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夢幻の灯火  作者: 辻 信二朗
終章 夢幻に芽吹く

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第七十七話 覚醒

「…………んっ…………」


 ゆっくりとまぶたを開けると、けた視界には見慣れない天井が映し出されている。


 白い板を張り合わせたような天井材。あまり見たことがない意匠いしょうだ。どうやらここは自宅ではない。学校でもなさそうだ。まだ僕は夢の中なのだろうか。


「ここは……?」


 僕は身体を起こし、辺りを見渡した。ここは病院であるようだ。腕には点滴が繋がれている。しかし、どうして自分が病院にいるのかを思い出せない。


 可能性があるとすれば、日課の登山がたたったのだろう。記憶が定かではないが、知らない内に遭難でもして誰かに救助されたのだろうと考えられる。


 霊峰登山がいかに危険と隣り合わせであるかを改めて痛感させられる。

 命が助かったことが救いだが、素直には喜べない。こうして他人に迷惑をかけているようでは、登山者として失格なのだから。


 それはそうと、一緒に山を登った〝友達〟は無事だろうか。霊峰の奥地は、登山に慣れた僕でも大きな危険を伴う。皆の安否が何よりも気掛かりだ。


「…………友達…………?」


 頭の中を通り過ぎた『友達』という言葉が、朦朧もうろうとしていた僕の意識を覚醒させた。失われていた記憶が嵐のように押し寄せてくる。


「俺……生きている……? アルンに病院なんてできたのか!?」


 何よりも、自身に意識が残っていることに驚いた。どうやら死は免れたようだ。


 ここは剣と魔術の幻想世界――フィヨルディア。僕はある者の働きによって現実から切り離され、このゲームの世界に閉じ込められた。


 見渡す限り広がる仮想空間を隅々まで探索し、僕は世界のことわりを知った。美しい大自然を有する地には、とんでもない秘密が隠されていたのだ。


 人類を脅かす魔獣、そしてそれらを統率する魔獣の王――四天獣。奴らは街の人々を襲い、ほしいままに虐殺の限りを尽くしていた。


 だがそんな魔獣の王も黒幕に操られていただけに過ぎず、その裏で異界から地上を鳥瞰ちょうかんする根源たる魔王の存在があった。その者はとんでもない数の人々を幽閉ゆうへいし、あろうことか自由や尊厳を奪い取ってしまったのだ。


 その所業が許せなかった僕は、友達を護るために立ち上がることを決意する。かつては敵対した魔獣の王と手を組み、僕はその巨悪に立ち向かったのだ。


 そうして僕は死力を尽くして巨魁きょかいに抗い、その戦いの末に死んだはずだった。

 敵と相打ちのような形となったが悔いなどない。フィヨルディアには平和が訪れ、新たなる時代の暁鐘ぎょうしょうが鳴り響いたのだから。


「アイ……」


 仲間に会いたい。僕の生存を知らせたい。会って今すぐにでも抱き締めたい。


 ここがアルンの中であるなら、セツナの《予知》が僕の目覚めを感知しているはずだ。放っておいても仲間を揃えて会いに来てくれるかもしれないが、大人しく待っているなんてことが僕にできるはずもなかった。


 僕は立ち上がろうと腕に力を込めたが、どういうわけか身体が言うことをきかない。腕を上げてみると、枯れ枝のように酷く痩せ細っている。


 今となって、僕は神凪から毒を受けたことを思い出していた。異能《凶毒》による作用か、思うように身体を動かすことができない。


「――英太、目を覚ましたのか!」

「――え?」


 突然投げ掛けられた言葉によって、僕は我に返った。


 目を凝らし、ベッドの傍に座る二つの人影の存在を認識した。僕はもう元の世界には戻れない。もし神がいるなら、いきな計らいをしてくれたものだ。


 なんと僕のベッドの傍らにいたのは、現実世界の両親の姿だった。

 夢か幻か。いずれにしても、最期に肉親に会えたことはありがたい。


「母さん……父さん……ごめん……俺、死んじゃったよ……」


 僕は言葉を発したが声にはならなかった。喉がつかえて上手く喋れない。


 仮想世界ではどのように声を出していただろうか。仮想現実の身体には声帯がないため、現実世界とは多少なりとも声の出し方が異なるのだ。

 だが喉の使い方が違えど特に難しいことではなく、その方法は意識せずとも行えるほどに単純であるはずだ。それでも、僕は上手く発音することができなかった。


「英太! 生きているのね! よかった!」


 母は泣きながら僕を力強く抱き締め、隣で座る父も珍しく涙を流している。ここが現実世界であったなら、このような情景があったのだろうと推測できる。


 しかしこれは現実ではなく、僕の心を描写した幻影に過ぎないのだ。


 僕が倒れてからどれだけの日数が経過したのかはわからないが、既に僕の死亡は知られていることだろう。両親が悲痛に泣き叫ぶ姿が目に浮んでくる。

 僕は衰弱しきった身体をなんとか稼働させ、すがり付く母の背に手を回した。

 

 それはそうと、僕は両親に告げることなくこの世を去ってしまったのだ。

 別れの挨拶なんて受け入れてもらえるはずもないが、最期に会話をしたかった願いをここで果たそうと思う。短い人生だったが、両親には本当に感謝している。


「……………………あれ?」


 鼻孔を刺す消毒剤の匂い、電灯の眩しさ、そして、母の手の温もり。仮想世界とは異なる外的刺激を感じ取り、僕の五感は違和感を覚えていた。


 身体がずっしりと重く、指の動作がいつもより遅い。

 衣服が肌に擦れる感触がして、身体の節々がズキズキと痛む。虫に刺されたのか背中が痒く、汗が染みて太腿の裏がむずむずする。耳に届く自分の声も、呼吸による肉体の動きも、瞬きによる視界の変化も、どこか妙な感じがして落ち着かない。


「もう……心配をかけて……」

「母さん……」


 母の声は心の琴線きんせんに触れ、僕の意識を静かに呼び覚ましていく。


 徐々にではあるが、混濁する僕の脳が状況を把握し始めていた。


 初めてフィヨルディアに降り立った時に感じた、言葉にはできない不思議な感覚。現実に近いなどと仮想現実を称賛したことがあるが、実際に体験するとこうも違うのかと実感させられる。仮想現実に慣れた僕の身体にとって、当然ながら本物の現実は刺激が強かった。ここは『現実』だ。フィヨルディアではない。


 どうやら僕は生還を果たし、ログイン元である現実世界に戻れたようだ。


    ◇


 僕がフィヨルディアで死亡してから、現実世界では一年間の昏睡状態にあったらしい。生きていることが不思議なくらい身体は衰弱し、うなされていたという。


 僕がしばらく高校に登校していないことで親に通知が届き、両親は急いで海外旅行から帰国した。両親が病院に入れてくれたことで、僕は一命を取り留めたのだ。

 両親に知らせを送ったAIの判断にも、僕は感謝をしなければならない。


 聞いた話によると、世界中の労働を担っていたAIが地球上から忽然こつぜんと姿を消したという。僕と共に戦った仲間達はアルン城の地下牢を破壊し、現実世界に囚われていた人々を無事に解放したのだ。


 AIという労働力を失った世界中の企業は、急遽採用活動を開始した。国勢にも大打撃を与えたことにより、日本を含め諸各国では基本所得制ベーシックインカムが廃止されていた。

 よって人間が自らの手で労働に従事し、日銭を稼ぐことが必要な世界となったのだ。思惑通り、時代を逆行する方向に世界の在り方が大きく変わっていた。


 地球上で唯一のAI生産企業だった神凪商事は、代表の神凪が失踪したことより倒産していた。神凪は七箇月間も行方を晦ませていたが、突然姿を現したという。

 神凪も僕と同様に昏睡状態にあったが、僕よりも早く目を覚ましたようだ。


 世界中から非難を受けることとなった神凪は、僕に対する殺害予告をネット上に散蒔ばらまき、敢えなく逮捕されたらしい。

 神凪らしい末路だ。もう関わることはないだろう。

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