柔らかい
天津遊園地に到着。入る前から、悲鳴が響くジェットコースターに一同は釘付けだった。
「いや、先ずは軽いのから行こうね。ねっ」
絶叫が響くジェットコースターに、わくわくしている七瀬が沈黙を破る。楽しみはあとにとっておく。
「日曜日だから混んでるなぁ。誰だよ、日曜日に行くって言い出したのはよ」
「ご、ごめん……日曜日じゃないと皆予定が空いてなかったから」
三連休の中間だ。来客者は多く、ちらほらとアトラクションの行列が目に入る。
そんな会話をしている黒巣と緑橋を五歩後ろから見ていた音恋を、黒巣は振り返った。
黒巣の横顔を見すぎてしまったのかと、ドキッとする音恋の肩を掴むと引き寄せる。
「はぐれるなよ、宮崎」
「あ……うん」
距離を縮めると黒巣は肩を並べなかったが、歩調を緩めて音恋に合わせた。
黒巣の背中を見つめて、無表情フェイスが崩れそうになった音恋は唇を強く閉じる。
まただ。また。
黒巣が柔らかい態度で接してくる。思った以上に大変な一日になりそうだ。黒巣にときめかず、無表情フェイスを崩さず、気持ちがバレないようにする。高いハードルとなった。
黒巣が何を考えているのか、わからない音恋は困る。
元々黒巣はゲームでは本心がよくわからないミステリアスなキャラクターだ。素直に接してこられても、音恋にはイマイチ意図がわからなかった。
黒巣にもう一人想い人がいると思い込んでいる音恋には。
「あ、じゃああれから乗らない? 皆で海賊になろう」
「橋本、アンタって結構恥ずかしい発言するんだな」
「ノリにそんなツッコミを入れられると恥ずかしいです……」
橋本が指を差すのは、大きな船のアトラクション。
振り子のように前後に揺れ動くアトラクションだ。
空いていたため、音恋達は足を向かわせた。
「……何故、向き合って座るのかな」
「仕切り魔に文句を言え」
音恋の向かいに黒巣が座る。
主催者の七瀬の指示だ。中心の座席は向かい合っていて、緑橋は橋本と園部は七瀬と向き合って座っていた。
アトラクション中、ずっと顔を合わせなければならないようだ。目を逸らすのも変に思われる気がして、音恋はただただ黒巣を見る。
黒巣も音恋をじっと見た。
大きな船が動き出す。最初は小振りだ。次第に大きくなる。
ふわり、浮遊感を味わうと七瀬と橋本が笑みを溢した。
「今ふわってなったね!」
「そうだね」
きゃぴきゃぴしているのは二人だけ。
園部も、音恋も、黒巣も無表情である。緑橋だけは、足元に視線を落として固まっていた。
音恋と黒巣はまるでにらめっこをするように、目を合わせ続ける。瞬きをしても、互いに逸らそうとしない。
大振りになると、髪が揺れた。いきなり大きな浮遊感に襲われて音恋は目を丸める。
「怖くなったか?」
「全然」
その反応を黒巣はニヤリと笑うため、毅然として音恋は返す。
「おお高い!」
「うわわっ」
「しっかりしろヘタレ!」
「あはは」
船が地上を垂直に立ちそうなほど傾けば、七瀬達は面白がり緑橋は悲鳴を上げた。
絶叫系アトラクション好きの女子のスイッチは、これで入った。
「よーし! 絶叫系から制覇しよう!」
「おー!」
「おー」
七瀬に続いて、遊園地にある絶叫系アトラクションから制覇する。
一回転するジェットコースターやぐるぐる高速で回る空中ブランコ。五十四メートルから落ちるスリルを味わえるアトラクションや、五Gの重力を味わえるジェットコースター。そして地上三十八メートルから落下して、最高速度九十キロのジェットコースター。
どれも女子は楽しみ、緑橋は悲鳴を上げた。
流石に休む暇もなく乗られて、黒巣の顔色も悪くなる。
「よし……もっかい三十八メートルから落ちるジェットコースターに乗ろう!」
「女子力! アンタら女子力を出せ!」
爛々と輝く七瀬がアンコールを求めたため、黒巣は全力で止めた。全く怖がらず、寧ろ笑い声を上げる女子組は末恐ろしい。
「黒巣くん、酔ったの? スピード狂のくせに」
「あんなガタガタ揺らされれば乗り物酔いもするってーの! ルイなんて瀕死だぞ」
吸血鬼にも劣らないスピードを持つ鴉天狗も、ジェットコースターに揺らされ続ければ乗り物酔いをする。音恋に問われてムキになって返すと、自分より参っている緑橋を親指で差す。
「だ、大丈夫だよ」と笑うが、ぎこちなく青ざめてしまっている緑橋。
「休憩しようか、そろそろ」
「じゃあ休憩したら」
「休憩したら、カートレースで勝った奴が次乗るのを決める!」
橋本が苦笑して休憩を提案した。七瀬が懲りずに休憩後にまた乗ろうとするため、黒巣は阻止にかかる。
「あ、あたしポップコーン食べたいな」
「あっちにあったね。じゃあ紅葉と買いに行ってくるから、あそこのテーブルで待ってて」
七瀬と園部は先程見掛けたポップコーン販売店にまで戻ることにして、集合場所を休憩所のテーブルに決めた。
「あ、じゃあ緑橋くん。アイス食べる?」
「あ、う、うんっぜひっ……アイス店は……何処だろ?」
「捜しに行こうか。音恋ちゃん達は?」
「私もアイスがいいな。黒巣くんはどうする? 私も奢るよ」
「じゃあ俺もアイス。確かジェラート売ってた、船の方」
音恋達は、アイスを買うために向かった。
「あれ、私と音恋ちゃんだけでいいんじゃないかな?」と途中で橋本が気付く。
「女子二人を買いに行かせたなんて知ったら、七瀬が煩いじゃん。万が一、ナンパに遭ってたらアイツの雷が落ちるし」
「やだなぁ、ナンパなんてされたことないよー」
「ナンパは、ついてきそうな子にするらしいよ」
「誘拐犯か」
「ナンパが誘拐犯って……」
そんな会話をしながら、ジェラートやクレープを販売している店を見付けた。
「何にする? 緑橋くん」
「あ、えっと、橋本さんは?」
「私は……あ、イチゴのクレープ美味しそう」
「ぼ、ぼくはイチゴのジェラートで」
緑橋と橋本はすぐに買うものを決めたが、音恋と黒巣はメニューを眺めながら悩む。二人が買ったものを受け取ったため、音恋は先にテーブルについていいと伝えた。
「黒巣くん、決まった?」
「んーまだ。宮崎は?」
「梨のジェラート」
「んー梨かぁ、クレープも捨てがたいよな。奢りなんだし高いもんを選びたい」
「別にいいけれど、優柔不断になりすぎないでね。男なら即決断して」
「なんだその刺々しい言い方は。わあったよ、同じ梨のジェラートで」
緑橋達の背中が見えなくなった頃に、漸く買う品が決まる。同じ品を二人並んで手にして集合場所へ戻ろうと歩き出す。
「緑橋くんと橋本さん、気まずくなさそうだね。寧ろいい感じだね」
「まー確かにな。進展するかはわかんないけど」
ペロペロとほんのり甘いジェラートを舐めながら、緑橋達の様子について話す。
一方、橋本達も音恋達の話をしていた。
「黒巣くんって、音恋ちゃんには優しいよね」
「え? そう、見えるの?」
「うん。黒巣くん、生徒会で忙しくてもクラスの面倒も見てくれる悪い人ではないってことはわかるけど……なんだか刺々しく感じるからちょっと苦手だったの。でも音恋ちゃんといると雰囲気、柔らかいね」
「……そう、だね」
橋本がそう感じるように、音恋といる黒巣は柔らかい。
今日は特にそうだ。一学期はひたすら刺々しかったものだから、緑橋は微笑みを溢す。
その頃、数人の男子グループの一人が音恋とぶつかった。
「あ、すみません!」
「なにやってんだよ」
音恋は持っていたジェラートをべちゃりと地面に落としてしまう。振り返ったら、逃げるように男子グループは行ってしまった。
「たっく! なんなんだあいつら!」
「……いいよ。私が余所見してたから……あーあ、美味しかったのに」
追い掛けようとした黒巣を止めて、音恋はしゃがんでゴミを拾う。まだ二口しか味わっていない音恋は残念そうだ。
黒巣は、自分が手にするジェラートを見る。
「ほらよ」
しゃがんで黒巣は、音恋にそれを差し出した。
きょとんとする音恋。
「一人で食べたら昼御飯食べられそうにないし、元々アンタの金で買ったもんだし、同じ味だし、アンタはシェアは気にしない質だろ。ならはんぶんこ、しよーぜ」
「……」
黒巣は建前を並べて、半分ずつ食べることを提案した。
音恋は間接キスなどを一切気にしない質だと知っている。それに台無しになったジェラートと同じ味だ。
黒巣に差し出されるジェラートを、音恋は見つめる。当然、黒巣は既に口をつけていた。
音恋が間接キスを気にしないのは、そういうことを全く意識をしないからだ。好意を寄せる相手は別。
しかし断れば変に思われるため、音恋はペロリと小さな舌で舐めとる。同じ味だ。
黒巣もペロリと舐めると、音恋が落としたジェラートをゴミ箱へと片付けた。
「ん」
「……ん」
歩きだせばまた黒巣は差し出してくるため、音恋は黒巣の手を取りペロッと舐める。黒巣も食べるとまた音恋へ差し出す。
「あれ、緑橋くん達もいないね」
「ん。トイレじゃね」
集合場所には、二組ともいなかった。仕方なく二人で席について待つことにする。
「ん」と左隣に座る黒巣が、また差し出す。そんな黒巣は真顔である。
まるで意識していないと言わんばかりの顔に、音恋は内心でムッとした。自分だけ意識していて、バカらしく思えてしまう。
ほんの少しだけ。ほんの少しだけ、意識させたい。
音恋がペロッと舐めたあと、ジェラートは黒巣の口元に戻る。
後先考えず、音恋は身を乗り出してそのジェラートにかぶり付く。
ぷにっ。
その瞬間、黒巣と音恋の頬が重なった。
互いの柔らかさを感じた瞬間だ。
音恋は椅子に座り直して、口に入れたジェラートの冷たさに堪える。
黒巣の反応が気になり顔を上げて見れば――――…黒巣の横顔が真っ赤に染められていた。耳まで赤い。
「よ、欲張るなよな、ぶぁーか! ほら」
「ごめん……もういい」
「あっそ!」
互いに目を合わせられなかった。
黒巣はそっぽを向いて差し出すが、音恋は断る。
唇を押さえて横を向く黒巣も、食べる気を失ってしまった。あまりにも近すぎた。今のは間接キスどころか、一歩間違えれば……。
今までときめきを抑え込んでいた黒巣は、胸の高鳴りを抑えるまで音恋を振り向けなかった。
「…………」
恥ずかしさで俯く音恋の赤い頬を見逃す。
意識されたらされたで、動揺してしまう音恋。自爆だった。口の中の冷たさを奪うように、顔に熱が集まる。
音恋も黒巣の頬が触れた自分の頬を押さえて、そっぽを向いた。
黒巣の頬も柔らかかった。