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私を目の敵にする成績優秀な平民に「ざまあみろ」と蔑まれたので、婚約者を奪ってやることにした〜お前のような平民に公爵令息は渡さない!〜

作者: 桜城恋詠

「ざまあみろ」


 バケツをひっくり返したような、魔法で生み出した大量の水をぶち撒けられて床に這いつくばるメルティアは、呆然と水をかけてきた少女を見上げる。


 ──魔法学園Magic Ark(マジックアーク)


 魔力を持って生まれた15歳〜18歳までの子どもたちが、身分問わず学ぶ学び舎。

 この場所では、本来であれば虐められるはずなどない高い身分の人間が、優秀な成績を収める身分の低い者に虐められるケースが相次いでいた。


 ──魔法学園の中に一歩入れば、優先されるべきは身分ではなく実力だ。


 魔法学園から一歩外に出れば、身分通りの生活を余儀なくされる。

 この学園内だけでは身分の違いなど一切考慮されないのだ。


 身分の低いものにとってこの学園は、成績優秀でさえあれば我が物顔でふんぞり返る最初で最後のチャンスだった。


 学園の外で虐げられても、学園の中で虐げてやればいい。


 大人になった時、「身分の高い者を虐めてやった」と声高らかに宣言すれば、成績優秀であるとアピールできるから。


 魔法関連の就職面接にも有利なのだ。


 身分の低い者にとっては、身分の高いものを虐めることはステータス。

 身分の高いものにとっては、身分の低いものに虐められることは人生の汚点だ。


 メルティア・ライツーン公爵令嬢は、平民のアンリエッタ・ミクスワンツから学園内で虐めを受けていた。


 メルティアは彼女から虐めを受けることに関して、なんの反発もしなかった。


 どうせ一歩学園の外に出れば、関わり合いにならない少女だ。


 せいぜい学園内でふんぞり返っていればいい。二度とメルティアの人生に関わらないでくれるなら、何をされても黙って耐え続けるつもりだった。


 アンリエッタはメルティアの愛する男性を、学校内で一番の成績を収めた褒美に求め婚約をしている。


 アンリエッタが勝手にメルティアの愛する男性──レイム・スエユク厶公爵令息を求めただけで、彼はアンリエッタのことなど愛していない。


 二人が相思相愛ならば、メルティアは彼を求めたりなどしなかった。


 レイムの姿を見ると、自然に目で追ってしまうメルティアの姿を見て、アンリエッタはメルティアから彼を奪おうとしたのだろう。

 そうでなければ、学園内で1位になった褒美に彼の婚約者になりたいなどと言うはずがない。


 アンリエッタは、メルティアを目の敵にしている。

 不幸のどん底まで陥れるまで徹底的に虐め抜くつもりなのだ。


 ─それでも構わなかった。彼の自由意志を奪い、無理矢理婚約者の座に収まるまでは。


「あんたはそうやって床に這いつくばっているのがお似合いよ!」


 アンリエッタは高笑いを教室内に響き渡らせると、そのままメルティアの前から姿を消した。


 メルティアを不幸のどん底に陥れる。


 その為だけに彼と婚姻したいと願い出ただけで、アンリエッタが彼を好いているわけではないのがますますメルティアを苛立たせる。


 メルティアだって立場としてはアンリエッタと似たようなものだ。

 真実の愛を誓いあったわけでもなければ、話をしたこともない。


 メルティアが一方的に好きなだけ。


 片思いなのだ。


 アンリエッタからレイムを奪った所で、メルティアが彼と相思相愛になれると決まったわけではない。


 ──それでも。


 水浸しになった廊下をじっと見つめ即席の熱風を生み出したメルティアは、自身の身体を乾かしながら決意する。


 ──貴女が学年一位であることを引けらかして、レイム様の自由を奪うのならば。


 私にちょっかいなど掛けなければよかったと思うくらい。


 酷い目に合わせてやる。


 熱風はやがて、メラメラと教室内に燃え盛る炎になった。


 メルティアの姿を見ている生徒が居たならば、火事になると大騒ぎしていただろう。


 メルティアは決意した。


 必ず、アンリエッタとレイムを婚約破棄させ──メルティアこそがレイムの婚約者となるのだと。


 それも無理やりではない。


 しっかりレイムと気持ちを通わせた状態で、だ。

 彼にメルティアを好きになって貰う為、メルティアは何でもするつもりだった。


 彼が望むのならば、身体を使ってもいい。


 アンリエッタから「ざまあみろ」と言われた数日後──。


 メルティアはレイムを自らのもとするべく、彼の様子を物陰から窺っていた。


 ──レイム様……。今日も素敵だわ……。


 太陽の光に反射して、キラキラと光る銀の髪に鋭い目つき。


 男性らしいがっしりとした身体付きは、一度でいいから抱きしめて貰いたいとメルティアが考えるのも無理はないほど素晴らしい。


 世間一般的な観点から見ればイケメンや美男子と呼ばれる部類のレイムは、アンリエッタと婚約する前から女性達に大人気だった。


 アンリエッタが学園で一番の魔術成績を収め、婚約を結んだことによってレイムを求める女性は激減したようだが……未だに水面下では、根強い人気を誇っている。


「殿下〜!」


 レイムはこの国の王太子と立ち話をしていたが、アンリエッタがその場に姿を表すと別れの挨拶を口にしてその場を後にした。


 アンリエッタは、王太子のことが好きなのだ。


 ──王太子を好きならば、レイム様と婚約なんてしなければいいのに。


 メルティアへの嫌がらせしか考えていないから、ああも堂々とキャピキャピと笑顔で婚約者の存在を無視して王太子へ言い寄れるのだろう。


「アンリエッタ……」

「殿下!このあとお時間ありますかぁ?アンリ、殿下とお勉強したいですぅ」

「君は僕よりも、レイムに話しかけるべきではないのかな」

「レイム様とはいつでもお話できますもん〜アンリはいまぁ、殿下とお話したいですし、お勉強したいですぅ!」


 メルティアはアンリエッタと王太子の存在は無視して、その場を後にしたレイムを追いかける。


 メルティアは早急にアンリエッタと王太子からは見えない場所で、正面からぶつかる必要があった。


 レイムへ普通に声をかけた所で、会釈を返すことはあっても話が弾むことはないだろう。


 彼は女嫌いの節がある。


 婚約者になったと公衆の面前でお披露目した際のツーショットで、アンリエッタが腕を組もうとした彼女の腕を強引に振りほどいたくらいだ。


 メルティアは彼に警戒されないように偶然を装い体当たりして、無理やり会話を続ける必要があった。


 ──さあ、行くわよ。


 メルティアは意気込むと、真正面から彼の元へと歩いて行き──偶然を装って彼の腰辺りを目掛けて勢いよくぶつかって行った。


「……っ!?」

「──ライルーン公爵令嬢?」


 メルティアはレイムにぶつかった直後彼から身体離そうとしたが、肩を掴まれてレイムから身体を離せない。


 呆然とするレイムと目を合わせれば、彼がメルティアの肩を掴む手が強まった。


 むしろ逞しい胸元まで、メルティアを抱き寄せて来る始末だ。


 一体、どんな風の吹き回しなのだろう?


「レ……っ。スエユク厶公爵令息……!?」

「怪我はないか」

「は、はい。スエユクム公爵令息が、私を抱き留めてくださいましたので……。私は無事です。スエユクム公爵令息に、お怪我はございませんか」

「怪我をした」

「な、なんと……!申し訳ございません!今すぐお手当を!」


 屈強な肉体を持つレイムは、メルティアがぶつかった所で怪我などするわけもない。

 メルティアは会話をもっと続けるためにレイムを急いで保健室へ連れて行こうとするが……。


 彼はけしてメルティアの両肩から手を離すことなく、強く抱きしめ続けている。


「ライルーン公爵令嬢自ら、俺に手当をしてくれるのか」

「私……?」

「俺はずっと怪我をしている。心に、怪我を負ってしまったんだ」

「心、ですか……?」

「そうだ。ライルーン公爵令嬢。俺の心を、治療してくれないか」


 レイムの心を治療?


 なんのことだかさっぱり理解できないメルティアは、彼の胸に身体を押し付けられるがままこくこくと頷いた。


 それを了承と取ったレイムは、花が咲くような笑顔を浮かべてメルティアにお礼を言う。


「ありがとう」

「……っ!?」

「流石は、俺の愛した女性だ。もう二度と、離したくはない……」


 メルティアを抱きしめる男は、あの氷魔法が得意な女嫌い。


 レイム・スエユク厶公爵令息であるはずなのだが──花が綻ぶような笑顔を見せた上、メルティアを愛した女性と称した。


 ──これは夢なのかしら?


 メルティアは呆然としながらも、思いを告げるならば今しかないと覚悟を決めて彼へと告げる。


「……わ、私も……。ずっと前から……。スエユク厶様をお慕いしていますわ……」

「本当か」

「私……。スエユクム様がアンリエッタさんの物になってしまって……とても後悔しましたの……。もっと早く気持ちを伝えるべきだったと……」

「俺があの女に心を奪われるわけがないだろう。周りが俺の意志を無視して勝手に決めた婚約だ。俺が律儀に守る必要がなければ、あのような女を俺が好きになるわけがない。俺はあの女のものにはならないと、お前に誓おう。あの女との婚約は即刻破棄する」

「スエユクム公爵令息……」


 どうやら、夢ではないらしい。


 レイムはメルティアの頬に顔を寄せると、優しい口づけを落とす。

 唇同士の口づけではないのが不満だが、レイムは形式上アンリエッタの婚約者だ。


 唇へのキスは不貞行為として認められてしまうだろう。


 レイムが即刻婚約を破棄すると大口を叩くなら、少しの間だけ唇への口づけをお預けすればいいだけの話だ。


 これからメルティアは、アンリエッタからレイムを奪う。


 けれど本来、メルティアはレイムと両片想いだったのだ。


 メルティアからレイムを奪ったのはアンリエッタで、メルティアはレイムを取り返したのだと知るのは──アンリエッタとメルティアだけでいい。


「婚約破棄をするに当たって、お願いがありますの」

「愛する女性の頼みだ。俺に叶えられることならば、なんだって聞こう」

「本当ですか?では、私の言う通りに。私達の仲を引き裂く邪魔者へ痛い目合わせる為には──」


 メルティアはレイムに、耳元でアンリエッタへ恥をかかせるための作戦を提案する。

 レイムは愛する女性との仲を邪魔したアンリエッタに思うことがあるらしく、メルティアの提案に二つ返事で乗ってきた。


 ──ふふふ。今に見ていなさい。


 メルティアは、自分がやられて嫌だったことをレイムと協力し──アンリエッタに仕返しするべく、その時を待った。


 *


 メルティアとレイムは18歳となり、学園を卒業する日がやってきた。

 卒業式も兼ねた夜会に出席したレイムは、婚約者のアンリエッタではなく、メルティアを連れて会場に姿を見せる。


「な……」

「どうなっているんだ?スエユク厶と婚約しているのはミクスワルツだろう?」

「王太子様のエスコートを受けていたわ……」

「きっとなにか理由があるのよ」


 王太子の腕に纏わりついて、すでに会場に姿を見せていたアンリエッタはこちらを睨みつけている。


 どうやら、周りに取り繕う暇もないほど苛立っているようだ。


 王太子が居なければ、未開封のボトルジュースを投げるアンリエッタの攻撃により、メルティアのドレスはボトルジュースの赤黒い色に染まっていたことだろう。


「アンリエッタ・ミクスワンツ。貴様との婚約は解消した」


 レイムの言葉は夜会に出席していた同期の卒業生達をざわつかせた。


 この学園において成績上位者は絶対だ。身分よりも優先される。

 一位になったものは、学園の中だけでは王族のような扱いを受けていた。


「あ、アンリはトップの成績を収めた首席だよ!?同期の中では一番偉いんだから!」

「つい数時間前までは、確かにそうだったかも知れませんね」

「メルティア・ライツーン……!」


 メルティアが口を出せば、アンリエッタがわなわなと震える。

 憎くて仕方ない人間が涼しい顔をしていると知ったからだろう。


 ──馬鹿なひと。


 メルティアはアンリエッタに向かい淡々と今まで我慢していた当然のことを口にし始めた。


「私達は卒業式にて卒業証書を受け取った卒業生です。すでに私達は、この学園から巣立った身。いつまでも学園内の身分が通用するとは思わないことです」

「口の聞き方がなっていない女と、一時でも婚約者を名乗っていたかと思えば虫酸が走る」

「レイム……!」

「俺の名を気安く呼んでいいのはメルティアだけだ」


 レイムとアンリエッタは婚約者だったが、関係は冷え切っていた。


 レイムにとってアンリエッタは、メルティアに思いを伝える上で邪魔な存在だったのだ。

 学園内では身分ではなく学園の成績で序列が決まるためアンリエッタに面と向かって告げることはしなかったが、ずっと目障りで仕方なかった。


 レイムの言葉を聞いたアンリエッタは、レイムに向かって叫んだ。


「な、なんで!?どうしてそんな女を選ぶのよ!」

「メルティアは美しく、優しい心の持ち主だ。平民である貴様に一度くらい花を咲かせてやろうと手を抜いていただけに過ぎない。彼女が本気を出せば、貴様など足元にも及ばないだろう」

「な、なにそれ!?馬鹿にしてんの!?」

「学園在学中は貴様のお遊びに付き合ってやったが……卒業した以上は、貴様とのお遊びに付き合ってやる必要性を感じない。俺たちを拒む壁はもうないからな。アンリエッタ・ミクスワルツ。貴様との婚約は、この学園を卒業した時点で破棄されている。俺は貴様の婚約者ではなく、メルティアの婚約者だ」


 レイムの宣言を聞き、王太子の腕に纏わりついていたアンリエッタはわなわな震えた。


 彼女は王太子から手を離すと、顔を真っ赤にして拳を振り上げる。

 人前で手を上げようとするなど、相当頭に血が上っているらしい。


 視界の端でレイムが拳を握りしめる姿を見たメルティアは、黙ってアンリエッタの拳を頬で受け止める気など更々なかった。


「殴るの?公爵令嬢を?」

「……っ!ここではアンリが女王よ!」


 メルティアの冷え冷えとした声が、アンリエッタの拳を止める。


 身分の違いはしっかり染み付いているのだろう。


 どんなに優秀でも、本来であれば平民は気軽に公爵令嬢とタメ口で話せるような身分ではない。


 公爵令嬢を平民がいじめるなど。絶対にあってはならない蛮行だ。


 学園内なら何をやっても許されるが、学園の外で手を出せば最悪の場合は罰として命を落とすことになる。


 その葛藤が、アンリエッタを止めていた。


「レイム様の声が聞こえなかったのかしら。卒業証書を受け取った時点で、身分の別け隔てなく学園で生活する日々は終わったのよ。私達の身分は公爵──ひれ伏すのは貴女の方だわ。アンリエッタ・ミクスワンツ」

「なんでっ!なんで、なんで!なんでよ!いい所に生まれただけの癖に!アンリの方が偉いに決まっているでしょ!?アンリはこの学年一番の魔法使いなのに!王城で暮らすアンリは幸せになれないのに、なんであんただけは幸せになろうとしているの……!?」

「他人の幸せに憧れ、自らの幸せと比べて卑屈になっている貴女が……。どんなに優秀だとしても。生涯幸せになることはないでしょう」

「アンリの幸せを勝手に決めないで!」


 アンリエッタは生まれや育ちが最高級品ではなくたって、自分が最高級品になる権利は当然あると言った。


 自分が最高級品になるためには、最高級品を蹴落として成り代わるのが一番手っ取り早いのだと。


 その言葉を受けたメルティアは、眉を顰めて我慢ならないと蔑むレイムの姿を横目で確認してから彼女へ厳しい声を掛けた。


「貴女がその拳を私に叩きつけたのならば。貴女の幸せはますます遠ざかるわ。どうするか貴女自身で決めなさい。このままこの場で膝を付き、今までの非礼を私に詫びるか。謝罪をせずに、重罪人として生きるかを」

「……っ!」

「この場で自らの非業の行いをすべて詳らかにするのなら、学園内での行いはすべて不問と致しますわ」

「あ……っ、あぁ……っ!」


 アンリエッタはポロポロと涙を流しながら、ゆっくりと膝をつく。


 自分が学園のルールに則り、どれほど罪深いことをしてきたと反省してくれたらいいのだが。

 メルティアがすべて不問にすると言った言葉を真に受けて、自身のプライドと戦っているだけだろう。


「ご、ごめんなさい……っ。メルティア・ライツーン公爵令嬢に……。アンリは水を掛けて、突き飛ばし。悪評を流し、教科書に悪戯書きをして、破りました……。全部、全部アンリが一人でやったことです……!許してください……っ。許して……!アンリから幸せになる権利を奪わないで……!」


 アンリエッタが深々と頭を下げて、メルティアに謝罪をした姿を見た一部の卒業生は真っ青な顔で視線を泳がせる。


 身分の高いものを気に食わないからといじめていた面々だろう。


 明日は我が身と、至る所で許してくださいと啜り泣く声や謝罪を求める声が響く。


 華やかな卒業パーティは阿鼻叫喚の渦に呑まれた。


 この事態を収集できそうなのは王太子だけなのだが、アンリエッタを無表情で見下ろしている辺り期待できそうにない。

 メルティアはレイムの制止を振り切り、涙を流して膝をつくアンリエッタの所までハイヒールの音を響かせて歩く。


「ざまあみろ」


 アンリエッタの肩を掴んで耳元で囁いたメルティアの声を聞いた彼女は、その身を震わせた。


 気づいたのだろう。自分がしたことを、仕返しされているのだと。


「……!」

「貴女が私に言った言葉です。立場は違えど、全く同じ状況になりましたわね?」

「あ、アンリ……アンリは……っ」

「私は言ったはずです。この場で謝罪をすれば、学園内での行いは不問にすると。私は貴女の罪を許しますわ。けれど」

「けれ、ど……?」

「私とレイム様に再び手を出した時は……どうなるか。わかりますわよね?」

「は、はい!わかりました!わかったから、だからもう……!」

「これから、ミクスワルツさんが正しき道を歩めるように。お祈りしておりますわ」


 メルティアは最上級の笑顔をアンリエッタに向けると、その場を後にした。



 *


「メルティア」


 会場の外へ一歩足を踏み出した瞬間。


 辛抱堪らずといった様子で、レイムがメルティアを抱きしめた。


 レイムはメルティアの指示通り、婚約破棄を宣言してからはずっと黙って見守ってくれていたのだ。


 触れ合うことを拒否すればバチが当たるだろう。


「レイム様……」

「あの女がメルティアに手を上げそうになった時。言いようのない怒りに支配された。メルティア。もう二度と、危険なことはしないでくれ……」

「はい」


 レイムはメルティアを強く抱きしめると、耳元で愛を囁く。


 その言葉を受け取ったメルティアは、レイムにしがみつくとひとしきり抱き合う。


「愛している」

「レイム様。私も、愛しています……」


 二人はどちらともなく唇を近づけ──愛を確かめあったのだった。


 *


 しばらくして二人が街を歩いていると、とある一軒家が立ち並ぶ裏路地で、みすぼらしい服に身を包み床に這いつくばる女の姿が目に映る。


「きゃっ。つ、つめた……!」

「人語を喋るな豚!!」

「水一滴も残らぬほど、タイルを綺麗に磨き上げなさい!」


 水を頭から勢いよくぶち撒けられた女は、汚れた雑巾を顔にぶつけられている。


 水をぶち撒けた女性が家の中に入っていく姿を確認した彼女は、「なんでアンリがこんなことしなきゃいけないのよ」とブツクサ言っていた。


「まぁ。なんて可哀想なのかしら……」


 同情する素振りを見せたメルティアに、レイムはその女の姿が確認できないように抱きしめる力を強める。

 どうやらアンリエッタは、メルティアと揉めた件で当初とは異なる配属先で働くことになってしまったらしい


 ──平民は平民らしく、床に這いつくばっているのがお似合いだわ。


 メルティアはアンリエッタの不幸を目の当たりにして口元を緩ませると、優しいレイムの腕に抱かれ幸せを噛み締めた。


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