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魔術  作者: 春瀬あさ
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喪失の剣1

 村の奥の「熊の住処」と呼ばれる森に隠された秘宝があるとかで、偉い騎士様の御一行がやって来たのは、秋がだいぶ深まったころだった。

 その名の通り熊がたくさん出るので、村人たちは薬草やきのこを採るにしても、森の入り口までしか行かない。


 けれど確かに、その森の奥の洞窟に魔法のかかった恐ろしい剣が眠っているというのは、村に伝えられてきた伝説であった。

 

 洞窟までの行き方は、歌になっていた。小麦を刈るときの歌、機を織るときの歌、パン種を捏ねるときの歌……村には色々な歌が伝わっていたが、その「地図の歌」だけは歌える家が決まっていた。


 その家は酷く貧しくて、「地図の歌」を歌う以外はなんの技能もない。代々そうであるから、村の爪はじき者だった。


 けれどいつか、魔法の剣を制する輝かしき勇者が現れる。

 それまで他の誰にも知られずに「地図」を守り続けること、ただそのためだけに、なんとか村の端っこで生きながらえているのだった。

 

 やって来た騎士は銀の鎧に身を包み、目が眩むほどの輝かしさだった。

 村人たちは、この方こそが伝説の勇者だと直感した。すると、なんの役にも立たないあいつらは、今このときのために存在していたのか。


 村長は恭しく一行を、村の外れのボロ小屋へと案内した。

 土間でドングリを潰していた娘は、突然の訪問者に驚いて、扉を開けるなり言葉もなく立ちつくした。

 

 飲んだくれの父親が何年か振りに正気を取り戻したかと思うと、部屋の奥からやってきて娘を突き飛ばし、ぺこぺことへつらいながら言った。


「私は歌を覚えませんで。婆さんが俺には教えてくれなんだ。代わりにこの娘がすべて引き継いでいます。こいつなら、騎士様を宝の場所まで案内できまさぁ」


 騎士は蔑んだ目で父親を一瞥すると、小さく部下に合図した。金貨が数枚、投げ捨てられた。

 父親は死肉に群がる野良犬のように、四つん這いになって金貨を拾い集めた。

 


 娘は罪人のように引ったてられ、一行とともに森へと分け入った。


「さあ、歌え」


 命ぜられるまま、娘は歌いはじめた。祖母が教えてくれた歌を。人前では決して歌わなかった、けれど一言一句違わず覚えている、家宝の歌を。


 しかしそれは、まるで地底から響いてくる唸り声だった。普通の言葉ではない。忌まわしき魔女の呪文のようだ。


「なんだこれは? お前は私に呪いでもかけようとしているのか!?」


 騎士は冴え冴えと冷たい鉄靴で娘を蹴った。娘は腹を押さえながら転がり、胃液を吐いた。

 一緒についてきていた村長は、娘に駆け寄ると髪の毛を引っ張って顔を上げさせた。


「真面目にやれ! どうして今までお前たち親子を村に置いてやっていたと思うんだ? ここで役に立ってもらわなきゃ金貨が……」


 そこまで言って口を噤み、騎士の顔色を窺う。


「正しい歌を歌わせろ。さすれば今後十年、この村が潤うだけの金貨をやる」


 村長は枯れ草に両手をついて平伏した。


「ありがとうございます。さあ娘! 早く正しい歌を歌うのだ!」


 そうして、娘を揺すぶり急きたてる。


「これが私が教わった、ただひとつの正しい歌でございます……」


 娘は、震える声で言った。


「これは古の歌。遠い昔、私たちの先祖が使っていた言葉……婆様からは、そう教わっております。私は、この歌の通りに森を歩くことができます。私についてくれば、宝剣は手に入りましょう」

「本当だな?」


 騎士は冷たい声で訊いた。


「はい。ただ、この森は凶暴な熊の巣。獣から私を護ってくださいますよう……」

「それは任せよ。熊など我らの敵ではない」


 一行は娘を先頭にして森の奥へと進んだ。娘の歩みは遅かった。一節歌ってはあたりを窺い、ほんの十数歩だけ歩いてまた止まる。 


 その背中は、ずっと震えていた。葉が擦れあうほんの微かな音でさえ、娘を怯えさせるようだった。

 おどおどとしたその態度は、後ろを歩く全員を苛つかせた。

 

 けれど本当に、どこからか熊が飛びだしてくることもあるのだった。

 そういうとき、この騎士一行は頼もしかった。どんな大柄の熊でもたちまちのうちに囲いこみ、あっという間に斬り伏せてしまう。


 確かにこの森の熊はどこよりも凶暴だと、兵士たちはひそひそ話しあった。

 こんなに大人数の鉄靴の音が聞こえたなら、普通の動物は身を潜めているものなのに。

 

 やがて、ぽっかりと口を開けた洞窟が見えた。娘はその手前の雑木林で身を屈めて、歌うのをやめた。


「歌は終わりにございます」

「ということは、あそこに宝剣があるのか?」


 娘の隣に同じように屈んで、騎士は小声で訊いた。


「はい。でも……」

「ああ、わかった」


 その洞窟は、まさに熊の巣になっていた。何頭もの大熊がうろうろと歩きまわり、あたりにはたくさんの骨が散らばっている。


「熊をおびき寄せる植物があると聞いたことはあったが……」


 村長が呟いた。

 そう、本来なら群れで行動することなどない熊がこんなに集まっているのは、洞窟の入り口に生えている草のせいだ。


 熊たちは酔ったように草に体を擦りつけるばかりで、縄張り争いする様子もない。

 とはいえ、ここに獲物が飛びこんでいけば、一斉に襲いかかってくるのだろう。散らばる骨と地面に染みこんだ赤黒い血の跡が、それを示していた。


「この数はさすがに……。どういたしましょうか?」


 腹心であるらしい男が訊く。騎士は男を睨みつけた。


「どうするとはどういうことだ? 熊を蹴散らして中に入る以外に、なにがあるのだ?」

「い、いえ……」

「宝剣は近い。洞窟の中から禍々しい力を感じる。皆の者、肉壁となり我を洞窟へ導け!」


 騎士が立ちあがり、自らの剣を天に振りあげるので、部下たちも鬨の声を上げて立ちあがるしかなかった。


「おおおおおおお――!」


 雄叫びに驚いて、熊たちが振り向いた。

 そこからは、阿鼻叫喚だった。森は吠え声と悲鳴と血飛沫と肉片でいっぱいになった。


 娘と村長は腰を抜かしながら、茂みの奥で身を縮めるているしかなかった。

 


 どれほどの時間が経ったのだろう。やがて、人間の悲鳴も熊の咆哮も聞こえなくなった。

 二人が恐る恐る茂みから顔を出すと、あたりは死体で埋め尽くされていた。


 十数人はいた兵士たちが、いま立っているのはたった三人。それと、あんなに美しかった銀色の鎧を血で染めぬいた騎士。

 生きている者は、それだけだった。


 騎士が、ゆっくりと血濡れた顔をこちらに向けた。


「娘よ。中に案内せよ」


 娘は胸の前で手を組み、ぶるぶると震えた。口の中で小さく呟いた言葉は、騎士への応えではなかった。

 

「忌まわしき剣に呼応する者……同じ深さの闇を持つ者……」


 それは、娘が祖母から教わった古の言葉だった。剣を手に取る者の条件。


 この凄まじい殺戮のあとで、なお宝剣を目指すことしか頭にない騎士は、条件を充分に満たしているように娘には思われた。

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