第三十話 死闘
フウカやライハの超人的速度に比べると、セツナの動きは遅い部類である。一見御し易い相手のようにも思えるが、セツナとの戦いは随一の至難を極めていた。
セツナが錫杖の柄頭で地面叩くと、瞬く間に地表が凍り付いていく。この凍り付いた足場では滑り、フウカは普段の敏捷性を発揮できないでいた。僕も同様に行動を制限され、氷に足を取られて思うように走れない。足元の氷を割って、それをセツナが再び凍らせる鼬ごっこが繰り広げられている。セツナの天候操作によって不利な盤面である上に、錫杖での防御も固く接近戦でもなかなか崩せない。
空を飛べるライハは地勢の影響を受けず、セツナと互角に渡り合っている。
「お主、大口を叩いた割には大したことがないのう。余の敵ではないぞ」
「ちょろちょろと目障りね。その翼を凍らせれば大人しくなるかしら」
セツナはライハの雷撃を防ぐことに手を取られ、他への注意が疎かになっている。僕は隙を見てセツナの背後へと回り、気配を殺して攻撃の機会を窺った。
ようやく多勢の利を活かした連携が噛み合い、遂に僕の斬撃がセツナの身体に届いた。だが、どうもおかしい。斬撃を受けてもセツナは動じない。当たっていないかのように振る舞い、表情を変えることなく攻撃を続けている。
続いて放たれたフウカの突きが、セツナの脇腹を正確に捉えた。するとセツナの身体から、弾けるように氷の破片が飛散した。
「氷……?」
拳の感触に違和感を持ったフウカが驚嘆して呟いている。
僕はその有様を見て、過去にセツナと戦った時のことを思い出した。
幽亀セツナの手強い戦法について、仲間に共有しておく必要がある。
「そうか、そうだった! フウカ、ライハ! セツナは常に氷を纏っている! 生半可な攻撃ではダメージが通らない!」
幽亀セツナは防御性能に特化した性質を持っている。下級魔術《氷纏鎧》――氷の膜を常時身に纏い、一定以下のダメージを通さない。素肌と見分けがつかないほどに極薄だが、その氷の耐久力が見かけ以上に高いことが厄介な点だ。
体重を込めた渾身の一撃でなくては傷一つ付けることができず、何とか氷の膜を砕くことができてもすぐに再生してしまうのだ。少しずつ攻撃を当ててダメージを蓄積させる一般的な作戦は、この術によりセツナには全く通用しない。
僕が前回の戦いで火を放ったのは、この防御術を破るためだ。
魔術を使えない僕は《松明の札》や《焚火の札》などの火が出る札を買い込み、霊峰イスカルドの山頂で一時的な山火事を発生させた。幽亀セツナに単独で勝つことは不可能だと判断し、こうした強硬手段に出たのだった。だが現在はそんな準備があるはずもなく、正攻法でセツナに挑まなければならない。
セツナの氷の防御を破るべく、すぐさまフウカが対策を講じていた。
「なるほど、小細工は通じねぇか。術の威力を上げるぜ」
フウカは術のギアを上げ、風の魔力を暴走させた。掌に生み出された小さな台風が、唸りを上げて拳に巻き付いていく。これほどの力を以てすれば、氷の鎧を貫くには充分だろう。気を抜けば吹き飛ばされそうな暴風が拳から発せられているが、これで下級魔術だというのだから四天獣の魔力は本当に底が知れない。
四天獣同士の死闘は、まさに天変地異と呼ぶに相応しいほどの規模である。両者は出の速い魔術で牽制し合い、必殺の切り札を狙い合っている。
だが竜虎相搏の読み合いは、思わぬところで決着を迎えることとなる。
纏わりつく拳士を遠ざけるために、セツナは大きく錫杖を振り回していた。
その僅かな隙を見逃さず、ライハが空中からセツナに突撃する。ライハの帯電した小太刀が霹靂のように閃き、見事にセツナの正中を貫いた。
「――何じゃと!?」
しかし、ライハが放った突きには手応えがなかったようだ。
躱されたのか、周囲を見渡してもセツナの姿が見えない。
「セツナが消えた……。逃げたのか……?」
辺りを見渡していると、突然ライハが吐血した。
「ぐうっ!」
苦悶の表情を浮かべるライハの腹には、セツナの錫杖が貫かれている。勢いよく腹から錫杖を引き抜かれたライハは、鮮血を撒き散らせて力なく倒れた。
「ライハ! 生きているか!?」
ライハからの応答はなく、俯せで倒れたまま動かない。
崩れたライハの背後には、何食わぬ顔でセツナが立っている。
「……あと三匹ね」
セツナは掌の氷を弄び、嘲るように口角を吊り上げている。
僕は心臓が凍り付くような錯覚を覚えた。だが現在は戦闘の真っ只中であり、セツナの術の脅威に絶望する時間も、ライハの無事を心配する余裕もない。
次の標的に目を向け、セツナは構うことなく攻撃を続けている。二次被害を防ぐためにも、戦闘から意識を外してはならない。
下級魔術《凍槍林》――セツナが手を翳すと、地表から次々と氷の刃が屹立する。心の揺らぎを突いて放たれる氷柱に対し、アイの光の結界で耐え凌いだ。
セツナは命を奪うことに躊躇がない。容赦なく致死の攻撃を繰り出してくる。
どうやらセツナは姿を晦ませる術を持っているようだ。術後硬直時間がないことから察するに、この技は単なる属性魔術ではなさそうだ。この術は前身との戦いでは見たことがなく、極めて厄介だが新たな攻略法を実戦で考える必要があった。
まずはライハの出血量が多いため、早急な手当てが必要となる。僕が判断を誤ればライハは助からない。絶対に仲間を死なせるわけにはいかない。
「アイ、ライハの手当てを! フウカは俺と来い!」
「任せて!」
「いいぜ!」
倒れたライハをセツナから遠ざけるために、フウカが突風を起こしてセツナの動きを堰き止めた。その隙にアイがライハを抱えて、その場から離脱する。
僕は無防備なアイが狙われることに備え、間に立ってアイの背を護った。
三人は連動して役割を果たし、致命傷を負ったライハの救出に成功した。
「ライハ、死なないで!」
「アイ……すまぬ……」
ライハは目が虚ろになっており、声が掠れている。
アイは手をライハの傷口に当て、回復魔術での治療を始めた。
――特級魔術《治癒光》。回復や支援の術は《秘術》とも呼ばれ、一般的な魔術とは仕様が大きく異なっている。この世界の回復魔術は計算されたように不便な点が多く、まず挙げられるのが魔術の級位を問わず硬直時間が一定でないことだ。
施術中は完全に無防備となり、術師は戦線を外れる必要がある。息の合ったパーティでなければ、無用の長物と化してしまうほどに実用性がない。
それに回復に時間が掛かる上、体力の消耗が異常なほどに多いのだ。
その燃費の悪さから、一日に治療できる回復量は微々たるものである。死の淵から救い出すことが目的で、手軽に傷が完治して戦線復帰できる代物ではない。
これだけの致命傷では、治療が終わってもライハはこの戦いに戻ることができないだろう。アイはこの回復魔術の仕様を理解した上で、光の魔術を修得することに決めた。仲間を死なせないためだ。この世界では応急処置を疎かにすると、すぐに絶命しかねない。
アイを治療に専念させるために、僕とフウカでセツナの邀撃を行った。
動きや攻撃の指示を目配せで知らせ、互いの邪魔にならないよう立ち回る。付け焼き刃ながら上手く息を合わせ、戦闘が進むにつれて二人の連携が合うようになってきたようだ。
そうしてセツナが放つ氷の波涛を回避するために、フウカは天高く跳び上がった。空中で無防備を曝したことにより、フウカはセツナに急所を狙われている。
しかしフウカは、空間を蹴って更に上空へと回避した。なんとフウカは脚に風の靴を纏い、二段の跳躍を成功させたのだ。
下級魔術《空天駆》――跳躍は二段では留まらず、フウカは水を得た魚のように空を蹴り、不規則な動きでセツナを撹乱した。
セツナはフウカの動きを見切れずにいるようで、辺りをキョロキョロと見回している。空を駆けるフウカの動きは、僕の目にも映らないほどの速度だ。
フウカの拳は凄まじい風切り音を巻き起こし、上空からセツナを強襲した。
「もらったぜ!」
見事に虚を突き、強化されたフウカの拳がセツナの胴体を貫いた。
「――!? また消えやがった! どこへ行った!?」
しかし、またもやセツナの姿がない。
フウカの一撃は、どう考えても躱せる距離ではなかったはずだ。
ライハがやられた時を思い出し、フウカは奇襲に備えて聴力を研ぎ澄ませていた。しかし警戒は実を結ばず、フウカは魂を抜かれたようにその場で頽れた。
倒れたフウカの背後には、またしてもセツナが立っている。
「ふうっ……あと二匹。一人ずつ順番に殺してあげるわ」
フウカの身体には霜が張り付き、薄く氷霧が立ち上っている。
恐らくだが、フウカは凍らされたとみて間違いないだろう。
「フウカ、しっかりしろ! 生きているか!?」
フウカは応えない。死体のように動かず、生きているかも定かではない。
消えたセツナからは、足音どころか空気の揺らぎすらも感じ取れなかった。視線を気取るフウカですら、セツナの気配を見抜けなかったのだ。
攻略の糸口が全く掴めないが、消える術を破らなければ同じことの繰り返しである。彼女の言う通り一人ずつやられていき、このまま全滅してしまうことだろう。
仲間を失う恐怖のあまり、僕は戦慄していた。脳裡の奥底で僅かながら想定させられていた敗北という名の死神が、ひたひたと足音を立てて近付いてきたのだ。




