始まりは夕暮れの中で
青と赤が入り混じった空の色。
白い雲が赤く染まっている。
……雲の量が多い。明日は雨でも降るのかな?
ぼんやりとそんな事を考えて、ゆっくりと起き上がる。
身体が重い……。まるで自分の手足じゃないみたいだ……。
「目が覚めたか……」
背後から声が聞こえて、軋む首で振り返る。
真っ黒なフードを被った男の人が立っていた。
着ている物は上から下まで黒、フードから零れる髪の色も黒。
瞳の紅と抜ける様に白い肌がやけに際立っている。
「あ……な、た……は……?」
声がかすれて上手く出せない。
……当然か、今まで長い事出していなかったから。
「こんなところで、それを話す必要もないだろう。……来い」
そう言って、足早に歩き始める。
慌てて立ち上がって、ふら付く足元で追いかける。
生まれたての小鹿のように、何度も転んだり躓いたりしながら、必死に後を追う。
彼は僕の事なんか気に留めてないように歩いている。
……時々、足を止めてチラリとこちらを見るのは、心配しているのか付いて来ているかの確認なのか……。
やがて一軒の木の小屋に辿り着く。良く言えば飾り気のない質素な、悪く言えば今にも倒れてしまいそうな。
そこへ何の躊躇いもなく彼が入っていくので、僕もそれに倣う。
「……え?」
ドアを開けると、そこは外観からは想像できないほど広く大きかった。
家具は黒を基調に、時折赤や金の模様が施されたものがあり、真っ黒な部屋の中でそれらがアクセントになっていた。
「座れ」
そんな部屋の中心に置かれたローテーブルには二人分のティーカップが置いてあり、僕を案内した人は椅子に座ってそれを優雅に口へ運んでいた。
言われた通り椅子に座り、部屋の中を何となく見回してみる。
壁紙、絨毯、寝具、ドア、椅子、机……、生活に必要と思われるものは全て黒。
椅子やベッドの縁などに赤や金の縁取りがされている以外、色はない。
「……珍しいか?」
不意に彼が尋ねてきた。
紅い瞳が真っ直ぐこちらを見つめている。
「……今まで、こんな、極端な色の部屋、なんか見た事ない、から。……多分」
途切れ途切れにそう答える。
まだ声は出しにくい。けれど記憶を探るに、こんな部屋を見た記憶はない……はずだ。
彼はなおもジッと僕の顔を見ている。
「……飲まないのか?」
出されているカップを顎で示しながらそう言った。
飲んでもいいのかと中身を見る。……濁りのない赤い飲み物。紅茶、かな……?
恐る恐るそれを口に運んでみる。味がない……、けれど喉は潤った。
僕がカップの中身を飲み干すのを見届けると、満足したのか彼は自分のカップを再びすすり始める。
「それで……、あの……」
「その前に……『食事』、だ」
「え?」
意味が分からない。彼は僕の顔をジッと見ている。
色々聞きたい事や知りたい事があるのに、それを遮って食事?
訊ねようとした矢先、僕の目の前に彼の顔があった。
紅い瞳に白い肌。女性受けしそうな端正な顔つき。口の端から覗く犬歯。
……何だろう、やけに鋭い犬歯だ。
彼はゆっくりと立ち上がり、僕の傍に立つ。
困惑しながらそれを目で追う。
チラリと覗いた赤い舌が唇を舐めた。
「あ、あの……?」
「……少し、ジッとしていろ」
両肩に手が置かれる。
何をするのかと思っていると、彼は僕の首筋に顔を近付けた。
驚く間もなく、首筋に鋭い痛みが走る。
「っ……!?」
ビクッと身体が震える。
首筋につき立てられている犬歯……いや、牙の感覚。傷口から流れ出ている血を舐め取られている感触……。
そして……、身体を走る、甘くとろけるような痛み。
それが抵抗する気力をなくさせて、痺れたように身体が動かなくなる。
時折首筋にかかる彼の息が、更に体の自由を奪う。
「あっ……」
やがて全身の感覚がなくなり、椅子から倒れそうになる。
けれど僕の身体は床には倒れず、ガタンと倒れた椅子の音だけが部屋に響く。
彼に抱きかかえられるように受け止められていて、僕を受け止めた姿勢のまま彼は僕の血を吸い続ける。
……意識が、遠のく……。
「あ、の……。も……止、め……」
息も絶え絶えに、そう言った言葉は彼に届いただろうか。
真っ黒な部屋がぼやけてグルグル回って……。
何も、分からなくなった。