魔女っ子と蛇ー1
みどりん主役編!
漆黒鴉学園高等部の寮。宮崎音恋は朝の部活動に参加するために、黒巣漆は始業式の準備のために、恋人同士で並んで登校しようとしていた。
下駄箱が並ぶ玄関のそばの右にある受け付けカウンター。その前を通り過ぎようとしたのだが、無視が出来ないものを見てしまい、音恋達はピタリと固まった。
「おっはよー、恋ちゃん」
寮の管理人の席に座る見目麗しい青年は、上機嫌な笑みを向ける。艶やかな黒髪の隙間から翡翠の瞳を細め、唇を吊り上げた。
「いってらっしゃいのちゅー、する?」
「……なにしているんですか、アメデオ」
唇を突き出すアメデオに、音恋は感情を出さず静かに問う。
「なにって。お仕事」
ニコッ、とアメデオは楽しそうに答えた。漆黒鴉学園高等部の寮の管理人をやっている。
「……前の、管理人さんは?」
「あー、宝くじに当たったから、辞めて旅行にいったってー。代わりを探してたから、オレがこの寮の管理人をやることにしたの。よろしくー」
笑みを崩さないアメデオの言葉が、どこまで本当かわからない。お得意の暗示を使ったのかもしれない。
やりたいことをやる横暴な純血の吸血鬼。冬休みにロンドンまで拉致された音恋と黒巣は、ただただ呆れた眼差しを向けた。
「なんでまた、管理人の仕事を引き受けたのですか?」
アメデオがちゃんと仕事が出来るのか、疑問だが、音恋は理由を訊いてみる。
「え。暇だから」
理由が浅い。
「昼間は遊び相手いないし、教師は流石にたるいし、学園に少しでも貢献しようと思って」
最後は後付けにしか聞こえない。恐らく、遊び相手のそばにいるためだろう。音恋や黒巣。
「……あの、仕事はちゃんとしてくれるんですよね?」
「大丈夫大丈夫ー」
黒巣が念のために確認すると、アメデオは手のひらを振った。
「暗示を使ってあしらうのは、駄目ですからね」
「うんうんー」
黒巣は眉を潜める。アメデオのことだ。面倒な仕事は、暗示で片付けるに違いない。
心配だ。寮長を勤める風紀委員達の胃に穴が空きかねない。アメデオの失態を、風紀委員達がカバーしなくてはいけないと思うと、気の毒でならなかった。
「なにかやらかしたら、今度こそ、宮崎に絶交されちゃいますよ」
一応釘をさしておく黒巣。音恋に見放されるようなことをしてはいけないと、頭に入れてもらわなくては困る。
「宮崎がキレたら、世界一こぉわぁいですからー」
「失礼な。悪態一ね」
「えっ。今のはただの冗談だぜ?」
「カウントします」
悪態を一回つく度に大好きと言うルールが、二人にはある。音恋はカウントに入れた。
そのルールを知らないアメデオは首を傾げると、後ろから同じく麗しい容姿のリュシアン・モルダヴィアが顔を出す。
「確かに怖いけれど、それは寛容的な宮崎さんが怒る時は、見放しそうな恐怖があるからだ。でも世界ー怖い人は、宮崎さんのような人ではない」
「じゃあ、どんな人が一番怖いの?」
アメデオの隣で頬杖をついたリュシアンは、千年生きた。そんなリュシアンが思う怖い人は誰か、音恋は問う。
「最も怖い人は怒らない人だ」
怒らない人が怖い。
音恋と黒巣、そしてアメデオもどういうことかと注目した。
「怒るとは優しい行為だ。間違いを教えているということだからね。だから怒らない人は、間違いを正してはくれない。それでも寛容的に見え、多くの者に好かれる人は味方の多い。敵に回すと、恐ろしいことになりかねない。本人が怒らないからこそ、味方が代わりに怒る――――というより、粛清をする。守るようにね」
どこかでそんな状況を見た口振りで、リュシアンはいわくありげに微笑んだ。
そこで、音恋は冬の冷たい風が運んだ匂いに気付く。寮の玄関を開けた生徒を知っている。
「蛇くんだー」
同じく嗅ぎとったアメデオが、先に見付けた。
下駄箱の一つに凭れるように、匂いの主、緑橋ルイが現れる。
「おはよう、緑橋くん。……顔色悪いね」
「お、おはよう……」
音恋が挨拶すると、長い前髪の隙間から僅かに見える顔に力なく笑みを浮かべた。少し青ざめた顔に、音恋は首を傾げる。
「……漆ぁー」
「……」
音恋から黒巣に目を向けた緑橋は、大きな黒縁眼鏡の奥の瞳に涙をため、弱々しい声を上げた。それを見て、黒巣は呆れ顔をする。
「どぉーしよ、なぁなぁー……」
「うっぜ。どーもしねーよ」
泣き付く親友に、黒巣はうんざりして冷たいことを言う。
「どうかしたの?」と音恋は訊いた。
「いや、別に。すんげー些細なこと」
「些細じゃないよっ!」
緑橋が涙目になっている原因を、黒巣は軽視している。だが本人にとって重い問題が起きているようだ。
「ぼくと橋本さんの交際が、認められないかもしれないのにっ!」
思った以上に深刻らしいと、音恋は目を丸める。
「はぁー。なんか、橋本が魔女の子孫かもしれないって、一人でパニクってるんだよ」
黒巣は、音恋のために簡潔に話す。すると緑橋が黒巣の襟をがしりっと掴んだ。
「魔女の子孫だったらおばあ様に殺されるっ!!」
「あーもうっ! うるさいなぁ!」
嘆く緑橋の声が大きすぎて、黒巣は周りを気にする。カウンター前に集まる音恋達を、不思議に思いながら、他の生徒達は登校していく。
「ねぇ、どういうこと?」と音恋は詳しい話を求める。
「冬休みに……橋本さんの家で課題をやった時に……文化祭の仮装の話になって……橋本さん、本当は、魔女の仮装をするつもりだったって……。ぼくがどうしてって……どうしてって訊いたらっ……」
涙目の緑橋が途中で言葉を詰まらせてしまい、音恋に最後まで話せなかった。
「……橋本の祖母が、魔女の子孫だって話してたらしいんだよ。だから橋本は魔女の仮装をしようとしたが、祖母は"魔女は正体を隠すもの"と言って止めたんだってさ」
相談を受けていた黒巣が、代わりに話す。緑橋は黒巣の襟元を握り締めて、俯いた。
「笑い話で言ったんだろ、その祖母も冗談かなんかで言ったんじゃねーの」
うんざりしているという態度をしながらも、緑橋の頭を撫でて慰める黒巣。
「そんなことで落ち込むなよ」と付け加えた。すると緑橋がバッと顔を上げる。
「そんなことで!? 魔女だったら、おばあ様が許すわけないじゃん! 石にされちゃうよっ!!」
「うぐぁっ、八つ当たりすんなっ!」
襟を上げられてしまい、首が絞まった黒巣はもがく。
緑橋ルイは、メデューサの孫。メデューサは、かつては美しい蛇使いの女性だった。しかし美しさに嫉妬した魔女が、恐ろしい姿に変えた呪いを永久にかけて、モンスターにしたのだ。呪いは遺伝し、孫の緑橋もその姿になるモンスター。
音恋は一度、メデューサに会ったことがある。蛇の髪を持つ女性のモンスターではあったが、美しいとも思った。
そんなメデューサが、孫の交際相手が魔女の子孫なら、許すはずがない。だから緑橋は慌てふためいている。
「まーじょーお? 絶滅したんじゃないの? オレは三百年前に見かけたっきりだけどなぁ」
「魔女はこそこそ暗躍する性悪だからね」
アメデオに続いて、リュシアンも言った。
性悪て聞くと、緑橋の交際相手、橋本美月と結び付かないと音恋は思う。
「そう、さっき言いかけた。世界ー怖い人だと思った話に戻るけど、とある街でとある女性が、中傷を受けた。とても美しい女性が悲しんで泣いていれば、街の男性も女性も同情し、いつの間にか怒りを抱き、その中傷した犯人を皆がリンチしたんだ。あとになって、彼女が魔女だと知った。恐ろしいだろう? 彼女は涼しい顔をして、皆を魔術で操ってリンチさせたんだ」
中断した話を終わらせることが出来て、リュシアンはすっきりしたと言わんばかりに清々しい笑みでカウンターから出た。
恐ろしい魔女の話を聞き、緑橋は青ざめる。
「あ、あの……」
震えた声をなんとか絞り出して、緑橋はリュシアンに声をかけた。
「橋本さんと話したことありますよね……?」
「ああ、話したことあるよ」
魔女を知るリュシアンに、美月の正体を問おうとする。微笑んだリュシアンは、答えた。
「橋本美月さんは魔女の子孫だ」
衝撃の事実に、緑橋は言葉を失い固まる。
黒巣が心配し目の前で手を振るが、緑橋は反応を示さない。
「……根拠はあるのですか?」
「彼女の匂いだ。魔女は砂糖の甘い匂いを放つ、君も嗅いだことがあるはず」
音恋が問うと、リュシアンはさらりと答えた。音恋は心当たりがある。美月はいつも甘い香りがしていた。
「……じゃあ、前に自分が吸血鬼だって美月ちゃんに口を滑らせたのは……」
以前、リュシアンは美月に向かって、隠してはいけない正体を口にした。あの時は冗談だと誤魔化せたが。
「彼女が魔女だから、当然関係者だと思ったんだ」
リュシアンは、魔女の匂いを放つ美月も学園の関係者だと勘違いしたのだ。
緑橋と交際している今も、まだ美月はモンスターの正体を知らない。
「魔女は子に魔術を教える種族なんだ。時には自分の魔術は自分のものだと、教えない時もあると聞いたことがある。他のモンスターと違って、姿が大して変わらない種族だから、子に正体を言わなければ、子は知らずに人間として生きる。橋本さんは、自分が本物の魔女だと知らされず育ったのだろうね」
橋本美月は、魔女。
自分の知識を得意気に話すリュシアンから、音恋と黒巣は緑橋に目を向ける。
例え美月自身、自覚がなくとも、魔女の血筋だと知ったメデューサの反応を想像すると……。緑橋が固まってしまうのに納得ができる。
「魔女のおばぁちゃん、ボケて暴露しちゃったのかなー」とカウンターで頬杖をつくアメデオが笑う。
「あのさ……みんな」
そこで、今日初めて聞く声が聞こえた。
「生徒が通る玄関で、そんな話をしちゃいけません!」
元生徒会長の桃塚星司が、注意をする。つい、リュシアンの話を聞くのに夢中になってしまっていた。
音恋は横切る生徒達を見て、朝練の存在を思い出す。
「あっ、部活! ごめんね、緑橋くん。またあとで話そ。桃塚先輩、おはようございます」
「あっ、待てよ宮崎! 俺もっ?!」
「漆くん達はだめ! 音恋ちゃん、おはよう、いってらっしゃーい」
黒巣は緑橋の腕を引っ張って音恋に続こうとしたが、桃塚は確保。美月について、話をしなくてはいけない。
桃塚はいつもの愛らしい笑顔で音恋を見送った。
「おはよう。珍しいね、音恋ちゃんがギリギリに来るなんて」
部活開始前に部室に入った音恋に声をかけたのは、話題になっていた美月。
「少し、話し込んでたの。……おはよう」
そっか、と穏やかに微笑んだ美月からは、いつもと同じ甘い匂いがした。
20150118