喪失の剣2
娘は腕を引っ張られ、無理やり洞窟の中へ連れていかれた。村長は怖気づいて、それ以上はついてこなかった。
洞窟の中は、腐肉と黴の臭いがした。奥へ進むと空間は突如狭まり、そのまま地下深くへと続いている。潜んでいた熊を何頭か倒すと、あとはめっきりと静かで生物のいない世界のようだった。
やがて開けた場所へ出た。最奥の大きな岩に、剣が突き刺さっていた。黒々とした大剣だ。
騎士たちは岩の前で立ち止まり、息を飲んだ。ランタンに照らしだされた剣は地下の闇よりさらに暗く、その黒が呼吸するように伸縮していた。まるで、周囲の闇を吸いこんでいるかのよう。
剣のあまりの禍々しさに、兵士たちは後ずさった。騎士だけが、魅入られたようにじりじりと岩に近づいていく。その表情は笑っているようにも、苦痛を耐えているようにも見えた。
とうとう剣の柄を握ると、騎士は渾身の力をこめた。しかし、剣は抜けなかった。どんなに踏ん張っても、押しても引いてもびくともしない。
剣を握る騎士の手が黒ずんできたように見えて、兵士の一人がランタンをさらに高く掲げた。確かに黒く変色している。まるで火事で焼けだされた死体のように。
「娘! どうなっている!? 剣を抜く呪文はないのか!?」
黒ずんでいく自分の手が見えているはずなのに、騎士は依然がっちりと両手で柄を握ったまま、がくがくと剣を揺さぶっている。
彼の異変に気づいた兵士たちは、一人また一人と逃げだした。娘だけが恐怖に絡めとられ、その場を動くこともできない。
「この木偶の坊が! 早くなんとかしろ!」
娘は怒鳴り声に押されるようにして、剣に手を伸ばした。
バターからバターナイフを引きぬくような滑らかさで、剣は抜けた。
「あ……っ」
瞬間、娘が騎士の首を刎ねとばした。剣を抜いた勢いで思わず近くのものを斬ってしまった、そんな風にも見えた。
しかし、それだけでは済まなかった。娘はひとっ飛びに距離を詰めると逃げだしていた兵士たちに追いつき、三人の首をまとめて薙ぎ払った。
洞窟の外で震えていた村長は、中から出てきたものに目を見張った。黒い息を吐きだす大剣を引きずりながら、血塗れの娘が歩いてくる。
血の臭いに呼びよせられたのか、また熊が何頭か走りこんでくるところだった。一斉に襲いかかってくるそれを、娘は一振りで屠った。
それから娘は酔ったように徘徊し、森中の獣を殺した。
殺戮は一晩続いたという。
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「……それが、お前だというのか?」
焚き火に照らしだされる娘の顔を、行商人が覗きこむ。娘は小さく頷いた。
炎が作りだす濃い影が、余計に娘の顔を禍々しく見せた。焦茶の髪に焦茶の目。
淀んだその目には、怯えているような、それでいてすべてを恨んでいるような、得体の知れない暗さがあった。
行商人は、都市から村へ物品を運ぶ途中だった。昨日の大雨のせいで道が悪くなっていて、馬車が思うように走れなかった。
川の近くまで来て日が暮れた。諦めて野宿の準備をしていた。そこにふらふらと、大剣を引きずった娘が現れたのだ。
「一晩、火に当たらせてください」
と、娘は言った。
「できれば、食べ物もわけていただきたいのです。お礼は、なにもできないのですが」
図々しい女だ、と行商人には思った。見れば服はぼろぼろで、剣以外にはなにも持っていない。容姿も貧相で、まるで唆られるところがない。
しかし待てよ、と思った。あの大仰な剣。なにかいわれのある物だとしたら、高く売れるかもしれない。
あの剣について、詳しく訊いてみようと思いなおした。
もしもクズ鉄だったら、仕方がない。趣味ではないが娘を犯して、次の街で売り飛ばそう。それで食べ物と一夜の暖の礼くらいにはなるだろう。
そうして彼女から聞いた話は、想像を絶するものだった。
「でも、騎士様たちと熊を皆殺しにしたお前さんが、どうしてこんなところをうろうろしているんだい?」
行商人は半信半疑で尋ねた。こんな細腕の娘があの大剣をいいように振るうなど、にわかに信じられるものではない。
作り話なんじゃないか? と思った。だが、こんな作り話をする理由がまるでわからない。
娘は話しはじめた。
「次の日の朝、私が森の奥で気絶しているのを村長が見つけてくれました。
見ると、剣はボロ布でぐるぐる巻きに包んでありました。村長が、鞘の代わりを見つけてきてくれたのだそうです。剣身が出す息が毒を出しているように見えたと……。
確かに黒い剣身が隠れていれば、私はそれ以上狂うことはありませんでした。
村長は言いました。剣を元の場所に戻してこい。そうして、二度と村には戻ってくるなと。
私は、やってみました。けれど、どうしても岩に剣を突きたてることができないのです。それに剣身を見ていると、またすぐに狂ってしまいそうでした。
剣をその場に投げ捨てて、私も死のうと思いました。でも、それも無理でした。剣が惜しくて手放せないのです。
それに剣を持っていると、心の奥底から昏い怒りが湧いてくるのです。私を虐げてきた者すべてを斬り殺してやらない限りは死ねない。そう、強く強く思ってしまうのです。
私はおそらく、これを持っている限り死ねない……」
擦り切れた娘の服の袖口から、黒ずんだ痣が見えた。脛にも首筋にも。
剣を振るっているときにできたものだろうか? 違うだろうと行商人は思った。
貧乏な家では、父親が酒に酔って子どもに手をあげるのはよくあることだ。
この娘は、常日頃殴られていたのだろう。村人たちも、それを止めなかったに違いない。それどころか、一緒になって虐げていたのかもしれない。
行商人は、ふいに背筋が寒くなった。
「それであんたは、村長の言う通りそのまま村を出たのかい? それとも……」
娘は答えなかった。ただ暗い目で、じっと行商人を見つめた。
「……これから、どこへ行こうというんだ?」
「北の最果ての賢者のもとに。この世のすべての書物を持つという彼ならば、この剣を再び封印する方法を知っているかもしれません」
「そうかい。それで、どうしてまた馬鹿正直に、こんな身の上話を俺にしてくれたんだい?」
「素直に話せば、食べ物と寝床を分けてくださると言いました。……それに」
「それに?」
「私がこの剣を振るえると知らなければ、あなたは私になにをしたでしょう?」
行商人は、咄嗟に腰のナイフを抜いた。だが、娘の方が早かった。ゆらりと立ちあがると、娘は剣に巻きついたボロ布を外した。
「あ……っ」
叫び声をあげる間もなく、行商人の体はふたつに分かれていた。
そのあと娘がどこへ消えたのか、誰も知らない。