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第十四話 山田の罠、果たして獲物は?

1


窓際サラリーマンの山田一郎(58歳)は、毎日終業ベルの五分後、つまり五時二十分には退社する。

誰に何を言われようが、ほとんど毎日それを厳守している。

もし何か言われたら、

『俺は、毎朝何時に出社していると思っている? 俺は皆が出社する頃にはひと仕事、否、ふた仕事は終えているよ』

との答えを用意しているが、山田に向かって何か言う者は誰もいなかった。

それがまた、ちょっぴり寂しいが……。

会社を出た山田は、徒歩十分ほどでJR田町駅に到着する。

駅の売店で週刊誌を買い、五時三十五分前後の京浜東北線に乗って上野方面へ向かう。

月曜日は“週間ポスト”、火曜日は“週間朝日”、水曜日は“サンデー毎日”、

・・うん? 毎日が日曜日、可笑しな名前だね・・

木曜日は“週間文春”、金曜日は“週間新潮”と決めていたものだ。

・・過去形ね。これは窓際になる前の話……、あの頃は羽振りも良かった。今? 今はね、大概週に二冊、文春と新潮かな。内容的に一冊で二三日は読めるだろう。ポストや現代は一時間で終わりだもの。まあ、少しエロっぽい写真が載るから嫌いじゃないけどね・・

・・えっ、余裕があるって……、何、拾って読めばいいだろうって。人間には矜持があるでしょう。拾ってまで読みたくないよ。もっとも退職するとわからないけどね・・

・・矜持なんて生意気なこと言うな、ってか・・

・・そりゃあ、給料が減ってお小遣いも減ったけど、タバコを止めたからね、それで少し余裕もあるの……。めっきりお付き合いも減ったしね・・

・・自分で稼いで、お小遣いは可笑しいって……。そりゃあ、まあそうだけど、あんたは言える、奥さんに……。だろう、だったら生意気なこと言わないのっ・・

・・えっ、わかったから、話を先に進めろ。あんたが色々と質問するからだよ。さて、どこまで話したかな? あっ、そうそう……、何で京浜東北線に乗るかだったね・・

・・それはね、……・・

山手線より多少空いているということもあるが、山田はその補欠ともいえる扱いに甘んじている(山田の勝手な思い込みだが)京浜東北線に親しみを感じていた。

社内での自分の立場とダブる所為かも知れない。

途中で問題がなければ、上野駅にはだいたい五時五十五分ぐらいに到着する。

その日は何も問題がなく、

・・えっ、問題って何だって……。それはね、毎日お世話になっているJRさんに聞いてみてください・・

山田が目指す六時十分上野発、JR常磐線快速取手行きは既にホームに入っている。

同じホームの反対側には六時二分発のJR常磐線快速取手行きが停まっている。

また、二本の間に六時六分発の勝田行きが挟まっている。

それもあり、後から発車する列車はまだガラガラ、席は選り取り見取りであるが、ここが思案のしどころ……。


2


これから三十分程の乗車時間を楽しく過ごすか、はたまた不快な気分で過ごすかの分水嶺である。

一車両の座席数は、三人掛けの席が四つ、二、三、二と区切られた七人掛けの席が六つ、合計で五十四人座れることになる。

その中には優先席が三×二の六席、山田にとってこの席は対象外、端から頭にはない。

山田は隣に女性が座り易い席をチョイスする。

もちろん女性とはいっても、ほんの僅かな隙間に、遠慮会釈なく、デッカイ尻を割り込ませるかたがたは対象としていない。

窓際中年男にとっても若い女性は魅力的だ。

そのような方と隣り合わせた運の悪い日は、ひたすら寝た振りで過ごすことになる。

自分のことは棚に上げ、獲物……、ではなく、楽しいひと時を提供してくれる若い女性が座ることを祈る。

そのためには三人掛けの席が好ましい。

そのためには罠を仕掛けなければならないが、この罠は独りでは作れない。

善意の第三者の協力が必要なのだ。

タイミング的には隣の列車が発車する前、つまり空席に余裕のあるうちがいい。

しかし、七人掛け席の二人掛けの席に女性が一人、好ましいシチュエーションではあるが、他の席が空いているのにいきなり隣へ座るのは勇気がいる。

優先席ではない両端の三人掛け席は当然の狙い目だが、この席は競争が激しいので確保が難しい。

それよりも比較的容易に確保できる、七人掛け席の三人掛け部分を狙うのがプロの常道である。

山田の座右の銘は、一番は狙わず、二番目、三番目の席を確実にモノにする。

この打たれない立ち位置が、会社での長生きのコツだ。

さて、三人掛け席といっても誰も座っていないのに、始めから真ん中に座るバカはいないはずだ。

・・あっ、ときどき居る、居る。真ん中に座って踏ん張っているのが……。あれって、なにを考えているのかね・・

狙いは女性が一人座っている三人掛け席だが、これもまた他がガラガラなのに敢えてそこに座るというのは少し恥ずかしい気がする。

そこでプロは、車外でタイミングを見計らって、適度な混み具合になってから乗り込む。

但し、その座っている女性が絶世の美女であってはいけない。

なぜなら、絶世の美女の隣は並みの美女は避けるが、中年のスケベオヤジは好むもので、真ん中が空いていれば何の躊躇いもなく汚い尻を割り入れる。

そうなると、せっかくの苦労が水の泡である。

また、あまり体格のいい女性でも困る。

山田が大柄なので女性が大きいと、間のスペースがとても狭くなってしまう。

したがって、小柄であまり美人ではないが、清潔感があり、好感の持てる女性が理想的だ。

不潔なのも困るし、陰険な面構えでも困る。

これだけの条件がすべて揃ったとしても、それで目的が達成できるかというと、そうゆうものでもない。

これだけの条件を苦労して揃えても、成功の確率は精々三十五パーセントである。

・・えっ、何もしなくてもそのくらいの確立で隣に若い女性が座るだろうって……。くぅくくくっ…、甘い、甘い。だから素人は恐ろしい。私の三十年の研究成果が信じられないなら、もうこの話は終わりにするけど……。えっ、もういいって。ねえ、そんなこと言わないで、もう少し、もう少しだけ聞いてよ。ねぇ~、お願いだからさぁ~・・


3


・・そんでさぁ~。えっ、馴れ馴れしくするなって。はい・・

先週の金曜日、久しぶりにすべての条件が揃った。

・・くくくくっ…、後は獲物を待つばかり……・・

山田はほくそ笑みながらも、それを獲物に気取られないように寝た振りをして待った。

・・あ、そうそう。このときスケベ顔を見せるとダメだよ。獲物は逃げちゃうよ・・

カッ、カッ、カッとブーツの音が聞こえる。

・・うん、この音は……・・

耳を澄ます山田。

・・これは間違いなく若い美人の奏でる靴音だ。デブにもババアにも、況してやガキにはこの音は出せない・・

山田は薄目を開けて音のする方を盗み見る。

・・若い女性だ。スタイル、好! 顔、えっ、も、もの凄い美人……。好! 好! 好! 好! 超極上の女だ。常磐線でこんな美人は十年に一度の奇跡だ。否、通勤して三十五年、初めての経験だ・・

山田は感動に打ち震えていた。

・・常磐線沿線の皆さんごめんなさい。これはお話です。創作ですから、本気にしないでくださいね・・

・・も、もう直ぐ、あの女、俺の女になる・・

山田は興奮で、何か勘違いしている。と、

ひとつ隣の席に座った。

・・ミニスカートからスラリと伸びた見事な足を、これ見よがしに組んだ・・

男だけでなく、乗り合わせた乗客全員の視線が女性に集中した。

前に座った男たちの目は例外なく点になっている。

ちらりと目線が合っただけで、男たちは顔を赤らめた。

・・糞ッ! こっちへ座ればいいのに。あ~あ、ついてねぇなぁ~・・

思わず呟いていた。

腕時計を見る仕草をしながら、山田はその極上美女の横顔をチラッと見た。

『えっ?』

もう一度見る。

『えっ、ええええーッ! 喉、喉……、チンコ』

驚きで声をあげそうになった。

よく見ればヒゲの剃り跡が青々としている。

・・なるほど前の男の目が点になっていたのは、その驚きだったのか・・

と合点がいった。

するとその女性の携帯電話が、“夢は夜開く”を奏で始めた。

なんの躊躇いもなく携帯を受けると、野太い声で辺りに憚ることなく話し始めた。

その声で気付いた連中が呆気に取られた顔をしている。

女は……、否、その男は、

「何よ、何か文句あるの」

と、しわがれ声で啖呵を切って、颯爽と電車を降りて行った。

社内に安堵の空気が流れた。

・・ふ~う、良かった。隣に来なくって……・・

山田も心から安堵の溜息をついた。

隣にはご同輩のサラリーマンが座ったので、山田は居眠りを決め込んだ。



御仕舞



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