第十九話 鈍感な男
1
時刻は終業少し前の午後五時……
「プッ、プップップッ、プッ、プップップッ、プッ、プップップッ……」
と、決まってこの時刻に山田の机上電話のベルが鳴る。
『チェッ』
山田は小さく舌打ちをして受話器を取る。
「あっ、俺」
予想通りだ。
・・だったら、取らなければいいだろうと考えるかも知れないが、予想以外の人物からということが無きにしも非ズ、出ないわけにはいかない・・
だがしかし、山田は典型的な窓際社員、席もほんとに部屋の隅の窓際近くにある。
実際には、得意先や会社の役員から掛かってくることはほとんどない。
「今日、どうする。帰る?」
・・当たりメェだろうが、帰らなくてどうする。でも、一緒に帰るのは勘弁してくれ・・
と断りたいのだが、
『うん、帰るよ』
と応えて、いつも後悔する。
山田はサラリーマン生活36年の大ベテランだが、誰かと一緒に家の近くまで帰るということは、精々2パーセントしかない。
年間250日出社するとして、×(かける)36で9000日、その2パーセントは180日という計算になる。
・・ええ、わかっているの。俺は一人で帰りたいの、週刊誌を読みながらネ。いい加減に、こちらの気持ちを読み取って欲しいよ・・
「何時?」
『五時半、一階のガードマン室の前にいるよ』
「うん、わかった。五時半、ね」
『でも、待たないよ、俺……』
せめてもの抵抗だ。
「冷てぇなぁ~」
・・なにを言ってやがる。男同士で、毎日一緒に帰るって方が異常なことだろう・・
2
まだ、途中までなら我慢もできる。
しかしこの男の家は、同じ東武野田線で山田よりも二つ先の駅だ。
従って、一緒に帰るということは、山田にとってはまったく自由がないということなのだ。
・・俺はねぇ、一人で帰りたいンだよ。それも座らないのが俺の主義、でもアンタはしっかり座りたがる。そこでもう、意見の擦れ違いがあるわけだ・・
自分の主義を変えて相手に合わせるのは、とてもストレスを感じるものだ。
況して、疲れ果てた会社帰りだ。
偶にはいいだろう。
でもな、毎日毎日ベタッとくっつかれたンじゃ、堪ったモンじゃねぇ。
・・しかもだ、アンタはベラベラ、ベラベラ、自己中心的な話題ばかりだ。いかにも周りの乗客に聞かせるように話すンだよナ・・
『けっ、誰もアンタの話なんて聞きたくねぇんだよッ!』
世の中が自分中心に廻っていると思っている人って結構多いよね。
・・その上、自分は誰よりも優秀だと思っている。そう思っているのはアンタだけだ・・
『高かが○○ヘナチョコ大学じゃねぇか。ふざけやがって……、まだ東大の銀時計なんてンなら許してやっけどよぉ』
・・皆知っているンだよ。アンタが実力で役員になったンじゃねぇ、ってことを……・・
『誰も言わねぇのをいいことに、ったく調子に乗りやがって。ざけんじゃ、ねッ!』
・・あっちへゴマすり、こっちへゴマすり、そんでもって、ようやく役員の端っこにぶら下がった。ぶら下がったと思ったら、アッと言う間に解任だ・・
『役員ときは他人を散々見下しやがって……。解任されて当然ナンだよ、実力がねぇんだからよぉーッ!』
・・それを、現在の不遇は会社が悪い、社長が悪いときたモンだ・・
『そんな戯言を、毎日聞かされる方の身にもなってみやがれぇーッ!』
・・だいたい、アンタは本当に嫌な性格だよ。人前で平気で屁はぶっ放すし、鼻糞はほじくる。それを如何にも大物がすることのように考えている・・
『バカヤローッ! 小学生のガキにだって、そんなことの善悪ぐれぇわかるべぇーッ!』
・・大物は紳士が多いの。だから、人前で屁をこいたり、鼻糞ほじったりはしねぇの・・
『わかったか、このボケカスヤローッ!』
・・でもね、俺はアンタのこと嫌いなわけじゃねぇよ・・
『えっ、なに、これだけ糞ミソに言っておいて、嫌いじゃねぇよはねぇだろうって』
・・否、ほんとに嫌いじゃねぇよ。じゃあ、好きかって、言われても困るけれどね・・
『子供じゃねぇんだから、野暮は言いっこなしにしようぜ』
3
・・それにしても、この間は参ったよ。はっきり言って、一緒に帰りたくねぇから、アンタからの電話に出なかった。にもかかわらず、後を追いかけて来て、電車で座っている俺の前に立ったね・・
『テメェはストーカーかッ!』
・・あんなに気持ちの悪いことはなかった。膝をポンと叩かれたときは、正直デッカイ粟粒のような鳥肌が立ったモンだ・・
『なんで、あれで、俺が避けているンだ、ってことに気がつかねぇんだぁーッ!』
・・あれで俺は知ったよ。世の中にはどうしようもなく、鈍感な奴がいるンだってことをネ……・・
『己を知れッ!』
・・気がついていねぇようだから、友として忠告するけど、社内でもアンタは一、二番を争う、嫌われモンだよ。うん、それは自信を持ってもらっていいよ・・
『だから、始業中に、テメェの都合だけで、他人を呼びつけるンじゃねぇーッ!』
・・皆迷惑しているよ、時を選ばない、空気を読まないアンタの電話には……。それに、あの電話の切り方、相手がテメェの気に入る回答をすると、気持ち悪い猫なで声応対する。ところがなんだ、一旦気に入らない返事が返ってくると、叩きつけるように切るだろう・・
『テメェの下品さと、ほんとの教養のなさが丸出しダヨッ!』
・・でもね、もう一回言うけど、俺はアンタのこと、嫌いなわけじゃねぇよ。だからって、じゃあ、好きか、って聞かれても困るけど……・・
『て、優しく言ったンじゃ、オメェにはわかんねぇだろうなぁ……』
御仕舞