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素直な王子と振り回される私

どうしてこんなことになったのだろう。


せっかくのお膳立てが台無しになっただけではない。

事態は悪化した。はっきり言って最悪だ。


私は目の前の見目麗しい男を睨みつけた。


「おはよう。愛しき僕の姫君。アンネリーゼ」

「ちょっと! 触らないでっ」


恐るべき素早さで私の手を取った不届き者は、私が振り払うより速く手の平に唇を落とし、さらに舐めた。


「許可なく触るなと言っているでしょう!」


全身にぞわぞわとした悪寒がはしり、腕にふつふつと波立つような感覚が生じた。これは完全に鳥肌が立っている。

事故に遭った知人のお見合いに来ただけなのに、どうしてセクハラされなくてはならないのか。

私の親切心を返して欲しい。


「相変わらず天邪鬼だね。君は。僕に触れられて嬉しいんだろう。本当は」

「天邪鬼はあなたでしょう!? どんな美形だろうが、恋人でもない男にほいほいと触らせるほど、軽い女じゃないわ!」


手を捉えられているので、足を後ろに振り上げると、相手のすねを蹴った。

人体の急所でもある場所だから、女の弱い力でも絶大なダメージを与えたようで、ルカは涙目でうずくまった。


「くっ。相変わらずの容赦のなさだね。好きなのに素直になれなくて、つい暴力に訴えてしまう。そんな屈折したところも好」

「それ以上気色の悪い戯言を繰り返してごらんなさい。あなたのそのご自慢の美顔をふた目と見られないようにしてあげるわよ」


いまだ床にへたり込んだヤツの顔面に足を突き出してやると、私の本気を感じ取ったのか、ルカはピタリと口を閉ざした。


「本当に気持ち悪いわね。貴方。いくらなんでもキャラ変わり過ぎよ。それが貴方の願望なの? それとも真の姿? 何にしても極端過ぎるのよ」


確かにルカは美形だが、このテの美貌は王都にいる姉やそのお友達達のおかげで免疫がある。

男性と付き合った経験もないわけではないので、このぐらいでほだされたりはしない。


「それにしても。どうしてこんなことになってしまったのかしら。折角私が貴方のためにお膳立てしてあげたというのに。そんなに忘れたかったの?」

「忘れているのは君の方だろう! 僕達の美しい愛の日び、いたっ!」


彼の足をグリグリ踏みにじることで、そのたわけた言葉を封じる。


「いっそ、頭を殴るか蹴るかしようかしら。あの時と同じ衝撃を与えてやれば、記憶も戻るかもしれないし」

「そもそも記憶が戻るとか、忘れたとか、君は何を言っているんだ」

「とぼけないで! ヴァネッサに振り向いてもらえない現実を認めたくなくて、あの娘を愛する気持ちを忘れてしまっ」


いきなりの衝撃に見舞われ、私は冷たい床に倒された。とっさに身を起こそうとするも、私を転がした張本人にのしかかられ、かなわない。


「僕が何を忘れたのか。そんなことは知らないし、どうでもいい。だが、これだけは言っておく」


先ほどまで私に甘ったるい言葉を吐いていたと思えないほど、冷たい眼差しに見下ろされる。


「僕の前でその不快な名前を二度と口にしないでもらおうか。たしかに僕とアイツは生まれた頃からの幼馴染だから嫉妬するのも分からないでもない。でも」


襟を掴まれ、ぐっと引き寄せられた。首元がしまり呻き声が出る。


「どうせ妬くなら、もっと可愛く妬いて見せたらどうだ? アンネリーゼ。 例えば」


顔を近づけられ、私は言葉を失った。この距離はいくらなんでも近すぎる。彼がふっと吐いた息が私の睫毛を揺らす。途端、全身を熱とこそばゆさが駆け巡り、背筋からゾクりとわけの分からない感覚がきた。


「例えば、愛しい恋人に接吻をねだる、とか?」


ルカはスッと切れ長の目を細め、ちろりと自らの唇を舐めて薄く笑う。

身体の芯がズクんと疼き、ぞわりとした感触とともに、背中と首筋に鳥肌がたった。私は反射的に両手を前に突き出した。まさか反撃されると思っていなかったのか、ルカの手は私から離れて、身体はあっさり後ろに倒れ尻餅をつく。


「誰が恋人でもない男にそんな真似するか馬鹿!」


頭にきたので、いっそ急所を蹴り上げてやろうと思ったが、今の彼に近付くのは危険な気がしたので、逆に距離をとる。


「ま、そんな素直になれない君も僕は愛してるよ」


片目をつぶり、ちゅっとリップ音をたてて投げキッスをしたルカは、先ほど私を威嚇したことなどなかったかのように、愛しい恋人に向ける甘い笑顔を私に向けた。


「それはどうもありがとう。村の王子たからにそんな風に言ってもらえるなんて光栄だわ」

無表情で淡々と返してやると、王子はククッと面白げに笑った。

「なんだよ、その心の全くこもらない棒読みは。村の女の子達だったら涙を流して喜ぶって言うのに。僕にここまで言われて、喜ばないのなんて、アンネリーゼとあとヴェニーぐらい………くっ」

ルカはいきなり顔を歪めると、頭を押さえてうずくまる。私はさっきまで臨戦態勢だったことも忘れて、駆け寄った。

「どうしたの?!」

「頭がっ………割れるように痛い」

肩に手をかけて、顔を覗き込む。白い肌は蒼白になり、額にはびっしりと玉のような汗が浮いている。痛さのあまりか、その目尻はうっすら紅を刷いたかのように染まり、涙が溜まっていた。

ハンカチで顔や首筋の汗を拭ってあげると、苦しげに呻いて、私の胸に倒れ込んできた。

「ルカ! 大丈夫?!」

「ごめ………ん。ちょっと休ませ………」

目を閉じると、彼はそのまま動かなくなる。

「ちょっと! ルカ! ルカ! しっかりして!」

肩を揺さぶってもルカは何の反応もしなかった。


蒼白になって意識を失っているルカを、家政婦さんと一緒にベッドに運んだ私は、異様な疲労感を覚えて額に手を当てる。

本当に私は王子ルカに振り回されてばかりだ。

せっかく愛しの幼馴染ヴェニーに告白出来るようにお膳立てしてあげたのに、事故に遭って記憶喪失になり、ヴェニーへの想いを忘れてしまうわ、その喪失を埋めるかのように、アンネリーゼを愛していて、二人は恋人同士だと錯覚するわ、散々だ。

ルカ、ヴェニー、マルコの三角関係に全く含まれていない部外者なのにも関わらず、巻き込まれ過ぎだと思う。


「頭を打った影響で、軽い記憶障害が出ているようですから。脳がこんがらがった記憶を必死に整理しようとして、処理容量を越えてしまったみたいですね」

ルカを幼い頃から診ているという医師は冷静だった。この唐突な頭痛と意識喪失は命に関わるものではないと説明してくれる。

彼がこうして眠っている間にも、記憶整理が行なわれているようで、目を覚ます頃には記憶の混乱も正されているだろう、との見解だった。


命に別条がないと分かって、私と無愛想な家政婦さんはホッと胸を撫で下ろす。

私も彼ほどではないが、色々あって疲労困憊だったので、その場を辞そうとすると、彼女に引き止められてしまった。

「坊っちゃまが目を覚まされるまで、側に居て頂けないでしょうか。恐らく、今の不安定な状態ですと、人恋しくて寂しがられると思いますので」

「でも。私はルカさんには嫌われていますので、逆効果かと」

「それはあり得ませんよ」

家政婦さんはきっぱりと言い切った。

「坊っちゃまはこう見えて好き嫌いの激しいお方。嫌いな人間はまず側に寄せ付けもしませんし、記憶があろうがなかろうが、こうしてお部屋への出入りを許すなんてございません」


彼女はテキパキとルカの眠るベッド脇のサイドテーブルの上を片付けると、そこに湯気のたった紅茶と鹿肉の燻製を挟んだサンドウィッチを置いて、立ち去った。

「後は若いお二人でどうぞ」という余計な一言を残して。

お見合いじゃあるまいし何を馬鹿な、と思いつつ、空腹だったのでありがたくサンドウィッチを頬張る。燻製特有の香ばしさが口の中にふあっと広がり、幸せな気持ちになる。鹿肉は少し塩味が強いが、一緒に挟んであった新鮮なレタスをしゃくしゃくと咀嚼すると、塩辛さが中和される。その美味しさに頰がゆるんだ。

熱々の紅茶を流し込むと、ほぅっと息をつく。

疲れのあまり放心しつつ、ボーッと整い過ぎた寝顔を眺めていると、これまでピクリとも動かなかったルカが身動ぎした。

「………ヴェニー」

瞼がひくひくと動き、目の端からすっと涙が一筋流れた。

それを皮切りに彼はヴェニーの名前を繰り返し呼びながら、涙を流し続けた。

その涙の美しさに胸を打たれた私は、手を伸ばして目元と頰の涙を優しく拭う。

「悲しまないで」

そっと耳元で囁くと、わずかに彼の唇が震えた。

「たとえヴェニーが貴方の想いを受け入れなかったとしても、貴方とヴェニーの幼馴染の絆は断ち切られることはないわ」

そして私はルカのさらさらした前髪を搔き上げると、その滑らかな額にそっと口付けたのだった。



大好きな姉が遠く離れた王都の学校へ行ってしまうと聞いた時、私は年甲斐もなく泣きわめいた。寂しかったし、私も一緒に連れて行って欲しかった。

でも、姉は私の懇願に頷く代わりに幼い頃のように私をぎゅっと抱き締めてこんな言葉をくれた。

「可愛いアンリ。こらえなさい。貴女の人生はこれからなの。これから長い人生の中で大切な、離れがたい人とお別れしなくてはならないことが何度もあるのよ。悲しいし辛いのは分かるわ。でもこれは誰にもどうしようもないことだし、みんなこの辛さに耐えて生きているのよ」

姉が私の額に優しく唇を押し付ける。

「でも安心して。どんなに遠く離れても私が可愛いアンリのお姉ちゃんであることは変わらないから。いつでもどんな時だって私たちの心は繋がっているわ」

このキスはその証よ。そう言って、姉はチュッと二度目のキスをしてくれた。




本当はヴェニーのキスがいいのだろうけど、彼女は今ここにいないし、恋人のマルコがいるのにこんな真似をしたらまずいだろう。だから私はヴェニーの代理なのだ。

それ以上の意味なんてない。

ふと気付くと、ルカが瞳をぱっちりと開けて私の顔をじっと見ていた。

嫌悪感もなく、眠る前に恋人同士のように振る舞った甘さもなく、ただ、赤ん坊が知らない人を観察するようなまっさらな眼差しを私に注いでいる。

慌てるな。そうだ。これはいわば泣いている子供を慰める母のようなキスなのだ。深い意味はないのだから、慌てることはない。

私はゆっくりと唇を離し、身を起こした。


「アンネリーゼ・ブリューゲル。君は今、僕の寝込みを襲っているの?」

感情を感じさせない声色で静かに訊かれて首を振る。

「違うわ。貴方が泣いていたから慰めるつもりでしただけよ」

だいいち襲うつもりなら、額などではなく唇にするわ、と呟くと、ルカは目を大きく見開いた後、口に手を当てた。無に近かった彼の表情が色づく。

「君は曲がりなりにも女性だろう? そんなことを言って恥ずかしくないの」

耳たぶや首筋がぽっと赤く染まり、恥じらう様子が何とも言えず艶かしい。これではまるで私が、純情な乙女を弄ぶ悪い男のようではないか。

ルカは村の娘からあれだけ慕われているくせに、誰かと付き合ったこともないのだろうか。ちょっと純粋培養過ぎる。

「だって。異性にするような意味合いのキスじゃないもの。あれは姉が弟にするようなもので」

ルカはスッと無表情になった。彼の茶色の双眸が無機質に私を貫く。

ルカの頭の近く、枕元に置いていた手をいきなり握られて、そのあまりの冷たさに飛び上がりそうになる。

「弟、ねぇ」

背中からゾクリとした嫌なものが這い上がってきた気がして、握られた手を引っ込めようとしたが、叶わなかった。

「僕は絶対にごめんだね。アンリ、君が僕の姉だなんて」

その手の冷たさに負けない冷たい声音で、ルカは断言したのだった。


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