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失楽園  作者: 幽世
雲霞篇
7/7

七章 紅蓮の嚆矢


 蒼き炎の猪は魔王レイシァの建てた「三賢者」のうちふたりを、骨すら残す事なく消し飛ばす勢いで猪突していた。長い直線の路地に避ける脇道は無数にあれど、それが見えなければ意味もない。そして、その失態は翠星にも共通のものだった。

 路地から猪の目の前に、若い女性が飛び出した。突然の乱入者に焦った翠星はその女性が怪我をしないように猪の軌道を無理やり上に移し、その結果、高度一〇メートルのあたりで大爆発を引き起こす。

 土煙の奥に違和感のない人影が立っていて、それに一瞬()()()()銀髪の少女の胸部から赤く染まった大剣が生える。


「──!」


 無限に近い高電圧の電流を受けた衝撃と溶岩が体内から身体を蝕むような熱さが神経を焦がし、声にならない絶叫。そして、発狂によって起こった意志とは無関係な激唱が路地裏に響いた。噴き出した鮮血は数秒のうちに広い池を作り、脳に回る酸素は不足し続ける一途をたどる。人一倍小柄な翠星にとって、体の貫通は致命傷に違いなかった。


「油断はぁ、何ぃよりもぉきけぇんやぁでぇ」


 土煙の先の若い女性は特徴的な話し方で指摘しながら、空間のゆがみをに突き刺した短剣を引き抜いた。それにあわせて、鋭いひと突きを浴びせた大剣もゆがみの中に戻る。力なく倒れたその瞳は金色で、蒼い二筋の光が、砥粉色の女性の後背でゆらめいていた。


「お互いね」


 亜音速の拳がパヤッツに振るまわれ、伸びていない左の握られた手から黒い革の摩擦で唸る音が両者の鼓膜に届かず響いた。数瞬のうちに、戦域を移しながら振るわれた百を超える連撃。その尽くを躱した彼女は地面に片手をつき、宙で逆三回転してタイル張りの路地に降り立つ。


「狭いなあ⋯⋯」


 環境に不平を唱えた翠星の革手袋を着けた両手に、超高電圧の青い雷が現れた。帯電した両手の周りで放電の樹が乱立し、小さな光源となって路地をほのかに照らす。

 雷。これは本来自然の力を使った妖術やごくごく一部の精霊魔法でしか放てないが、その理由は、人類の科学技術が発展していないからだ。空気中にも、物体中にも無数に存在する微粒子──つまるところ原子核や電子を知らず、電気の発生する仕組みを知らない。魔法を使うときには当然、必要量の魔素と、魔法の仕組みに対しての知識が必要となる。そして、その知識の深さや魔素の多さで魔法の威力が変化していく。ただ、光や闇などの概念的な魔法は、上手くいく想像(イメージ)をいだく強度で威力が左右される例外だ。帯電によって起こる落雷は、プラスからマイナスへの、電子の受け渡しによって起こる。それを判らないから魔素を大量に持つ特例的な精霊や魔素量で無理やり出力を上げられる大魔族、妖術を巧みに操る大鬼族(オーガ)や雷とともに生きる魔獣以外に行使しえる生命体は存在しない。

 しかし、それをよく理解している異世界人はもちろん例外だ。習っていない小学生を除いた大半の者が雷の原理を知っているだろうし、元専門家なら深掘りした領域まで理解していることだろう。無論ながら、一条翠星もその原理を理解するひとりだった。

 再び音速で肉迫する翠星の鋭い一撃を後方へ跳び躱し、次いで右手の放電を、水の膜で受け流した。


「一人でいると、一瞬で殺られるのかよォ」

「それは、あちらも似たようなものでしょう」


 水を操る戦死の嘆きにアルルーナが応える。


「二体一以下の状況を保っているみたいね。つまり三体一でなければ、私達に勝機はないのよ。だからこそ、死ぬことは許されないわ」

「せぇやなぁ」


 とは言っても、と彼女は口の中でつぶやいた。部下とはいえど、単純な実力ではひとりひとりが魔王と張り合える程であるのに、それらが隙の埋め合わせをしなければまったく勝ち目がない。相性が悪い相手とは幾度も剣と剣──ではなく剣と植物を交えたアルルーナであったが、一瞬で燃焼対策の水をすべて蒸発させ、その上己の全細胞の九割を焼かれるなど、想定外も甚だしい実力差だった。更には『三賢者』筆頭のパヤッツですら数秒の戦闘で空間転移魔法の弱点を看破され、広範囲の無差別雷撃を繰り出すなど、一流の魔法使いや剣士というより、牙を剥いた災厄そのものと相対しているような危機感をいだかせるのだ。スイセイという名の危険は、()()()()の成就を阻むためにも、早く抹消しなくてはならなかった。


「考えごと?」


 光の精のように音を立てず接近した彼女は、


「戦闘中なのに」


 そう言うや否や、人差し指と小指の部分が欠如した皮の黒手袋と拳とで、彼女の()()()を遠方に殴り戦場から遠ざけた。そして、左手のサバイバルナイフに絡みつくものと同じ青いゆらめきが、両断された己の下半身の断面を灼いていた。そして、断面から登る灼熱感と凍りつくような危機。一度ならず、蒼い死の権化は捕食対象を絞め殺さんとする大蛇のように、彼女の尽くを喰らわんとしていた。それが頭に噛み付き、仮想骨格の頭蓋を呑み込むには数秒もかからないだろう。燃え盛る炎に対し、空中を泳ぐ彼女は圧倒的に不利だった。

 決断をするのに刹那もかからなかった。アルルーナは腕から下の胴体を切り離し、延焼を抑える。それ以外に、彼女が生き残る術はなかった。

 そうして三賢者のひとりはガンタルの外壁を越え、サンゴ礁の美しい海、猛毒をもつ海月の群れの中央に投げ棄てられた。


 青い炎によって錬成された灼熱の灰をアルルーナの下半身だったであろう二色の炎がくすぶる小山からつかみ取り、造作もなく二体の相手に対し被せた。

 最早、その定義が低くなっていると勘違いしたくなる。水の盾による気化熱温度を下げたはいいものの、ポアソンは数千度の雨に打たれた。皮膚を溶解し、肉を灼き削るそれら弾丸に肋骨は不平をあげる間もなく炭となり、心臓や肺を通過する。そして内側に火傷を築きながら、巨人の棍棒に潰されでもしたかのような風の通り道が彼の胴体に出来た。

 砥粉色の髪をした獣人族は灰をゆがみによって翠星の真上、それも数千倍に巨大化した岩の大篝として地上五〇〇メートルから降り落ちる。街への被害を最小限に抑えたい彼女としては、その全てを被害のない小ささまで砕く必要があった。

 彼女は跳び、宙で一回転すると同時に大気中の光を麺のように扱い束ね、一振りの白い輝きを放つ刀に変貌させる。


「一条流斬術──」


 天地を入れ替えた体制に変え、腰にあてた光をそこに刀が存在するように、蝶が舞うような緩やかさで振るった。


夜空連星・華


 一条の光が夕暮れの宇宙に舞い上がり、その頂点でひときわ大きな煌めきを映した。幾百を数えた岩はひとつの例外もなく高温の光の剣に斬られ、さらに注ぎこまれた大量の陰魔子により幾千の光の花となる。

 空を蹴った翠星は地面を割り、浮き上がらせる勢いで着地し忍び寄っていた蔓に滑空を強い、瞬時にその全てを根から光の剣で消滅反応を起こした。ただ外に自生し、前触れもなく爆発したネナガグサから現在地にかけて小規模な隆起が起こったことなど、彼女の知る所ではない。


「あなたの流れに乗せられる訳にはいきませんわ」


 海水を払いながら肉迫するアルルーナを尻目に放電し、攻撃を防げないパヤッツは直径一七〇メートルの攻撃範囲から一瞬で離脱する。即座に回復したポアソンとはそれぞれ水の膜と樹木の避雷針で高圧電流を防いだ。

 次いで伸ばされた木の槍、その射出機に無数の炎弾が放たれて、槍は躱さらて次の一撃を放つため戻る猶予を与えられず、それらは焼け落ちた。

 戦力の均衡は徐々に崩れ始めている。先刻から、翠星は秒を数える毎に一撃の威力を上げていた。それは加速度的な曲線を描いて破壊力と範囲を増し、移動のソニック・ブームで壁材に罅と破片が散っていく。


「なァ⋯⋯、無理じゃね?」

「せやぁね。ウチもキツゥわぁ」


 数秒のうちに着地したのか戻った道化が加わり、翠星はまとい付く埃を払っても落ちない顔をした。

 銀髪の少女は未だ手札を六割以上残していたが、それらは確実に勝てるが危険(リスク)の大きい鬼札か、合計すると同格の三人衆を相手に使うには、何らか届かず心許ない化札のみ。

 なお戦場で確実に勝利を導くほどのアドバンテージ、また緊急性の高い戦況ではない故に、下手に使えばそれこそ相手を有利に立ち回らせることになりかねない。

 それを加味し選んだ手札は、


真宵霧(ファタ・モルガーナ)!」


 己の固有能力(ユニークスキル)により影響を受けない、物理学の産物であった。



 綿飴のように濃密な、白き大群が半径三〇メートルに渡る街の一角そのものをドーム状に覆っていく。外から見遣るならば霧の牢獄に映る情景だが、一度内側に囚えられた者は彷徨い、幻視に惑わされる他ない。


「んだァ!? どこに逃げやがった」

「けぇかい⋯⋯すぅべきやぁね」


 視覚は塞がれど足音は聞こえる。

 その発想を浮かべた彼は耳を澄ませた。だが、足音どころか風を切る微音すら鼓膜に届かない。

 ふと、頭を横に倒して首を鳴らした。

 僥倖だった。彼の胴と顎を繋ぐ導線が、鮮血を吹き上げていたのだ。ネモフィラのような微かに甘い香りが、鼻腔をつくだけではなく死刑宣告をせんとしていた。


「鎌鼬」


 高く透き通る声が言った通り、その一閃は"鎌鼬"によるものだ。気圧差によって起こす風魔法の"カマイタチ"ではなく、霧に紛れ、命の灯火を狩る真の()()は風などではなく、絶妙な速度調整によって風に揺らぎを作らせず動く翠星の、極めて鋭利な刃物なよって成し遂げられた剣技である。

 彼女は、手札(カード)を統合した。白鯨との戦いでより理解した濃霧、光の屈折により虚像を描く固有能力、風と一体化し駆ける颯。決定打にはなり得ないだろうか、戦局を維持し、殲滅か撤退を図る余裕が生まれる。今の彼女の強みは圧倒的な機動力ではなく、高い火力ではなく、容姿の端麗さでもなく、ただひたむきに積み重ねられてきた魔法知識と魔力操作の結晶が起こす奇跡の連弾だ。

 単純な知識量がものを言うならば上など幾らでも居るだろうが、それを近接格闘に使うため柔軟な最適化を果たした自分を対象外にする全範囲攻撃や剣一本で炎弾の威力をダース分集めた炎の弓矢など、物体にかける魔力に対しては大雑把な翠星による緻密な魔力制御によって覆しているのだ。

 それは、彼ら三賢者も同じであったかもしれない。しかし、絶対に犯してはならぬ致命的な失態(・・・・・・)のおかげで、蒼氷色の瞳は挨拶でもする気軽さで、樹木を操作し防御網を構築する緑色の目に女自身の首元を見せた。

 袋に入れた西瓜を遠心力をつけて振り回し、その速度が頂点に達したとき、茎を毟ったような独特な音色が西瓜とそれの持ち手のちょうど境目で叫んだ。


「なんでだよ。俺らの方が魔素量はあるのに」


 人の頭を模したボウリング_弾@・_が揺らいだ彼に噛みつく。空気中の振動より速く飛ぶ恩恵で砲弾を越える破壊性が授けられ、合弁花の錐をもみ込むように彼の細胞を舐め削る。そして煮えたぎった溶岩特有の灼熱の紅が、脊髄を爆発させた。

 生クリームの質感のドレスを着飾った霧に巻かれて見えずとも、男と女一人ずつの断末魔など寝起きでも捉えられる。だが、それの意味するところは浅すぎる勝率に他ない。


「『_断絶結界@デタッチ・フィールド_』」


 一時撤退の行動を迷いなく摑んだ彼女は、アルルーナの頭が死ぬ前に、蒼色の死の光を宿した銀髪の悪魔がせんことを肌で察した。

 高い跳躍で濃霧から抜け出すを試みる。鋼の結界に阻まれて失敗。


「やぁべっ⋯⋯!」


 空間のひずみを起こし圏外に向かうもその先はまた牢獄の中。街の反対側に移動するしか敵わない。

 一瞬霧が晴れ、現実にはあるまじき禍々しい放電が_白銀色@プラチナム_の双瞳を真紅に染めた。


「対竜攻撃、出力最大『_黒雷@プラズマ_』」


 それは、災害を凌いだ者を例えるに相応しい。

 発動者の意思を振り切って秒速一〇万キロメートルの電離気体で結界の内側を優美に泳ぐ数え切れぬ数の竜は、己をも焼き崩す破壊を轟かせ、チタンの数倍堅牢な「空間遮蔽」を得意とする結界に共食い現象で起こる虹色の輝きと亀裂を作る。

 術者の意を介さない焼却の禍が己の力に崩壊するまでには数秒もかからなかった。しかし、限定的な範囲に放たれたそれは、結界を修復不可能なまでに破壊し、霧に呑まれた街を溶岩蠢く灼熱地帯に変貌させた。

 ただ独り地獄の中、無傷で立っている真紅が居る。その視線の先には直径三メートルの焼き焦げた瓦礫の山が、荷電粒子の竜巻が放たれる直前より体積を八割ほど減らしながらも、尚も存在していた。


「ポアはん⋯⋯。アルっちつれぇて、逃ぃげやぁ」

「んだァ!? オレはまだ戦えるぞ!」

「そっかぁ」


 彼女の言葉に力強く頷いた彼の視線が急降下し、夏の終わりにも関わらず生い茂る植物群へ豪快なダイビングを体験した。閉じられる歪みから不平の声が響いたが、砥粉色の髪をした彼女は最早、その程度のことを気に掛ける余裕はない。


「しんがぁりぇってぇ、やなぁ」


 今や先刻とは比にならない妖気(オーラ)を放つ人型はその瞳にルビーを溶かした鮮烈な色を宿し、大漁の魔素に晒されガラスの透過性と火の色を孕んだ外套がはためく。季節外れの白いニットと藍色のワイドパンツが露わとなり、同時にポアソンの悲観の声に対する答えが提示された。

 七つの罪を冠する星々が解き放たれ、災害を喰らいて天災と化す。原罪集いし時その兆しは乱世を齎し、世界の破滅となる戦を招くであろう。予言は何者にも書き換えられぬ未来であり、その軌道を変えんする者には大いなる厄災が降り掛かる。原罪の持ち主は『暴食』のソル=アルテミスの他に六人存在し、やはり罪の名を受けているのだろう。例えこの身に滅びが訪れようとも、命を賭して闘った。全ては虚飾の魔女により下された『予言』の回避、また主である魔王レイシァの野望を叶えるため、この世界にはあと数世紀生きて貰わなくては。

 原罪を殺さんとする者に落ちる鉄槌に対抗する用意は整っていた。ただ一つ盲点があるとするならば、戦略的に相手が圧倒していたということだ。

 結局のところ、彼女らは、絹の質をなじませた銀髪をし、年齢に比さない体格の者を一人の「人間」として捉えていた。しかし今、その生温さが鷹の隠し、磨がれた爪によって、誤差では済まされない実力の崖となる。その第一楽章は、攻撃者の決死の猛りによって幕を閉じた。



 火線が肉薄し、道化の格好を舐めそこねた炎の柱が地面を再び溶岩へと還す。紅蓮の光の接近と質量の打撃が同時に起こり、翼の生えた馬車と接触したと錯角するそれが強烈な蹴りだと気付くまでに、勢いの衰えどころか膨張を見せる幾百の打撃が譲渡された。硬い軍靴の裏から渡されたものである。


「こぉりゃ、あきゃまへぇんなぁ」


 気配が変わった──とでも言うのか。持ち前の速度が数分落ちた代わりに、破壊力のそれの格が数段上がっている。攻撃も罠を仕掛けなくなり比較的単調になったハズなのだが、結局のところ烏がイヌワシになったに過ぎない。それどころか、余計に危険性が上がった節すらある。

 防戦と言うのも甚だしい。パヤッツの放った数十体の分身は秒を刻むごとにその数を減らしていた。道化自身に直撃した一撃はないが、魔素消費の多い分身体を召喚し続け応援を待つしか手段は残されていなかった。

 二〇体の分身が炎、氷、風などの元素魔法を連発するが、一弾も触れること無く上位互換の、それも相性の尽く悪い魔法の連射で砲手のある者は焼き払われ、ある者は五体を砕かれ、そしてまたある者は氷に貫かれる。

 彼女の強みは技の多彩さにあり、火力では他より遥かに劣る。しかし、喩え光彩を除く六属性を備えていても、それらをすべて行使可能かつ威力が上回る相手の場合、勝率は一割を切るだろう。そして地属性を除く七属性持ちの一条翠星に勝ち星をあげる想像を、彼女は未だ作り上げられずにいた。そして、運も同時に尽きた。

 光の銛が脇腹を貫く。下行結腸に血液が侵入し、いち生命体の再生能力を跳ね飛ばす烈火が灼熱を無差別に広めた。血が上にあふれ、小さなゆらめきに閉じ込められた数万度の殺人熱が傷口を蒸発させる。それは、()()()()()()()()()初見の攻撃であり、他の攻撃とは格の違う、_龍@ドラゴン_をも射貫く致命的な一閃だ。瞬時に、パヤッツは己という小さな兎が巨獣にもてあそばれていたと認識し、敗北感と無力さが入り混じる絶叫をすぐ近くで聞いた。すべて、見抜かれていたのだ。分身と本体に区別を付け、敢えて分身に火力を叩きつけながらも道化の姿をした彼女本人に向けて一応は殺しうる攻撃を放つ。

 そして本体を見抜いていることを隠すために攻撃を単調にし、緻密な制御を放棄して簡単なものばかりを放出する。一条翠星に対する不明の補完が、行うべき判断を狂わせていたのだろう。属性を相性から使い分けている時点で、気付くべきであった。


「ムゥリ⋯⋯でぇしょ」


 そして()()()()()を構えていたことなど知らず、彼女は掌の上でタップダンスを踊っている。否、パヤッツだけの話ではない。誰も一条翠星の現在地を掴めていない事など、目前の情景を見れば、歌の下手な鳥がガチョウの声で騒ぎ立てるのと変わりはないのだ。この蹂躙を遠くから眺める無数の_骸骨@アンデッド_や確実に近付いている魔王レイシァも、ひとつの例外もなく舞台を操っていると錯覚し、その舞台で演技をしている。

 何故、誰も気付かないのだろうか。決定的な証拠が足元に転がっているというのに。皆、異質な()()をソル=アルテミス──または一条翠星の正体と思い込み、信じきっている。

 しかし、恥ではない。相手は『不敗』と讃えられ、奇術の類を用いた戦術を組み立てる。ときには要塞を牢獄に仕立て上げて「逃げる演技」の直後もぬけの殻となった要塞ごと吹き飛ばすという演出をしてみせたものだが、()()は誰もが疑心暗鬼となる嫌がらせのような、陰湿なものだ。そして、故に恥とはならないのである。

 銀髪の少女より身長の低くなったパヤッツは溶岩の熱気に蝕まれ、刻一刻と体力を減らしていく。好きでそうしている訳ではない。だが、腹部を貫通した一撃が重い呪縛となり、崩れた両膝を立たせるための踏ん張りを赦さないのだ。動こうものなら、痛覚の暴走によってたちまち身体が裂ける感覚が背筋を往復する。


「ばぁんじ、きゅうすぅやなぁ」


 時間稼ぎのために絞り出す言葉。その四字熟語は理性を留めて狂気を押し込むには効果を発揮したが、実力差による存在感の違いを埋め合わせることは敵わなかった。差が大きすぎた。

 ⋯⋯三分二八秒後、既に勝敗を決したかに思えた無傷かつ余力を七割以上残している白銀色の天魔と満身創痍の道化との交戦は最終楽章を迎える。

 ふと見ると溶岩は数分前の勢いを衰えさせ、黒い一枚岩の形に変化していっていた。それらは溶解の光に呑まれた建造物の末路だが、一部、不要と残された煉瓦やランタンが転がっている。


「ウチはぁ、あきぃらぁめが、わるぅいんでぇなぁ」


 仮面越しに伊達者の姿とは無縁の苦笑が宿る。パヤッツは己の切札が鬼神に通用することを酔狂で信じて、最後のチップを賭け場に出したのだ。


「いぃくでぇ、固有能力(ユニークスキル)代仮面(ペルソナ)』」


 道化の顔に亀裂がはしる。否、()()に深い罅が刻まれた。日没をまもなく迎える斜陽に照らされ紫色に輝く仮面に張り付く蛇は、秒を数える度にその勢力を拡大する。そしてまた、拡大に伴って彼女の傷も癒えていった。

 この戦闘における最大の賭け。それは、ユニークスキルの格と相性である。『代仮面』は「身に付けている仮面に負傷を押し付ける」「一日五枚まで仮面を作り出す」と、二つの効果を備えている。

 基本的に被り続けていた仮面は、耐久力に特化した特殊級(ユニークモデル)『名無しの仮面』だった。着用者の魔素を糧に耐久性を極限まで引き上げ、それは六年前、世界を揺るがした紅き死の象徴の圧縮光線を正面から受けた。それでも小さな破片を散らすのみという、異常な防御力を備えていた。

 しかし、それを回復の糧には出来ない。故に希少級(レアモデル)の模造品『喜色の仮面』で修復を行った。

 結果を皮膚で感じて、己の判断の正しさに安堵した。もし本物を使っていたならば喜色の仮面ほどの傷にはならなくとも、修繕不可能な段階にまで陥った可能性が高い。

 ならば、と砥粉色の髪の少女は頭を回転させた。

 亜空間に溜め込んでいる仮面の全てを代わる代わる身に付け持久戦に持ち込み、仮面の消費をなるべく抑えつつ相手に出血を強いる。それ以外に勝ち筋のある作戦を、彼女は見つけられなかった。見つける必要がなかった。

 治療の完了と同時に駆け出した。()()()()()程度には威力を発揮する、ゴルフボールサイズの小さな魔力弾を片手で撃ち続け、相手からより離れた手にダチョウの卵ほどの魔力弾をつくる。

 仮面に向けた顔がその端麗な眉をわずかに動かした直後、双眼の残光をほとばしらせる小柄な体が間合いを詰めた。


「くぅっ──!」


 魔素の砕け散る虹色の光が両者の視界に捉えられた。斜面で受けた魔力のタワーシールドが黄金色の刃の軌道を本来の進路から外させ、閃光の猛りは得物を牙で砕かんとしたばかりに牙を折られた。

 紅い瞳の者は刺突の衝撃で硬直(スタン)する左腕を振り、硫黄色の軌跡を明るい宵闇に描いた。

 途端、淡紫色の眼は空き缶の潰された感覚に近いものを受け取った。

 持ち上がる平手により撃たれたタワーシールドが衝撃圧に押され、それの使用者は針のような放物線を浮遊して重力の実刑判決を言い渡される。

 パヤッツは即座に仮面を替え、想定外の威力を含んだ重撃により潰れた肺を修復した。

 暗部の情報によれば白兵戦と長距離戦の双方に対応した魔法技術特化とのハズだが、それも小柄な体から想像できない物理(マンパワー)を隠すためだったか。気付けば、金色の光はおのが頚に手をかけてんとしている。

 道化は相手の巧妙さに舌を巻くと同時に、ひどくその舌を弾きたくなる感情に見舞われた。

 ──覆しようのない差とはここまで巨大なものか、と。

 相手は速度において上回っている。

 相手は力において上回っている。魔素量も、能力の質も、あらゆる点において己は劣等物なのだと不貞腐れた考えが思考回路を侵していった。

 片手ずつに持たれた光の剣が肩をかすめ、無機質な白の仮面を光の微粒子に還元した。しかし不可思議なことに、貫通した負傷による痛みが走ったにも拘らず、一項目においての集中が極点に達していた。

 そして、刹那の走馬灯で得た解。名を──


「『代仮面・呪(ペルソナ・カース)』!!」


 黒に変色した仮面が攻撃を打ち消し、静かに砕ける。わずか三分の間に、ペルソナはその真価を引き出す機会に出会った。──それが、最後の活躍かもしれないが。

 パヤッツ神経の尽くが炸裂する音を聴いた。

 高熱の中、全力疾走をした直後のような脱力感に目眩し、狂った三半規管が甲高く叫ぶ。膝まで墜ちた瞬間、放心状態に近かった意識が現実に引き戻された。鉛のように重い四肢をやっとの思いで動かし、ひとつの光景を見るために視神経に意識が寄せられる。

 紅い瞳の姿はなく、その眼の色をした水が塊となっていた。しかし、それから起こっている異常は。

 流れを変えた風にあおられたか、その血溜まりから発生した波が高く盛り上がり、人間の片脚を肉から組み立てる。


「⋯⋯」


 時折不快な音をあげて構成されていくその人間離れしすぎた再生能力、そしてその身体組成を道化は理解したくなかった。

 脚の肉から金色に輝く水晶が飛び出し、滞空を行いながら己を肉で囲い心臓に、そして他の全ての臓器を無視し心臓から枝分かれした神経のが生え、それが肉を纏い、肉塊だったそれに神経の束から骨が作られ、皮膚で覆われ、そして首のない人型が生まれた。

 首の面から神経が生え、頭蓋の形を築く。そこに骨が置かれ、人間らしい姿に立ち戻る。

 同様する少女を一瞥すると一糸まとわぬ姿でそれは笑い、嗤った。

 ──油断は何よりも危険だ、と。

 暴威の大蛇は、金色の刃と化して鶏に、何度目かもわからない牙を剥き出しにした。

 唐突な大技。想定外の質量、及び規模。

 光の剣の軌道に沿って開放された魔素は虚無を斬り、パヤッツの複重結界など紙のように破壊して左腕を取り上げた。

 技の連発と呪いの反動により弱った砥粉色の髪の者の意識は削がれ、地獄の淵に叩き落とされる。

 次に待っているのは焼却。それは戦闘不能の敵を軍靴で踏みつけ、血液のポンプをあぶるのか、真紅の炎が胴を貫通する勢いで拳を振るった。


「⋯⋯翠星をナメるな」

「それは、あたしの言うべきこと」


 その声に危機感を感じ一歩下がった三瞬後、血色の薔薇の花がパヤッツを覆い、花弁の一部が炎に焼かれながらも銀髪の頬に赤い一筋をつくる。


「ご主人様のところには、行かせてあげない」

「⋯⋯最大戦力が何を言ってるのやら」


  剃刀のような棘を無数持った蔓と金の刃が交差し、極彩色の花火を起こす。


「クローンにしては、頑張っているんじゃない?」

「黙っとけ、災害格(ハザード)が」


 皮肉への応酬と金属調の衝撃音とが引きしぼられた緊張感に拍車をかける。剣と棘が打ち合い、薙ぐような極太の一閃と突破力の一閃が相対し、蔓では考えられぬ絹布の柔軟性で深緑の殺人腕は斬撃を受け止め、挟み穿つように回った。

 チャクラムとブーメランとドローンとを混合させた挙動をする薔薇の花弁が空を縦横無尽に飛び回り、蔓を避けたアンラ・マンユに対して突撃した。

 折り重なり飛行する赤い群れを身体を捻り躱し、同時に放った光弾が衝撃を受けて閃光の幕をおろす。


「⋯⋯もしかして、魔素(エネルギー)切れ?」

「煩い!」


 既に大気のマナもほとんど使い果たし、銀色の髪をした彼は体内に残るわずかな魔素で防御を回していた。更に先刻の大技や完全再生で、理力や躯力など、温存していた力も連戦により底が見え始めていた。疲労による息切れと汗が、一段とその肉体を縛る枷と化していく。

 それに対して、九割九分を越えるエネルギーを残した状態で乱入した魔王レイシァ。概算で一条翠星の倍の最大魔素量であり、かつ相性が最良で最悪な物理攻撃と毒、精神干渉を使い分けることが可能な中・遠距離型の魔王の一角。

 翠星とアンラ・マンユのふたりは基本的に近接で押す体であり、中・遠距離にも対応可能な翠星とは違い、完全な近接特化の彼に桃色の髪の魔王は天敵と言えた。仮に全快で挑もうとも、勝率は五割をきるだろう。

 分が悪すぎる、彼は今更ながらつぶやいた。パヤッツ達は弱くない、強い筈だろう。しかしこの魔王直属の魔人達が弱く思えるほど、彼女は強かった。

 しかし()()がまだ目的を達していない以上、そう易々と勝利を譲る気にもならなかった。

 



 同刻。激闘が繰り広げられる東ガンタルとは正反対に位置する西側の門で、車輪の音だけが響いていた。

 商会の馬車は既に八割が街の外に脱出し、残る二割弱の人員が避難を完了すれば、ガンタルはもぬけの殻になるだろう。


「ごめんね。キミの契約者をこんなふうに扱って」

「別に良いわよ、治るんでしょうね?」


 大丈夫だよ、と作り笑いを浮かべる翠星とチャイナドレスを着た少女は最後尾で歩き、うち前者の人物はランタンに丸く青い火を閉じ込めている。

 その火には薔薇の紋様が、緋色に輝いていた。


「ただ複雑な呪紋だから、完全な解呪までに三日はかかるよ」

「割と短いじゃない」

「不眠不休で、だけど。これは呪術型鋏痕質認識科音声属使役属の(じゅ)だから、儀式は要らないよ」


 軽々しく発せられた単語にアケチは縁以外赤い目の少女を敬遠するような視線を向け、彼女は失笑で応じた。

 解呪とは、文字通り呪いを解くことである。

 呪いには怨念型と伝染型と呪術型との三種類があり、怨念型は死者の恨みで呪われ、伝染型は接触する事で呪いが病のように広がり、呪術型は人為的に、遠隔で呪いを刻み込む。

 さらにそれぞれ痕を刻む鋏痕質と乗り移る受肉質、全体に効果を及ぼす服飾質(ふくしょくしつ)に分類され、そこから呪のかかる条件である"科"とその詳細である"目"呪が起こす効果の"属"で呪いは分類されている。

 魔王レイシァが掛けた呪──これは呪術型鋏痕質認識科音声目使役属であり、訳すと「術者の声を認識するのが発動条件の呪刻(しるし)から操る呪い」となる。

 これが解呪に必要な"鍵"の種類を求めるが、錠がシリンダー錠か指紋認証錠か発覚したところで、指紋や合鍵を用意しなければ解呪の扉は開かない。

 呪術師が掛ける呪の平均は四桁程だが、暗証番号の桁数が多ければ解呪の難易度も倍増する。

 故に、ヴェーヌスに掛けられた九桁分の呪を解呪するのは容易ではない。


「とても、人間業とは思えないわね。大規模な隠密魔法なんて」

「それはユニークスキルのおかげだよ。精密に光を操れるから、外からだけ見えなくする事もできるし」


 その先を言いかけ、口をつぐむ。

 敵を欺くにはまず味方から。翠星は、基本的に情報を操り闘う。

 作戦は実行の直前まで伝えず、捕虜となる危険がある場所には行動のみを伝達し、最大限状況を混乱させる。鉄も熱せば弱くなるように混沌に陥った軍は統制を保てず、少ない戦力で瓦解させられるのだ。

 銀髪の少女が建てた作戦は詭計に類似しているが、少ない時間で完遂可能なものだった。

 その全貌はまずガンタルに侵入し、魔素変換分の食料を摂ってから敢えて攻撃の隙を与える。この時点で、作戦は翠星とアンラ・マンユしか知らない。万が一店員に化けているだろう人狼が人間だった場合は作戦の中止を考慮する手筈だったが、その必要は既に無い。

 次に魔王配下を集結させ、人の居ない場所で目印となる大技を発動。この時点で戦力を減らせれば満点だが、位置を伝えるだけでも及第点とする。

 戦力を充分に削った後、濃霧で入れ替えを誤魔化す。結界は領域外に出た瞬間にアンラ・マンユが展開するが、その前は結界の外見を光で再現し、霧が漏れ出さないよう空気を圧縮しドーム状の空間をつくる。

 アンラ・マンユが相手をしている隙に翠星は全員を回収し、姿を隠しながら脱出を行う。

 また、魔王レイシァの呪を受けた者が居た場合に限り肉体に精霊を宿らせ抵抗(レジスト)し、呪が刻まれた魂は隔離する。


「少し、あなたの事をナメてたわ。なにも出来ないコムスメだと思ってたもの」

「もう小娘って呼ばれる年齢(とし)じゃないんだけど⋯⋯」


 苦そうに応えた翠星も、街の門を通過した。

 都市部では依然として交戦の衝撃が轟き、魔素の相殺に伴う光が舞い散る。それを遠目に見やりながら、殆ど紅い瞳の少女は能力を解除した。

 光の曲折により姿を隠されていた馬車群が再び現れ、馬や人も可視化されていく。

 斜陽が、川を越える列に影を落としていた。

 またその光は、花弁により、壁に縫い止められた彼にも等しく、嘲笑うように横殴った。



 日は暮れ、月光が魔素の枯渇したあらゆる場所に生命の欠片を与える。

 湖面が揺れ、水上で横になる青玉(サファイア)の目を嵌められた人影が水をかき乱し、浸けた左腕から泡が発せられるのを見届けた。水中に取り込まれた大気が、その上へ抜け出す現象である。

 限りなく紅玉(ルビー)に類似する殻に近いそれが泡とともに瞳から抜け出すような、不可思議な思いにその者は目を細めた。泡の中から見つめる青い目には一切の朱がないというのに、ではどこからこの色は抜け落ちているのだろう。

 水面に立ち上がり、自然に纏まる銀色の髪から、水気も切らずに岸へと歩く。

 足元で夜光を反射し散りばめられた宝石がワルツを踊り、頭の上では雲のない夜空で巨神のこぼした銀河が輝いていた。

 白いワンピースでみずみずしい肢体をつつんでいる者の白い手に一振りの刀が握られ、黒い鞘から抜き放たれた銀白の淡い煌めきが月光により美しさを増す。


「『星銀河星(ほしぎんがせい)・改』」


 鞘に収められた光は蒼眼の光と視覚を繋ぎ、一輪の花のような渦型の残光を残す。それはハナキンポウゲのように美しく、周囲に発散された。


「『花金鳳花(かがねほうげ)』」


 彼女の足元から白い飛沫と細波が無秩序に拡がり、川を下り森を抜け、人類が「ガンタル」と呼ぶ人工建造物群を二手に別れて流れゆく。

 そして海に届いたそれらは、海を泳ぐ巨大な波による一方的な攻撃を受け、潰えた。

 白神の息吹が森に立ちこめ、蒼い光の舞いをおのがものにせんとつつみ隠す。

 それから抜け出すとき、軽装備であった彼女は黒無垢の外套に袖を通していた。黒光りする鋼の外套は、魔女との戦いにすら用いらなかった。

 何故かなどは問題でない。唯でさえ体力、筋力の双方において脆弱な彼女に鋼鉄は重荷以外の何物でもないのだから。

 問題は、それが引き出す才覚である。

 一条翠星の持つ唯一の伝説級(レジェンズ)防具『黒災外套プロミネンス・ハザード』は彼女の切り札であり、その特殊効果の発動条件が極めて難しいことと、それに伴う巨大なリスクが黒き鋼糸の服を切り札たらしめている。その条件は、

 一つ 類似する衣装を三つ以上破壊すること

 二つ 死に飛び込むこと

 三つ 『煉獄』を発動してから二四時間以内であること

 そして四つ目、静止を掛ける者が居ない状態で殺戮者になること。

 押し負ければ辺り一帯の火を狩り尽くす怪物を生み出す懸念があるため、商会の避難は完了していた。


 鉛以上に重い外套を纏う翠星が見付けたのは四八匹──大隊規模のアルラウネ軍団。ソル=アルテミスを捜索していた不幸な彼女らが見たものは、死神ですらない、銀色の悪魔だった。


「ミーツケタ⋯⋯」


 真紅の雷光が轟き、手始めに死の雷鎚を浴びせる。ふたりが即死し、無傷でいられたのは幸運なひとりのみ。


「アンジェリカ! リズ!」


 悲痛な叫びと激昂の視線と破壊者の高揚が入り乱れ、一撃で灰になった同種族の後を最初に肉迫した個体が追う。


「ルイシャ!」


 先刻死した者の個体名だろうか。罪業を貪る煉獄に斬り伏せられた一匹を見て数匹が悲鳴をあげ、瞬く間にその数は膨張していく。

 触れれば死は避けられない狭間の焔は数秒のうちに大隊を、組織足りえないものとしてしまった。

 そして、それを操る悪魔の条件(カルマ)は満たされていく。

 避難民と化した隊の生存者すべてを炎の輪に隔離し、野草を刹那に焼き払う爆炎で残りを小隊分程度に削減する。

 幸運な生存者は焼き焦げた同胞を目にし、泣き叫んだ。阿鼻叫喚の合唱を心地よく聴いた翠星はひとりの肩を掴み引き寄せ、恐怖の涙で崩れた顔に微笑む。そして、彼女の仲間の灰を、その口に押し込んだ。


「ウルサイよ」


 そして、灰から弱い火が燃え移った。

 彼女は内臓の灼熱感に耐えきれず煉獄に飛び込まんとするが、その行為はひとつの結界に防がれる。


 内側からこんがりと焼かれたアルラウネだった炭を翠星は蹴り崩し、二人目の頭をつかみ己の居る空中へ持ち上げた。


「ごめんなさい、もうしません。助け、お母さん!」


 泣きじゃくり、命乞いしたその言葉は無視され、まず、爪で外眼筋が切られる。その後強脈と脈絡膜のつながりが裂かれ、暴れる四肢によって、余計に傷がついた。

 左眼から多量の血液が流れ、まだアルルーナのように樹と同化していない個体であることが証明される。

 目にねじ込まれた三本の指は、一点に集うように動き始めた。その意味を悟ったとしても、既に遅い。左の眼球は潰され、そのうえで引き千切られた。

 その様を見る彼女の眼は、血色に変貌していた。


 右も同様に抜かれ、両の目と感情を喪失したひとりの屍としての生を赦された生物が棄てられ、拷問は後半戦を迎える。


 三人目は、全身の骨を一本ずつ折られ死んだ。最後のすぐ隣にあるドッヂボールのように丸くなった死体は虚ろな目で、独りのアルラウネに、助けを乞うように見つめていた。


「何か、言い遺すことは?」


 ごく楽しげに立てない彼女に怪物は語りかけ、怯える様子を見て愉しんでいた。彼女には、逃げようと脚を動かすことも、突き飛ばそうと腕を動かすことも出来ない。──どうすれば、四肢の捩じ切られた身体で逃げたり、突き飛ばすなどがかなうのだろうか。

 眼前の正体を考えることすら及ばない理性の蒸発で、自分の状況は理解できない。しかし、圧倒的な寂しさが本能に告げていた。お前の手足はもうない、と。


「たすけて」


 震える声の中で出した()()は当然気に留められず、チューイングガムのように膨らんだ体が弾け、殺害者の目の色と対応する雨がそそがれる。

 黒い外套は今や鉄より空気より軽い冥府の羽衣として他の魂を刈るために、ガンガルへと足を運ぶ。

 その身体は今、一条翠星のものでもなくなった。

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