第十三話 遭遇
霊峰ロルヴィス。
ここは富士の樹海によく似た、広大な密林地帯だ。生い茂る巨樹に針路を惑わされ、方角を読み取ることに難儀する。
登頂難度を示す特徴といえば、遭遇する魔獣の数である。四つの霊峰の中でも魔獣の密度が突出しており、かつては歩行も儘ならなかったことを思い出す。休む間もなく魔獣に取り囲まれ、常に戦闘を行いつつ登山する必要があったのだ。
そんな魔獣との死闘も、今となっては懐古の思い出である。魔獣のいないロルヴィスは、のんびりと風景を楽しめるほどに穏やかとなっている。
「…………」
しかし登山道を進み始めて数分が経った頃、僕はある違和感を覚えていた。有り得るはずのないことではあるが、誰かに見られている感覚が確かにしたのだ。
僕は何者かの気配を感知し、周囲を広く見渡した。気のせいか張り詰めた空気が漂い、サラサラと風に擦れる葉叢の音が不気味な囁き声を上げている。
「アイ、警戒をしてくれ。何かがいる……気がする……」
「……え? 何がいるの?」
――アイに警戒を促したのも束の間、突然ガサガサと大きな音がした。
音に従って咄嗟に振り返ると、背後の林の中から何かが飛び出してきた。
「ガルルルルッ!」
「きゃあ!」
「――アイ!」
僕はアイの前に立ち、向かってきた何かを太刀で追い払った。そして、現れた影の姿を見て戦慄した。大きな牙と爪、獰猛な気性を体現する唸り声。
「こいつは……」
なんと――現れたのは魔獣だった。
茶色の毛並みを持つ狼が、ご自慢の牙を見せ付けている。
「エイタ! 大丈夫!?」
「俺は大丈夫だ。アイは下がっていて」
魔獣が現れたことに驚いて反応が遅れてしまった。四天獣を葬ってから三年もの間、これまで霊峰で魔獣を見たことがなかったのだから。
太刀を常備しておいてよかったと、心の底から身に染みて感じた瞬間だった。
魔獣は種によって階級がわけられている。下級、中級、上級、特級の順に強さを増し、山頂に近付くにつれて魔獣の数と級位が上がっていく。
襲い掛かってきた魔獣の名前は《ウルヴ》。下級魔獣に該当し、さして脅威ではない。但しウルヴには群れる性質があるため、仲間を呼ばれる前に片付けなければならない。久し振りの戦闘だが、アイを危険に曝すわけにはいかない。
僕は腰の太刀を抜き放った。二尺の刀身が陽光に反射し、キラリと光芒を閃かせる。三年間眠らせてきた無銘の相棒も、やる気は充分のようだ。
僕は剣術スキルを修め、この太刀で数え切れないほどの魔獣を屠ってきた。
再び披露できる日が来ようとは思いもしなかったが、落ち着いて戦えば勝てない敵はいない。単体の下級魔獣が相手とは、戦闘の肩慣らしにも丁度良い。
相手の出方を窺っていると、ウルヴは様子見なしで猛然と飛び掛かってきた。ラズハによって魔獣が具現化されているため、戦闘の圧迫感はなかなかのものだ。
とはいえ、攻撃の予備動作やタイミングは級位が低い魔獣ほど単純でわかりやすい。一対一での勝負であれば僕が後れを取ることはないだろう。
襲い来る爪の連撃を躱し、僕は擦れ違い様にウルヴの脇腹を斬り払った。
斬撃による傷口から臓物が零れ、ウルヴの赤々とした血液が空中に飛散する。
痛々しい創痍を見せつけられたのも束の間、苦悶の表情を浮かべたウルヴは罅割れたようなエフェクトに包まれ、ガラス片のように粉々に砕け散った。
魔獣を斃すと死体が残らず、命を失った肉体は塵となって霧散するのみ。
魔獣の生命溢れる姿、与えた傷痕に対するリアリティに対して、死した時の安っぽいゲームエフェクトには差異を感じさせられる。
だが実際にリアルな魔獣の死骸を見せられても困るので、この相違にはむしろ助かっている。お陰で生物を殺める罪悪感が薄れ、ゲームに没頭できるのだ。
「ふぅ……」
周囲に魔獣の気配はなくなった。耳を澄ませると、辺りはシンと静まり返っている。どうやら先ほどの魔獣は一匹狼だったようだ。とりあえず助かった。
パラパラと舞うウルヴの残滓が、数枚の札へと姿を変えていく。
札には《ウルヴの肉》、《ウルヴの毛皮》、《ウルヴの牙》――と、様々な名称が書き綴られている。これは魔獣からのドロップアイテムだ。札で発生するため、腐敗や腐食の心配がないところはとても良い仕様だと思う。
魔獣に怯えて隠れていたアイは、勝利を喜んで駆け寄ってきた。
「エイタは強いね! でも……魔獣ってもういないんじゃなかったの……?」
「俺も驚いたよ。まさか魔獣がいるなんて……。一度アルンに戻ろうか」
「えー、もう帰っちゃうの?」
「今日のところはな。危険があると旅を楽しめないだろう?」
「そうね……。残念だけれど、仕方がないわね」
アイは残念そうに口を窄めている。せっかくの二人旅だが、これも仕方がないことだ。どうして魔獣が復活しているのかはわからないが、このまま進むのは得策ではない。霊峰に魔獣がいるのであれば無理をせずに引き返すべきだ。
ウルヴが単独で行動することは珍しく、先ほど倒した個体は群れの斥候である可能性が考えられる。僕にとっては容易い相手だが、アイが帯同している状況で囲まれると最悪の事態を招き兼ねない。それに、僕も戦闘に関しては三年間のブランクがある。上級以上の魔獣が現れた場合、上手く立ち回れるとは限らないのだ。
ドロップアイテムを拾い、僕はアイを促して方向転換をした。現在は《転送の札》を使用できないため、自らの足で霊峰を脱出しなければならない。ところが来た道を引き返そうとして間もなく、既に判断が遅かったことに気付かされた。
「うっ……!」
「エイタ、どうかしたの?」
森の中から獣臭が漂っている。やはり先ほどの個体は群れの一匹だったようだ。
麓の方向で待ち伏せをされており、このまま進めば取り囲まれてしまうことだろう。戦闘を避けるためにルートを変え、遠回りをして下山しなければならない。
「アイ、ちょっとごめんよ」
「え――」
僕は強引にアイの小さな身体を肩に抱えた。説明している時間はない。
稜線と平行に獣道を駆け抜け、追ってくるウルヴの群れを撒いた。




