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夢幻の灯火  作者: 辻 信二朗
終章 夢幻に芽吹く

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第七十八話 失意

 三箇月間のリハビリを経て、僕は自宅に戻ることができた。


 フィヨルディアを解放したことで地球上は労働を求められる世界となっており、退院するとすぐに進学か就職かの選択に迫られてしまった。


 僕は進学することを選び、夏からでも間に合う偏差値の大学を志望校に定めた。性根を入れて、これから約半年間を僕は勉強に費やそうと思う。


 昏睡こんすいとリハビリ期間のお陰で、僕は浪人生という扱いだ。


「まったく……フィヨルディアでは英雄だっていうのに……」


 フィヨルディアでの体験を他人に話しても、誰一人として信じてはくれないことだろう。AIが意思を持つなど、まるで御伽話おとぎばなしだ。一年前まで社会の中枢を担っていたAIについて、僕の他に正体を知る者はいないのだから。


 もう遠い過去のように感じる。あまりに現実離れをした出来事の連続で、あの壮絶な動乱は夢だったのかとすら考えるようになっていた。


 小川のせせらぎ、水田から聞こえる蛙の合唱、道路を行き交う車両の唸り。フィヨルディアには存在しなかった音がして、僕は本当に元の世界に帰ってきたんだなと実感していた。耳に届く世俗せぞくの話題も、仮想世界とは大きく異なっている。


 嬉しいような寂しいような、何だか不思議な感覚だが、事実として僕はここにいる。仮想世界よりもリアルなこの地球で、僕はこれから生きていくのだ。


「……………………」


 特に意識することなく部屋を見渡すと、ふと目に入ってしまった。目が合ってしまった。部屋の隅を陣取り、じっとこちらを凝視している者がいる。


 視線を合わせた先には、発掘された遺物のように埃を被ったゲーム機が鎮座している。ゲーム機にはフィヨルディアのソフトが入っているはずだ。


「久々にやってみるか、フィヨルディア!」


 平然を装って呟いた言葉が上擦っていた。

 誰もいない自室は、しんと静まり返っている。


「いやー懐かしいな。電源ボタンは……ええと、ここだっけ?」


 自分を落ち着かせるために、僕はわざわざ独り言を呟きながらゲーム機に触れた。しかしゲームを起動しようと運ばれた指が、電源ボタンを前にピタリと止まってしまった。指が小刻みに震え、動悸どうきが止まらない。


 わかっているんだ。その先には絶望が待ち受けていることを――。だが僕は確かめなければならない。まだ、そうであると決まったわけではないのだから。


「……………………」


 電源をつけると、モニターにログイン画面が映し出された。


 僕はその光景を見て大きく肩を落とした。表示された画面には、ログインを示すカーソルがはっきりと消えていたのだ。


 その事実を認識すると同時に、眩暈めまいと吐き気が同時に襲い掛かってきた。

 期待を打ち砕かれ、僕は意識を失ったように崩れ落ちる。神凪商事が倒産したことにより、フィヨルディアと繋がる手段は完全についえたのだ。


 こうなることを予想はしていた。夢とはいつか覚めるものなのだ。

 なるべくリハビリ期間は考えないようにしていた。現実を受け入れるのが怖かったから。懸念が確定してしまうと、立ち直れないと確信していたから――。


 もう手立てはない。突き付けられた現実を受け止めるしかない。


 サービスを終えたオンラインゲームの末路とは、こういうものなのだ。世界に関する全てが浄化され、いずれこの世から完全に抹消される宿命にある。

 特に珍しいことではなく、これまでも数多の仮想世界が犠牲となってきた。生み出されては終焉しゅうえんを迎え、人々の記憶からも次第に失われていく。


 だが僕にとってはフィヨルディアこそが現実であり、ただの幻ではなかった。


 アイ、フウカ、ライハ、ホムラ、セツナ。見知らぬ者にとって、少女達はただのNPCでしかないことだろう。しかし、彼女達は確かに生きていた。残酷な目的で創造された檻の中で、くじけることなく精一杯に生きていた。


 僕はフィヨルディアを知る最後の一人だ。命を懸けて神に抗った戦士達の存在を僕は決して忘れない。彼女達の武勲ぶくん未来永劫みらいえいごう、僕の中で生き続ける。


 思い返すと、宿の縁側で抱き締めたアイの身体は温かかった。幻想の肉体であるアイに宿っていた体熱の正体とは、心の温度だったんだなと今になって思う。

 アイの心が与えてくれた温もりは、今でも僕の心を熱くしている。


 なんとはかないことだろうか。当たり前のように隣にいた友達は、もうこの世のどこにもいないのだ。二度と会うことは叶わず、僕はこれからの人生をアイのいない世界で生きていかなければならないのだ。


 仲間達と過ごした何気ない日常は永遠に続くものだと思っていた。夢を夢で終わらせたくないという気持ちは虫のいい話なのだろうか。


 納得などできるはずがない。頭の整理などつくはずがない。失って初めて友愛の重みに気付かされ、行き場のない悲哀ひあいが胸を抉った。


 瞳の奥が熱くなる。視界がぼやけ、ぽたぽたと零れるしずくが畳に吸い込まれていく。止めなくあふれる涙を拭うことなく、僕は悄然しょうぜんと立ち尽くしていた。

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