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魔術  作者: 春瀬あさ
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金の女王

 森を軍隊が駆け抜けていく。皆揃いの鎧を着て、立派な馬に乗っている。蹄の音が聞こえてくるとすぐ、オウリは妹の手を引っぱって茂みの中に伏せた。


「兄さん、女王様だ」


 妹のトウリが囁く。素早くトウリの口を手で塞ぎながら、オウリは茂みのあいだから目をきょろつかせた。


 目の前を、すらりとした女性が通りすぎていくところだった。波打つ黄金の穂を想起させる長髪だ。それが深い緑のマントの上で揺蕩っている。


 間違いない。オウリは思った。この人は『金の女王』もしくは『緑の麗人』とも呼ばれている、大陸からやってきたお姫様だ。

 

 彼女がいつ、大陸のどの国からやってきたのか、みなしごのオウリは知らない。ただ、近くの村の人たちが最近よく『金の女王』の噂をしているのは聞いていた。


 彼女は正式にこの国の女王になったわけではないようだ。けれど、それも時間の問題だと大人たちは思っているらしい。


 難しいことはなにもわからないけど、こんなに美しい人なら、必ず女王になるだろう、とオウリは思った。


「兄さん、どうして隠れるの?」


 トウリがオウリの手を振り払って訊いた。


「静かにしろよ。行軍の邪魔をしたら斬り殺されるぞ」

「でも、あの女王様なら大丈夫だよ。女王様は親のいない子どもを引きとって面倒みてくれるんだって。そうして大人になったら、子どもたちはあの軍隊に入れるんだって」


 その噂ならオウリも知っていた。

 でも、本当だろうか? 

 女王様は、どんな子どもでも面倒をみてくれるのかな? 僕らみたいな汚い、村の人たちからも忌み嫌われる、なんの能力もない子どもでも?

 オウリは試してみるのが怖かった。


 トウリが今よりもっと小さなころ、今日と同じようにどこかの国の騎士たちが森を通りかかったことがあった。


 よく手入れされた綺麗な馬が珍しくて、オウリはトウリを連れて、ふらふらと行軍の前に出てしまった。

 その途端、金属音が鳴り響いた。騎士たちが一斉に剣を抜いたのだ。


 刃はまず、トウリに向かった。オウリは咄嗟に妹を抱き竦めて地面に転がった。

 

 騎士たちは、自分たちを斬り殺すつもりなどなかったのかもしれない。それか、一番立派な鎧を着た騎士が合図をしたからなのか。

 とにかく、オウリたちが塞いでいた道を開け渡したので、騎士たちは無言で剣を納め、そのまま去っていった。


 あのときのことを思い出すと、今でも腹の底が冷たくなる。自分の迂闊な行動のせいで、妹まで斬られるところだったのだ。

 この人たちなら大丈夫などと、どうして確信が持てるだろうか?


 けれど、そのことを覚えていないトウリは、オウリの袖口を強く引っ張った。


「兄さん、なにしてるの? 早く出ていかなきゃ、女王様たちが行っちゃうよ。こんな幸運、もう二度とないよ。これを逃したら私たち、一生乞食のままかもしれない」


 オウリは固まった。どうしたらいい? トウリの言う通り、この一瞬に自分たちの運命がかかっている。

 ぎり……と歯を食い縛ると、オウリは勢いよく茂みから飛びだした。勢いがつき過ぎて、行軍の只中に躍り出た。


 馬がいななき、前脚を宙高く上げる。乗っていた騎士たちは驚いて手綱を引いた。

 一瞬で軍は大混乱に陥った。馬の蹄が頭上から振り下ろされ、オウリは激しく転んだ。その弾みで、懐からなにかが落ちた。


「馬鹿者! 死にたいのか!?」


 倒れ伏したオウリに、野太い罵声が浴びせられる。すぐ横でトウリが自分を呼ぶ声が聞こえた。


「なにごとなの?」


 凛とした声があたりに響き渡った。途端、騎士たちどころか、馬までもが落ち着きを取り戻し、暴れるのをやめた。


「子どもが突然飛びだしてきまして。危うく皆、落馬するところでした」


 オウリの眼前に突然、金色の燃える海が現れた。一瞬置いて、女王が自分の前に跪いているのだと気づいた。


 体を起こして、目の前の人をまじまじと眺める。宝石みたいに透き通った緑の目、新雪みたいな滑らかな肌。

 人間じゃないみたいだ、とオウリは思った。


「大丈夫? 馬に蹴られたの?」


 女王は優しくオウリの額を撫でながら言った。


「い、いえ。蹴られてません。びっくりして転んだから……」

「そう。立って、全体をよく見せて。肘を擦りむいただけみたいね。よかったわ」


 オウリは確信した。この人なら、僕たちを助けてくれる。


「あの……っ、金の女王様、僕たち」


 トウリを女王に見せようと振りかえる。そこでオウリは、はっと息を飲んだ。


 妹は真っ青だった。息が止まってしまったように、ただただ女王を見つめている。

 しかしその目に浮かぶのは期待でも崇拝でもなく、恐怖だった。


「どうしたの?」


 女王が訊いてくれているというのに、オウリはどうしたらよいのかわからない。


「フアラ様、あれを……!」


 騎士の一人が叫んだ。見ると、地面に転がった小さな石を指差している。なんの変哲もない、黒い小石。転んだときにオウリの懐から飛びでたものだ。


 女王の顔色が、さっと変わった。

 オウリは反射的に手を伸ばし、小石を拾いあげた。そして、胸の前でぎゅうっと強く握った。


「それは、あなたの石?」


 抑えた声音で女王が訊いた。


 ──まるで、真冬の寒さに凍りついた小川みたいな顔と声──。


 そう思った途端、オウリはぶるぶると震えだした。止めたくても止まらない。体が勝手に恐怖している。

 

 この人は、一体何者なんだ──?


 オウリは必死で声を絞りだした。


「はい。これは形見です。父さんと母さんの……。昔から母さんの家にあった宝物だって」

「それを、私によく見せてくれない?」


 この人に石を渡しては駄目だ。頭の奥でなにかが警告する。けれど、見せるくらいなら……。オウリには、この女王を退ける力はなかった。

 

 ぎゅっと握っていた手を、恐る恐る開く。

 それは、不気味な石だった。


 滑らかな、それでいて深い夜のような表面、そこに無数の生き物が埋めこまれている。

 渦を巻いた虫みたいな、小さな小さな生き物だ。

 体を丸めて静止する死骸たちは魔法陣を描いているようで、完全にランダムだった。


 息を飲む音がして、オウリは目を上げた。ゆっくりと、長い指が胸元に伸びてくる。

 オウリは再び石を握りしめ、守るように体を捩った。


「ごめんなさい」


 我に返ったように、女王が言った。


「訊いてもいいかしら? それは、一体なんなの?」


 オウリは少し逡巡してから答えた。


「家族……」

「え?」

「母さんのご先祖様が、この石を産んだんだって。嵐の夜、強い男の子と一緒に。その男の子が、何代か前の母さんの祖先なんだって……」


 女王たちに緊張が走るのを感じた。オウリは、言わなければよかったと後悔した。


「殺しましょう」


 騎士の一人が馬を降りて剣を抜いた。それを合図に、あたりに金属音が鳴り響く。オウリたちを囲む全員が、剣を抜いていた。

 

 オウリは絶望した。ああ、やっぱりこうなるのか。女王なんか信じるんじゃなかった。


 けれど、剣は振り下ろされなかった。


「待ちなさい」


 すんでのところで、またもや女王が止めに入ったのだ。


「形見というと、あなたたちのご両親は?」

「死にました。三年前に。母さんは全身が腐って……。父さんはこの石を僕に渡して、どこかに行っちゃった」


 恐ろしい死に方をした女の子どもを、村の者たちは忌避した。

 森で摘んだ木の実やきのこと引き換えに野菜屑をくれることはあっても、二人を村の中に入れてはくれなかった。


 女王は、オウリの身の上話を静かに聞いた。


「やはり、これは穢れの巫女の末裔です。今ここで殺すべきです」

「いいえ」


 部下の進言を、女王は再び退けた。


「しかしフアラ様、大人になれば彼らは、必ず我々を滅ぼしにきます!」


 オウリはぼんやりと考えた。


 ──僕たちが? この立派な女王の軍隊を? 

 この騎士は、なにを馬鹿なことを言っているんだろう? 大人になるどころか、あとどれくらい食い繋げるかもわからないのに──。


「でも、今は子どもよ。あなたもこれくらいのときに、私に拾われたんじゃない」


 騎士は小さく唸ると、口を噤んだ。

 女王は腰を屈めて、オウリと目を合わせた。


「その石を大事に持っていなさい。そして逃げなさい、私たちから。ずっと遠くへ行くの。ここから離れて、ずっとずっと遠くの街へ。あなた達の出自を知らない場所なら、雇ってくれるところがあるかもしれない」

「そんな遠くには行けないよ」


 自分はともかく、トウリの足で長旅ができるわけがない。ここは辺境だ。近隣の村を越えて人の住む集落へ行こうとするなら、馬車で五日はかかる。


「それでも行くの。生き延びたければ」


 女王がオウリの両腕を強く掴んだ。その手の温かさに、はっと目が覚める心地がした。


「彼らに干し肉と水袋を。持てるだけ持たせてやって」

「しかしフアラ様!」

「いいのよ。こんなのは助けのうちにも入らない。それでも生き延びて私たちの前に立ちはだかるなら、それが運命なのでしょう」


 騎士たちは今度こそ黙った。そうして、粛々と作業を始めた。

 二人に食料の入ったずた袋を渡すと、一行は去っていった。


──────────────────


「トウリ」


 手をそっと握ると、トウリはやっと恐怖から解き放たれたようだった。「兄さん……」と、震える声でオウリを呼ぶ。


「すごく怖かった」

「うん。僕も怖かったよ。あんなに綺麗で優しい人なのに、どうしてだかわからないけど」

「ううん、違うの」


 トウリは静かに首を振った。


「女王様も怖かったけど、もっと怖かったのよ」

「なにが?」

「私いつか、あの人を殺してしまう」


 そう言った妹の目は、ぞっとするほど暗かった。


 そのあとトウリは、しくしくと泣き続けた。あまりに長く泣くので、オウリは不安になった。

 それはあの女王へと繋がる、漠とした未来への不安に変化していった。




 二人はその日、暗くなるまで歩いて、とうとう街道に続く森の出口まで来た。村とは反対の道だ。

 小枝を拾い集め、火を焚いた。ここで一晩明かすことにして、干し肉を少し食べた。

 

 大きな木に寄りかかり、これから進む方角を見た。ただっ広い草原の真ん中を一本の道が貫いていた。満点の星空へと、続いているかのように思われた。


 トウリはようやく眠ったようだ。かすかな寝息を聞きながら、やがてオウリも目を閉じた。

 


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