冬休み
「黒巣くんが、最近つれない? あー、浮気だね。絶対に別れた方がいいよ。オレにしておきなよ、恋ちゃん」
「ボクも候補に入れておいて。異性の友達なんて、いわば恋人候補みたいなものだからね」
にこりと麗しい笑みを返す吸血鬼達を見て、私は相談する相手を間違えたと理解する。
黒い薔薇が咲き誇る温室の中で、吸血鬼達とお茶会する休日。
「黒巣君が浮気などしません。貴女に一途ですからね」
横からヴィンス先生がポットから紅茶を淹れながら言ってくれた。
「デートしたくとも……放課後も休日も用があるといなくなってしまうのですが」
その淹れたての紅茶を啜りながら、洩らす。
交際二ヶ月近くになるのに、まだデートが出来てない。
黒巣くんは生徒会長になったし、私も部活があったし、試験もあった。
冬休み前には恋人としてのデートをしたいと思ったのに、黒巣くんは放課後も休日もフラりといなくなる。
「全く、君は妙なところで鈍感だね。だから数学でケアレスミスをするのかい? この時期なら――…」
リュシアンが呆れたように首を振ると、頬杖をついて私にほくそえんだ。
「おーい、リュシアン。やめてあげなよー、二人のハジメテのクリスマスが台無しになるよぉ?」
「……アメデオ」
リュシアンの言葉を遮り、アメデオが人差し指を立ててクスクスと笑う。
咎めるようにヴィンス先生が見下ろす。アメデオは反省の色を見せずに、べーと舌を出した。
「あ。そうだ、クリスマスパーティーをしますが、参加します?」
クリスマスで思い出す。
生徒会と夜の食堂でクリスマスパーティーをするから、リュシアン達もどうかと誘ってみた。
「……」
「……」
「……」
すると黒い薔薇の香りで満たされたその場が沈黙してしまう。
純血の吸血鬼達は、何故か息まで止めてフリーズした。
「……君って人は……」
やれやれと呆れきったように背凭れに身を任せて、リュシアンは紅茶を啜る。
「アメデオ、黙りなさい」
アメデオが口を開く前に、ヴィンス先生が釘をさす。アメデオはつまらなそうに唇を尖らせた。
……なんですか?
「ボクとアメデオは遠慮するよ。用事がある。君達と違って、クリスマスを楽しむ暇はないんだ」
にっこりと、リュシアンは笑う。
クリスマス以外の用事。ちょっと引っ掛かりを感じて首を傾げれば、アメデオが笑いを堪える仕草をした。
「こういうイベント、お二人なら参加したがると思ったのに……何の用事なのですか?」
アメデオに訊けば、彼は翡翠の瞳を細めて笑みを深める。
なにかを企んでいると確信した。ヴィンス先生も怪訝にアメデオを見下ろす。
「……誰かに迷惑をかけるようなことなら、許しませんよ?」
「ククッ、迷惑なんてかけないよぉ、やぁだぁなぁ、恋ちゃん」
「そうだよ、ボク達だって冬休みを楽しみたいだけだ。悪いかい?」
なにかをしでかす前に私が釘をさすと、アメデオもリュシアンもニヤニヤしたままだ。……怪しい。
悪いことをするような予感しかしないけれど、前ほどの悪事はやらないはずだ。軽い悪戯でも企んでいると、警戒しておきましょうか。
「ヴィンス先生は?」
「おや、私も誘ってくださりありがとうございます。残念ながら私にも用事があります。生徒会と楽しんでください」
「……そうですか」
優雅に微笑むヴィンス先生までクリスマスは予定があるそうだ。それなら仕方ない。
「てぇかぁさぁ、なんで黒巣くぅんと二人きりのクリスマスを過ごさないの?」
「クリスマスは家族としか過ごしたことがないので、友だちと楽しみたいと思いまして」
元々サクラが言い出して生徒会とクリスマスを過ごすイベント。黒巣くんに言ったら快く頷いてくれた。
黒巣くんと二人きりもいいけれど、初めての友だちと過ごすクリスマスを選んだ。
……多分パーティー後、私は部屋に来てと黒巣くを呼び出すと思いますが、それは言わないでおきましょう。
冬休みを迎えたクリスマス。
学園の夜の食堂は、文化祭に使われたものを利用して飾られた。
ツリーは城島先生が運んできてくれて、一年組と双子さんと桃塚先輩と一緒に飾り付けた。
お金を出し合い、食材を買い、ケーキや簡単な料理を作っておいた。
唐揚げやパスタ。他はピザやチキンなどを買って持ってきて、テーブルの上に並べた。
「メリークリスマス!」とクラッカーを鳴らして、食べながら遊んだ。
ビンゴゲームやジェスチャーゲーム。時折風紀委員が食堂に来て少しだけ参加した。
「先輩はやらないのですか?」
赤神先輩は隅のテーブルで静かにケーキを食べていたから、私は彼の向かいに座って問う。
「愚問だな」
赤神先輩は私を一瞥するだけでケーキを一口食べた。
赤神先輩がジェスチャーゲームに参加するわけがないか。
ツリーの前で双子さんが必死にジェスチャーをするけれど、サクラが的外れな回答するから、橙先輩も黒巣くんもお腹を抱えて笑っていた。
双子さんも楽しそうだ。
去年は私の家族とクリスマスを過ごしたいとねだってきたけれど、家が離れすぎて遅くなるから断った。
今年は楽しめているようで嬉しい。
「赤神先輩、ご両親はデートですか?」
「ああ。母が人間として過ごす最後のクリスマスだ」
家族と言えば、赤神先輩のご両親。リュシアンが赤神先輩の母親を、純血の吸血鬼にする約束をしている。次の誕生日に実行するらしい。
今夜は人間として最後のクリスマスデート。赤神先輩は遠慮して、ここに来たみたいですね。
「赤神先輩は……賛成なのですか?」
「……賛成に決まっているだろう。物心ついた頃から、母が看取る覚悟をしなくてはならなかった。二人が永久に寄り添えるならば……それでいい」
あまり触れてはいけないかもしれないけれど、控えめに問うと赤神先輩は手元を見つめながら答えてくれた。
いつかは必ず先立つとわかって結婚したけれど、リュシアンが現れて純血の吸血鬼になるチャンスが与えられた。
泣いてしまうほど、喜んだ。
「アンタの方はどうなんだ? 両親には話していないのだろう?」
「はい。今は無理です。桃塚先輩との破局は軽く受け止めてくれましたが、流石にショックを受けますからね……隠し通すか、話すなら出産後の来年がいいと黒巣くんと話しているところです」
「そっちの方が複雑で大変だな」
私の両親にはどうすべきか、正直のところわからない。
あまりにも重大な秘密を明かす上に、娘は半吸血鬼化、恋人は鴉天狗。
ちょっと考えることを放棄したくなる問題だから、頭を振って考えることを止めた。
「その格好、可愛いな」
赤神先輩はフォークで私の服装を指す。
サクラと同じく、サンタクロースのコスチュームを着ている。紅葉ちゃんからのクリスマスプレゼントだ。
フードつきニットと、ミニスカートと赤いブーツ。紅葉ちゃんの手作り。
写真をくださいと土下座をされてしまったので、サクラとツーショットを何枚か送っておいた。
「何故二人で過ごさない?」
「吸血鬼は皆それを訊きますね……友だちと過ごしたいのです」
赤神先輩が黒巣くんに目を向けながら訊いてきたから、肩を竦める。何故疑問に思うのでしょうか……。
「――――…なんなら、二人で抜け出そうか?」
にやり、と不敵な笑みを浮かべて囁いてきた。けれど黒巣くんが颯爽と現れて、私を立たせると引き離す。
「クリスマスだぞ。他の男と二人でいるな」
ツリーまで連れていきながら、私の耳に囁いた。
はいはい。私は黒巣くんと手を繋いだけれど、双子さんがその手を放すかのように割って入って私に抱きついてきた。
それから双子さんと黒巣くんの取り合いが始まり、私と緑橋くんでなんとか宥める。
終始賑やかなクリスマスパーティーだった。
十二時頃に帰って、疲れたからすぐに寝巻きに着替えた。湯タンポ入りのベッドに潜って眠ろうとしたら、メールが一通。
黒巣くんだ。部屋に入りたいとのことだ。
私が窓を開ければ、すぐに黒巣くんが入ってきた。
「うーさみー」
「きゃっ。冷たいよ……」
「冬に文句言え」
黒巣くんは直ぐ様私を抱き締めてベッドに潜り込んだ。黒巣くんは髪も服も冷たい。
「湯タンポだ、あったかい」と湯タンポを見付けて黒巣くんは、私を抱き締めたままもぞもぞと動く。
黒巣くんは仰向けに横たわり、私は俯せで上に乗る形になった。
「んぅ……クリスマスプレゼント」
「ん?」
「受け取って」
「なに?」
私を抱き締めたまま、黒巣くんは言った。なんだろう。
「着物」
私は起き上がって黒巣くんの顔を見ようとした。拒むように黒巣くんに頭を掴まれて、密着する。
「着物って……前話してた?」
「うん。貯金じゃあ足りなかったから仕事手伝って買った」
「働いたの?」
「うん」
黒巣くんは顔を見られまいと私を抱き締めて放さない。
最近つれなかった原因がわかり、リュシアンが言いかけたことを今やっとわかった。
少し考えれば、私のプレゼントを買うために働いていることぐらい予想できたのに、私ってばバカだ。
リュシアンが呆れるのも当然。
でもクリスマスプレゼントは用意しない約束だった。クリスマスパーティーでお金を出し合ったから、皆で用意しないと決めた。
「黒巣くん……」
「俺があげたかったんだ」
用意するなら言ってほしかった。これでは私だけ貰うことになる。
でも黒巣くんはどうして私にプレゼントしたかったらしい。自分で働いて購入したらしいから、責められなかった。
「それ着て、初詣に行こう?」
初詣のための着物。
「祖父が聞いちゃってさ、家族皆で行くことになっちゃったけど、宮崎の両親は正月いる?」
「……新年は日本で過ごすからいるけど……家族皆で行くの?」
理事長の案で、互いの家族とともに初詣。二つの家族が顔を合わせる。
それはとても恥ずかしく、くすぐったい。
「……なに、嫌?」
黒巣くんは静かに問う。もう冷たさはなく、ベッドの中は温かい。
「……着て、行くから。黒巣くんも着物を着てね」
「……うん、約束だ」
黒巣くんのプレゼントを着て、両親と黒巣くんと黒巣くんの家族と初詣に行く。
黒巣くんが着物を着る約束も忘れないでほしい。
黒巣くんはギュッと私を抱き締めてくれたから、私は彼の首元に顔を埋めて深く息を吐いた。
くすぐったかったらしく、黒巣くんは寝返りを打ち、私と一緒に横になる。
やっと綺麗な黒巣くんの顔が見れた。嬉しそうな黒巣くんは、黒い瞳で私を見つめる。
「ねぇ、黒巣くん。やっぱり私だけ貰うのはよくないから……黒巣くんが欲しいものを言って?」
添い寝する気で部屋に来たらしく、黒巣くんはシャツにニットのカーディガンだ。その襟元を無意味になぞりながらそっと囁く。
「欲しいものって言われても……」
「……」
「んー……」
「……」
黒巣くんは困ったように考える。私は顔を近付けて軽く唇を重ねた。
拍子に唇を閉じた黒巣くんは目を丸めて固まる。次第に黒巣くんは顔を赤らめた。
黒い瞳の瞳孔は開いて、鼓動はドクドクと速くなり、ゴクリと息を飲んだ。
私の心臓も高鳴っている。
「……俺達、まだちゃんとデートしてないじゃん」
額を重ねて黒巣くんはそう返事をした。
「じゃあ……いつデートしようか?」
「……計画中」
「今年中にデートできる?」
「うん、今年中にする」
額を重ねながら、黒巣くんと笑みを浮かべて話す。
今年が終わる前に、初デート。それから家族皆で初詣。
「もう一回……キスして」
黒巣くんはクリスマスプレゼントとして、私からのキスを求めた。
もう一度重ねれば、黒巣くんは応えてギュッと抱き締める。
おやすみの言葉もなく、一緒に眠りに落ちた。
翌朝。まだ朝陽が顔を出していない冬の朝。唐突に覚醒して私は起き上がる。
ベッドに黒巣くんはいなかった。
代わりにアメデオが私の机についている。
黒いファーのついた革ジャケットに、黒いジーンズに革のブーツ。最後に黒のサングラスをかけたアメデオは、大人の色気がありとても危険な魅力を放出していた。
まるで正体を隠しきれていないイケメン俳優のようでもあり、危険で美しすぎる男性だ。
彼はサングラスをずらして、翡翠の瞳を細めて私ににっこりと笑いかけた。
「ロンドンに行こう。マイハニー」
唐突すぎるお誘いに、寝起きの私はぼんやりと見つめるだけで反応をしない。
そんなことよりも黒巣くんはどこ?
何故アメデオがいるんだ。
黒巣くんが挨拶もなく帰るわけないと、私は携帯電話で探そうとした。けれども机の上に置いたはずの携帯電話がない。
「早く、フライトの時間が迫ってるよ、マイハニー。早く着替えて」
アメデオは急かしてきた。
ロンドン行きを今すぐなんて無理でしょう、と視線で伝えてから携帯電話を目で探す。
「マイハニー、黒巣君もジェット機の中で待ってるよ。ご両親の許可も得て、パスポートも用意してある。荷物も寧々ちゃんが用意してくれたから大丈夫。あとは恋ちゃんが着替えるのを待つだけ」
「……は?」
ジャケットから取り出されて突き付けられたのは、私と黒巣くんのパスポート。
頭に浮かぶのは、アメデオが両親と話す図。黒巣くんがいないのは、アメデオ――そしてリュシアンが連れ去ったんだ。黒巣くんがこの二人に賛成するわけがない。強制連行されんだ。
私は彼らの企みを阻止すべきだった。放置した報いだ。
顔を押さえて呻く前に、アメデオに顔を戻してもう一度問う。
「……は?」
アメデオは椅子から立ち上がると、その格好とは不釣り合いの無邪気な笑みを浮かべて高らかに告げた。
「ロンドンへ行こう! マイハニー!」
ロンドン行きの強制チケット。
それがアメデオとリュシアンからのクリスマスプレゼントでした。