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第十六話 勘違い女

1


山田一郎は典型的な窓際族……。

窓際という言葉にズキッとした方がいらっしゃいましたらごめんなさい。

山田は今年の一月十六日、満五十八歳の誕生日を迎えました。

・・二十二歳で就職して早や三十と六年、あと残り二年で定年かぁ……。長いようで短かったなぁ~・・

などと感傷に浸っていると、いつもの時刻に、いつもの駅で、いつもの列車から、いつものように吐き出される。

上野駅から午後六時二分発の常磐線取手行き列車に乗ると、所要時間二十九分で、柏駅に午後六時三十一分に到着する。

この時間帯は帰宅ラッシュの第一回目のピーク、電車も駅もかなり混み合っている。

山田は押し合い圧し合いに抗することなく、流れるままに身を任せ、階段を登って改札口へと向かう。

『あっ、ごめんなさい。……』

と謝って、

・・うん? なんで俺が謝ンなきゃいけねぇんだ・・

との疑問が湧き上がる。

よくいるじゃないですか、隣の改札でピンポーン、ピンポーンと鳴ると、いきなり隣の列からこっちの列へ割り込んで来る輩が……。

これって、とっても失礼な行為だよね。

ほんの少し待てば、直ぐに改札は正常に戻るンだから、狭い日本、そんなに急いでどこへ行く、ってね。

どっちにしたって、いきなり足を突っ込むのは、とっても失礼なことだよ。

わかったかい、ねぇちゃん?

えっ、ねぇちゃんて誰だ? 

だって……、追々話しますから静かに聞いていてね、そこのハゲ茶瓶の小父さん。

右手でも左手でもいいからちょっと挙げて、

・・あっ、失礼・・

とゆうポーズを取ってから、ワンテンポ置いて入って来てくれれば、こっちとしては、

・・あっ、なるほど、それは大変だ、まあ、どうぞ、どうぞ、なんのお構いもできませんが、こんな所でよろしければ、どうぞ、どうぞ・・

となるわけだ。

この手をちょいっと挙げるというわずか0.何秒の行為で、これだけのコミュニケーションが成立する。

ただね、朝青龍、知っているよね、あいつ、じゃなくて、あの方が懸賞金を受け取るときの手形の切り方と眼付け、あれは頂けないね、あれじゃ喧嘩を売っている様なモンだから、あんなことを遣るとぶっくらされる(叩かれる)よ。

よっぽど喧嘩に自信のある人以外は、決して遣らない方がいいと思います。

これは作者からの助言です。


2


宜しかったら、話を戻しましょうか……。

さっきも言ったけど、この時間帯は駅も相当混んでいるンだよね。

柏っていうと田舎って馬鹿にされるけど、東武線の乗り継ぎ駅にもなっているから、結構混雑するンだよね。

暇な方は是非一度遊びに来てください。

あっ、これは作者からのお願いです。

そんでもって、もっと暇な方は東武線の“流山おおたかの森”へも寄ってみてください。

慎ましいでしょう、作者は生まれも育ちも流山ナンですよ。

本当は柏なんてどうでもいいンだけど、いきなり流山へ来てくださいと言われても皆さんが困るでしょう。

流山の人間って……、えっ、どうでもいいから話を進めろ、って、はいは、わかりました。

・・流山良い所一度は御出で、一度と言わず二度御出で、と……・・

わぁーかった、わぁーかった、てばぁ~。

ふんと(本当)に気がみじっけぇんだからよぉ~、トケイ(都会)モンはよぉ~。

ふんで、じゃネくってよ、それで、山田と前の人との間は二十センチ、否、男だったから二十五センチだった。

その隙間へ先ず足を入れ、さっと身体を割り込ませた女がいた。

『うっ、とっ、とととっ……』

と、急ブレーキを踏んでも、どうしたってぶつかりますよね、普通の人は……。

山田は争い事が嫌いで、それで咄嗟の場合、ごめんなさいと謝る癖が付いている。

・・皆さんもそうしようね。そうすれば、余計な争い事に巻き込まれることはないはずですから、普通は……、ふふふふ……、普通は、ねっ・・

気になる、ええ、気になるの、くふふふっ…、その話はまた今度、くくくく……。

『あっ、ごめんなさい。……』

と謝って、

・・うん? なんで俺が謝ンなきゃいけねぇんだ・・

との怒りが、山田の脳裏に湧き上がった。

と、その女性は首だけをギリギリギリッと捻って、まるでエクソシストに出てくる悪魔に憑かれた少女の様な恐ろしい顔で睨み付けた。

恐怖心と強烈な香水の臭いで、山田の心臓は動悸し激しい眩暈に襲われたが、腹にグッと力を込めて踏ん張って耐えた。

しかし、山田は魔女の顔を正視できず、思わず目を伏せていた。


3


・・なんで、なんで、なんで俺が……、俺がいったい、なにをした・・

ドンドン怒りが込み上げてくる。そして、

『ふざけんな、このドブス! テメェが割り込んで来たンじゃねぇか』

ついに大人しい、平和主義者の山田が切れた。

すると魔女の顔が、か弱き乙女の如き表情に一変し、可憐な瞳には涙さえも湛えている。

周りの全ての男性を、否、全ての老若男女を味方に付けてしまう表情だ。

幼児のときならともかく五十八歳の今の山田には、天地が引っくり返ろうと、空から槍が降ってこようと、決してできない表情である……。

こうなると勝ち目はない。

― 女は恐ろしい。

周りの全ての人々、否、柏駅を囲む十キロメートル四方の全ての生きとし生ける物の批判が山田に集中していた。

納得はできない、できないがしかし、すごすごと引き上げるしか方法はない。

背中に批判の矢がドドドドドドッと突き刺さる。

本来なら東武野田線に乗り換えなければならないが、批判の矢を避けるために西口へ出ることにした。

さっきの魔女に後をつけられている様な気がしたのだ。

それで、山田は表通りを避け、路地裏をしばらく徘徊してホトボリを冷ました。

家で家族にそれを話しても、誰も身を入れて聞いてはくれない。

まあ、いつもの事だが……。


4


冷めた残り湯に身体を縮めて沈めると、再び怒りが込み上げてきて、

『クソッ! クソッ! クソッ! もう一つおまけに、クソ~ッ!』

と、山田は叫んでいた。

「な~に、なんか、言ったぁー!」

と女房の声がしたので、

『…………』

山田は口を噤んだ。

この場合は決して確認の意味ではなく、“うるさい”と同義語である。

なぜならば、語尾が“!” マークである。

従って、疑問形ではない、ということがわかる。

長く苦しい共同生活の末に、山田はそのことが理解できるようになったのだ。

・・絶対におかしいよ。もしも、もしもだよ、俺が若い女性の間に割り込んだとしたら、いったいどうゆうことになる・・

ボコボコボコッ…、ボコッ…。

・・痴漢呼ばわりされて、足を踏んづけられて、蹴っ飛ばされても文句は言えまい・・

ボコボコボコ……、ポコッ…。

『くぅーっ、くっせぇーッ!』

風呂の中でする放屁は気持ちがいいものだ。

・・その点、女はなんナンだよ。男にぶつかろうが、蹴っ飛ばそうが、金、タ…、あっ否、股間に手が触れようが……、

「あ~ら、貴方は運が良いわねぇ~。私みたいな美人に触ってもらって」

といった調子だろう・・

『ざけんじゃねぇよーッ! ったく……、どの面さげて』

怒りの所為で、再び声を張り上げてしまった。

『クソッ! いったい男をナンだ、と……』

と言いかけて慌てて口を押さえたが、

「だから、いったい、なんなのよーッ!」

間髪を容れず怒声が返ってきた。

― 君子は危うきに近寄らず。

山田は、ブクブクブクーッと湯に沈んだ。



御仕舞


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