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サンナーラ、ひったくり犯、言うまでもないこと(2)



 奢るどころか、女性――マオはお金をまったく持っていなかった。聞けば、ついさっきお金の入ったカバンをひったくられてしまったのだという。サンナーラは十分なお金があることを確認してから、奢ることに決めた。マオの一日が流石に不憫に思えたので、せめてもの情けをかけることにしたのである。

「本当に、申し訳ありません」

「いいからいいから、お言葉に甘えてよ。おつまみはどれが美味しいの?」

「この、鶏肉の塩焼きと、イカの揚げ物と、焼きバナナが好きです」

「じゃあそれ二人前お願いしまーす!」


 どうやら個人経営の酒場のようで、あまり人気のない商店街にあるからか他の客は数えるほどしかいなかった。しかもそのうちのひとりは酔いつぶれてすやすやと眠っていたので、結果として静かで落ち着ける空間になっていた。マスターが料理を作るためにキッチンに入る背中を眺めながら、それにしても、とサンナーラは言う。


「どうしてマオみたいないい子が災難に遭わないといけないのかねえ。あなたは何も悪くないよ」

「あ、ありがとうございます……わたし、最近、本当に嫌なことばかりに遭っていて、そう言っていただけて嬉しいです」

「へえ。なんだったら話してみる? 聞くよ、愚痴」

「はい、じゃあ、お酒がきたら……あの、見苦しかったらごめんなさい」


 果たして、ふたりぶんのジョッキが置かれたとき、マオは自分のジョッキをぐいっと飲み干した。何かを壊そうとしているみたいな勢いで、サンナーラは思わず感嘆の声を上げてしまった。

「あ、びっくりしましたか。でも、本当、嫌なことがあったらがぶがぶ飲むのが一番よくて、よいんですよ」

「よくて、よいんだね」

「そうなんです。マスターもう一杯!」

「相変わらずよく飲むね」とマスターは苦笑した。


 それからマオは最近あった嫌なことを次々と話した。なんだかよくわからない宗教に誘われそうになって、無信仰でいたいのでと断ったのにしつこく言い寄られたこと。買い間違えで無駄な出費になることが三日で四度もあったこと。豪雨で楽しみにしていた予定がすべて潰れてしまったこと。潰れたと言えば、とお気に入りの服屋さんが潰れた件を思い出してまたマオは酒をあおり、運ばれてきたつまみを噛みしめた。


「わたしなんかセンスが変わってるんすかね、流行りの無地こそ正義で単純構造こそベストみたいなのつまんねえなと思うんすけど、そしたら行ける服屋が減ったんすよ。服なんて何か描いてあるのが一番かっこいいじゃないすか」

「あ、それすごいわかる! うちも流行りのすっきりしてて上品でしょうみたいなデザイン大嫌い、服装っていっぱい色々とあるのが一番かわいいのに!」

「わかりますか! 本当に……サンナーラさんの服たしかにあんまり見ない恰好ですね、いっぱい付いててキラキラで、自分のセンスがある人って感じで素敵っす」

「ええーありがとう! うちもマオの服、他の流行ってるのよりずっとお洒落だと思うよ!」

「サンナーラさん素晴らしい! 最高っすよ! 本当、なんでこのよさが一般に受け入れられないんだか。なんか陰謀っすかね」

「あはは。うち、こういうの増えてほしいとは思うけど一般に受け入れてほしいとは思わないなあ。ブームなんてクソくらえって需要がもっと増えてほしい!」

「かっこいいー! サンナーラさん大好きですよー!」

 ハイテンションで乾杯をして笑い合う。おつまみもお酒も追加で注文する。がぶがぶと飲み食いをしながら、嫌なでき事の話を再開する。


「で、直近で二番目くらいに心にきたでき事なんですけどね」

「おうおう。何があったの」


「幼馴染のお母さんが殺されたんすよ、強盗に。何度も話したことがある人なんで悲しかったっす」

「え、それは、辛かったし、びっくりしたよね。しんどいよね、知ってる人が死んじゃうの」

「はい、すごく、びっくりしたんですけど、……なんなんでしょうね、男の人って。なんで配偶者を亡くして割とすぐに別の女の人と仲よくなれるんでしょ」

「えー……もしかして、そのことのほうがショックだったの? それが一番嫌だった?」

「いえいえ、これは四番目っす。……幼馴染もそのことが受け入れられなくて、っていうか実子ですから余計に複雑だったんでしょうね。それでわたしに色々と吐き出してくれてたんすけど。ある日、結婚指輪を託されたんすよ」

「結婚指輪? 幼馴染さんの、ご両親の?」

「そう。で、何かって訊いたら、それはお母さんが嵌めてたものなんだけどお父さんが新しい人に譲る約束をしてしまって、なんだかお母さんが可哀想でならないから失くしたことにしたい、幼馴染とはいえマオのところまで探そうとはしないだろうからマオが持っていたらバレない、って。断る理由がないですし、受け取って、カバンに入れたんです」

「そうなんだ」


「渡されたの、今日なんですけど。夜まで幼馴染と遊んで解散して、ひとりで歩いていたらカバンごと、財布と一緒にひったくられたんですよね」


「え……ええ? 盗まれちゃったの?」

「はい。これが一番嫌なことです。どう顔向けしていいかわからない……ぐううふう、うええ、わたし、わたしがちゃんと、してなかったからこんなことに」

 マオは泣き始める。アルコールで赤くなった顔を、さらに赤くする。サンナーラはカバンから清潔な布を取り出してマオの涙を拭く。よしよしと頭を撫で、抱きしめ、あなたは悪くないと言い聞かせて慰める。


 心配になるほどの杯数に達したとき、少しふらふらとしているマオが、そういえばなんすけど、と言った。

「思ったことがあるんすよ」

「何?」

「ひったくり犯と、さっきのわたしを襲おうとしてた人達、組んでたのかもしれねえっす」

「それは……どういうこと?」サンナーラは眉を顰める。


「ひったくり犯を必死で追いかけたんす、指輪が、入っていたから。……そうしたら、どんどんと人気のないところに……不安だけど、止まれないから走っていたら、急に、横から強く、ぐいって腕を引かれて。さっきの、男達に捕まったんすね。あとはサンナーラさんの知る通り……改めて考えると、ひったくり犯に都合がよすぎる偶然じゃないかって」


「つまり、ひったくり犯もあいつらも得をするように仕組まれていたというわけ。そんなの酷すぎる」

「そうかもしれない、というだけですけれど……そうだったら、これからひったくりをされても、追いかけちゃいけないのかなって、思ってしまって、そしたら、どうしたらいいんでしょう」

 盗賊のサンナーラからすれば、それが計画的な流れであることは明らかだった。みんなが得をする作戦、とでも思っているのだろう。そのせいで、マオが今後の選択肢を削られる。むかむかと腹が立ってくる。


「明日、うち、そのひったくり犯をとっちめる。特徴覚えてるだけ教えてよ」

「え、でも、わかるんすか。場所が」

「質屋はもう閉まっている時間。次に開くのは早朝。ひったくり犯はそのとき売りさばきにのこのこやってくるはず。そこを、うちが成敗する」サンナーラはそう言い切って、不敵に笑う。「大丈夫、道具の数なら誰にも負けない」



 ふたりは酒場を出て、民家の前に辿り着く。マオは足取りが覚束なくなっていたので、サンナーラが送ることになったのだった。

「ここ、マオの家?」

「はーい。ありがとうございます……」

「それじゃあ、明日の夜、酒場で待ち合わせね。忘れないでね」

「……あの、サンナーラさん」

「どうしたの、マオ」

「サンナーラさん、どうしてそんなに強くて、はっきりしてるんですか。生まれたときからそうだったみたい」


「……いや、子供のときは、うち、むしろ気弱なほうだったよ」サンナーラはマオの頭を撫でながら言う。「意思も弱かったし、他人に暴力を振るうなんて何があってもやっちゃいけないって思ってる女の子だった」

「じゃあ、……どうして、そんなに強くなったんです」

「傷ついたから。弱くて従順じゃあ男の食い物にされるって知ったから」サンナーラは言った。


「昔、攫われて、夜通し犯されたことあるんだ」


「……え」

「犯人はもう死んでる。近所のすごく力の強いお姉さんが、朝になって助けてくれた。攫われるときうちの両親は殺されちゃったから、それからはそのお姉さんに優しく保護してもらって。稽古もつけてもらったなあ。だから、うち男の人は大嫌いだし、あのお姉さんくらい強い女の人でありたいって思ってるんだ」


 サンナーラは悲しむ様子もなくそう言い切った。だからこそ、マオは、なんと返せばいいのかわからなくなってしまった。同時に、助けてくれたときに言っていた『女の子を欲望の捌け口としか見てないような男が一番許せないから』という言葉の重みに気がついて、すっかり胸が苦しくなった。

 それでも黙り続けているのも申し訳がなくて、必死に口を開いた。

「……ごめんなさい、生まれたときからそうなんて言って」


「気にしないで。それより、マオも覚えていてね」サンナーラは微笑む。「しっかり言いたいこと言って嫌なこと嫌って言って、それが通せるくらいの力を蓄えて。誰のどんな捌け口にもされないように」

「は、はい」

「それから、これはお姉さんが言っていたことなんだけど。弱いことは罪じゃないからね。強くあれないこと、強さが足りないこと、それって悪いことじゃないよ。結局のところ唯一悪いのって、強くないと切り抜けられないような加害をしてきた馬鹿なんだから」


「……わかりました。ありがとうございます」

「どういたしまして。それじゃあ、また明日ね」

 マオがふらつきながらも自宅に入るのを見届けて、サンナーラもきた道を戻った。昔のことを思い出して、ひどく嫌な気持ちになったり、とてもやる気を出したりしながら。



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