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魔術  作者: 春瀬あさ
9/11

影の王3

 大きな戦の前に王が巫女のもとへ訪れることは、兵士たちは皆知っている。一晩中、二人がなにをしているのかも。

 いつごろからか、巫女が住む地下牢は託宣の部屋と呼ばれるようになっていた。王は巫女とまぐわうことで、神から託宣を受けている。

 

 あのおぞましい女を抱くとは、一体どういう気分なのか? その結果得られる神の声は、本当に神聖なものなのか?

 我らの勝利は悪魔の甘言のもとになされた罠……世界の理に反したものなのではないか?

 

 兵士たちは皆、心の奥では同じ不安を抱いていた。けれど、言葉にする者はいない。


 王の領土は増え続けている。が、託宣を聞かなければ状況は一転するだろう。国の内外から火の手が上がり、我々は滅亡に追いやられるに違いない……。


 もうこの国の者は誰も、穢れの巫女の罠から逃れることはできない。



 ──────────────────



 それをするとき、巫女は必ず部屋の灯りをすべて消すように言った。真冬でも暖炉の火さえ許さない。王はいつも、ぬばたまの世界で巫女を抱く。


「お別れでございます」


 ある夜、激しく抱きあったあと巫女は言った。

 王は全裸のままシーツから抜け、燭台に明かりを灯した。

 そうして再び寝床に戻ると、揺れる火を頼りに巫女を見つめた。巫女はまですっぽりとシーツを被って、暗い目だけを表に出していた。

 

 彼女が光の下に腐った片身を晒したことはない。もう幾度となく触れているというのに、目にしたことだけはないというのが滑稽で、妙な官能さえ感じた。


 常人なら、一度の性行為で気が狂うのだろう。自分も腐ってきている、王はそう感じていた。


「別れとは?」


 存分に巫女を眺めまわしたあと、王は訊いた。

 彼女の髪は出会ったころと同じごわごわのままで、伸び放題の毛のあいだから底なし井戸のような穴がぽっかりと王を見つめている。

 

 どんなに蜂蜜を舐めさせても声はしわがれたままだし、そもそもこの女はほとんど食事を摂りたがらない。そのせいか腐っていない方の肌も異様にがさついている。


 王は、いまだにこの巫女がいくつなのかも知らない。もしかしたら本当に老婆なのかもしれない。

 

 けれどその割に、若い王の激しい求めに巫女はいつも十分以上に応えるのだし、抱いているときには他の女にはない、えもいわれぬ艶かしさがあるのだった。

 これを魔性というのかもしれないと、王は思った。


「別れとは? この俺と別れたいと言うのか?」


 返事をしない巫女に苛立って、王は声を荒あげた。己の前髪を無造作に掻きあげて、ぎらついた目を巫女へと向ける。


「初めて会った日、お前の元の飼い主は真実を受け入れられずに狂ったのだと、お前は言った。今度は俺の番なのか? 俺は狂った挙句にお前に捨てられるのか?」

「いいえ」


 しゃがれた声で巫女は答えた。あらゆる欲をぶつけてくる王の眼光を、巫女はその真っ暗な目に吸いこんでしまう。


「あなた様は誰よりも真実と向きあえる方。自分の醜さも欲深さも臆病さも、恥じることなく私に晒してくださいました。そして、臆面もなくすべてを手に入れてきた。どんなに汚く残虐な手段を使ってでも。

 そう……今まで恥部を晒していたのは、あなたの方。この腐った裸体を投げだした私ではなく」


 カッと目の前が赤く染まり、気づけば巫女の首を絞めていた。

 片手でそうやって押さえつけ、もう片方の手で荒々しくシーツを剥ぐ。赤黒く腐った半身が灯りのもとに露わになった。


 その光景に怯んで、王の手が一瞬緩んだ。


「し……が」

「なんと?」


 王は慌てて手を放した。


「すまなかった。怒りで我を忘れてしまった。許してくれ」


 顔といい髪といい、すべてを成してきた大きな手で撫でさする。


「獅子が……金色のたてがみの獅子がきます……」


 ヒューヒューと嫌な呼吸をしながら、巫女は最後の託宣をした。


「私はあれには敵いません。光はすべての闇を消し去ってしまう。私はもうじき、あの獅子に喰われるでしょう。王よ、私たちの子どもを逃がしてください」

「お前が獅子に喰われるというのか? 戦場に出ないお前が? その獅子とはどこの部族なのだ?」


 巫女は苦しげに首を振るばかり。


「わかった。息子たちは別の城へ行かせる。それで良いか?」

「石を……」

「石?」

「最後に産んだ、あの石を……」


 巫女は5番目の息子を産んだ直後に、黒い石を産み落としていた。巫女の瞳にそっくりの底なしの闇の色。

 しかも不思議なことに、その石にはぎっしりと太古の生物の死骸が埋めこまれていた。


「わかった。あの石も持たせて旅立たせよう」


 巫女は安心したように息を吐いた。


「王よ、獅子との戦いにあなた様が勝てる見込みは低いでしょう。なぜなら獅子は、あなた様を殺すまでどこまでも追ってくるからです。


 それだけではない。私たちの子どもがこのあとの時代、表舞台に立とうとするたびに現れる。

 何代にも渡って必ず、同じ黄金の光を携えた者が迫害にくる。


 けれど、私たちには石があります。私が産んだあの石がある限り、魔術は消えない。

 あの石は世界の秘密。世界の中心。世界の底。どうか王よ。闇のしもべたる影よ……」


 

 ──────────────────


 

 翌朝、王は戦場へと赴いた。つい先日平らげたばかりの海辺近くの小さな国に、見たこともない部族が現れたのだ。

 おそらく海を渡って大陸から来た民族だろう。彼らは恐るべき速さで都に向かっていた。要所の砦はことごとく焼き払われた。

 

 ここで食い止めなければ、城に攻めこまれるのは確実だった。そうすれば予言通り、巫女は殺されるだろう。


 しかし巫女は「王が獅子に勝つ見込みは低い」とも言った。

 勝機は、わずかでもあるはずだ。


 西から大きな黒雲がやってきて、夜のように暗い昼だった。かすかに遠雷が聞こえてくる。王の一軍は、敵がやって来る森の出口を取り囲んでいた。

 

 一閃。

 

 あたりが真っ白になり、またすぐさま暗転した。次いで、世界が破れたような轟音が鳴り響いた。

 振り向くと遥か遠く、王たちがやって来た方向に火の手が上がっていた。

 城が、燃えていた。


「落雷だ!」

「ああ、そんな。俺たちの城が……!」


 兵士たちに動揺が走る。王も呆然と城を見つめた。では巫女は、雷を獅子に例えたというのか?


「陛下! あ、あれを!」


 いや、違う。やはり巫女は、獅子そのものを予言していたのだ。なぜなら。


 王の一軍を見下ろす丘の頂上に、獅子がいた。

 おとぎ話にしか聞いたことのない、タペストリーでしか見たことのない、あの南方の獣が。


 獅子の後ろには黒山の人だかり。これが正体の知れぬ異民族軍なのだと、王は一瞬で理解した。


「鎮まれ!!」


 一喝し、兵士たちを黙らせる。そうして、馬を旋回させ、丘を真正面に捉えた。


 どうやって我らの裏をかいた?

 どうやってあそこに出たのだ?

 あの獣が、本当に一軍を率いているのか? 

 それともすでに、俺には魔術がかかっていて幻覚が見えているのか──?


「我に続け──!」


 割れんばかりの声で号令を出す。その号令は兵士のみならず、王本人の雑念も消した。

 運命に向かっていくしかないのだと、悟った。


 ゆっくりと、それから徐々に速度を上げて馬を走らせる。獅子へ……己の死へと向かって。


 再び、稲妻が走った。

 その光は、獅子のたてがみを燃えたつ黄金に染めあげた。

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