第十七話 協力
しばらく暴れた後にフウカは落ち着きを取り戻したが、僕は彼女に距離を取られている気がする。何を言っても素っ気ない態度を取られ、あろうことか目も合わせてくれない。
霊峰の頂上を訪れた目的を話すと、フウカは呆れるように嘆声を零していた。
「お前、霊峰の奥地へ行くって言っていたな? ここが霊峰ロルヴィスの山頂だ。この先に進める道なんてねぇぞ?」
霊峰の番人たる四天獣といえど、奥地の存在は認識していないようだ。
「自分の山なのに知らないのか? 更に奥へ進めるんだぞ。行ってみな?」
現実世界の常識で考えれば、特に険しい山岳を除いて一方の斜面からしか登頂できないなんてことは有り得ない。斜面は四方に広がっているのだから、周囲ぐるっと全ての方向へ下山できると考えるのが妥当だろう。
フウカの知識は製作者によって狭められたものだが、人格を宿す現在であれば実物を見せることで彼女の中の常識を覆すことができるかもしれない。
「はぁ? 先へ進めるわけがないだろう……」
フウカは頭を掻きながら指定された場所を一歩踏み出した。すると罠に掛かったように身体をビクッと震わせ、唖然として立ち竦んでいる。
「えええぇ!? 進める! なんで? 凄い!」
フウカが驚くことは当然の反応だと言えるだろう。どう考えてもこの先は進めるように設計されておらず、本来ゲーム上では進入不可能な場所であるからだ。
転送機ラズハによって開かれた舞台裏の存在は、NPCの目にどう映っているのだろうか。例えば地球の内部には地上と同程度の空間があり、そこで生活している人がいると言われて僕は信じられるだろうか。
だが信じるか否かではなく、実際に存在していることをこうして目の前で突き付けられている。天動説が罷り通っていた時代に地動説が証明された時の如く、是が非でも受け入れるしか道はないのだろう。
「フウカ、遠くに街があるのが見えるか? 俺達はそこへ行きたいんだ」
「へぇ、世界って広いんだな。霊峰にあたしの知らない場所があったなんて……」
フウカは昂奮の眼差しで新たな世界を見渡している。既に疑心を投げ捨て、眼前に広がる事実を受け入れることに舵を切ったようだ。
「フウちゃんも一緒に来る?」
「アイ! あたしも行くよ! 楽しそう!」
アイの呼び掛けにより、フウカはあっさりと同行を決断してくれた。いつの間にここまで仲良くなったのか、アイとフウカは肩を組んで笑っている。
正直、フウカが帯同してくれるのは心強い。この山の魔獣はフウカの指揮下にあるからだ。魔獣に襲われる心配がなくなれば、アイの安全は保証される。
「君が来てくれるなら心強いよ。フウちゃん、行こうか」
「お前がフウちゃんって呼ぶな!」
「うぐっ!」
アイが言い始めた渾名を僕が使ってみると、フウカから強めの蹴りが飛んできた。その蹴りの威力をみるに、やはり僕はフウカに嫌われているようだ。
◇
霊峰の地勢は、頂上までと頂上以降で著しく難易度が異なっている。ここから先はゲームの範疇か否かの違いがあり、下山のための登山道は存在しない。
僕達は新緑が包み込む回廊を歩き、倒木で作った筏で河川を渡り、土中に埋まった隧道を掘り起こし、蔦を伝って足場のない段丘を越えていった。
進むごとに厳しくなる地形。険路に次ぐ険路。まさに千荊万棘の道。意図して創られた場所ではないはずだが、まるで侵入者の行く手を阻んでいるようだ。
しかし、そんな妨害は無駄だ。今日は強力な助っ人が味方してくれている。
フウカは知られざる抜け道を次々と見つけ出し、どんな地形でも工夫を凝らして攻略していった。数々の難所を平然と突破し、道なき道を難なく突き進み、今まさに新たなマップを開拓しているところなのだ。
「ここはあたしに任せな! アイはあたしの背中に乗れ!」
「フウカ、アイを落っことすなよー! アイを運んだら、次は俺を運んでくれ!」
「はいはい、わかったよ」
フウカが同行してくれたことは僥倖であった。進行不可能だと思われていた険道でも、フウカと一緒なら越えることができたのだ。フウカの跳躍力は崖路を物ともせず、どんなに高い絶壁をも駆け上がった。そそり立った岩壁を越えるため、この世界にピッケルはないのかと探し回った過去が懐かしく思えてくる。
魔獣が現れようとも、フウカの鶴の一声で追い払っていた。少女のような見た目でも、フウカが魔獣の長であることに変わりはないようだ。
二人には気付かれないように抑えたが、僕の心臓は高鳴り続けていた。
フウカのお陰で、ここ数年間行ってきた自力での探索を無に帰す速度で進むことができているからだ。
四天獣を全て討った後、僕は人生を懸けて霊峰の奥地に挑み続けていた。何度も失敗を繰り返し、気が付けば三年間もの月日が流れてしまっていたのだ。
あと少しで、念願である人跡未踏の地へと辿り着くことができる。遂にその試みが果たされるのかと思うと高揚が止まらない。
しかし、そう簡単に物事は進まなかった。
健脚を披露していたフウカの足がピタリと止まったのだ。山頂から麓までの距離を考えると、あと五分ほどで下山できるかと思っていた時のことだった。
「フウカ……? どうかしたのか?」
「これは……あたしでも無理だな。遠すぎる」
「え……?」
深い樹林が広がっているかと思いきや、目の前に現れたのは巨大な大地の裂け目だ。大きく地上を削り取ったように、切り立った崖が進路を塞いでいる。目を凝らしても霧を纏った闇が広がるのみで、どうしても対岸を見渡すことができない。
行き止まりのようにもみえるが、フウカには対岸が見えているようだ。迂回できる道もなく、この崖を越えなければ向こう側へ辿り着くことはできない。
「フウちゃんには向こう岸が見えるのね。どうしたらいいのかしら……?」
「残念だが進めるのはここまでだ。フウカが越えられないなら手立てはない」
平静を装ってみたが、僕は酷く落胆していた。いっそのこと飛び降りてみようかと自暴自棄になっていたが、眼前の崖を見て僕は正気を取り戻した。
深淵を覗き込むと、パラパラと落ちた小石が音もなく虚空に吸い込まれていく。もし身を投げようものなら、どう足掻いても助からない高さだ。
ゾッと背筋が凍り、思わず身震いをしてしまう。これが現実ならば身を乗り出すことさえできないことだろう。
「あたしの友達に空を飛べる子がいるぞ。協力してくれるか聞いてみようか?」
ここまでかと踏破を諦めかけた時、フウカが思い付いたように言い放った。
「……え? フウカにも友達がいるのか?」
突拍子もないフウカの台詞に、僕は驚いてしまった。
「お前と一緒にするなよ。あたしにも友達ぐらいいるよ」
「へぇ、どこの誰だ? 森の熊さんだとか言うんじゃないだろうな」
「バーカ、違ぇよ。ライハとホムラっていうんだが、二人とも空を飛べるから崖なんかは容易く越えられるだろう」
「…………えっ…………」
僕は唖然として言葉が出なかった。フウカが挙げた友人の名称について心当たりがあったからだ。四天獣であるフウカが口に出したからには間違いないだろうが、事実を確かめるべく僕はその正体について尋ねた。
「フウカ、その友達のことだが……まさか、閃龍と煌凰か?」
「おう、知っているのか。まぁ知らない者はいないよな」
「ああ、悪い意味で有名人だからな……」
フウカが生き返ったと知り、もしや――と虞を抱いていた。
ライハとホムラは、フウカと同じく四天獣だ。雷雲を駆ける巨龍――閃龍ライハ。炎を身に纏う不死鳥――煌凰ホムラ。両者共、空を飛べる上に遠距離攻撃が強く厄介な魔獣だった。仲間になれば頼もしいが、もう敵としては戦いたくない。
「まずいな……あいつらまで生き返ってしまったのか。……もしかして、ライハとホムラも人の姿なのか?」
「当たり前だろ。昨日は三人でアルンへ行って、一緒にご飯を食べたよ」
ライハとホムラも人間の姿で蘇ったようだ。もうわけがわからない。
だがそんなことよりも、続いた言葉の衝撃が凄まじかった。
「え……アルンに来たのか? 三人で一緒にご飯を食べた? ボスキャラともあろう四天獣が根城を離れて? 正気か……?」
「はぁ? ボスキャラってなんだよ。あたしらだって、ずっと山に籠っていたら暇だからな。アルンにはよく行くし、三人でよく遊んでいるよ。昨日は三人で集まって、エンマルクの岩の上で日向ぼっこをしていたな」
「…………えぇ…………」
僕は再び愕然として言葉を失った。
AIの進化の歪みがこんなところにもあったようだ。僕が一箇月間フィヨルディアを離れている間に、とんでもないことが起こっていた。
魔獣の王たる四天獣が蘇り、好き放題に街を出入りしていたというのだ。フウカはケロッとした顔で答えていたが、これはゲームの根幹を揺るがす大事件だ。
北海道の羆が山を下りてきて、街中のコンビニを利用しているようなものである。アルンの住人がこのことを知ると、一体どうなってしまうのだろうか。
そして、今朝に《転送の札》が使えなかった理由が判明した。その要因は紛れもなく、蘇ったフウカが山頂で寝ていたからに他ならない。本来ボスキャラである四天獣が健在では、霊峰への《転送》の術式が機能するはずがないのだから。《転送》が可能だった昨日までは、フウカが偶然にも霊峰ロルヴィスを留守にしていたのだろう。
度重なる新事実との出会いにより、既に僕の頭は混乱していた。
「一度アルンに戻ろう。フウカも一緒に来てくれるか?」
「あたしも行くよ。アイとは友達だからな。間違ってもエイタについていくわけじゃないからな!」
「はいはい、わかったよ。明日には、ライハかホムラに会わせて欲しい」
「いいぜ、あいつらなら協力してくれるよ」
「フウちゃん、ありがとう!」
フウカが仲間になったことにより、《転送の札》に描かれた術式が復活していた。これでアイを無事に帰すことができると思うと、肩の荷が下りた気がした。
そうして《転送の札》を高々に掲げ、僕達はアルンへと戻った。
霊峰奥地の探索は厳しく、ちょうど独力の限界を感じていたところだ。四天獣の力を借りられる日が来ようとは、僕は一抹も考えたことがなかった。




