妖精、魔法、信じるか信じないかはあなた次第(2)
「これで吾輩から貴様に、炎の魔法を貸与した。そして貴様はこれを以て、新たな浄化部隊長である」神聖なる玉座にて、サクランド国王は言った。その大きな手のひらは、金髪の男性――アレンの頭部に乗せられている。「誓う通り、決して、吾輩より先に命を落とすでないぞ」
「矮小なこの命に代えても、誓いを違えぬことを誓います」アレンは深々と頭を下げたまま言う。「かたじけなくも賜りし崇高なる神の力。浄化部隊を統率するという大義に報いるために、サクラ神教のために、我らが王国のために、神様のために、ただそれだけのために揮わせていただきます」
「わっはっは。邁進するとよい。では下がれ、吾輩は食事を摂る」
「はっ」
深々と一礼して、アレンは玉座の間を出た。側近を侍らせて、サクランド国王は私室に戻る。
食事を口に運び終えると、側近に食器を下げさせた。そして、そのまましばらく独りにしてもらうように伝えた。しんとした広い部屋で、国王は窓の外を眺め、嘆息する。
窓の外にはサクランド王国を囲む景観が広がっている。どれもこれも、国王である自分のもの――という風には、実のところ、考えていなかった。
「吾輩は王である前に神だ。そして神である前に、後継者なのだ」
自らに言い聞かせるように、国王はそう呟いた。その胸中には、自分の両親や祖父母の顔、言葉、想いがあった。
サクラ教は公的な神の誕生こそ数年前のことだが、集団としての歴史はそれよりずっと長い。数百年は遡らないといけないほどに、長い。かつて世界的にユプラ教がマジョリティだった時代にも、サクラ教の原型となる集団は存在した。今やサクラ教こそがマジョリティの椅子に座することができそうな状況だが、そこに至るまでには、言い切れないほどの努力があった。長い長い時間をかけたからこそ、サクランド国王の祖先達が地道ながら効果的な活動を根気よく続けてきたからこそ、現在がある。
建国資金にしたところで、一朝一夕でこさえたものではない。世代を越えて蓄積させてきた、いわば遺産の集まりだ。
だからサクランド王国の最初の統治者として、サクラ教の代表として、『神様』として――サクランド国王、エーデン・サクランドの肩に圧し掛かる重圧はすさまじい。
――そうだ、息苦しい。疲れる。だから、なんだと言うのだ。吾輩は王であり神だ。いつだって高らかに笑い、みなの衆に奇跡と威厳を見せ、身を粉にする戦士達の後ろで堂々と構えていなくてはならないのだ。
「わっはっは。わーっはっはっは! わーっはっはっはっは!」
ひとしきり笑い、頬を緩ませる。神は幸福そうであるべきである、そうでないと信徒も幸福を感じない。そう自らに刷り込みながら、私室の本棚の戸を開ける。
「吾輩には奇跡の力がある。果実の成る木を生やすこともできれば、清らかな水を生み出すこともできる。吾輩の下では誰も餓えず渇かない。吾輩には、はるか昔から託された……魔法の力があるのだ。吾輩だけにあるのだ! わっはっは!」
本棚には、古びた羊皮紙の本が何十冊も置いてあった。
それはすべて、遠い昔に魔導書と呼ばれていたものだった。
「簡潔に申し上げますと」リンボはライルハントを見つめて言う。「神様を作りたい、その神様の名のもとに人間を支配したい集団が、長い長い年月の末にやっと神を頂くことができた。それがサクラ教なのですが、その過程において邪魔なものは、その集団によって長い年月をかけて封印あるいは排除されてきたのです。最近は、ユプラ教の人間なんかも」
「人間を?」
「ええ。ユプラ信仰の地域が次々に滅ぼされているでしょう?」話題にそぐわぬ笑みを浮かべてリンボは言う。「世界中の対象地域が狙われてきましたし、今もそうです。シンガロング城も、あなたが生まれたラベル村もそのために襲われました」
「サクラ教の仕業だったのか。ふむ」ラベル村にいた頃の記憶がないため、その件については思うところは大してなかった。ライルハントは代わりに、シンガロング城の光景を思い出す。「でも、シンガロング城は妖精に守られていたんじゃないのか?」
「推測ですが、妖精が守っていたのは宝物庫だけだったのではないでしょうか。兵がいなくなってから、妖精達の意思で城そのものを守ることにしたのでしょう。……サクラ教が排除したのは人間だけではありません。その文字もそうです」
「どうして文字を封印するんだ?」
「昔のことが記録に残っていて、それを未来の人間に読まれてしまっては困るからですよ――たとえば、ユプラ神の偉業のこと。たとえば、魔法のこと」
「魔法?」ライルハントは部屋の隅の杖を見る。「たしか、ルスルとか言うのが言っていたな。あの杖で火を起こせたり水を出せたりできるのは、魔法っていう奇跡を起こす……あれ? なんだっけ」
「だいたい伝わりました。……その魔法という力は、数百年前には普通の技術だったのですけれど、サクラ教は長い年月をかけてその技術を絶やしたんです」
「でも、ルスルというのは炎の魔法を使えたぞ」
「ルスルという方はサクラ教の人間なのでしょう。そうですねえ、わたくしの言い方が悪かったかもしれないので正確に言うなら、サクラ教は魔法という技術を独占したのですよ。そして、魔法について記してあるような文書を後世に伝えられなくなるように、大量の人員を雇って、新たな世界共通文字を普及させた。何百年もかけて、何世代も経て、それは叶いました」
「なんのために?」
「人々がどうして神を神として認めるか。それは、普通の人には到底できないであろうことを目の前で完璧に行われた、人間を超越した存在であると信じさせられたからです。魔法が使えないのが当たり前で、そもそも魔法なんて知らない世代が、様々な奇跡を起こす存在を前にしたら、神様だと思ってしまうんです。サクラ教はつまり、当たり前だったはずの魔法という技術を、長い時間をかけて、神業に仕立て上げたんですよ」
聞いた話によると、サクランド国王は他人に自分の魔法技術を貸し出すことですぐに習得させることができるそうです――リンボは楽しそうな表情でそう言った。誰かにサクラ教について自分が知っていることを聞いてもらうのは、実のところこれが初めてだった。アリアは証拠のない話には興味がなかったし、エナはすぐに「そんなことはないんじゃないか、悪いように考えすぎじゃないか」と返すタイプだったから。
「では、どうしてあの杖は魔法の力を使えるんだろうな」
「それはきっと、ユプラ神の行いです」リンボは言う。「魔法の技術が絶えてしまうことを見越して、未来に遺したのです」
「こうなるってわかっていたのか?」
「そうではありません。むしろ、未来のことがわからなかったから、現状があると言えます」
「うん? ……どういう――」
「お待たせしました!」
溌溂とした声を上げながら、エナが入ってきた。その手にはトレイがあった。テーブルの上に置かれると、トレイに焼き魚とパンが載せられていたことがわかった。
「パンは買ったものなんですが、魚は頑張ってわたしが焼きました! お水も汲んできますね!」
さっさとエナは水を持ってくる。にこにことこちらを見つめるエナの視線を意に介さず、ライルハントは焼き魚を不慣れなナイフとフォークで切り崩し、口に入れた。
「どうですか?」
「美味しいぞ。脂が乗っていて、いい魚だ」
「本当ですか! やったあ、わたしってこういう目利き得意なんですよ!」
「そうなのか。すごいな、エナは。美味しい魚をありがとう」
「すごいなんてそんな、へへ」
幸せそうなエナを横目に、リンボは立ち上がって、
「話の続きはまた今度、ゆっくり聞かせますよ」
と言い、部屋を出て行った。
「リンボちゃんと、どんな話をしていたんですか?」
「ああ。魔法とか、サクラ教とか、色々と」と説明しながら、ライルハントの脳裏にひとつの疑問が起こる。「なあ、エナ」
「なんですか?」
「ユプラ神って、なんなんだ?」
「ユプラ神は、この世のすべてを見ることができる神様です。現在だけでなく、昔のことや未来のことを見通せて、人々に災害や事件などを警告して事前準備をさせてくれる素敵な神様――でした」
「……今は、そうじゃないのか?」
「その昔、ユプラ神の伝えた未来が初めて間違っていたことがあったんです。そしてそれ以来、正しい未来を伝えることはなかったと言われています」
「そうなのか。それでも、ユプラ教はなくならなかったのか?」
「長い間、ユプラ神の予言に救われてきたことは事実です。多くの命や生活が助けられてきました。だから、見限るなんて酷いだろうって思う人がいっぱいいたんです。子孫のわたし達としても、予言がなければ違う世界になっていたことは確実で、つまりわたし達が今ここにいるのはユプラ神のおかげだと考えると、感謝しないわけにはいきませんから。それに、いつか力を取り戻すかもしれませんしね」
「そうか。……よくわかったよ。ありがとう」
ライルハントが食事を美味しく終えると、エナは自分の家にライルハントを誘った。
エナの父親は別の場所で仕えており、家には今は優しい母しかいないため、楽しく遊べるだろうと思ってのことだった――部外者であるライルハントを外に出すことについて、『彼はエナが旅先で出会った信頼のおける友人であり、エナが招待状を書いて遊びにきてもらった』という説明で通すことにした。そのために招待状を偽造し、ライルハントに持たせて出発した。
もしかしたらエナは不用意だと叱られるかもしれなかったが、それでもライルハントが不審な侵入者として扱われるよりはいくらかマシだと思っての判断だった。
リンボとアリアの家からエナの家までの道中で、ライルハントが興味を示したため、市場に赴いた。住宅街から見て湖の向こう側に、それはあった。
ギラの町は海に面しているため漁が盛んで、別大陸にあるユプラ信仰の町との交易もしている。そのため、市場には魚介類を中心とした色々な食材が売り出されていて、長閑ながらも暑苦しい活気がある。
ライルハントの島にも実っているフルーツを見つけたため懐かしんでいると、エナが代わりに買ってくれた。ふたりで半分こをして食べながら、ライルハントが島での思い出を話すと、エナは熱心に聞き続けた。そうしているうちに市場を抜け、背の高い建物が多い区域に入った。ひときわ美しい建築物についてライルハントが訊くと、
「ユプラ教会です。わたしのお父さん、ここでスタッフをやっているんですよ」
「そうなのか。入ってもいいか?」
「え。いやあ、どうでしょう」
エナの父親は厳格で、娘が外部からきた男性と仲よく歩いているところを見たら、なんと言ってくるかわからなかった。色々と考えてみたが、やはり入らないほうがいいだろうと結論づけて、ライルハントには諦めてもらった。
住宅街に戻り、エナの家に入る。エナの母親はライルハントを見てびっくりしていたが、旅先で知り合った人だとエナが紹介すると、快く受け入れてくれた。ライルハントがラベル村で生まれ孤島で育った者だと知ってからは、なんだかより優しい瞳を向けるようになった。
「本当に、大変だったでしょう。ゆっくりしていってちょうだいね」
「ありがとう。エナは母親も優しいんだな」
「優しいよ。うるさいけど」
「それはエナがよく散らかすからでしょ。出したらしまいなさい、脱いだらたたみなさいって言ってるだけよ」
「ちょっと、そういうの今は言わないでよー!」
そんなこんなで、エナは自室にライルハントを入れる。
そして、あれはどこにやったっけ、と見渡して――どこにもないことに気がつく。
「ねえ、お母さーん!」
「なあに」
「わたしの部屋にあった大きな剣、どこかにやっちゃった?」
「ああ……言ってなかったっけ。お父さんが朝見つけて持ち出してたよ」
「えっ? 嘘! 旅の思い出なのに!」




