表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/8

私と泣き虫王子の奇妙なダンス

まだ不安定なヴァネッサをマルコの元に残し、私はひとり家路を急いでいた。


夏で日が長いとはいえ、日没間際だ。ルカの働きで隣村と我が村を行き来する道が整備されていたが、夜に女性一人で歩けるような安全な道ではない。

獣も恐ろしいが、夜盗の類いも恐ろしい。


「アンネリーゼ。君はこれまでずっとリントヴルムを敵視してきたはずだ。なのに彼に肩入れするような発言………もしかして、ほだされたかい?」


マルコの言葉とからかうような笑みを思い出す。


太陽の一部は既に山の端に隠れた。

急がなければ。


足を進めつつも、頭ではマルコに言われたことを考えている。

マルコの指摘は最もだ。

私は王子ルカにほだされたのだろうか。

正直よく分からない。


「どうだろう。リントヴルム殿自身への評価はたぶん変わっていないはず。ただ、私は彼の一途過ぎる心が無残にも散るのを見たくないの。あんなに美しいものが醜く玉砕するなんて、あってはならないことだと思う。ただそれだけ」


マルコはしばらく黙って私を見つめていた。そのまなざしは水の深さを測るように、私の心を推し量っているようだった。

やがて私の表情に何らかの結論を見出したようだけれど、賢明な彼はそのことには触れなかった。


「そう。彼をよろしくね。僕にだって、彼の心は手に取るように分かるから。同情している部分もわずかながらあるんだよ」


なるほど。ヴァネッサはマルコのこんな所に惚れたのだな、と思った。

この包み込むような暖かい包容力。にじみ出る人間的余裕。彼には持ち得ないものだろう。


ルカの気持ちが見えていないヴァネッサは、私たちの会話を不思議そうな顔で聞いていた。


夜の闇が夕暮れを追い詰めていく。

私自身もまた、夜に追われるようにして山道をひた走るのだった。



「坊っちゃまはお加減が優れずお休み中です」


無愛想な家政婦さんが淡々と述べる。

昨日の今日だ。いきなり具合が悪くなるとも思えない。仮病かもしくは恋患いか。

上等だ。是が非でも引きずり出してやる。


「無理にとは言いませんが、ヴァネッサ・アンバーティッセンがお見舞いに来たと伝えてください」


ヴァネッサの名前が効いたのか、私はあっさりルカの私室に通された。ルカはベッドの上の住人になっていて、私は王子のメンタルの弱さと彼の愛しの幼馴染への傾倒具合を思い知り、頭痛をおぼえた。

こじらせ過ぎた初恋ほどたちの悪いものはない。


「!? ブリューゲルっ! 謀ったな! ヴェニーを騙るなんて卑怯者っ」


ルカ・リントヴルムは一瞬目を見開いた後、憤怒で顔を真っ赤に染めた。

しかし見事と言うべきか、短時間で感情を立て直した彼は、冷たいほどの無表情となる。


「嫌われ者の僕をあざ笑いにでも来たの?」


冷徹な眼差しと言葉が私を鋭く貫いた。でも私が驚いたのは彼の態度ではなく。


「ちょっと! リントヴルム殿。貴方ひどい顔」


墓下から這い出てきたゾンビ、というのは言い過ぎかもしれないが、土気色の顔に目の下の隈が彼の美貌に拭えない影を落としていた。

ヴァネッサの一言でこの体たらく。

王子よ。どれだけメンタルが弱いのだ。


「ひどい顔とはご挨拶だね。十人並の容姿を持つ君に言われる筋合いはないと思うが」


私はつかつかとベッドの上の彼に歩みよると、たった一日でやつれた気がする頬の肉をつまんで思い切り引っ張った。


「十人並の容姿で! 悪かったわね! そんなことばかり言うからヴェニーに嫌われるのよ」

「余計なお世話だ」


頬をつまんでいた手を掴まれると、ギリリと力をこめられる。


「痛い! 離して」


思い切り振り払ったものの、手首には指の跡が残っている。


この男、私に対して全く容赦がない。

まぁ、私も彼には言いたい放題なのでおあいこか。


王子に憧れる女性達に、この手首にくっきりついた指の形の青あざを見せてやりたい。


「リントヴルム殿。貴方は今のままでいいの? ヴェニーに嫌われたまま。しかも貴方の気持ちも誤解されたまま。これで終わってもいいの?」

「何が言いたい」


ルカは下から睨みあげるように私を見た。肉食獣のような獰猛な瞳だ。

普段、女性達を虜にしている王子然とした姿はここにはない。

ここにいるのは、王子ではなく、一人の女を強く愛し、激しく求めるただの一人の男だった。


ヴェニーですら知らない姿を幼馴染でも友人でもない、それどころか、敵対していると言ってもいい私が目にしていることに不思議さを覚える。


「ヴェニーを愛しているのに、その想いを伝えなくて………っつ」

「黙れ」


首が締まる感覚に呻いた。気付けばルカの両手が私の胸ぐらを掴んでいて、息がかかる距離に彼の顔があった。


彼の瞳には激しい怒りと苛立ちが炎のように揺らめいており、私はまたしてもその剥き出しの激情に見惚れた。

なんて美しいんだろう。


「ヴェニー………泣いて、たわ」


苦しい息の下から途切れ途切れに告げると、襟を締め上げる力が弱まる。

声を整えるために小さく咳をすると、私は続けた。


「あなたに、ひどいことを言ったって」


更に力が抜けて、ルカの手は私の服に軽く添えられている程度になった。


「貴方の方があの娘にはるかにひどいことを言っているでしょう。なのにヴェニーは貴方に吐いたたった一言をものすごく悔やんでいるの」

「………たった一言だって?」


地の底を這うような声で彼は呻いた。

彼の手は私の襟元から肩に移る。肩に手をかけたまま、ルカは深く俯いた。ずしりと重い。

このまま彼と一緒に地に埋まるんじゃないかと錯覚するような重み。

これはきっとルカの想いの重みそのままなのだ。


「僕はそのたった一言で殺された」

「甘ったれるんじゃない!」


今度は私がルカの胸ぐらを掴み上げた。


「貴方はこれまでどれだけヴェニーを傷つけた? 辛抱づよいヴェニーにどれだけ我慢させた? それを強いた貴方が傷ついたなんて寝言を抜かしてんじゃないわよ!」


私の肩からルカの手が落ち、太ももの両脇にだらりと下がった。

端整な顔がくしゃりと歪む。食いしばった歯から嗚咽が漏れる。

私が胸元を掴んでいるために顔を隠すことが出来ないルカは首をねじり、顔を反らして泣きはじめた。


「ヴェニー、ごめん。ごめんよ。………ご、めん」


しゃくり上げながらごめんなさいを繰り返す。彼の胸ぐらから手を放してあげると、ずるずると床に座り込んでしまった。


少しは彼女の痛みが分かったのだろうか。

彼女に言い返されて初めてその傷に気付くなんて、あまりに想像力が欠如していて呆れるが、彼は恋愛においては思考も行動も幼いのだろう。


やはり彼にはヴァネッサのことを任せられる程の度量はない。

彼女が選んだのがマルコで良かった。


「ねえ? 泣き虫王子様。貴方がちゃんとヴェニーに謝ってくれるのだったら、彼女に関するいいことを教えてあげる」


彼は床を掻きむしって泣きじゃくっていたが、現金なもので泣き声と動作がぴたりと止まった。


「………それはなに?」

「ヴェニーにきちんと謝れる?」


ルカは床の上に居住まいを正して座り直した。

態度は殊勝だけど何故冷たい床なのか。いい加減立ち上がったらどうなんだろう。


「謝る」


素早い返事に私は二カッと笑った。素直でよろしい。

涙で潤んだ目をきらきらさせて、真剣な表情で私を見上げる彼は可愛いと思う。

もう少年とも呼べない、青年期に差し掛かっている彼を可愛いと感じるなんて変な話だけれど。


「じゃあ教えてあげる。貴方の望む好きではないけれど、ヴェニーは貴方のことがちゃんと好きで、貴方をちゃんと大事に思っているわ」


次の瞬間、私は歓声を上げたルカにいきなり抱きつかれていた。


「本当かい? 僕を騙そうとしていないよね? ヴェニーが僕を! 大好きだって!」


喜び過ぎて馬鹿になっている彼にぎゅうぎゅう胴を抱き締められて、またもや息がつまる。


「苦しい! 離しなさい!」


足を力いっぱい踏みつけて、彼の拘束から抜け出した。


「”大好き”なんて言ってないでしょう。話を盛らないで。それに彼女の好きは恋愛じゃなくて親愛よ。それを忘れないで」

「いいんだ! 嫌われていないんだったら、親愛でも何でも。僕は嬉しい!」


今泣いたカラスがもう笑った。足を踏まれても懲りない王子は、今度は私の両手を取るとぐるぐる回り始めた。


「本当に嬉しい! ヴェニーが! 僕を好き! ヴェニーが僕を好き!」

「ちょっとやめて! 踊るなら1人で踊ってよ! 私を巻き込まないで」


視界がくるくる回る。右に左に振り回されて気持ち悪くて吐きそうになる。どうしてこの人は私に対して加減をしてくれないのだろう。


「ヴェニーが僕を好き。好き! ヴェニー! 好きだ! 君を愛してる!」

「だからそれは本人の前で言いなさいよ。もう!」


王子と私の奇妙なダンスは、私があまりの気持ち悪さに吐いてしまうまで続けられたのだった。



「お見舞いに来た方が吐くとか。あり得ません。具合が悪いなら人の見舞いの前に家に引っ込んでいて下さいよ」

「本当にごめんなさい」


愛想のない家政婦さんはぶつぶつ文句を言いながらも、手際よく吐瀉物を片付けてくれた。

私が吐く原因を作ったのはルカだが、迷惑をかけている自覚はあるので大人しく謝っておく。

ルカめ。後で覚えていなさいよ。


「すまなかった。ヴェニーに好かれていると聞いた途端に理性が飛んでしまって。つい………」


先ほどとは打って変わり、しゅんとしおれた彼が謝罪してくる。


「いいわよもう。許すわ。その代わりヴェニーにこれまでの態度をきちんと謝って、貴方の長年の片思いもちゃんと伝えるのよ」

「ああ。分かってる。しっかりとけじめを付けるよ」


これで私のお役目は終了だ。

全く。さんざんな目に遭わされた。家に帰ってゆっくり休みたい。

いとまを告げると、家まで送ると言われたので、丁重にお断りさせて頂いた。

これまでの刺々しい態度から一転してこの扱い。変わり過ぎて気持ちが悪い。


謝罪のつもりなのか、王都で流行中の美味しいお菓子をどっさりとお土産に持たされた私はげんなりしながら帰路についたのだった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ