第十四話 遭難
一匹目のウルヴを皮切りに、下山への道中はたびたび魔獣に襲われた。魔獣の巣窟――霊峰ロルヴィスはかつての異名を取り戻し、侵入者の僕に牙を剥く。
アイを護りながらでは満足に戦うことができない。基本的に魔獣との遭遇を避け、遁走に重きを置くことを余儀なくされていた。
しかし数ある魔獣の中で、遭遇してしまうと容易には逃げられない種が存在する。角が生えた猪《ガールル》は、その内の一種だ。下級魔獣に分類されるが、回り込んで退路を断つという嫌な性質を持ち、群れを成すことも厄介な点である。
更に、ガールルを束ねる中級魔獣《ボスガールル》も現れていた。
こいつはそこそこ強いが、実は狙いどころなのだ。親玉を倒すと群れが崩壊する習性を利用し、真っ先にボスガールルを倒して危機を脱した。
魔獣の生態をよく覚えているお陰で、今のところ窮境には陥っていない。
しかし、問題は魔獣の有無だけではなかった。自分の知るルートから道を外れたため、僕は現在の居場所がわからなくなっていた。進むにつれて風籟が大きくなっていることは気のせいだろうか。どれだけ進んでも正しく下山できている実感がなく、歩いている道が登りか下りかの判断さえつかなくなっている。
こういった状況を、遭難している――と呼ぶのだろう。
『逆に登頂を目指せ』だとか、『沢を下るな』などという教訓を耳にしたことがあるが、仮想世界にも当て嵌まるとは到底思えない。
アイを危険に曝してしまったことに僕は責任を感じていた。最悪のタイミングで誘ってしまったことを後悔していた。魔獣が復活しているなんて知っていれば、こうして霊峰にアイを連れ出すことはなかった。悔やんでも悔やみ切れないが、いくら悩もうとも時間は巻き戻らない。
僕は気を引き締めて霊峰の大自然に挑んでいた。命を預かる者としての責務を果たさなければならない。アイを無事に帰すまで、気が気でない時間が続いていた。
一方で、アイは僕の焦燥とはかけ離れた心境でいるようだ。鼻歌交じりにスキップをして、初めて体験する出来事の数々に目を輝かせている。アイの疲労を気に掛けていたが、音を上げることなく平気な様子である。
更には魔獣に怖じ気づくこともなく、僕を魔獣討伐に煽動していた。なかなか度胸のある子だ。もしかすると戦いに向いている気質なのかもしれない。危機的状況にも拘わらず、この非日常を楽しんでいる。
僕のレベルは上限値である九九九。剣術スキルを極め、数多くの剣技を修得している。そうであるにも拘わらず、下級魔獣であろうと戦いを避けることには理由がある。フィヨルディアはラズハの使用を前提とするソフトではないため、世界を仮想現実に変換することの齟齬が発生し、あらゆる設定に制限が掛かってしまうのだ。
地上技、対空技、空中技、奥義――と、ステータス上では様々な剣技を会得しているが、ボタンの連打で発動するモニター上でのログインとは異なり、現在置かれている仮想現実の状況ではそれを再現することができない。己の意志で剣を振り、身体の動きを駆使して戦わなければならないのだ。よって多対一では戦闘の難度が跳ね上がり、下級魔獣でさえ僕を破る可能性を秘めている。レベル九九九であろうとも盤石ではなく、多勢に無勢であり気を抜くことができないのだ。
それでも僕は無数の戦闘と死を経て、ゲームシステムに頼ることなく剣の道を極めた。太刀を自在に操り、僕はこの身一つで四天獣を打ち倒すまでに至った。
もし現実世界に存在したならば、如何なる銃火器を用いても斃せないであろう魔王をこの手で討ち滅ぼしたのだ。フィヨルディアでは剣豪を名乗っても許される実力があるだろうと僕は自負している。
但し振るう剣術は仮想世界の魔獣にのみ特化した自己流であり、現実世界で剣道を始めても僕の技巧は全く通用しないことだろう。だが魔獣が相手ならば、僕は世界最強の達人だ。積み上げた死体の数は一万や二万ではきかない。実戦経験の数に裏打ちされた動作により、百戦百勝を確実なものとしていた。
少し時間を要したが、戦いの勘を取り戻してきたようだ。もう魔獣を相手に梃子摺ることはないだろう。これ以上アイを不安にさせるわけにはいかない。
僕はアイが怖がることがないように、時折何気ない会話を挟むようにしていた。
アイはいつでも楽しそうで、ずっと笑顔を絶やさない。アイの心の余裕は焦る僕を勇気付け、集中を切らせることなく前へと進む活力を与えてくれた。
「アイ、休まなくて平気か?」
「うん、平気。でも、ちょっとお腹が空いたかな」
今は昼餉の時間帯であり、アイの空腹は予測済みだ。
ちょうど木陰に建つ四阿が目に入ったので、僕達は中へ入り腰を掛けた。
そうして食料系統の札を一種類ずつ持ち、手札をアイへ差し出した。
「食事にしようか。アイ、どれがいい?」
アイは僕の持つ手札の内容をじっくりと確認しながら弁当の札を選んだ。弁当ルーレットに飽きたのか、特に求められることはなくアイは札を選択していた。
「これは食べたことがないわね。これがいい」
「《から弁》か。シンプルで美味しいぞ。俺もこれにしよう」
札を翳すと弁当が具現化した。容器に御飯が敷き詰められ、その上に海苔、昆布、鶏の唐揚げが乗っている。見た目はよくできている。美味しそうだ。
「こうやって外で食べるのもいいね。ピクニックみたい」
「そうだな。外での弁当は格別だろう。こうしてアイと霊峰探索ができて俺も楽しいよ。辺りの警戒は俺に任せて、ゆっくり食べるといい」
「エイタ、ありがとう!」
アイは嬉しそうに唐揚げを頬張り、またもや頬を食べ物で膨らませている。
周囲の警戒を怠ることなく、僕も一緒に弁当を楽しんだ。
◇
食事を終えて休憩していると、僕はすぐ近くに魔獣の気配を感知した。
ガサガサと乱暴に草木を掻き分ける音が聞こえてくる。
「次から次へと……」
気配の方向に目を向けると、複数の魔獣が争っているのが見て取れる。魔獣の一団は闘争に夢中で、こちらには気が付いていないようだ。
魔獣を纏めて葬ってやろうかと思ったが、僕はその姿を見て踏み止まった。
虚構の腕で首を掴まれている感覚に襲われ、無意識に呼吸を止められている。
「アイ……声を出さないように……」
「…………」
アイは僕の指示通りに声を発することなく頷いた。
確認できる魔獣は三体。風の化身《ヴィン》、暴れ狂う大樹《スコグ》、漆黒の獅子《レーヴェ》。どれも特級魔獣に分類し、これまでの雑魚とは比較にならない強さを有している。特級魔獣は滅多に遭遇するものではなく、現れても単独であることが基本だ。しかし、目の前には三体もの特級魔獣が睨み合っている。
特級魔獣が平気で群がる魔境――それが霊峰ロルヴィスという場所なのだ。
特級魔獣に遭遇すると、運が悪かったと諦めるしか道はない。それが霊峰の掟であり、僕の経験則から導き出された答えである。だが長年の努力の末、一対一なら特級魔獣と戦えるよう僕は己を鍛え上げた。レベルは既に上限値に達したが、自由に身体を動かせる仮想現実なら幾らでも実力を伸ばすことができるのだ。
それでも、相手が特級魔獣にもなると戦闘は一対一が鉄則となる。基本的に全ての攻撃が一撃必殺であり、二体を同時に相手することは無謀であるといえよう。
「アイ、ここにいては見付かってしまう……。場所を変えよう……」
「ふふ、わかったわ」
「アイ、楽しそうだな」
「何だか冒険って感じで楽しいわ。エイタと一緒なら魔獣なんて怖くないもん!」
「心強いな。実はもうすぐ山頂なんだ。せっかくだから行ってみようか」
「うん! 行く!」
アイは僕の声量に合わせて小声で返事をしてくれた。純粋に登山を楽しむアイの笑顔は緊迫した空気を和らげている。
僕達は魔獣に気付かれないよう足音を殺してその場を離れた。
意図して進んできたわけではないが、現在地は山頂付近である。この四阿を目印に登頂していたことがあるので間違いない。下山しているつもりが、逆に登ってしまっていたらしい。ここまで僕が方向音痴だったとは情けない限りだ。
しかし、これは怪我の功名だといえよう。山頂まで辿り着けたなら、下山のルートに迷うことはない。それに下り坂を利用して山道を全速力で走れば、帰り道は魔獣を無視して駆け抜けられることだろう。




