魅惑の夜会-2 黒巣漆視点
「……ロンドンだ」
「ロンドンだね」
「……ロンドンだ」
俺の呟きに、隣に立つ宮崎が呟き返す。俺は無意味に繰り返した。
イギリスのロンドン。
セント・パンクラス駅に到着するなり、アメデオとリュシアンに「ここからは自由時間! またあとでね!」と置き去りにされた。
よく知らない外国に拉致した上に、不機嫌な宮崎を俺に押し付けて逃げた。
宮崎を怒らせるだけ怒らせて……あの自由人どもめ……。
「……ネオ・ゴシック様式、素敵よね」
ぽつり、と宮崎は駅を見上げて呟く。
聞いた覚えがあるけど、それがなにかはよくわからないけど、中世からありそうな建物に宮崎は気に入ったようだ。
宮崎はこういうのが、好みなんだもんな。
駅の時計台を見上げながら、俺は考えた。
勝手に連れてこられたが、帰りの飛行機のチケットを買うようなお金もない。
「……あー、あのさ。横暴なおじ様達もいなくなったし、普通に観光つーか、その……そのぉ」
口ごもる。照れてるなんて思われたくないから、平然を装おうと必死になった。
「……その……」
手の甲で頬が赤くなっていないか、然り気無く確認する。
「初デート、しよう」
ロンドンの街に目を向けながら、やっと言えた。
「見知らぬ街でデートも、いいんじゃない?」
宮崎に目を向けてみる。
ファーのついたブラウンのブーツと白のトレンチコート姿の宮崎は、きょとんとした顔で俺を見上げていた。
ああもう本当に可愛い。
「……うん」
宮崎が頷いた。
じゃあ、デートだ。付き合って初めてのデート。
「じゃあ……行こう」
手を繋ごうと掌を出す。
すると宮崎は俺の手は取らず、腕を絡ませてきた。
まるでじゃれてきた猫のように、腕に頬をすり寄せて凭れる。
その反応には流石に顔が赤くなった気がした。
不機嫌な雰囲気はなくなり、柔らかい雰囲気になっているし、微笑んでいる。
そんな宮崎が、可愛すぎて、可愛すぎて……。
ああもうなんだよ! さっきまでアメデオ達に激怒してたのに、なんで俺と二人っきりになった途端にニコニコしてるんだ! ああもうっ……ほんと……ほんと……嬉しすぎるっ……。
アメデオ達はこうなるってわかっていたから、俺を拉致したのか。アメデオ達がわかっているほど、宮崎が俺を想っている。そう思うと……嬉しすぎだっ。
「どこか、行きたいとこある?」
「全部」
「ん」
歩き出しながら宮崎に訊けば、全部歩き回りたいなんて言うから頷く。
あの吸血鬼達がいないうちに、二人っきりで楽しんでやる。
恋人同士の初デート。
予定とは違うけど、宮崎と二人ならどこだっていい。
「この通り、やっぱ日本と違う感じでいいよな」
「そうだね」
ルイの家は洋式だけど、煉瓦の壁で出来た建物が並んでいる通り。映画の中に入ったような気分がする。
宮崎は海外旅行に慣れているから、上機嫌だ。
特に会話もなく、街並みを楽しみながら歩いていく。
俺は頭の中で会話を探した。さりげなく、宮崎を愛称で呼ぶチャンスを作りたい。
こうでもなきゃ、俺は宮崎を愛称で呼ばないだろうし、無理強いされているって理由があれば、なんとか呼べる。それでも恥ずかしいけど。
結構の間、歩いたけど思い付かなかった。
「あの店行きたい」
「じゃあ入ろ」
宮崎が気になる店を指差すから、一緒に入る。
アンティークの店だ。少し広い店の中にアンティークの物がたくさん並んでいる。フォークや小さな置物から、テーブルや棚まで置いてある。
宮崎は釘付けで、いつの間にか腕を外して物色を楽しんだ。
放っておかれている感じがする。むくれそうになるが、堪えておいた。
宮崎の横顔を見ると、にやけてしまう。黒い瞳を真ん丸に見開いて、見つめていた。
夢中になっている宮崎の表情って本当に可愛い。
……あれ。俺さっきから、宮崎可愛いしか言ってない気がする。
「みや……あー、ほら、見ろよ。テディベア」
クマのぬいぐるみを見付けたから、宮崎の気を引こうと持つ。危うく禁じられている宮崎呼びをしかけて誤魔化す。しまった。今言えばよかった。
「可愛い」
つん、とぬいぐるみの鼻をつついて、宮崎は微笑んだ。
……可愛いのはお前だからっ!
宮崎を抱き締めたい衝動に堪えようと、ぬいぐるみを握り締める。
「全部欲しいなぁ……」
「み……本当に好きだな。こういうの」
「好きだよ」
ぬいぐるみの上の棚にある置物に手を伸ばして、宮崎は眺めた。
だめだ。恋ちゃん呼びは難しい。
ぬいぐるみを置くと、宮崎が俺の手の上に手を重ねてきた。
「漆くんも好き」
ぴたりと時間が止まった気がした。
宮崎はいつも呼ぶみたいに自然と俺を漆くんと呼んで、そして俺を好きだと言う。
何事もなかったかのように、宮崎は商品を物色し始めた。
口元を押さえて、グッと堪える。……先、越された。
耳まで真っ赤になった気がする。
「……」
ふと、店長らしき男の人がこっちを見ていることに気付いた。微笑んでいる。
うわ、見られた……。
宮崎に真っ赤にされたところ、ばっちり見られた。
に、逃げたい。
白い髭の店長はなにか話しかけてきたけど、俺は聞き取れなかった。
宮崎はそっちに歩み寄って、話し始める。うわ、イギリス人と話してる。
宮崎の方は英語だ。どうやら店長の方も英語だけど、俺が上手く聞き取れていないらしい。
宮崎は海外でちゃんと英語が使えている……すげ。
話し終えると、宮崎は俺の元に戻ってきてまた商品を眺めた。
「買うなら、安くするって」
「俺達文無しなのにな」
割引をしてくれると言ってくれたみたいだ。拉致られた俺達がお金を持っているわけないのに。
「イギリス人の喋り方って、なんだかセクシーだよね」
宮崎はコーヒーカップを手に取ると、呟いた。
「……俺はわかんないけど」と俺は隣のコーヒーカップを手にする。
……彼氏の前で他の男をセクシーなんて言うなよ。そりゃ、俺はセクシーなんかじゃないけどさ……。
宮崎は気付きもせず、アンティークの商品を眺め続けている。
気を引きたくて、なにか考えた。
腕を宮崎に回して、そっと抱き寄せる。きょとんとした顔で見上げた宮崎の頬にキスをした。
目を丸めた宮崎は俺を見上げる。ちょっとくらい、俺を眺めてればいい。
宮崎の腰に腕を回したまま、商品の宝石箱を開けては閉めてみる。視線を感じた。
すると、ちゅっと宮崎も俺の頬にキスをしてきた。
「……」
少し考える。
もう一度俺は宮崎にキスをした。それだけじゃ満足できなくて、堪えきれず後ろからキュッと抱き締める。
宮崎はクスクスと笑う。俺もつられて笑った。
店長にキスし合うところも見られたから、ほんの少し見回ってから店を出る。
宮崎はまた腕を絡ませた。今度は手も指を絡めて握り合う。
「高いところから、この街見てみたいな」
「うん。でも漆くんが羽だしたら大騒ぎになっちゃうよ」
「だな」
また街を歩きながら眺めた。
「寒くない?」
「うん」
吐く息が白くなるから訊いたが、宮崎には愚問だったらしい。
あ、今、呼ぶべきだった。恋ちゃんって。
「ベーカー街に行きたいな……遠いかな?」
「ベーカー街ってなんだっけ、聞いたことある……。あ、ホームズか」
宮崎はシャーロック・ホームズの家があるベーカー街は、どこかときょろきょろと探し始めた。
「また小説か……」
うっかり、その話をしてしまう。
ロンドンに連れてこられた理由も、小説。本に登場するカップルを見付けるためだ。
でも宮崎は、別に不機嫌にはならなかった。
「……あのさ。さっきは飛行機の中で、責めてごめん。あの二人を止めるなんて、無茶な話だよな……本当にごめん」
飛行機の中で真っ先に責めたことを謝る。
いくら宮崎の言うことに従う純血の吸血鬼でも、横暴で我が儘だということに変わりはない。
半吸血鬼とは言え、宮崎には無理だ。
「いいの。二人を留めているのは私だから」
宮崎は自分にも責任があると言う。アメデオもリュシアンも、宮崎のそばにいたがっている。リュシアンには学園に留まるように言った。
でも宮崎が保護者みたいに責任を背負うことない。あの人達は、三百歳と千歳だし……。
「あの人達も、嫌われたくなきゃ拉致しなきゃいいのに」
宮崎に嫌われたくないくせに、こんな横暴をする。考えが足りないだろ。
……あれ、悪癖を出す俺と変わらない?
「どうしても小説のカップルを見付けたかったってことだと思う。彼らにとって、希望だから」
「……希望?」
「吸血鬼と人間の最初のカップルらしいから。今も愛し合っていてほしいの」
宮崎は言いながら、ベーカー街に向かって歩き出した。
希望、か。
現在も愛し合っていると、確かめたいらしい。
遠くを見つめている宮崎は、今も健在だと思っているのだろうか。
聞いても、しんみりしそうだ。だから訊かなかった。
「……恋ちゃん」
ぼそり、と呟く。
宮崎が反応して俺を見上げたから、サッと顔を逸らす。
口にしたら、思った以上に恥ずかしくなった。
なんでちゃん付けなんだよ。ああもう。恥ずかしすぎるっ。
「なに? 聞こえなかった」
肝心の宮崎には聞こえてなかった。小さすぎた。
「べ、別に……」
「もう一度言って」
「なんでもないって」
「……気になる」
絶対にもう一回言うのは嫌だ。顔を逸らし続けていると、宮崎はギュッと腕を抱き締めてきた。
言わない! 絶対に言わない!
宮崎に抱き付かれようとも、言わない!
「……!」
そこでハッとする。
宮崎は俺より耳がいい。腕を組んでいるこの距離で、宮崎が今のを聞き取れないはずがない。
「さっきの、絶対に聞こえてたよな?」
「ううん」
「嘘だ!」
顔を向けて、宮崎に問い詰める。首を振る宮崎は、やがてクスクスと笑い出す。ちゃんと聞いたと、白状した。
「もう一回、漆くん」
「いやだ」
「漆くん」
「もう言わないっ!」
逃げたいが宮崎は腕に抱き付いたままだから、一緒に歩き続けた。
初めてのデートは特別なものにしなくちゃといけないと思っていた。
でも、二人っきり観光。
宮崎と二人でいられるなら、どこでも楽しめる。それだけで、十分幸せを感じた。
俺と宮崎は腕を組んだまま、早々とロンドンの街を歩いていった。
20140802




