私と天邪鬼な王子
我が村には王子がいる。
もちろん本物ではない。あくまで愛称だ。
彼は村長の息子という村の中におけるヒエラルキーの最頂点に立っているだけではない。
容姿端麗、文武両道、貴顕紳士のため、老若男女問わず(特に若い女性は熱狂的に)彼に夢中になり、まるで神のように彼を崇め奉っている。
しかも彼は自らの持つ数々の美点を鼻にかけ、ひけらかすこともない。
我々のような一般庶民に対しても、村長の息子らしく分け隔てなく、自分と同等な存在として扱い接し、それがますます村民たちの支持を高める結果となっている。
天が二物どころか三物も四物も与えている稀有な例であろう。
彼を信奉する若い女性の中には彼には欠点がないどころか、汗もかかず、排泄行為も行わないと心の底から信じている者もいるらしい。
さすがにそれは夢見過ぎだと思うが、彼の名を呼ぶことすらおこがましいと感じた村の女性達が、彼のハイスペックさを鑑み、一種の憧憬と愛情こめて王子と呼ぶのも、無理からぬことと思えた。
私はそんな王子の"特別"と人間くさい面を知っている唯一の人間かもしれない。
「やぁ。ヴァネッサ。食虫花みたいな悪趣味な髪飾りをつけてどうしたの? 気でもふれたのかい。そのスカートもお婆さんのお下がりみたいに野暮ったい丈とデザインだよね。君のセンスの素晴らしさにはいつも脱帽するよ」
村の王子にふさわしくない意地の悪い物言い。彼がこんな言葉をかけるのはただ一人だけ。
しかもその真意は全く相手に伝わっていないのだ。
顔を見るたびにこんな言葉を投げつけられたのでは、伝わるものも伝わらないが。
ヴァネッサの新しい髪飾りは、鮮やかな赤い花をかたどったもので、彼女の柔らかい茶髪によく映えて似合っているし、スカートは裁縫上手な彼女の母が丹精こめて様々な柄の布を縫い合わせたパッチワークの手のこんだものである。どちらも褒められこそすれ、けなされるものではない。
心優しいヴァネッサは、ほとんど言いがかりに近い王子の言葉に眉を曇らせ、悲しげな表情になり俯いた。
「そんなひどい言い方はやめて。ルカ。このスカートはお母さんが一ヶ月かけて私のために作ってくれたものだし、髪飾りはマルコが誕生日プレゼントに一生懸命に選んでくれたもので、私はとても気に入っているわ」
"マルコ"の名を聞いた王子は一瞬だけ顔を歪めた。
しかしそこは王子なので、すぐさまいつもの優雅な笑みを浮かべて、先ほどの表情などなかったことにしてしまえる。
さすがというか何というか。
内面がすぐ表情に出てしまう私には真似の出来ない芸当だ。
王子の前だと俯いていることの多いヴァネッサが、その一瞬の表情に気付くはずもない。
ヴァネッサの友達であり、王子にさほど傾倒していない私が、長年彼女の隣で彼を観察してきた結果気付いたものである。
呆れたことに、ヴァネッサの幼馴染であるルカ・リントヴルムは何年もの前から、ヴァネッサと顔を合わせるたびに暴言を彼女に浴びせ続けている。
そのために、ヴァネッサ自身は王子に嫌われているのだと思い込み、王子の周囲の人間も彼に忌み嫌われる者としてヴァネッサを見下している。
ほら。今も王子を取り巻く女性たちから蔑んだようなクスクス笑いが聞こえてくる。
"いやだわ。村一番の出来損ない娘は"
"鈍臭くてダサくて能力もないくせに幼馴染というだけで王子にお言葉をかけてもらえるなんて生意気な"
"王子の名前を友達のように呼び捨てるなんて。身の程をわきまえなさいよ"
何とひどい話だろう。彼女が何をしたというのだ。
王子と幼馴染というだけで毎回因縁をつけ………もとい心ない言葉をぶつけられている彼女の方こそ完全なる被害者だというのに。
ヴァネッサはこのように蔑まれていい人ではない。
しかし村中の人気者であるルカ・リントヴルムに毎日のように蔑みの言葉をかけられるヴァネッサへの村民の評価は理不尽なまでに低い。
決してヴァネッサに非があるわけではないのにこのような扱いになってしまうのは、王子の働きのおかげで村が急速に発展したためだ。
ルカは見聞を広め、村長に相応しい知識と見識を身に付けるため数年間王都に滞在していた。
そして王都から村へ戻った後、数々の素晴らしい利益を村へともたらした。
痩せた土地でも大量に収穫出来る品種改良された芋を王都より持ち帰り、村の食料不足を解消。
村の特産物である絹織物を高値で王都の貴族に売り込むことに成功し、莫大な益を得る。
また、王都と村を少ない日数で頻繁に行き来するため、織物で得た財をつぎ込んで"獣道"のようだった王都への道を使いやすいように整備し、村と王都の物流を盛んにした。
さらに彼の主催で海に近い隣村と定期的に合同でお祭りを行い、交流を深めた結果、安値で海産物を手に入れられるようになった。
彼は貧しくて食べていくだけで精一杯だった我が村に豊かさの風を呼び込んでくれた。
その功績と貢献度は計り知れない。
彼が父親の後を継いで村長になってくれたら我が村は安泰だろう。
私は村長の息子としてのルカ・リントヴルムの立ち居振る舞いは尊敬に値すると思うが、ヴァネッサの友としては、ルカの行為に強い憤りを覚えるばかりである。個人的に言わせてもらえば大嫌いである。
大丈夫よ。ヴァネッサ。仇は私が討ってあげるからね。
「そのスカート色と柄の組み合わせが絶妙だね。全然違うタイプの柄なのに不思議と違和感がないし統一感がある。配置の妙ってやつかな。ヴェニーのお母さんは本当にセンスと裁縫の腕が絶品だよね。街でお店とか出せそう!
ミリア姉さんも大絶賛してたよ。学校の式典に着て行くドレスを作って欲しいぐらいだって言ってた。
その髪飾りもいいよね。派手さはないけど品のいいところがヴェニーの雰囲気にぴったり。さすが恋人だけあってマルコはあなたのことを知り尽くしているよね」
ルカは憤怒の表情を浮かべた。といっても稲妻の閃きのように一瞬のことだったので、私以外に気付いた人間はいないはずだ。
王子がけなしたスカートとその作成者であるヴァネッサの母の技術を、王都で寮制の学校に通う姉の名を使って褒める。
美人で自慢の姉は街では名の通ったファッションリーダーだから、王子のみならず村の女性達にも今の言葉は効いただろう。
更にルカがしたくても出来ない愛称呼びをし、彼女の恋人の存在と恋人が彼女の良き理解者であることをアピールする。
ちなみにヴァネッサの一番の理解者はマルコではなく私なのだが、ここはマルコに花を持たせてあげた。
私よりも恋人の名前を出した方が馬鹿王子が悔しがるしね。
馬鹿王子が内心では地団駄を踏みまくっているに違いないと思うと、気分爽快である。
「ありがとう。アンリちゃん」
「さっ行こ! ヴェニー」
優しくヴァネッサの腕を取り、その場を離れる。
「待て! ヴァネッサ。まだ僕の話は終わっていない」
王子がヴァネッサに向かって手を伸ばすのが見えたので、ヴァネッサと王子の間に素早く身体を割り込ませた。
「わっと!」
「アンリちゃんっ」
「君っ…!」
上手く二人の位置を入れ替えて、ヴァネッサではなく私の腕を掴ませてやったが、勢いよく王子の方へ引っ張られた私はバランスを崩し、たたらを踏んだ。
「ずいぶんと乱暴な真似をなさるのね。王子の名が泣きますよ。リントヴルム殿」
「邪魔をしないでもらおうか」
「ヴェニーから見た場合、私とリントヴルム殿のどちらが邪魔なのか………一目瞭然では?」
「なんだと?」
私の目の黒い内は可愛いヴァネッサに手出しさせるものか。
「アンリちゃんもルカもやめて!」
睨み合う私達の間に入ったヴァネッサは、私の腕からルカの手を離そうとしたが、逆にルカに捕まってしまった。
「なぜそこの女やあんな男と仲良くするんだヴァネッサ。こんなどうしようもない奴らと付き合ったところで、君には何もいいことはない! ただでさえ人より劣った君のレベルが更に落ちるだけだ。しかし君が是非にと乞うならば、この僕が君と仲良くしてあげても……」
「やめて! 」
王子の身勝手な言葉はヴァネッサの拒絶によって遮られた。
ルカはヴァネッサに叩かれて払いのけられた手を呆然と眺めている。
「私のことを悪く言うのはかまわない。でもアンリちゃんとマルコの悪口を言うことは絶対に許さない。もう二度と私達に構わないで」
「ヴェニー」
「行きましょう。始業時間に遅れてしまうわ」
ヴァネッサは私の腕を抱きかかえると、その場を離れた。
王子を激しく拒絶し、叩いた彼女の行動を非難する声があちこちから聞こえたが、ヴァネッサは凛とした態度を崩さなかった。
ヴァネッサに叩かれた瞬間のルカ・リントヴルムの顔。
はっきり言って自業自得なのだが、奴憎しの私ですらハッとなるような胸を突かれるような表情だった。
だからと言って同情なんて絶対にしてやりませんけどね。
と言うかあんな顔するぐらいなら、はじめからあんなこと言わなきゃいいのに。
やがていつも通りに授業が始まり、真面目に聞いたり適度にほうけてみたりしている内、昼を知らせる鐘が鳴った。
その頃には私の頭からはとても天邪鬼な村のカリスマ。ルカ・リントヴルムのことは綺麗に抜け落ちていた。
いつも腕に馴染んだ感触がない。
午前の授業が終わり、無意識に手首のブレスレットをいじろうとした私は、そこに何もないことに気付き青褪めた。
あのブレスレットはヴァネッサが私の誕生日プレゼントに作ってくれたもので、華奢なローズクォーツたちを細い糸で繋ぎ合わせ、中央にやや大ぶりの水晶をあしらった私のお気に入りだった。
あれを失くすわけにはいかない。
失くした場所にも予想はついている。朝、ルカ・リントヴルムに腕を掴まれた時に落ちたのだろう。
私も一緒に行こうか? と言ってくれたヴァネッサを制し、すぐ戻るから、とやって来た登校路。
そこで見た光景に私は回れ右したくなった。
本日の快晴な空にも負けない鮮やかな蒼い髪を振り乱し、長身の身体を折って彼は嗚咽していた。
普通であれば見なかったフリをして通り過ぎるところだが。
ちょっと待て。なんで貴様は私の宝物を掻き抱いて号泣しているんだ。
返せ。それは私とヴェニーの愛の結晶だ。
ああっ!何を頬擦りしてるんだ。やめろ。
鼻水がつくだろう。わざとやっているのか!
エンガチョ!
ヴェニー、ヴェニーと彼女の前では決して呼べない愛称を連呼し、心臓を絞られるような声で泣いている。
ちなみに私はかなりの面食いだ。王子も中身を差し引いた外面だけで言えば大好物だし、こんな人目を惹きまくる美青年が胸をかきむしる様子で泣いていたら、それだけでハートを撃ち抜かれるだろう。
駆け寄ってその頭を抱きかかえ、慰めたくなってしまうかもしれない。
しかし相手は私が一方的とは言え敵認定した男だ。
ヴェニーの仇だ。いや、実際にヴァネッサを殺されたわけではないが、私の心情的に仇ということだ。
私の心に同情心は全く沸き上がらなかった。
むしろ私が感じたのは憎さからくる暗い優越感だ。
言葉にすると
"ザマァ!!!!"
"ぷゲラ"
と言ったところか。
そんな私怨はともかく、今の私に課せられた使命はただ一つ。
ブレスレットを奴の手から奪い返すことだ。
「リントヴルム殿」
朝からずっとここで悲劇の乙女よろしく泣きじゃくっていたらしい王子はぴたりと動きを止めた。
「………アンネリーゼ・ブリューゲル」
私が本題を切り出すより早く、ヤツは王子らしからぬ動きでずざざーっと後退した。
その胸にヴァネッサの作ったブレスレットを強く抱えて。宝物を奪われまいとする子供のように彼はかぶりを振った。
「イヤだ! イヤだ! これは僕の物だっっ! 愛しのヴェニーが作った至高の宝だ! 例え王様に命じられたって絶対に返すもんか! 」
ありえない幻覚、幻聴が目前に。
初めて見るカリスマのあまりに大人げない姿に私はしばし硬直した。
つうかマジでこいつ誰。