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夢から覚めた王子


「夢を見たんだ」


目を覚ましてしばらくして、ルカはポツリと零した。

言葉を挟むのがためらわれて、黙って仕草で続きを促す。


「僕とヴェニーが恋人同士な夢。紅葉祭で一緒に露店のニシンパイを頬張って、水晶のブレスレットを買ってあげて、二人で焚き火の側で踊って、最後は人のいない月明かりの照らす林で一晩中語り明かすんだ」


それは彼だけが見た夢。

彼女が決して見ることはない夢。

その夢は儚く、そして彼にとっては何よりも得がたいものなのだろう。

その夢が現実になることは永遠にない。


「幸せだった。これまで生きてきた中で、一番、満ち足りていた。

今まで、何人もの女性に告白されたり、村の発展の為に沢山努力を重ねて結果を出し、父にも村民にも賞賛されたけど、あんなに優しくて、幸せな気持ちになったことは一度もなかった」


ヴェニーのことを想い、これまでたくさんの涙を流してきたルカの目は乾いていた。

淡々と語る彼を見ていると、私の胸に熱い想いが込み上げてくる。

消え逝く美しい想いへの哀切とそれを惜しむ気持ちがないまぜになって溢れてきた。


「だから僕は目が覚めた時に真っ先に想ったんだ。嗚呼、これでもう想い遺すことはないって」


どうしよう。想いが風船のように膨らんではじけそう。だめ。このままだと彼の前で私は。


「ヴェニーを諦められるって………アンネリーゼ? 」


とっさに俯いて髪の毛で隠そうとしたけれど、彼には見つかってしまったようだ。ルカは怪我人とは思えない素早さで近寄ってきて、私の顔を覗きこんだ。


「何故君が泣いているの?」


泣き顔をみられたくなくて、しゃくり上げながら彼に背を向けようとしたのに、両肩に置かれた手に動きを封じられる。


「なんだか、君の泣き顔を見てると僕は………。僕は変な気持ちになってくる」


変な気持ちってなんだ。意味が分からない。

至近距離から真顔でじっと泣き顔を見られるのも、非常に居心地が悪い。

どうしても涙が止まらなくて、私は軽いパニックに陥っていた。元敵であるルカの目の前で泣きじゃくるなんて。恥ずかし過ぎて今すぐ消えてしまいたい。なのにこの意地悪な男はそれを許してくれない。


「泣き止んで欲しいような………でも、もっと泣かせてみたいような」


くいっと肩に乗った手に力が込められると、私の身体はあっさりと傾き、ルカの胸にぽすんと着地した。


「なんでだろう。泣いてる顔が変だから? だから変な気持ちになるのかな」


ひどい言葉とは裏腹に私の背中をトントンと一定のリズムで叩く彼の手は優しい。

変な顔って失礼な。言い返したいけど、いっこうにおさまらない嗚咽が邪魔して上手く喋れない。

無礼な男の腕から逃げ出したいけど、逃げられない。


「でも、ずっと泣かせてるのは可哀想だから、今は泣き止ませようかな」


もっと泣かせるのはまた今度。

不穏な呟きが聴こえた気がして、私の背中に悪寒がはしる。

ぞっとして、無理矢理彼の腕から抜け出そうとすると、生暖かい感触と共に額に唇を押し付けられた。しかも、離れる前にぺろりと舐められてしまう。


「ルカ、どうして?」


呆然と見上げた私の目に映ったのは、悪戯っぽい笑顔の王子だった。


「やっぱり泣き止んだね。ふふふっ。だってさっき君は泣いていた僕に全く同じことをしただろう? だからこれはお返し。これでおあいこだね」


ルカはなかなか私を離してくれず、家政婦さんがノックと共にヴァネッサの来訪を告げてからやっと、私は王子の抱擁から解放されたのだった。




「ルカ………。本当にごめんなさい。

私は貴方にひどいことを言ったのに、それでも私のことを一生懸命助けようとしてくれて。私を庇って怪我までして。私は。私は………」


涙を流し始めた幼馴染にルカは慈しむような眼差しを向けた。

ついにその時がきたのだ。

邪魔者は退散しよう。私はそっとルカの部屋から出て行こうとしたけれど、ぐっと腕を掴まれる。睨むような強い眼差しに貫かれた。


「ここにいて。最後までちゃんと見届けろよ。

僕の恋をずっと最初から見て来たんだろ。だったらきちんと終わりまで付き合ってよ」


私の腕を掴んだまま、ルカはヴァネッサに向き直り優しく告げた。


「君を庇ったのは僕の意思だから。だから、君が責任を感じる必要なんてこれっぽっちもないんだ。

むしろ大事な幼馴染である君を守れて、僕は嬉しいんだよ。

だって僕はこれまで、君のことを傷付けることしか出来なかったんだから」


ヴァネッサは肩を震わせた。少し躊躇した後、きゅっと唇を噛み、拳を握り締めて覚悟を決めた顔になった。


「ルカ。私、前から聞きたかったの。私達は昔、一番の仲良しで、二人でよく一緒に遊んだわ。でも、貴方は王都に行ってから変わった。見違えるほど大人っぽくなったけど、私に対してキツい言葉を吐くことが多くなった。ねぇ、ルカ。どうしてなの? 私は貴方を怒らせるようなことをしてしまった?」


「僕が君に辛く当たるようになった原因は君じゃない。僕にあるんだ。僕は………」


ルカはちらりと私を見る。不安げな彼に私はしっかりと頷いてあげた。 今の貴方ならきっと大丈夫。頑張れルカ。

ヴァネッサは私たちのやりとりを不思議そうにして見つつ、ルカの言葉をじっと待っている。


「僕は君をマルコに奪われてしまったのが悔しくて、僕を選ばなかった君が憎らしくて、あんな態度をとってしまったんだ。

ヴァネッサ。本当にすまなかった。僕は君をどれだけ傷付けたか、何度謝っても謝りきれない」


ルカは深々と頭を下げた。村長の息子たる彼に頭を下げられて、ヴァネッサはひどく慌てた。


「やめて。ルカったら、頭を上げてちょうだい」

「こんな謝罪ひとつじゃ、君もおさまらないだろう。僕に償えることならなんでもするから」

「貴方のその言葉だけで私は充分よ」

「ルカ。ヴェニーが困っているから。それに貴方はまだ肝心なことを言えていないでしょ」


発破をかけるつもりで、やや強めに背中を二度叩く。勢いよく頭を上げた王子の顔は真っ赤だった。その勢いのまま、彼は一気に言い放った。


「ヴァネッサ。僕は本当は君といつまでも一緒にいたかったし、僕と生涯を共にするのは君しかいないと、思っていました。ヴァネッサ、いやヴェニー。ずっと好きだった。君のことを愛していました!」


その瞬間のヴァネッサの表情の変化は見ものだった。

ぽかんと口を開け、目を大きく見張り、直後、あっという間に頰を紅に染めたのだ。


彼女のこんな表情かおは親友の私も初めて見る。それはルカも同じだったようで、惚けたように幼馴染を見つめていた。


「あいつ。こんな可愛らしいヴェニーをいつも独り占めしてるのか。憎らしいな」


私にしか聞こえない声で呟くルカ。こらこら王子。ヤキモチでブラックモードになるのやめたんじゃなかったの。

そんなルカの本音にも気付かず、ヴァネッサは哀しげな様子で彼の両手をキュッと握った。


「ルカ。そうだったの………私は貴方の気持ちに気付かずに、ずっとあなたが豹変してしまった理由が分からずに悲しんでた。でも、貴方もずっと苦しんでいたのね。私はマルコへの想いを憚ることなく出していたから、それも貴方にとっては辛かったでしょうね」


「僕が意固地にならずに、もっと素直に君への想いを告げられていたら、こんなにこじれることはなかったんだ。悪いのは天邪鬼な僕なんだよ」


ヴァネッサへと語りかける王子の表情は憑き物が落ちたかのように晴れ晴れとしていた。

私は本当に良かったと思うのと同時に、物足りなさも感じていた。素直過ぎる王子なんて王子じゃない。私は天邪鬼な彼のことが………そこまで考えて、ハッと思い至る。

天邪鬼なんて人のことは言えない。彼自身にも問われて、さんざん否定してきたはずなのに、なんということだろう。

いつの間にか、天邪鬼な王子ルカのことを好きになっていたなんて。


でも、私は恋心を自覚した瞬間に失恋した。

ルカのことを笑えない。私は彼と全く同じ立場になってしまったんだ。


ヴァネッサがルカへお礼を述べる。でも、マルコがいるからルカの想いには応えられないと告げる。ルカは自分の想いを受け止めてもらっただけで嬉しいと笑う。


二人のやり取りが遠くで行われていることのように感じる。

どうしよう。もうどうしようもない。

私は想いを胸に秘めたまま彼から離れることを決めた。


このまま側にいたら、天邪鬼ルカの二の舞だ。

幸いにして、私は彼と幼馴染でも友人でも、ましてや恋人でもない関係だから、今後、これきり関わりを持たなかったとしても、ちっともおかしいことではない。

遠く離れてしまえば、この想いだってきっと風化するはずだ。

いたずらに告げて、彼を困らせることなんてない。




こうなってしまえば、王都の学園への編入の話は渡りに船だった。

私はこれまでルカに疎まれていた。

家政婦さんが推察した通り、今はもう嫌われてはいないかもしれない。

でも、ヴァネッサの一件で色々と言葉や態度が行き過ぎたこともあって、彼が今後私を好きになることはないと思われた。

初恋が悲しい結末だったのだ。彼には幸せになってもらいたいと願っている。

でも、幼馴染への想いも昇華され、別の女性と付き合う彼の姿なんて私は見たくない。

だから私は故郷むらを出ることにしたのだ。



雪の朝。登ったばかりの太陽が雪に反射してキラキラと眩しい。

爽やかな朝の光の下、ヴァネッサの目は真っ赤だった。


「アンリちゃんの馬鹿。バカバカバカ!どうして言ってくれなかったの。王都へ行くこと。分かっていたら、もっとたくさんおしゃべりして、もっとたくさん遊んだのに」


いきなり胸に飛び込んできた親友を抱きとめると、胸をぽかぽかと殴られた。本当に我が親友は可愛い。抱きしめた身体も柔らかいし、いい匂いがするし、とデレデレしてしまう。


「アンネリーゼ。よくもヴェニーを泣かせたね。この代償は大きいよ」


浸っていたら、マルコから睨まれてしまった。


「分かってる。黙っていてごめんなさい。でも、王都と村を行き来するなんて大したことないわ。休みの度にしょっちゅう戻って来るつもりだし」

「絶対よ。それに、王都で私以上の仲良しを作ったら許さないんだから」


可愛いことを言う。どんなに友達がたくさん出来たとしても、ヴェニーは特別だ。ヴェニー以上なんているはずない。


「あいつには王都行このこときの話はしたの?」

「もちろんしていないわ。だって言う必要はないでしょ。私と彼は友人でも何でもないんだから」

「ねぇ、アンリちゃん。アンリちゃんはルカのこと………」

「言わないでヴェニー」

「アンネリーゼ。このことを知ったら、彼はどう思うか」

「何とも思わないわよ」


強情な私にヴェニーとマルコはため息をつき、お手上げだと両肩をすくめた。


馬のいななきと足音がする。ニ週間に一度の定期便がやって来たのだ。雪の綿帽子を被った常緑樹の間の道を小さな馬橇ばぞりが駆けてくる。乗客は私一人だけ。

これから私はルカが作った道を通り、王都へ向かう。



こうして私は自覚したばかりの恋に終止符を打った。


親友とその恋人は最後まで心配げに私を見送っていた。




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