかしそれは伝承ではなく、事実だ。
この世に吸血鬼は存在する。
人類が文明を栄えさせた太古の昔から。どのような経緯で吸血鬼が生まれたかは、はっきりと解明されていない。突然変異だとか、地球外生物だとか、いろいろ議論されているがわかっていない。
それでも、吸血鬼は存在している。
中世の頃は迫害を受け、たくさんの吸血鬼が殺された。やがて各国が世界へと進出。争いが絶えなくなると、吸血鬼は利用された。人間よりも強い肉体を持つ彼らは、戦争の道具として駆り出された。
そんなことが繰り返される中、民族自決や人権の尊重が主張され、吸血鬼の権利も徐々に認められるようになった。
だからと言って、全世界の人間が吸血鬼を認められたわけではない。今でも、吸血鬼を差別する人はいる。吸血鬼の血を飲めば不老不死になる、なんて伝説を信じている人もいるわけで。
現在でもそんなことが風潮されているが、数は少なくても吸血鬼は社会を生きている。外見も心もなんら人と変わらない。
ただ、一つだけ人間と異なることがある。
それは、人の血を飲まないと死んでしまうところだ。
「ふぅ……」
私は大学の図書館で、吸血鬼に関する本に一通り目を通して、息をついた。
別段、吸血鬼について調べたいわけではないのだが、少し気になったからこんな小難しい本を読んでいる。
どうして気になったのか。答えは簡単。
私の身近に彼がいるから。
数が少なく、稀に見ない吸血鬼の血族、その末裔。
「……」
ちらりと向かいの机を眺めた。
そこの上で突っ伏しているのは男性。いつもフードを被っているその人。幼馴染で、学部もサークルも同じ彼。
「また寝てる」
いつの間に寝てしまったのか。私が大抵目を向けると彼は寝ている。
腕時計を見ると、もうすぐ次の講義が始まる。仕方なしに彼を起こした。
「ねぇ、授業始まるよ」
肩を揺らすが、彼は起きない。「う~ん……」と唸るだけだった。
「置いてくよ? 私まで遅刻しちゃうの、嫌だから」
「…………さ」
「さ?」
微かに聞こえた単語。耳を澄ませるとこんなことが返ってきた。
「サボる、眠い」
「……」
呆れて物も言えない。真面目だけが取り柄の私の前でそんな暴挙は許されない。
「起きるっ!」
彼のフードをひっぺ剥がした。
「何すんだ!」
慌てて顔を上げた。フードを外したおかげで彼の容姿がはっきりとする。
顔は美形で中々の男前だ。
白い髪に紅い瞳。髪は染めたわけではなく地毛で、気だるそうな雰囲気をまとっている。
吸血鬼の容姿は基本決まっている。色白で赤い瞳。これが吸血鬼の特徴。これは、どの文献にもネットにも挙がっていること。だから一般人でも一目で吸血鬼だとわかる。
彼の名前は綾人。私の幼馴染で、吸血鬼だ。
綾人のことを怪訝に見る人もいるが、私は別になんとも思わない。
だって……。
「おまえ、吸血鬼は太陽に弱いって知らないのか?」
「そんなの迷信でしょ? この前普通に遊んでたじゃない」
「あれは先輩が悪いんだよ……」
綾人は仏頂面をして、恨めしそうにこちらを見上げる。
私は思わず笑ってしまった。
「何がおかしいんだ?」
「いや、なんでもないよ?」
「……」
ふてくされた顔を見て笑った、なんて言ったら怒られる。
吸血鬼も人と変わらない。こうやって拗ねたり、怒ったりしているところは人だから。差別なんかしない。普通に、友達だと思っている。
綾人は、私のことどう思っているかは知らないけど。
「あー、授業中寝よ」
彼はガシガシと頭を掻き回しながら、言った。
「もうっ。寝ることしか考えてないの?」
「中身はおまえが聞いてくれるからいい」
「ほんと他人任せ、私がいなかったらどうするの?」
「それは……」
ぽりぽりと頬を掻く。私は呆れた。
「もういい。早くしないと遅刻しちゃう」
「ちょ、待てよ」
綾人は慌てて私の後を追ってきた。
結局、綾人は眠ってしまった。絶賛睡眠中である。
私はため息をついて、先生の話に耳を傾けた。
時おり聞こえてくる綾人の寝息。隣の彼はこちらに顔を向けて寝ている。寝顔は子供みたいだ。いつもしかめっ面ばかりしているのに、こんなところは可愛らしい。
少しいたずら心が芽生えた。
そっとフードを剥がして、シャーペンの頭で綾人の頬を突いた。
「ん……」
吐息が漏れて、少し身じろぐ。
私は面白くてつんつんとしていると、
「なにイチャついてんの?」
「へっ?」
前の席の友達――陽奈がジトッとした目でこちらを見つめていた。
「授業中イチャつくんじゃない」
思わず大声が出そうになったが、堪えて小声で抗議する。
「……ちょ、そんなんじゃないからっ」
「麻美って自覚ないの?」
「え?」
「いつも一緒にいれば誰だって思うよ」
それを聞いて、私は目を見開いて硬直した。
「ねぇ? 本当のところどうなの?」
「な、何が……?」
聞かれていることはなんとなく予想はつく。私は声を上擦らせた。
「だから、付き合ってるの? 麻美は綾人君のこと好きなの?」
「す、好きでも、付き合ってもいない……」
無邪気に笑う陽奈に、私はぼそぼそと否定した。そのとき、いきなり綾人が起き上がった。
「わっ」
びっくりするこちらを意に介さず、真っ直ぐと前を向いている。すると彼の横顔がわずかに歪んだ。
「どうしたの?」
「ヤバい……」
呟くと、立ち上がって教室を飛び出して行った。
綾人は「ヤバい」と言った。それが何なのか。付き合いが長い私はすぐに理解できた。慌てて、後を追う。
「見てくる」
「いってらっしゃ~い」
陽奈は軽い口調で見送った。
出て行った私たちを不愉快そうに見つめる生徒と先生。だけどすぐに何事もなかったように、講義が再開された。
背後からこんな会話が聞こえてきた。
「吸血鬼の考えてることはわかんねぇな」
「どうせ発作だよ」
「あぁ、アレか」
「そう、アレ。考えただけで気色悪いよな」
――吸血衝動。
それは吸血鬼の特性。そして、吸血鬼だという証拠だ。
「見つけた」
綾人は廊下の隅で、壁に手をついている。とても苦しそうだ。
「はぁっ、はぁ……」
彼は服を鷲掴みにして、歯を食いしばっていた。
「綾人!」
「な、なに……追いかけてんだよ……」
彼は悪態をつくも、真っ青な顔をしていた。そんな彼の表情を見るだけで、胸が痛む。
「すぐ戻るから……、おれのことなんかほっとけよ……」
綾人は笑って、カバンから注射器を取り出した。その注射器の中には衝動を抑える薬が入っている。彼は震える手で注射器を腕に刺した。
「……っ」
綾人がいつも薬で衝動を抑えているのを、いつも私は見ていた。苦しそうな彼の顔を見ていられず、思わず目を瞑ってしまった。
吸血鬼は定期的に人間の血を飲まないと生きていけない。
けれども、綾人は決して血を飲まなかった。一度それを聞いたことがある。すると綾人はこう答えた。
『おれは、たとえ吸血鬼でも人でいたい。血なんか飲むもんか』
その頃の私は吸血鬼と人の違いなんてわからなかった。だけど、高校、大学と進学していくにつれ、周囲が綾人への態度が厳しくなっていった。
それが悲しかった。
もちろん、綾人の人柄を理解して仲良くしてくれる人もいる。だけどそれはごくわずかであって、ほとんどの人が綾人を煙たがるのだ。
綾人だって一生懸命なのに。
綾人だって人なのに……。
どうして綾人を否定するの?
私はそれが悲しくてたまらない。
「っ! なに泣いてんだよ」
発作が止まった綾人が、私を見てぎょっとした。綺麗な紅い瞳が見開かれた。
「え?」
気づくと、私は泣いていた。溢れる涙は止まらず、ぽろぽろと床に落ちていく。
綾人が焦ったように目を泳がせた。
「お、落ち着けよっ! なんで泣いてんだよ」
「綾人のバカ……」
「はぁ?」
綾人は意味が分からないと言うふうに顔をしかめた。
「だから、泣くなって……」
綾人の手が頬に触れる。親指で涙を拭ってくれた。少し痛い……。
「なんで麻美が泣くんだよ? おれのことなんかで泣くなよ」
「だって……」
それは綾人が泣かないからだ。いつも笑ってごまかすし。
「……ったく。ほんと昔から泣き虫だな、麻美は」
そう言って、綾人は私の後頭部に手を置いて、肩に寄せた。
「外で泣き顔さらすなんて、麻美のほうが馬鹿だな」
「うるさい……」
とんと綾人の胸を叩くが、綾人はくすぐったそうに笑うだけだった。
「……心配してくれてありがとう、麻美」
綾人がぼそりと呟いた。
それだけで、私の心は暖かくなった。それからトクンと胸が高鳴った。
「?」
驚いて首を捻る。胸の中で身動きすると、綾人がこちらを見下ろした。彼の紅い瞳が私を捉える。なんだか顔が熱くなってきた。
「どうしんだよ?」
「え、いやなんでもない……」
――やっぱり綺麗だな、綾人の目。
瞳だけじゃなくて、その銀色のような髪も光に反射して、きらきらと光っている。顔も整っているから、パッと見、外国人のようである。幼馴染の私から見ても、すごくカッコイイ。
綾人の顔をまじまじと眺めていると、綾人は私を離した。
「そんな見るなよ」
「見ちゃダメなの?」
「いや。見ちゃ駄目っていうか……、おれが恥ずかしい」
軽く頬を染めて、顔を逸らす綾人。
「ふふっ」
「あっ、今笑ったな!」
「だって、あははっ」
笑う私に綾人はぶすっとしてしまったが、すぐに白い歯を見せて笑った。
「でも……」
「ん?」
「笑ってる麻美のほうがいいな」
「……」
いきなりそんな笑顔でそんなことを言わないでほしい。また鼓動が早くなった。なにを考えているんだ! 落ち着け私。そしたらはた迷惑なことに、さっき陽奈が言っていた言葉を思い出してしまった。
「わーっ!」
「うおっ!? なんだぁいきなり?」
「……」
びっくりする綾人から目を逸らして考える。
好き、なのかな?
昼寝好きで怠け者の、無駄にカッコイイ幼馴染が。
確かに今もトクトクと心音が激しい、ドキドキする。顔もたぶん赤い。
これは綾人の前だけ。
やっぱり私は……。
「……なあ授業戻ったら? おれはいいけどおまえは授業大事だろ?」
すると綾人が小首を傾げて顔を覗き込んできた。いきなりのことに、声を上げそうになるところを必死で堪えた。
「あっ、綾人にとっても大事よっ! 早く戻る!」
「え、おれ寝たい」
「ええい、さっさと来い!」
私は綾人を引っぱって、教室に戻った。
そろそろテストの時期だ。
単位を落としたくないから、勉強するのは当然のこと。
そして、テスト前は必ずすることがある。綾人への指導だ。綾人は授業を聞いてないので、いつも私が教えることとなる。まあ私も復習できてこれはこれでいいんだけど。それにしても、綾人にはもう少し真面目にしてもらいたいものだ。
だから、今回も私の部屋で勉強会。
「あー、眠い」
「あのね、付き合ってあげてるんだから少しはやる気出したらどう?」
「眠いもんは眠い」
相変わらず、減らず口を叩く綾人。綾人はそのまま、机に突っ伏した。
「こらっ。真面目にやんないと、知んないよ?」
「いいよ、別に」
そっけなく答える綾人に私はむっとした。誰のために勉強会してるの?
「そんじゃあ帰って。テスト頑張ってね」
「そんな殺生な……!」
とんとんと参考書とノートを片付けると、綾人はがばりと顔を上げた。必死めいた顔が面白い。
「今日お母さん、夜勤でいないからご飯作らなきゃ。綾人、食べてく?」
「いやだから! 勉強しましょう、先生!」
パン、と両手を合わせて願う綾人。
「さっきの言葉撤回します、真面目にします! おれだって単位落としたくないし、落としたら父さんにどつかれるし! 吸血鬼だし!」
最後のは意味不明だった。しかしここで許して綾人がきちんとやるものか。こういうことは小学校からよくあることだ。一応、確認しなくちゃ。
「本当にちゃんとやる?」
「しますします」
綾人はうんうん頷く。嘘くさいけど、これ以上苛めるのは可愛そうだ。
「仕方ない、もう少し付き合ってやろう」
「さすが先生、ステキだ!」
……おだてても何もでないぞ。
そんな綾人を私は横目で流しながら、再びノートを開いた。
綾人にテスト範囲やポイントを教えた。
「うーん、こんなもんかな」
私はぐっと伸びをして、時計を見た。
「もう九時か……。あ、ご飯食べてない」
「おまえさ、勉強するのはいいけど、メシくらいちゃんと食えよ」
「わかってるよ」
むきになって言い返すと、綾人は床に転がった。
「あー、ちょっと休憩」
「そのまま寝ないでよ」
「やべ、眠たい」
「ほんと寝ないでよね……」
私は少しドキドキして言った。今日はお母さんが夜勤だから帰って来ない。お父さんは出張だからいない。
つまりコイツと二人っきりというわけで……。
「なに考えてんのよ……」
変な考えをやめっ。そもそも、二人っきりなんかよくあることだし、こんなこといつも通りだし……。
そう言えば。
私は綾人の横顔を見た。
――綾人は私のこと、どう思ってるんだろう?
好きとか嫌いとかあるのかな? 嫌いだったら一緒にいないか。
昼寝が好きな同い年のカッコイイ幼馴染。
多分、私は綾人が好きだ。
小さいときからずっと。
だけど、綾人は吸血鬼だ。忘れがちだけど、綾人は吸血鬼で私は人間。ずっと一緒だからそんな些細なことはすぐ忘れてしまう。
それでも……。
私は綾人が好きなんだろう。
彼の隣にいるだけで気持ちが落ち着く。すごく幸せな気持ちになる。
だったら、綾人は?
綾人は私のこと……。
「うっ」
そのとき、綾人がかっと目を開いた。少しびっくりして、私は抗議の声を上げる。
「ちょっと、どうしたのよ?」
「悪い、今日は帰るわ」
綾人はこちらを見向きもせず、そう言い捨てた。その横顔は焦った様子だった。
「?」
不思議に思ったが、綾人が帰るなら私は心置きなく快眠できる。ほっとすると、綾人は本当に焦っているようで、乱暴にドアを開いて、
「悪いな麻美。また明日」
「あ、うん……」
急いで出て行ってしまった。
「アイツどうしたんだろ?」
首を傾げるが、思いつくことはない。大方、お父さんに何か言われているんだろう。ぼんやりとそんなことを考えていると、部屋の外から大きな音がした。
階段の方だ。何かが落ちたような音。
「まさか、階段踏み外したの綾人」
呆れてしまう。まあ無事かどうかだけ見て、お風呂入ろ。
私は部屋から出て、階段を下りた。
「大丈夫ー?」
とんとんと下りていくと、階段の一番下で綾人が転がっていた。さすがにヒヤッとした。
「綾人! 怪我してない?」
「来るなッ!」
途端に怒鳴られた。
「なによ……」
むっとして綾人を睨むと、
「はぁ……、はぁ……っ」
荒い息が返ってくる。まさか発作!
綾人は苦しそうに肩で息をし、手で顔を覆っていた。指の合間から除く表情は苦しげに歪んでいた。
「綾人、薬は!?」
「だからっ、帰るんだよ……っ」
家に忘れてきたみたいだ。私は慌てて、玄関に向かう。
「私、おじさんに言ってくる!」
「無駄だよ」
「え」
「今日は親父がいない……、それに今日のコレは、いつものと違う……っ」
「……」
「薬じゃあ……どうにもなんないよ……」
綾人は廊下に座り込んで、辛そうにうずくまった。
「くそ……、今日は朔日だった!」
怒鳴る綾人を茫然として私は見つめていた。
朔日とは月と太陽がほぼ一直線上に並ぶ日のことだ。つまり月の光が届かない、月が見えにくくなる。俗に言う新月というものが出来上がる日だ。
このとき、綾人――吸血鬼に起きる現象を私は知っている。吸血鬼に関しては頭の中に全て入っている。
「来るなよ……麻美」
紅い瞳を上げる綾人。彼の瞳はいつもより輝きを増し、爛々としている。口から覗く犬歯も異様に尖っている。
私はぞくりと背筋が凍った。
『朔日は吸血鬼が宴を開く日』
どこかの文献にそう書いてあった。
すなわち、朔日は吸血鬼の力を増して、外に出ようとしている。血が欲しくて欲しくてたまらないのだ。
「綾人」
「来るなって!」
綾人は必死に拒む。歯を食いしばり、己の体を制御しようとしている。
「今、傍に来たら……駄目だ……っ」
己を抑え込むように左腕で右腕を思いっきり掴む。それでも震えは止まらない。
「いや……」
私は初めて朔日の綾人を見た。絶え間なく脂汗が滴り、顔面蒼白の彼。
いつもの吸血衝動を抑えるだけでも苦しそうなのに。今日はもっと苦しいはずだ。薬も何もないのに、どうやって抑えられるの?
また胸が痛くなった。ぎゅっと胸の前で手を握る。
「ぐ……っ、あっ……!」
呻く綾人。それを私は見ていることしかできない。じわっと目頭が熱くなる。視界がぼやけた。
――変わりたい。
綾人の苦しみを私も背負いたい。
綾人のためなら、どんなことをしてもいい。
なぜなら。
――彼が好きだから。
だから決めた。目を拭って顔を上げる。
「ねぇ、綾人」
私は彼に近づく。
「何度言わせんだよ……来るなって……」
忌々しそうに呟く綾人。今まで聞いたことがない声。地の底から響くような声音。私は恐怖を感じながらも、歩を進めた。
「私は、綾人が好きだから」
「あぁ?」
にこりと笑うこちらを怪訝そうに見上げる綾人。もしかして聞こえていなかった? そんなこと、今はどうでもいい。
私は綾人に聞いた。
「綾人、血が欲しい?」
綾人は血という単語に過敏に反応した。しかし首をぶんぶん振る。
「血なんか、飲まねーよ!」
「でも、苦しいでしょ?」
「だからって飲むかよ、馬鹿!」
肩で息をする綾人は全力で否定した。だけど……。
「はぁ……はぁ……っ」
その紅い目は私を向いており、まじまじと全身を眺める。
「綾人になら、吸われてもいい」
「冗談やめろよ……」
「冗談じゃない、確か首の血管が太いから首筋からのほうがいいんだよね?」
私は胸元を少し開けた。綾人は驚く様子もなくこちらを見ている。すごく大胆なことをしているから恥ずかしい。
私は背を向け、綾人にうなじを見せた。
「どうぞ」
「だからっ! 飲まねぇっての!」
頭を振る綾人。吸血鬼だからと言って血は飲まない。それが綾人の信条。
だけど。
「それでも! これ以上綾人の辛い顔を見たくないからっ!」
私が叫ぶと、綾人は黙ってしまった。また目が滲む。
「お願いだから……。綾人には元気でいてほしいの……」
鼻声になってしまった。廊下に涙が落ちる。また泣いてしまった。
「綾人になら……」
それは最後まで続かなかった。
「……っ」
綾人が無言のまま、そっとうなじに触れたからだ。
ドクン、と一つ大きく震えてから、私の鼓動は速くなる。頬が熱かった。思わず目を瞑った。
うなじに綾人の温かい息がかかり、そして。
「――ッ!」
鋭い痛みが走る。綾人の歯が肌に当たった。熱い舌が這う。綾人はピタリと体を寄せ、私を抱くように左手を腰に回した。
「はぁ……」
綾人の吐息が漏れ、血を啜る音が微かに聞こえた。
「……振り向くなよ、目も開けるなよ」
舌を這わせながら言う。少しくすぐったい。
「どっちかしたら絶交だからな」
「う、うん……」
やはりくすぐったい。私はぎゅっと目を閉じた。
「…………」
苦しげな息遣いと狂おしく血を求める綾人。血を吸われる感覚は不気味だったが、綾人に包まれているようで、不思議と安らぎがあった。
やがて、綾人の口がうなじから離れた。
彼は落ち着いたように息をつく。私もほっと一息ついた。うなじを触るとチクッと痛みが走った。軽く襟を直すと、
「ごめん……」
綾人が吐き捨てるように言った。すごく憔悴しきっており、本当に元に戻ったのかわからない。
「おれ、抑えきれなかった。吸血鬼の本能に負けたんだ。最悪だ」
綾人にとってそれは罪だ。今まで守ってきた言葉を破ったのだから。
だけど、私には関係ない。
「綾人、私の話聞いてた?」
「なにを?」
「私は綾人にならいいって言ったの。だから謝んないでよ」
「なんでおれならいいんだよ?」
その言葉にびっくりしたようで、綾人は再び問う。
本当に聞いていなかったみたいだ。二度もこれを言わせるの? これって一度っきりだから効果があるんじゃないの?
そんなことを考えながら、私は綾人にもう一度伝えた。
「私は、綾人が好きだから」
言った途端、綾人の目は見開かれ、みるみるうちに顔は真っ赤になった。
「え、なにその反応。私まで恥ずかしいんだけど……」
徐々に私も顔が火照ってきた。
すると綾人が吹き出した。
「何が可笑しいの?」
「だって、こんな状況で告白されるなんて思わなかった」
「ふーん、綾人はもっとロマンチックなのがいいの」
ふくれっ面で言うと、綾人は私の腕を掴んだ。いきなりのことに何もできず、綾人に引っ張られて、
「ッ――!」
キスされた。ちょっと無理やりだったから、歯が当たった。……正直痛かった。
びっくりして固まっていると、綾人は口を離して苦笑した。
「告白って男がするもんだろ? おまえに先言われたらおれの立場がないじゃん」
「え、どういうこと……?」
困惑する私を見つめて綾人は告げた。
「だから……こういうこと、」
彼は優しく私を抱きしめた。綾人が耳元でそっとささやく。
「おれも麻美のことが好きだ」
声が耳をくすぐる。じわりと胸が熱くなった。
「でもいいのか?」
「なにが?」
「おれ、吸血鬼だぞ? またこんなことあるぞ。ぜったい」
「関係ない」
「そうなのか?」
「そうなの」
私は綾人の胸に顔をうずめた。
たとえ、彼が人でなかろうと私は彼が好きだ。彼を愛している。彼を不安にさせたくない。彼を支えていきたい。
再び、二人の視線が重なった。
「キス、やり直そ」
「なんで?」
「優しくしてほしい、な?」
「しょうがねーな」
綾人は呆れたように笑い、そして。
ゆっくりと唇を重ねた――。
Fin.