王子と私の愛の特訓
「ヴァネッサ。いやヴェニー。僕は君をあ………あ、あ、あ、あ、あいたっ!」
無言で頭を叩いた私を恨めしげに睨みつける王子。
「うっとおしい! 憎たらしい嫌味はすらすら出てくるくせに肝心な言葉は出てこないとか貴方はどれだけヘタレなわけ!? 王子の名が泣くわよ!」
「誰も王子と呼べなんて頼んでいない。皆が勝手に呼ぶだけだ」
「そうよねぇ。外面はあれだけいいのに、実態は単なる天邪鬼で好きな子をいじめちゃうヘタレで残念な美形だものね」
からかうような口調で言ってやると、唇を尖らせてふいっとそっぽを向いてしまう。
そんな子供じみた表情すら麗しいだなんて美形ってやつは本当に。
ヴァネッサへの初恋をこじらせてさえいなかったら、王都で似合いの女性でも見つけて、とっとと幸せになっていたんだろうに。
本気を出せば手に入らない物なんてなさそうに見えて、運が悪いというか、詰めが甘いというか、ある意味気の毒でもあるな。
妙にしょっぱい気持ちになっていると、ルカが何かを呟いた。
「なに? 今、何か言った?」
彼は真剣な眼差しで私の目を正面から見据えた。
「悪かったな。こんなことに付き合わせて」
「ほんとにね。たった数文字なんだから、もったいぶらないでさっさと言えばいいのに」
「それが出来ないから、練習に付き合ってもらっているんだろ」
「ヴァネッサ。愛してる。今までひどいことばかり言ってごめん。ほら、簡単」
「………本当に君は可愛くない」
彼は頭をがしがしとかきむしると、俯いて足元の草をぶちぶちと引き抜きはじめる。
髪が乱れてますよ、王子。せっかくのイケメンが台無し。
「草に八つ当たりしない。別に貴方に可愛く思われなくても、痛くもかゆくもありませんよ」
腰掛けていた切り株から立ち上がり、ルカに近寄ると髪を指で梳いて整えてあげた。
草から離れた彼の手が私の指をパッと掴まえる。
じっと私の目を上目遣いで見たルカは朱い唇を開いた。
妙になまめかしさを感じる視線に背中がぞわぞわする。
「今までひどいことばかり言ってごめん」
「ちょっと………」
「君が好きだ」
全身に鳥肌がたった。とっさに捕らえられた指を引き抜こうとするが、強い力で握られていて、ビクともしない。
「愛してる」
「………っ」
引き寄せた私の人差し指を口元に軽く当てた王子は紅を刷いているわけではないのに、朱い唇を吊り上げて笑った。
頭が、顔が、全身が熱い。火が出そうだ。
「顔が真っ赤だぞ」
「離せ!」
全力で振り払うと、私は後ろを向いて胸を押さえた。
なんだ今の。なんだ今の。なんだ今の。心臓がはじけるかと思った。
「どうした? ひょっとして具合が悪いのか」
背後で草を踏む音がしたと思ったら、すぐ後ろからルカの顔がぬっと現れて、また心臓が止まりそうになる。
「熱はないようだな」
額にひたりと手を当てられる。何気ない接触なのに私はもう瀕死だ。
「触らないでっ」
このままだと私の心臓が危ない。またもや彼の手を振り払うと、不思議そうに首を傾げられた。
「何を怒ってるんだ。今のは上手く出来ていただろう?」
百点満点だった。この凄まじい威力。ヴァネッサにわけの分からない意地悪ばかりを言って絡まないで、正々堂々と思いを告げていたら、もっと結果が違っていたのかもしれない。
今さら時すでに遅しだけど。
西陽がちらちらと頰に当たって、くすぐったさを感じる。
「そうね。出来過ぎなぐらいよく出来ていたわ。貴方がもっと早くに本気を出していたら、ヴァネッサの気持ちも違っていたかもね」
「珍しいな。君が僕を褒めるなんて」
「私は誰かさんと違って天邪鬼ではないの。良いと思ったら、ちゃんと素直に褒めます」
「まだ顔が赤いようだが」
体温を計るように頰に触れた彼はニヤリと笑んだ。
「なるほど。君は僕の本気に当てられて柄にもなく照れているわけか。僕も捨てたものではないな」
ああ。やっかいだ。こんな。こんな男に私は。
「自惚れないで。夕陽よ。夕陽のせいでそう見えるだけ」
「ふふっ。まぁ、そういうことにしておこうか」
彼は初めて見るような優しい顔で微笑うとぽんぽんと私の頭を軽く叩いた。
私たちは二つ並んだ切り株にそれぞれ腰を下ろすと、静かに山の端に隠れていく夕日を眺めた。
「綺麗ね」
「ああ。今日はよく晴れていたからな。澄み切って見え過ぎるぐらいだ」
夕陽に照らされた彼の全身は赤く染まっていて、その横顔はどこか寂し気だった。
「どうせなら、君を好きになれば良かった」
「それはヴェニーと私の両方に失礼だわ」
弱気な言葉にすかさず厳しく返してしまう。
ごめん、と呟いたルカの頰に金色の粒がほろほろと流れた。
小さくため息をつくと、私はハンカチを乱暴に彼の手に押し付ける。
受け取ったハンカチを目元に当てる彼を直視出来なくて、ふいとそっぽを向いた。
もっと優しく出来たらいいのに。私も人のことは言えない。
夕陽が完全に隠れて辺りが真っ暗になるまで私たちはそのままでいた。
あれから何度かルカと告白の特訓を行った。私にはすらすらと愛の言葉を紡げるくせに、相変わらずヴァネッサの前に出ると、人が変わったようになってしまうヘタレ王子だった。
紅葉祭の日が近づいていた。
マルコの住む村と合同で行うお祭りだ。
隣村との交流を深めるためにルカが始めたイベントだったが、これがきっかけでただの顔見知り同士だったヴァネッサとマルコがいい雰囲気となり、付き合いはじめたわけで、彼の心中はさぞや複雑だろう。
「もうすぐ紅葉祭ね。楽しみだわ。今年こそアンリちゃんに素敵なパートナーを見つけてあげるんだから!」
そんな当て馬王子の胸中も知らず、マルコとお祭りを過ごすつもりだろうヴァネッサは、いつになくテンションが高い。
「ヴェニー。いいの。私はそういうの別に興味ないし」
紅葉祭で二つの村民が作った村の特産品や収穫物を使った料理を売り出し、互いに買い合うことで、村と村の行き来を活性化するのが狙いだ。
また、夜に若い男女がペアで焚き火の周りで踊るイベントのおかげで、うちの村と隣村の若者の婚姻率が高くなった。
ちなみにこの夜のイベントもうちの村が誇る王子ことルカ・リントヴルムの考案である。
考えれば考えるほど哀れを誘う。
「そんなこと言わないで。去年だって素敵な人に踊りに誘われたのに断ってたじゃない」
「あれは断ったというか、他に気を取られていたというか」
ルカが捨てられた仔犬の瞳でヴァネッサを見つめるものだから、そちらが気になって踊るどころではなかったのだ。
それに、ヴァネッサにはまだ伝えていないが、私は恐らく来年にはこの村にいないだろう。
姉から王都の学院に編入しないかと誘われていて、つい先日承諾の返事をしたばかりだった。
もう秋になろうと言うのに、ルカとヴァネッサはいまだに仲直りをしていない。
どうせ乗り掛かった船だ。私がこの村を離れるまでに、責任を持って王子の恋の決着を見届けてあげよう。
そうとなればやることはただ一つ。
私はヴァネッサには黙って隣村に出かけ、マルコととある約束を取り付けた。
二つ返事で快諾とはいかなかったが、必死に頼み込んだら、君がそこまで言うなら、と苦笑して頷いてくれた。
しかし数日後の紅葉祭で思わぬ事故が起きて、私のお膳立ては無駄に終わるのだった。