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夢幻の灯火  作者: 辻 信二朗
第三章 蘇りし聖域の番人

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第十二話 出発

 朝食を食べ終えると、僕はアイに《転送の札》を手渡した。アイは当然ながら札を使ったことがなく、受け取った札を不思議そうに眺めている。


「これは……何……?」

「これは《転送の札》といって、行ったことのある場所へ瞬時に移動できるアイテムだよ。これで霊峰ロルヴィスの山頂まで、あっという間に辿り着ける」


《転送の札》の効力が及ぶ範囲はゲームの領域である各霊峰の山頂までとなっており、その先の奥地へはどうしても自分の足で進まなければならない。


「わたし、霊峰ロルヴィスなんて行ったことないよ」

「俺の手を握って札を使えば、共に効果が得られるよ。ほら、手を――」


 手を差し出すと、アイは気恥ずかしそうに僕の手を握った。アイの手の温もりと共に、少女の緊張が手汗となって僕の手に伝わってくる。


 僕とアイは《転送の札》を天高く掲げ、目を閉じて霊峰ロルヴィスの山頂を思い浮かべた。すると緑色の魔法陣が足元に現れ、光と風が二人を包み込んでいく。


 ――しかし、ブブーという不思議な警告音が微かに耳に届いていた。


「…………あれ?」


 目を開けると目的地に着いているはずであったが、僕達は広場のベンチから移動していなかった。

 天にかざした《転送の札》は、虚しく二人の手に握られたままである。


「どうしてだろう……《転送の札》が使えない……」

「エイタ、もしかして、わたしの手を握りたかっただけじゃ……」

「ち、違うよ!」


 微かに聞こえた警告音は、そのアイテムが使える状況にないことを示している。

《転送の札》が使えなかったことは、今までに一度もなかったことである。


「仕方がない、歩いていくか……」

「わたし、エンマルクも初めてだから歩いてみたかったのよね!」

「おっ! エンマルクという名称をよく知っているな!」

「アルンの外の原っぱのことでしょう? いつもエイタが話してくれたじゃない」

「そうだな。エンマルクはやけに広いから、疲れたら言うんだぞ」

「うん、わかった!」


 やはりアイは、僕が八年間延々と一方的に話していた内容を記憶している。


 僕達が初めて心を通わせた翌日の朝、アイは真っ先に霊峰への同行を僕に求めていた。NPCであることのかせから解放されて自由に動けるようになってから、アイは僕と共に街を出る日を楽しみにしていたのだろう。


 表情を見ただけでも抑え切れない昂奮が犇々と伝わってくる。僕がこれまで話してきた霊峰の大自然を、アイはこれから望み通りに体験することとなるのだ。


 そうして僕達はエンマルクへと繰り出した。《転送の札》を使うために握った僕の手を、アイはしばらく放そうとしなかった。


    ◇


 エンマルクは無駄に茫洋ぼうようで、ゲームとしての作りの粗さが如実にょじつに感じられる。


 アルンから各霊峰のふもとまで約三十キロメートルの距離があり、《転送の札》がなければ移動だけでかなりの時間を費やしてしまうのだ。ここには元々魔獣がいないので、そもそも移動のために歩くしかやることがない空間なのである。

 それに加えて、草の間から露出する大きな岩々が歩行の邪魔をしている。風車や小屋といった配置物が散見されるが、用途はなく特に見どころはない。


 しかし、今日は隣にアイがいる。それだけで、今まで気にしていなかった景色が色付いて見えた。友達の存在でこうも日常が華やぐのかと、僕にとっては新たな発見であった。アイと一緒なら、のんびりとエンマルクを歩くのも悪くない。


 アイはあらゆることに興味を示し、思ったことを口にしている。何かわからないことがあると、すぐ僕に尋ねてくるのだ。なぜ空は青いのか、風はどこから来るのか、配置物の用途は何か――と、知的欲求に駆られて何でも聞いてくる。


 上手く答えられない質問もあり、回答にお茶を濁す自分が情けなかった。僕が口籠くちごもっても、アイは期待の目を爛々(らんらん)と向けてくる。何気ない会話でも一頻ひとしきり盛り上がり、アイとの旅路は時間の経過を忘れるほどに楽しかった。


 少女の質問攻めが落ち着きを見せ始めた時、アイがきょろきょろと周囲を見回し始めた。次は何に関心が向いたのかと、僕は気になってアイに尋ねた。


「アイ、どうした? 何か気になることでもあるのか?」

「エイタ、最近はずっとロルヴィスへ行っているわね。他の山には行かないの?」

「そうだな……他の霊峰の奥地は、とてもじゃないが探索する気になれなかった」

「そうなの? あっちにある真っ白な山なんて、何だか楽しそうよ?」


 アイは北の方角にそびえる雪山を指している。あの雪嶺せつれいの名は霊峰イスカルド。個人的に禁足地だと認定しており、アイが求めても連れて行くことはできない。

 アイの好奇心を落ち着かせるべく、僕はの地の率直な感想を述べた。


「あそこは駄目だ。寒くて真面に歩けたものじゃない。それに視界が悪い上、地形が特に険しい。あまりに危険が多くて、一筋縄ではいかない場所なんだ」


 僕は苦い記憶を思い出し、無意識に顔を引きらせた。

 他を差し置いて、霊峰ロルヴィスの奥地に挑む理由は天候にある。他の三峰はロルヴィスとは異なり、たぐいまれなる異常気象に見舞われることとなるのだ。霊峰トルエーノは豪雨と落雷、霊峰ソルベルクは猛暑と噴火、霊峰イスカルドは極寒と吹雪――と、災害のような悪天候の中で異形の地形に挑まなければならないのだ。


「へえ、危ないのね。ロルヴィスは安全なの?」

「ロルヴィスはかつて、魔獣の数が一番多い山だったんだ。でも今は魔獣がいないから、何の変哲もないただの森だよ。それでも楽な道ではないけれど、他の山に比べればずっと安全かな。天候が安定しているのも魅力の一つだよ」

「なるほど、楽しみね!」


 比較的安全なロルヴィスでも、実際は何度も死に戻りを強いられている。

 今回の旅では、安直な行動を控えなければならない。僕が死んでしまうと、アイを置いてきぼりにしてしまうのだから。


 それに死んだはずの僕が何事もなかったかのように現れたら、アイを不用意に驚かせてしまうことだろう。そういった理由があり、死に戻りの件は気付かれないように気を付ける必要がある。僕が異世界人だということをアイが理解してくれているなら、知られても問題ない事柄なのかもしれないが――。


 アイと楽しく談笑をしながら歩いている内に、僕達は霊峰ロルヴィスの麓に到着していた。目の前には大きな鳥居があり、額束がくつかには《霊峰ロルヴィス》と達筆で書かれている。四方にある霊峰の麓にはそれぞれ同様に鳥居が立っており、これが魔獣の出現地帯を知らせる境界線となっている。いよいよここからが、フィヨルディアのボスである四天獣が待ち受けていた攻略エリアの入口なのだ。


「…………」


《転送の札》を使わずに徒歩で霊峰を登るのは久々なので、僕は山頂で戦った魔王との戦いを追憶ついおくしていた。フィヨルディアを統べる魔獣の王――四天獣の一角にして、神のように頂上にいます白銀の猛虎。再戦は絶対に御免だが、あの美しい威容を二度と見ることができないのは残念でならない。


「エイタ……? どうかしたの?」

「……こうして麓から登ることが懐かしくてね。頂上にいた強い魔獣のことを思い出していたんだ。四天獣――颱虎たいこフウカ。街の平和を脅かす魔獣の王だ」

「へぇ……でも、もういないんでしょう? エイタが倒したから」

「ああ。颱虎フウカを倒すと、森に棲む魔獣もどこかへ消えてしまった」


 僕はしのぶように遠くを見ていた。それぞれの霊峰を守護する四天獣をこの手で打ち倒すまで、幾度となく山を登らされた記憶が鮮明によみがえる。


 レベルを上げる作業が苦でなかったのは、魔獣との戦闘が楽しかったからだ。魔獣の行動の法則を読み取り、不遜ふそんにも僕は達人のように太刀を振るっていた。

 自力で鍛え上げた剣技を使う場面がなくなってしまったのは少し寂しいところだが、平和となった世界には必要のない技術であることは紛れもない事実だ。


「四天獣を皆、エイタが倒したのよね。でもエイタ、なんだか寂しそう……」

「い、いやそんなことはないよ。さぁ、登ろうか!」


 魔獣との戦いもこのゲームの楽しみの一つなんて言うと、彼女にとってはただの殺戮さつりくだと思われるかもしれない。不用意な発言はつつしむべきだ。

 そうして進行方向に目を向けて、僕達は登山への一歩を踏み出した。

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