へび。
算数の時間、先生の言っていることがよく分からなくて、まやはすっかりたいくつしていました。
「ねむたいなぁ」
あくびをしてふと手のほうを見ると、小さなテントウムシがブラウスのそでのところにとまっています。
「先生、テントウムシです!」
まやは手をあげて言いました。
「まやちゃん、今は問題をとく時間だからあとにしてね」
先生はやんわり答えて、また黒板のほうにもどります。まやはあきらめて、となりの席のユウキの肩をつつきました。
「ねぇねぇ、昨日うちの庭でネコがケンカしてたんだよ」
「うるさいな。おまえ、もう五年生なのにちゃんと勉強しろよ」
ユウキも相手にしてくれませんでした。
最近、みんなそうです。
前は、たいくつなときに話しかけたらいっしょに遊んでくれたのに。
「あーあ」
机の上に自由帳と国語の教科書しか出していないまやは、足をぶらぶらさせているしかありませんでした。算数の教科書は、家に忘れてきてしまったのです。
しかたなく国語の教科書を開くと、面白い話がのっていました。小さな村で暮らす女の子に、友だちができる話です。ひとりぼっちだった女の子は、ひっこしてきた魔法使いの子となかよくなって、たいくつじゃなくなるのです。
「いいな、うちの学校にもだれかひっこしてこないかな」
まやは、教科書の絵のポニーテールの魔法使いを見ながらつぶやきました。
その翌日のこと。
「みなさん、今日から新しいお友だちがいっしょに勉強することになります」
先生が、朝の会で言いました。
小さな村に転校生が来るなんて、とてもめずらしいことです。みんなざわざわして教室の入り口を見つめました。
「さえちゃん、入ってらっしゃい」
先生に呼ばれて、女の子が静かに入ってきました。長い髪を頭の上で一つに結んでいます。
「あ、魔法使いだ!」
まやが言うと、転校生は「えっ」とおどろいた顔でこちらを見ました。目が大きくて優しそうな子でした。
「魔法使いなんかいないよ」
ユウキが横から笑ったけれどまやは気にしません。
「さえちゃん、まやの横があいてるよ」
わざわざ、ななめ前のあいている席をとなりにひっぱってきました。
「ありがとう。これから、よろしくお願いします」
教室全体に頭を下げ、さえはまやの横に座りました。
その日からまやは、さえに夢中です。
「さえちゃん、さえちゃんはどっから来たの? 宇宙?」
教科書の魔法使いは、宇宙からほうきに乗ってやってくるのです。
「ちがうよ。あたしは町のほうから来たの」
さえは笑ったりせずに、地図を描いて教えてくれました。
「ふうん」
まやは村から出たことがないので、さえのいた町がどんなところか想像できません。
「今度まやのうちに遊びに来てね」
家の庭でいっしょに遊べたらどんなにいいだろうと思っていたら、先生の声が飛んできました。
「授業中はおしゃべりしちゃだめ」
学校は本当にふべんなところです。
「ねぇねぇ、さえちゃん。ベートーベンってお弁当みたいな名前してるよね」
さっきの音楽の時間のことを思い出しながら、まやは給食を食べていました。
「そうだね」
さえは、まやの言うことに何でも「そうだね」と言ってくれます。
「それとね」
しゃべりながら、まやはゆでたまごを机の角にぶつけますが、ヒビが入ってくれません。
「中でヒヨコががんばって押さえてるのかな」
「まやちゃんって、おもしろいね」
さえはクスクス笑って、「かして」とゆでたまごを代わりにむいてくれました。まやがやるといつもカラがいっぱい残るのに、さえがむくとつるつるです。
「すごい、ありがとう」
まやはさえの器用な手を見つめて、やっぱり魔法使いなんじゃないかなと思いました。
それから、まやは毎日さえといっしょに過ごしました。帰り道、土手に咲いている花を見つけて道草したり、ノラネコのあとをつけたりするまやを、さえはにこにこして見ています。
まやが道路に飛び出したときは、「あぶないよ」とうでをつかんでくれました。
「さえちゃん、お姉ちゃんみたい」
一人っ子のまやは、ずっとお姉ちゃんがほしいと思っていたのです。
「まやちゃん、あたしの妹になりたかったら、毎日ちこくしないで学校に来なきゃだめだよ」
さえは本当のお姉ちゃんみたいに言いました。
「うん」
まやは返事をするけれどすぐに忘れてしまいます。
朝もなかなか起きられなくて、ひどいときだと二時間目が終わるころに登校したりするのです。前の日に一人でお姫様ごっこなんかしていると、朝起きてもお姫様の気分のまんまで、学校へ行くのを忘れてしまったりするのでした。
さえはそういうとき、とっておいたノートをちゃんと見せてくれたりしました。かわいい字でしっかり写してあるノートのすみっこには、落書きもしてあります。
「いけないんだ、さえちゃん」
まやが言うと、
「だって、まやちゃんが来ないとさびしいんだもん」
と、さえは笑いました。
そんなある日、まやは学校を休みました。朝起きたら雨がふっていたので、そのままベッドの中にいたのです。田んぼのカエルの鳴き声を聞いていたら、あっというまに夕方になりました。
「まやちゃん」
さえが、プリントを持って家まで来てくれました。
「だいじょうぶ? 心配してたんだよ」
「元気だから平気だよ。それよりさえちゃん、静かにするとカエルの歌が聞こえるよ」
「あ、ほんとだ」
町のほうから来たさえは、カエルの鳴き声を聞いたことがないようでした。
しばらく静かに目をとじていたさえは、ふと思い出したように言いました。
「まやちゃん、元気なのに学校休んじゃだめだよ。お母さんに怒られなかったの」
「お母さんは仕事に行ってるの」
家にいるのは、まやだけです。
「分かった。じゃあ明日からさそいに来るから、いっしょに学校行こう」
さえは一回もちこくをしたことがないので、いっしょに行けば授業におくれたりしないでしょう。
「起きられるかな」
「起こしてあげるよ」
こうやって、とさえはまやをくすぐりました。学校をさぼったりしても、さえはまやのことが大好きなのです。
「せっかく来たから遊んでいくよ」
さえは、まやが好きな教科書の話を、ベッドに腰かけて読んでくれました。
「ねぇねぇ。さえちゃんは、魔法使いっていると思う?」
まやがきくと、さえはうなずきました。
「いるんじゃないの。大人になったら探しに行こうかな」
「わたしもいっしょに行く!」
二人で探したら、すぐに見つかるような気がします。
「魔法使いを探すのは、頭がよくなきゃだめだと思うよ。さっそくだけど、明日からいっしょに勉強しよう。まやちゃんちで宿題してもいい?」
「うん」
まやは、さえが毎日家に来てくれるのがうれしくてたまりませんでした。
「まやちゃん、たくさん漢字が書けるんだね」
家でいっしょに勉強していたら、さえが感心したように言いました。
まやは、算数は苦手だけど国語は得意なのです。学校でまだ習っていない字もたくさん書けます。
「お父さんの部屋に、本がたくさんあったから、読んでたんだよ」
まやは、さえにもお父さんの部屋を見せてあげました。
「わぁ、すごい」
かべいっぱいの本棚にたくさん本がつまっているのを見て、さえはおどろいています。
「まやちゃんのお父さん、本が好きなんだね」
「うん。本に出てくるふしぎなものを研究する仕事をしてたんだって」
まやは、お父さんに会ったことはありません。
「今はもう、いないの」
小さいころ、お母さんにきいたら、「お父さまはテングにさらわれてしまったのですよ」と言われたことがあります。
「テングなんかいないよって、ユウキくんは言うの。さえちゃんは、どう思う?」
まやがたずねると、さえは少し考えて、うなずきました。
「あたしは、まやちゃんのこと信じるよ」
友達だもん、とさえはほほえんでいました。
やがて夏がやってきて、水泳の授業が始まりました。
まやたちの学校では、近くの川で泳ぐことになっています。まやはあまり泳げないけれど、水泳の授業は大好きです。
さえといっしょに泳ぐのを楽しみにしていたのに、さえはいつも見学でした。
「さえちゃん、今日も見学なの?」
まやがきくと、さえはもうしわけなさそうにうなずきます。
「ごめんね。ちょっとだめなの」
もしかしたら水泳が苦手なのかも、とまやは思いましたが、さえがずる休みするはずがありません。
「さえちゃんもいっしょならもっと楽しいのになぁ」
他の子と水中じゃんけんをしながら、まやは残念に思いました。
「ねぇ、さえちゃん。今日は元気? 泳げる?」
このごろ、まやは毎日たずねています。
どうしても、さえと水遊びがしたいのです。あんまりしつこいので、ある日とうとう、さえが折れました。
「分かった。じゃあ、学校が終わった後でいっしょに川に行こう」
「やったぁ」
さえがその気になってくれて、まやはうれしくてたまりませんでした。
学校が終わった後、二人でさっそく川に行きました。いつも授業で行くあたりではなくて、めったに人が来ない静かなところです。
「あのね、まやちゃんにだけ本当のこと言うね」
さえは、川に入る前に、ブラウスをぬいで肩のあたりを見せてくれました。そこには、ヘビのうろこのようなもようが入っていました。
「あたし、人間じゃないかもしれないの。『おまえはヘビのむすめなんだ』って、ときどき、頭の中で声がするんだ」
さえが不安そうな顔をするのははじめてのことでした。
「このもようは、うろこなの?」
「うん、たぶん」
まやはそのふしぎなもようを、かっこいいと思いました。さわってみると、ひやりと冷たくて、本物のヘビみたいでした。
「だれにも言わないでね」
「うん」
夢中になってさわりながら、まやは小さくあごを動かしました。
さえはその後、ゆっくり川に入って泳ぎ始めました。いつも休んでいたけれど、本当はだれより泳ぐのがじょうずでした。
「さえちゃん、授業も出たらいいのに」
「それはだめ」
肩をおさえて、さえは首をふります。
「うろこ見ていいの、わたしだけ?」
「そうだよ。まやちゃんだけだよ」
だからないしょにしてね、とさえはもう一度念を押して、人さし指を口もとに当てました。
学校ではぜったいに泳がないさえは、まやと二人のときは楽しそうに川で遊びます。水をかけっこしたり、どこまで泳げるか競争したり。こんなに水泳が得意なのに、さえはクラスのみんなに、泳げないと思われています。まやは、それが自分のことのようにくやしくてなりません。
「さえちゃん。さえちゃんは気にしてるけど、肩のうろこ、とってもかっこいいよ。みんな、笑わないと思うよ。いっしょに授業受けようよ」
まやがさそっても、さえはうなずきませんでした。
「ぜったいにいや」
みんなとちがうところがあることを、知られたくないのです。
「わたしも、みんなと同じじゃないってよく言われるけど、気にしてないしだいじょうぶだよ」
まやはあきらめられませんでした。
「みんなとちがうのは、まやさんの個性ですよ」とお母さんにいつも言われているので、さえにも自信を持ってほしかったのです。
だけど、さえはこのことについてだけは、かたくなにゆずりませんでした。
もうすぐ夏休みがやってきます。
「水泳の授業は、今日で最後ですよ」
先生が言うのを、さえはほっとした顔で聞いていました。
夏の陽ざしがきらきらはねて、流れる水の上でおどっているようです。その川でかんせいをあげて泳ぐみんなの様子を、さえは制服のままでながめていました。
「さえちゃーん」
まやが手をふってくれたので、ふりかえします。
(うろこがなければ、みんなといっしょに泳げたのになぁ)
さえが悲しくなってひざをかかえたとき、ふいに大きな水音がしました。少しはなれたところで、まやがおぼれています。
「まやちゃん!」
先生が助けに行くより前に、さえは川に飛び込んでいました。
夢中でまやをだきあげて、岸まで運んでいきました。
「まやちゃん、だいじょうぶ?」
「うん」
クラスのみんなと先生がまわりに集まってきましたが、みんなぽかんと口をあけて、何も言えない様子でした。
「さえちゃん、本当は泳げるってみんなに分かってもらえてよかったね」
にっこりしたまやを見て、さえは気がつきました。まやはわざとおぼれるふりをしていたのです。
さえは、はっとして肩を押さえたけれど、ぬれたブラウスがはりついて、うろこがすけてしまっていました。きっとみんなに見られたことでしょう。
「ひどい、まやちゃんのバカ!」
さえは言って、その場を走り去りました。
「さえちゃん!」
まやの声が聞こえたけれど、もうふりかえる気にもなれませんでした。
(せっかく友達ができたのに)
一人で森の奥まで来てしまったさえは、すっかりつかれてすわりこみました。ぬれたスカートに、ぽたぽた、なみだのしずくが落ちます。
「うろこを見られちゃったから、あたしはきっとみんなにこわがられちゃうんだ」
「そんなことありませんよ」
つぶやいたら後ろから声がして、さえは思わずふりむきました。
先生とクラスのみんなと、まやが立っていました。
「ごめんね、さえちゃん。わたし、さえちゃんがじょうずに泳ぐところ、どうしてもみんなに見てもらいたかったの」
まやはあやまりながら泣いていました。
「さえの肩のこと、みんなこわがったりしないから安心しろよ」
ユウキも言ってくれました。
「でも……」
めずらしくうつむいたままのさえを、先生がバスタオルでやさしく包みました。
「さえちゃんがまやちゃんのどんなところも好きでいたように、みんなもさえちゃんのこと受け入れてくれますよ」
たしかに、まやに出会ってからいろいろおどろかされたけれど、きらいになったことはありませんでした。
「まやちゃん。あたしもごめんね」
さえは、まだ泣きじゃくっているまやを、お姉ちゃんのようにだきしめました。
終