二話
金髪緑眼の男は白いシャツにズボンという簡素な服装だが、腰には物々しい長剣を吊り下げている。
呆気にとられて見上げたままのウェーラに、彼は柔らかく微笑んだ。
「いってェな! なに勝手に割り込んでんだよ」
「出身地の名に耳を傾けるのは普通だろう? それに強引な勧誘は感心しない」
「貴族がこんなところに何の用だ!」
「ちょうど私も仲間を探していたんだ。条件も合っているし私のほうが適任だろう」
頭上で繰り広げられる応酬にどうすればいいかわからない。ぎゅっと目を閉じて俯いたときだった。
「失礼」と短く言った金髪の男がウェーラを膝から掬い、腕に乗せる形でひょいと抱き上げた。やけに慣れた動きだったせいで抵抗する間もなかった。
「ひゃ!?」
「さ、行きましょう!」
ぐっと近くなった顔が弾けるような笑みを浮かべ、彼はずんずんと早足でギルドの入り口へ向かう。「テメェ待ちやがれ!」という怒号が響いたときには、既に扉が閉まるところだった。
大通りに出てからも彼の足が止まる気配はなかった。
助かったはいいが、彼が良い人であるという確証はない。ウェーラはひたすら硬直し、ガイドブックを抱きしめることしかできなかった。
男は人混みを器用に進んでいき、やがて噴水広場に着いた。広場の端にあるベンチへ近づき、ゆっくりと降ろされる。
ウェーラの隣に座った彼は開口一番「申し訳ありません」と謝った。
「一刻も早くあの場から離れるべきと判断したので、乱暴なことをしてしまいました」
「い、いえ……大丈夫です。ありがとうございます、助かりました」
「いえ、私がそうしたかっただけですから。改めて自己紹介をさせてください。私はフェルス王国騎士団に所属している、ラウルス・コリウス・ザインと申します」
「……ザイン?」
聞き覚えがある。
貴族の名前や紋章は覚えておかなくてはならないと、家庭教師に見せられた一覧の中にザイン家の名もあったはずだ。
「鴉の紋章の?」
「やはり、ご存じでしたか」
含みのある言い方に嫌な予感がした。
しかしウェーラは公の場に一度も出たことがない。見た目だけで王女と分かることはないはずだ。
「単刀直入に言いますが、貴方はかなり身分の高い方とお見受けします」
その言葉に心臓が嫌というほど鼓動を打ち始めた。あえぐように「な、なぜ……」と声を絞り出すと、ラウルスは「ドレスの裾が」と言った。
「外套で上手く隠していらっしゃいますが、ここまで精緻なレースの服は庶民には手が届きません。それに靴も、長時間歩くことを想定されていないヒールですから」
「どうしてそこまで!? 完璧な変装だと思ったのに……!」
頬が熱くなり思わず声を上げる。
「ふっ……ゴホン、見る人が見れば分かってしまうと思います。あの男たちも分かっていたのでしょうね」
笑いかけたラウルスは咳ばらいをした。それから彼は、幼子に話しかけるような柔らかさで「家出ですか?」と尋ねた。
ウェーラは答えられなかった。黙ったまま、ぎゅっとガイドブックを抱きしめる。
それを肯定したら彼はどうするのだろうか。まだ王女であることまではバレていないようだが、ラウルスは騎士団に所属しているようだし、上司などに報告されてしまったら一巻の終わりだ。
「魔術の才能があっても、町の外に出るということは貴方が考えている以上に過酷なものです。私が送り届けますから、どうか家にお戻りください」
(い、いい人だ……!)
しかし送り届けると言われたって、行き先は王宮で~なんて口が裂けても言えない。視線を彷徨わせ、心苦しく思いながらも「……ごめんなさい」と小さく謝る。
「家には、戻れないんです。戻ったらまた閉じ込められてしまう……」
「閉じ込められる、ですか?」
「はい。私、生まれてから十六年のあいだ、一度も自室から出してもらえなかったのです」
ラウルスの息を呑む音が聞こえた。
「なんとか逃げ出して、亡き母が……魔術の研究をしていたものですから、それを引き継ぎつつ、自由に旅がしたいなと思ったのです」
「それは……なんと……」
彼はすっかり黙り込んでしまった。しばらく沈黙が続き、落ち着かない気分になる。
(……どうしよう。このまま立ち去っていいだろうか。よくないだろうな)
日が落ちて肌寒くなってきた中、こっそり指先をつつき合わせていると「……分かりました」と彼が口を開いた。
「そのような事情があるのでしたら、一度だけ。一度だけ、塔へ行きましょう。それで旅を続けたいと思ったならご一緒しますし、戦えないと思ったなら……別の町で、他の生き方を探すお手伝いをさせてください」
「え!?」
思わず見上げると、ラウルスは微笑んだままだった。
「ありがたいことですが……騎士団のお勤めは大丈夫なのですか? それに、どうしてここまで良くしてくださるのか分かりません」
親切にも程がないだろうか。
首を傾げると、彼は初めて視線を逸らして目を伏せた。
「私には貴方と同じくらいの妹がいたのです」
彼の瞳に一瞬、影が射した。
「……半年前に事故で亡くなりまして、それからどうにも調子が出ず、騎士団からは休暇を貰っています」
「そんな……、ご令妹様のこと、心からお悔やみ申し上げます」
「ありがとうございます」
しかし、体調が悪いなら休んでいたほうがいいのではないだろうか。その疑問に対する答えはすぐに語られた。
「体調も、剣を振るうことも問題はないのです。私は補助的に魔術を使う戦い方をしていたのですが、その魔術が上手く扱えなくなってしまって。家で練習し続けるのも気がふさぎますし、どうせなら冒険者として人の役に立ちつつ修行をしようとギルドへ来たところでした」
視線をこちらに戻した彼は、最初に顔を合わせたときのように柔らかく笑う。なにか言葉を掛けようとしたが、出てこなくて、開きかけた口をつぐむ。
「というわけで、騎士団については問題ありません。貴方を守る盾くらいにはなれますし、妹と同じ年頃の女性を放っておくこともできません。なので貴方が嫌と言ってもついていくつもりです」
お供させてください、が、嫌と言ってもついていくになってしまった。
「こちらとしては、ありがたいですけれども……」
本当にいいのだろうか?
あまりにも優しいので、自由だ!ヒャッホー!占星術極めちゃうぞー!くらいのテンションで旅に出ようとしている自分が恥ずかしくなってきた。絶対彼には明かせない。
「それに、ミネラ地方出身の者を探していたんですよね?」
「は、はい」
「ザイン家はミネラ地方にあることをご存じで?」
「ええ……」
「では、決まりですね」
決まってしまった。意外と押しが強い人なのかもしれない。
……こんなことになるとは思ってもみなかった。仲間を募集し、ミネラ地方の者が来て、では冒険へ行こう!となる流れを想定していたのでもうぐちゃぐちゃだ。
しかし、彼は信頼できる者のように感じる。この人に助けてもらえて良かったとウェーラは思った。
「今日のところは宿をとって休みませんか? 明日、装備を整えて日が高いうちに出発するのが良いと思うのですが……」
「分かりました。あの、ラウルス様」
「様は必要ありませんよ、ただラウルスと呼んでください」
頷きながら体を彼のほうへ向け、改めて右手を差し出す。
「では、ラウルス。事情があって本名は名乗れないのですが、私のこともただルシオラとお呼びください」
「分かりました」
「まだ実感が湧かないのですが……私たちは仲間、ということですよね? 貴方に出会えて本当に良かった。これからよろしくお願いいたします」
ラウルスは驚いたように目を丸くしたあと、ぱっと破顔した。そして強すぎない力で、しっかりと手を握り返された。
「そう言っていただけるとは光栄です。こちらこそ、よろしくお願いいたします」
「ええ。……ところで、『やど』とはなんですか?」