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夢幻の灯火  作者: 辻 信二朗
第三章 蘇りし聖域の番人

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第十一話 団欒

 宿屋の一室で横になったまま、僕はしばらく考えにふけっていた。ずっと心に引っ掛かっていたことがあり、考え抜いた末に僕はある結論に達した。


 フィヨルディアにログインしているプレイヤー、つまり現実世界の人間は僕の他にいないということだ。


 現在のフィヨルディアには、かつてのNPCのように定型文だけを話す者はいなくなっている。与えられたプログラムから逸脱(いつだつ)してNPCが人格を形成できるとは思えないが、事実としてアイや他のNPCには感情があり、自ら考えて行動しているように見える。発する声の速度、抑揚(よくよう)相槌(あいづち)端々(はしばし)にみえる表情まで、もう現実世界の人間と区別がつかないほど円滑(えんかつ)に意思の疎通ができている。


 以前僕に話し掛けてきた髭のおじさんは、僕が発したゲーム用語を全く理解できていなかった。つまりは恐らく彼もまた、AIが進化したNPCだったのだろう。


 更に言うと現実世界のネット掲示板で一切フィヨルディアに関する記事がないことが、この世界にプレイヤーがいない何よりの傍証ぼうしょうだと僕は考える。


    


 僕とアイは違う部屋に宿泊するようにしている。旅寓アイアイはどの部屋にもベッドが一つしかなく、アイが恥ずかしがって眠れないと言ったからだ。


 朝になって僕が部屋の扉を開けると、隣の部屋の扉も同時に開いた。

 ギイィ――と錆びた蝶番ちょうつがいきしむ音に釣られて目を向けると、隣の部屋からアイがこっそりと顔を出している。


「エイタ、遅いわね。エイタと同じ時に扉を開けようと、ずっと待っていたのよ」

「なんでわざわざ、そんなことを……」

「早く朝ご飯を食べに行こう!」

「俺、朝はあまり食べない派なんだが……」


 いつも通りのことだが、アイは僕の異議申し立てに聞く耳を持たない。

 アイは僕の手を握って、無理矢理に外へと引っ張っていく。


「さぁ行くよ! ルイエもまたね!」

「アイさん、行ってらっしゃい!」


 アイは笑顔でルイエに手を振り、受付台の少女もまた笑顔で手を振り返している。初めはルイエに素っ気ない態度を取っていたアイだが、現在は仲良くしているようだ。朝早くに少女二人で談笑している様子を、僕は実際に何度か目にしている。データ上の姿とはいえ、アイに同年代の友達ができたことが僕は嬉しかった。


 そんな少女達の感情溢れる仕草を見て、既に僕はNPCに対して幸せを願うようになっていた。心を通わせることができる以上、こちらも身を入れて接してしまうことは当然のことだろう。


    ◇


 宿屋の前にある広場のベンチで弁当を食べるのが毎朝の習慣となっている。

 NPCが意思を持つようになって、飲食店の開店時間が遅くなったためである。


 自らの店舗を持つNPCは自分の睡眠時間を優先するようになり、気の向くままに店の営業をしている。かつてはどこの店も太陽が昇ると同時に開店していたが、今では日本と変わらない早朝の静けさがアルンを満たしている。


 家屋への侵入も、鍵が掛かっていて今はできない。昔は入れる家をくまなく調べ、タンスの中を探ったものだ。置物の壺を割ってアイテムを探したことだってある。


 古惚ふるぼけた木造のベンチに腰を掛けると、アイは僕を見詰めて掌を擦り合わせている。アイは恒例の遊び、《弁当ルーレット》を僕に求めているのだ。僕は食料系統の札を一種類ずつ持ち、札の束を掻き混ぜてアイの眼前に差し出した。


「さぁ、どれがいい?」

「……これ!」


 アイは意気揚々と端の札を引いた。しかし引いた札がお気に召さなかったのか、その表情にはかげりが見られる。


 続いてアイは何食わぬ顔で先ほど引いた札を僕の手札に戻し、再び札を選び取った。二度目に引いた札を見たアイは、みるみる表情を緩ませていく。


「やったぁ! 《うな弁》ね! 今日は運が良いわ!」

「よ、よかったな……」


《うな弁》は、うなぎが入った豪華な弁当だ。《のり弁》の価格が十リオであるのに対し、《うな弁》には百リオもの強気な値段が付けられている。高価な弁当だが、弁当ルーレットの選択肢を増やすために仕方なく買うことにしている。


 アイは僕に弁当ルーレットという茶番をやらせるが、自分が気に入る弁当を引くまで何度でも引き直すのである。よほど気に入ったのか、最近はずっと《うな弁》ばかりを選んでいる。お陰で所持金の減少が著しい。


「俺は《しゃけ弁》でいいや」


 ログアウト中は《満腹度》の減少がないため、ステータスの観点でいえば夕食を食べた翌日の朝は食事を取る必要がない。

 更に、フィヨルディアで実際に感じる満腹や空腹などの知覚は、どういうわけか現実世界と密接に関わっているようなのだ。


 つまり現実世界ではつい先ほどに晩御飯を食べたところであり、それも手伝って僕の仮想の身体は空腹を一切感じていない。どういった仕組みであるのかよくわからないが、こうして実際に起きている現象である。


 とはいえ、これはあくまでゲームという概念の中での話である。そんな舞台裏を押し付けるのは可哀想なので、僕はアイの望むように食事を共にしている。


 僕は《うな弁の札》と《しゃけ弁の札》を翳し、弁当を具現化させた。

 弁当をアイに手渡すと、嬉しそうに手を合わせている。アイは健啖けんたんな子で、幸せそうにモリモリ食べている姿は見ていて気持ちが良い。


 アイの食事風景を眺めながら、僕は今後の行動について考えていた。

 アイとは宿と食事を共にするが、日中は別行動にしている。霊峰奥地の探索にアイを同行させるのは、万が一の事態を考えると危険だからだ。


 僕が旅に出ている間、アイはアルンに留まっている。そして夜に合流して、一緒に食事を取ることがフィヨルディアでの日課である。


 ところが最近、どうしても僕はアイと一緒に霊峰の探索がしたいと思うようになった。アイと一緒にいると時間の経過が早く感じるのだ。僕が独りで霊峰探索をしている時、隣にアイがいればと思うことがある。


 ある懸念があって、僕はアイを誘うことを躊躇ちゅうちょしていた。それは、アイの身に何かがあった場合に起こるであろう事象についてだ。プレイヤーである僕とは異なり、死亡したNPCがアルンの教会に戻れるとは思えない。つまりアイが絶命してしまうと、そのまま存在が消え去ることが考えられるからだ。


 だが僕はこの問題を、努力次第で何とかなるのではないかと考えるようになっていた。この世界に魔獣はもういないので、死を避けるには地形にさえ気を付けていればいい。僕が細心の注意を払えば、アイを護ることは充分に可能である。


「アイ、今日は俺についてきてくれるか?」

「……え? いいの?」


 アイは食べ物を頬に詰め込み、栗鼠りすのように顔を膨らませている。僕の言葉を聞いたアイは拳をグッと握り、口に含んでいたものをゴクリと飲み込んだ。


「急いで食べなくても、誰も盗らないぞ。ゆっくり食べな」

「やったぁ! わたし、どうしてもエイタと一緒に冒険へ行きたかったの!」

「よかったな、俺もアイと一緒に行けて嬉しいよ」


 握り拳を上下に振り、アイは踊るように身体を揺らしている。

 アイの喜ぶ姿は、初めて玩具を買ってもらった子どものようだった。

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