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ミーテルシリーズ

愛の値段 婚約者に値付けされた私

作者: 佐藤謙羊

「私はね、買われてここに来たのよ」


 ブリーリ夫人はそうおっしゃいました、お茶の準備をしているわたくしに向かって。

 藪から棒にそんなことを聞かされたら、普通のメイドなら固まってしまうことでしょう。


 しかしわたくしのような一時雇いのメイドだと後腐れがないせいか、こういった秘密を打ち明ける奥様は多くいらっしゃいます。

 ですのでわたくしにとっては、(あるじ)のグチを聞くような感覚です。


 無難な相槌を打つと、ブリーリ夫人は本格的にこぼし始めました。


「私はね、伯爵家の生まれなの。父は貿易をしていたから、それなりに豊かに暮らしていたわ。将来を誓い合ったわけではないけれど、好きな人もいたの。でもあの人が来て、すべて変わってしまった」


 あの人とはきっと、エスペシェ公爵様のことでしょう。


「あの人は私をひと目で気に入って、求婚してきたわ。時を同じくして我が家に借金があることが発覚してね、このままだと爵位を剥奪されそうになっていたの」


 その言葉は、借金はエスペシェ様が仕組んだことだと訴えているかのような響きがありました。


「あの人は待ってましたとばかりに、砂金を持って我が家にやってきたわ。そして、ふたつの見返りを要求してきたの。ひとつめは、我が家が持っている貿易権の譲渡」


 このエナ王国で他国との貿易をするには、王室が発行している権利を得る必要があります。

 エスペシェ様は借金返済のカタとして貿易権を譲り受けたあと、遠方の国から香辛料の輸入を始めました。


 そのなかでも魔法の調味料と言われている【コショウ】が好評を博し、希少性の高さから砂金と同じ価値で取引されるようになりました。

 上流階級の食卓を豊かにした功績が認められ、エスペシェ様は伯爵から公爵に昇進。民衆の間で【香辛王】と呼ばれるようになります。


「彼のふたつめの要求は、私との婚約。でも私にはその気はなくて、断りたい気持ちでいっぱいだったわ。でも面と向かって言うことは許されないことよね。だから私は、贈り物で気持ちを伝えることにしたの」


 このエナ王国では婚約の際に、奥方から殿方に贈り物する風習があります。


「私の家は海の近くにあるのだけれど、あの人から、夜の浜辺に誘われたの。そこで私は、足元からすくいあげた海の砂をあの人に贈ったの」


 浜辺にある砂は、波にさらわれる。たとえ砂が望んでいなくても。

 たぶんブリーリ様は、そういうメッセージを込めたのだと思います。


「がはははははは! そうかそうか! よくやった!」


 ふと、窓の外からバカ笑いが飛び込んできました。

 視線を移すと庭のテラスで、エスペシェ様が部下の方々と話をしておられました。


「ついに、コショウ1キロの買い付けに成功したか! 貯蔵ぶんがついに大台に乗ったな! いま市場はコショウ不足だから、いくらでも値を吊り上げられる! これでまた大儲けできるぞ!」


 エスペシェ様はテカりのある頭部と、太鼓のような腹部を叩いて満足そうにしています。

 ブリーリ様の視線に気づくと、脂ぎった頬をほころばせ黄色い歯を剥き出しにして、顔全体に笑顔を浮かべていました。


 ブリーリ様は、窓辺に飾られた花のように微笑み返しています。


「実をいうとね、結婚式もまだ挙げていないの。あの人は忙しさを理由にしているけれど、きっと手に入れて満足してしまったのでしょうね」


 それは意外な事実です。おふたりはてっきり結婚されているものだと思っていました。


「でもそれすらももう、忘れていると思うわ。あの人にとって私はコショウと同じ、砂金で買ったものでしかないのだから」


 お茶のおかわりに砂糖を入れているわたくしの手元を、ブリーリ様は自虐的な笑顔で見つめています。


「砂金とまでは言わないけれど、せめてその砂糖と同じくらいの価値があるといいのだけれど……。あの人にとっていまの私なんて、あの日に私が贈った海の砂と同じくらいに無価値で……とっくの昔に捨てられているのでしょうね」


 ブリーリ様はひととおり吐き出して満足されたようですので、今度はわたしくから話題を切り出しました。


「キッドナップ・ジョンをご存じですか?」


「えっ? それって、伝説の誘拐犯のことよね? 貴族の子供を何人も誘拐したっていう……」


「はい。わたくしは一度、彼の屋敷でヘルパーとして働いていたことがあったんです。もちろん、捕まる前のことですけど。そこで彼は、誘拐のことを『愛を売る慈善事業』だって言っていました」


「……愛を売る?」


「はい。子供がいなくなると、親たちは子供のことを心配します。また、さらわれた子供は親のありがたさを知ります。そこで身代金と引き換えに子供を返してやると、感動の再会になるそうです。ほんの少しのお金で、どんな家族もふたたびひとつになる。つまりは愛を売ってるんだ、って」


 わたくしは、このあとに言うことこそが本題なのだと伝えたくて、少し間を開けてから続けました。


「ブリーリ様がもし誘拐されたら、エスペシェ様はブリーリ様への愛を思い出すことでしょう。砂金なんていくらでも払ってくださると思いますよ」


 するとブリーリ様は、曇り空から晴れ間が覗いたようなお顔をされていました。

 わたくしの話で、少しは気持ちが楽になっていただけたのならなによりだと、この時は思ったのですが……。



 ◆  ◇  ◆  ◇  ◆



 そんなことがあったことも忘れかけていた、数週間後のある日のこと、事件は起こったのです。

 その日はエスペシェ様のお仕事はお休みで、朝からお屋敷におられました。


 ご令嬢のシュルト様が学校に出かけられたあと、エスペシェ様は屋敷じゅうの使用人たちを書斎に呼び集められました。

 そこでエスペシェ様からなにか発表があるようだったのですが、


「金庫があるのはここかっ!?」


 覆面にナイフの男がブリーリ様を人質に取って、突如として書斎に乱入してきたのです。


「な、なんだお前は!?」


「俺のことはどうだっていい! お前が香辛王のエスペシェだな! コイツを殺されたくなかったら、俺の言うことを聞け!」


 どうやら強盗のようです。強盗はエスペシェ様を縄で縛ったあと、わたくしたち使用人にもお互いを縛るように命じました。

 ブリーリ様を人質に取られている以上、従うしかありません。


 強盗はわたくしたちを床に跪かせたあと、壁に設えられた大きな金庫に向かって言いました。


「これか、コショウをたっぷり貯め込んであるっていう金庫は! ウワサじゃコイツの中には、100キロのコショウがあるそうじゃねぇか!」


 コショウは現在、1グラムで6万(エンダー)で取引されています。

 100キログラムだと、なんと60億(エンダー)


 わたくしのお給料だと、何百年……いや何千年ぶんにもなるでしょう。


 強盗は金庫を開けるように要求したのですが、エスペシェ様は首を横に振りました。


「こ……この家にある金目のものならくれてやる! だが、それだけはダメだ!」


「なんだと!? おいっ、コイツの命が惜しくねぇのか!?」


 強盗はブリーリ様の首筋にナイフを押し当てました。


「お……お願い! あなた! 助けて! この人の言うとおりにして!」


 ナイフの冷たさに、ブリーリ様は真っ青になっています。

 逆にエスペシェ様は真っ赤な顔で、強盗の足にしがみつきました。


「た、頼む! この金庫だけは勘弁してくれ! 他はなにを持っていってもいいから!」


「俺はこの金庫の中にあるコショウが欲しいんだ! 売っ払えば、一生遊んで暮らせる金が手に入るんだからな!」


「コショウは販売許可のある者にしか売れん! たとえ持って行ったところで、売れば捕まってしまうぞ!」


「あきらめさせようったってそうはいかねぇぜ! それはこの国だけの話で、ヨソで売ればいいだけだろうが!」


「そ……それでも、ダメなんだ……! この金庫だけは……!」


「ふざけんな! まずはお前から殺してやろうか!?」


 強盗は逆上し、エスペシェ様に殴る蹴るの暴行を加えました。

 しかしいくら脅されても、いくら傷つけられても、エスペシェ様は金庫を開けようとしません。


 だんだんとブリーリ様の表情が悲しげになっていき、それを見たわたくしの頭にある言葉が響いていました。


『あの人にとっていまの私なんて、あの日に私が贈った海の砂と同じくらいに無価値で……とっくの昔に捨てられているのでしょうね』


 強盗はすでに我を忘れつつあり、ブリーリ様をも殺しかねない勢いでした。

 それなのに金庫を開けないなんて……エスペシェ様にとってブリーリ様はやはり、海の砂ほどの価値しかないのでしょうか……。


 そんな矢先、状況が一変しました。

 学校から戻られたシュルトお嬢様が、開け放たれた書斎の入口に現われたのです。


「……なにをしてるの?」


 不審そうにしているシュルトお嬢様に、エスペシェ様は叫びました。


「に……逃げるんだ、シュルト! 逃げて……!」


 しかしブリーリ様がさらなる大声でかき消します。


「逃げちゃダメ! 逃げたらパパが殺されちゃうわ! パパが殺されてもいいの!?」


 ブリーリ様は強盗の拘束から逃れると、逡巡しているシュルトお嬢様に抱きつきました。


「この子には手を出さないで! 私はどうなってもいいから、この子だけは助けて!」


「そうか、コイツが泣き所ってわけか! おい、こっちへ来いっ!」


 強盗は足がすくんで動けなくなっている母子に近づくと、シュルトお嬢様の髪を掴んでブリーリ様から引き剥がしました。


「おいっ、エスペシェ! 娘を殺すぞ! 今度は脅しじゃねぇ、本当にやってやる!」


 わたくしは見てしまいました。それまでずっと真っ赤だったエスペシェ様の顔から、血の気が引いていくのを。


「や……やめろっ! やめてくれっ! わ、わかった! わかったから! 金庫を開ける! 開けてやるっ!」


 愛娘を人質に取られ、エスペシェ様はついに陥落してしまいました。

 エスペシェ様は縄をほどかれたあと、このまま時が止まってほしいと願うような顔つきで、金庫のダイヤルを回しています。


 金庫の扉は、大人が立ったまま出入りできるくらいの大きさがあります。

 その中も、ウォークインクローゼットのように広々としていたのですが……。


 重苦しい音を立てて開いた鉄扉、しかしその中はがらんとしていました。

 奥のほうに、ショーケースに入れられた小さな麻袋がぽつんとひとつあるだけです。


 強盗とブリーリ様は、目を白黒させていました。


「な……なんだこりゃ!?」「なに、これ……!?」


 強盗は我が目を疑いながらも、ショーケースを破壊し麻袋を開きます。


「コショウかと思ったら……こりゃ、ただの砂じゃねぇか!」


「砂……? まさか……!?」


 ブリーリ様がハッと見やった先には、うなだれたエスペシェ様がいました。


「そうだ……それは、あの日にキミがくれた、海の砂だ……」


「こ……コショウはどうしたの!?」


「そんなもの、借金のカタでとっくに持っていかれたよ……」


「借金!? ま、まさか……!?」


「そう……。あの日、砂を差し出したキミに、言ったことを覚えているか……?」


『ワシは中年で、このとおり醜い。そのうえ、連れ子もいる。取り柄といえば、金儲けくらいだ。だからワシは愛の証として、この砂と同じだけの砂金を毎日捧げよう。キミが望むかぎり、ずっと……!』


「そしたらいつかきっと、キミが振り向いてくれると思っていた……! 結婚は、それからでいいと思っていた……! キミが金に不自由しないよう、がんばって働いた……! キミからもらった砂を、励みにして……!」


 エスペシェ様は泣き笑いのような顔で、ブリーリ様を見上げていました。


「しかしキミは、ワシが稼いだ以上に金を使ってくれた……! 血は争えないものだと思ったよ……! おかげでワシまで借金まみれになってしまった……! それでも、それでも……! そばにいてくれたら、それだけでいいと思っていたんだ……!」


 エスペシェ様は羽振りが良いように見えましたが、内情は火の車だったようです。

 それでも笑顔を忘れず身を粉にして働いていたのは、ブリーリ様に振り向いていただきたかった一心からでしょう。


「そ……そんな……!」


 ブリーリ様はショックのあまりヒザから崩れ落ちかけましたが、強盗が襟首を掴んで無理やり立たせていました。


「ふ、ふざけるな! そう言って、実はどこかに隠してるんだろう!? エスペシェ、下手な芝居はやめろ! でないと今度こそ本当にお前の妻を……!」


「殺す気がないのはわかっているよ。キミは、うちで雇っている船員のヌスター君だろう? ブリーリがキミと浮気をしているのは、ずっと前から知っていたよ」


「なっ……!?」


「キミはブリーリからそそのかされたんだろう? コショウを盗んでどこか遠い国で暮らそう、と」


「ううっ……!」


 どうやら図星だったようです。強盗は二の句も継げず立ち尽くしています。

 ブリーリ様は強盗を突き飛ばすと、乾いた瞳の泣き顔でエスペシェ様にすがりました。


「わ、私はアイツに乱暴されて脅されていたの! 私には、あなたしかいないの! そうだ、結婚しましょう!」


「それも、もう無理だよ……。貴族の借金は、バレたら最後なんだ……」


 貴族というのは権力がありますので、民間から金を引き出すことが可能です。

 ですのでいくら首がまわらなくても、借金の存在がバレなければ自転車操業で生活していけるのですが……。


「でもこれだけの使用人に見られてしまった以上、終わりだ……。キミの家と同じ運命を辿るとは、皮肉なものだよ……!」


 どうやらブリーリ様の家系は、金遣いの荒い一族だったようです。

 借金がバレて爵位剥奪寸前だったのを、エスペシェ様が救ったのでしょう。


 ブリーリ様は呆然自失。

 わたくしはその瞳に光が戻る前に自力で縄をほどくと、前に出て深々とお辞儀いたしました。


「わたくしは本日をもってお暇をいただきます。ここで見聞きしたことは他言いたしませんのでご安心ください」


 たとえ言ったところで誰も信じてはくれないんですけどね。ヘルパーメイドというのは賤職とされていて、社会的発言力がゼロですので。

 あ、そうそう、退職金ももちろん頂きませんでした。それに見合うだけのショーを見させていただきましたから。


 わたくしはカバンひとつ持って、そそくさとお屋敷を後にします。

 最後に一度だけ振り返ると、お屋敷の窓ガラスが絶叫でパリーンと割れていました。


「ここにいるヤツらを皆殺しにすれば、借金はバレないっ! 私は公爵夫人のままで、贅沢な暮らしが続けられるのよっ! だから死ねっ! 死ねっ! 死ねぇぇぇぇぇぇぇーーーーーっ!!」


 ……いかがでしたでしょうか?

 ちょっと長くなってしまいましたが、華やかな貴族たちの裏側というものが、少しでもおわかりいただけたかと思います。


 わたくしはずっとヘルパーのメイドでいるつもりです。たとえ、賤職と言われようとも。

 だってこんなに楽しいお仕事は、他にはございません。わたくしはこのお仕事が大好きなのです。


 ……どのくらい好きか、でございますか?

 お暇をいただいたばかりのその足で、さっそく次の職場へと向かうくらいには好きでしょうか。


「ごめんくださいまし。『ハピネス・ヘルパー紹介所』から参りました、ミーテルと申します。……ごめんくださいまし!」

好評でしたら連載化したいと思っております。

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ありがとうございます 二転三転の愛憎劇! 家政婦は見た! 不幸の真ん中にいると思い込んだ公爵夫人 愛を注いでも振り向いてもらえなかった公爵 どこでボタンを掛け間違えたのか? どうしたら良かったのか? …
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