第九話 提案
翌日――。フィヨルディアの朝を迎えた。木漏れ日が窓から差し込んでいる。
昨日の出来事はゲームでもしっかりと反映されていた。ログアウトしてすぐに家のモニターを確認すると、眠りに就く3Dモデルのアイが映っていたのだ。つまりは昨日、アイが人間らしく振舞っていたことは夢や幻ではなかったということだ。
僕は大きく伸びをして、隣で眠っているアイの寝顔をじっくりと観察した。
覆い被さっていたはずの掛け布団は足蹴にされ、無残にも床へと放り出されている。布団の乱れを見るに、寝相はあまりよくないようだ。
アイの小さな身体は静止することなく、僅かながらゆっくりと動いている。
呼吸による横隔膜の動き、筋肉の弛緩、収縮。その挙動はあまりにも人間に近いように感じられる。微かに移ろう表情は、心を奪われるほどに可愛らしい。
モニター上のドット絵の集合体がこんなにも可憐な姿になるとは、この世界を体験できることの冥利に尽きるというものだ。
指で頬を突いてみたが、熟睡するアイが目覚める様子はない。とはいえわざわざ起こす理由もなく、放っておけば自然に覚醒して動き出すだろう。
眠る少女を起こさないように、僕は足音を殺してそっと部屋を出た。
「おはようございます! よく眠れましたか?」
受付台まで足を運ぶと、店主の少女が和やかに挨拶をしてくれた。
彼女の名前はログイン前にモニターで確認済みである。ルイエという名前だ。
部屋から出たのが僕一人であることを認識して、ルイエは怪訝な顔をしている。
「お連れ様は……?」
「まだ眠っているから寝かせてやってくれ。後で様子を見に来るよ」
「わかりました。〝部屋の清掃〟は後回しにしておきますね」
「ありがとう、ルイエ。それじゃ、行くよ」
「ありがとうございました。お気を付けて!」
ルイエの笑顔は眩しく、挨拶に続いて丁寧に頭を下げている。
僕はルイエの様子を見て、心に引っ掛かる違和感の正体を探った。
ルイエの挙動と言動を見るに、意思と情意を感じ取ることができるのは気のせいだろうか。それに『部屋の清掃』なんて台詞はこれまで宿屋の店主から聞いたことがない上、先ほど行われた会話は不自然なほどに滑らかだった。
店主になったばかりの彼女も、従来のNPCとは何かが違っているようだ。昨日のアイを彷彿させるような、AIらしからぬ挙措をルイエも同様に身に付けられているように感じられる。
まるで生きた人間のようだが、当の本人に野暮なことを言うつもりはない。
それについて言及することなく、僕は静かに宿屋を後にした。
◇
宿屋を出ると、昨日と同じく大勢の通行人が目に入った。彼らは一体何のために、こんな古いゲームにログインをしているのだろうか。フィヨルディアは現実の逃避先として訪れていたというのに、これでは元の木阿弥だ。
サービスが終了したゲームとはいえ、僕がこうしてフィヨルディアにいる以上は万人が同様にログインできる状況であることは疑いようもない事実である。
それにしても僕しか存在しなかった空間に現実世界の他人が現れることは、何だかまるで自宅に土足で入られたような遣り切れない気分だ。
僕は行き場のない不満を胸に、行き交う人波を呆然と目で追っていた。
「エイタ、待って。わたしもついていく」
小さな声に釣られて振り返ると、アイが目を擦りながら宿屋から出てくるところであった。アイは眠そうに目を細め、関節を鳴らそうと身体を伸ばしている。
「アイ、おはよう。部屋を出る時に起こしてしまったか。ごめんな」
「おはよう、エイタ。頬をツンツンされていた時、実は起きていたのよ」
アイは顔を膨らませて、自身の頬を突いている。
こうしてまた、アイと会話ができることが嬉しかった。
「ああ、ごめん。寝顔が可愛かったから」
「もう、またそんなことを言って……。ルイエとも仲が良さそうだったわね」
「いや、ただ挨拶をしていただけだよ」
「ふぅん、そうなの? ふぅん……」
アイは眉を寄せて、何かを疑うようにジロジロと僕を見てくる。
その豊かな表情は人間のようで、僕は思わず視線を外してしまった。
「今日はどこへ探検に行くの? わたしも一緒についていくね!」
「…………え!?」
「駄目……かな?」
僕は思わぬ提案に驚いてしまった。
アイと一緒に出掛けたいとは常日頃から考えていたが、まさか本当に街の外へ連れ出すことが可能であるなんて想像もしなかったことだ。
しかし、この申し出を易々と承諾するわけにはいかない。
アイとの同行二人は楽しそうだが、霊峰の探索にはどうしても危険が伴ってしまう。魔獣がいなくとも、理不尽な地形には僕も幾度となく殺されてきたのだから。
「今日も霊峰ロルヴィスへ行こうと思う。……ただ、霊峰奥地の探索は危険なんだ。残念だけれど、アイを連れては行けない……」
「そうなのね。わかったわ。エイタの冒険だもんね……」
アイは哀しそうに目を伏せて、わかりやすく表情を曇らせている。
物わかりが良いことには助かるが、落ち込むアイを見て放ってはおけない。
「そ、そうだ、服を買いに行こう。宿屋の制服のままだと動き辛いだろう? お代は俺が出すからさ。可愛い服でお洒落をしようぜ」
「服を買ってくれるの? 嬉しい!」
咄嗟の提案であったが正解だったようだ。アイの表情に笑顔が戻り、僕の服の袖を掴んでブンブンと振り回している。喜びを体現する方法もまた可愛らしい。
とりあえずアイの機嫌が直って、僕はホッと胸を撫で下ろした。




