白馬の王子様とわたし ~探す人~
プロローグ
旅をしている。相棒は白馬が一匹。頭の上に小さな王冠をちょこんと載せた、態度の大きな白い馬。行くあても、戻る場所もない旅の先には、いつも驚きと発見が待っている。
一.探す人
早朝の街道を、一人の少女を乗せた白馬がのんびりと歩いている。白馬の頭上には本物か偽物か、小さな王冠が載っていた。固定でもされているのか、白馬がどんなに動いても王冠がずれることはない。白馬はどこか尊大な雰囲気をまとい、対向者にも道を譲らず、後続者への配慮も見せずに、自分の好きなペースで道の真ん中を進んでいる。
しばらく進むと、やがて少女たちの前に、一人の若い女が姿を現した。落とし物でもしたのだろうか、そわそわと落ち着かない様子で、地面を凝視したり、道の脇の草むらをかき分けたりしている。少女たちが横を通り過ぎようとしたとき、女は急に声を上げ、少女たちを制した。
「待って止まって! 踏めば壊れてしまう!」
少女は慌てて手綱を引き、白馬を止めた。白馬が不快そうに鼻を鳴らす。女はほっとしたように胸に手を当て、息を吐いた。
「どうかしたの?」
少女は白馬を降り、女に話しかける。頭一つ分低い少女に、女は真剣な顔でうなずいた。
「探し物をしているの。どうしても見つけないといけないのだけれど、全然見つからないのよ」
女は眉を寄せ、疲れたように小さくため息を吐く。どれほど探していたのか、指も靴も服も髪も、土や砂埃にまみれていた。それは大変だね、と答え、少女は女に尋ねた。
「何を探しているの?」
「わからないわ」
女は首を横に振ってそう言った。少女は首を傾げる。
「わからないの?」
「ええ、わからないの。でも、必ずあるのよ。私にとってとても大切な何かが」
女は腕を組み、それがある可能性の高い場所はどこなのかを考え始めたのか、「あっちはもう探したし」などと一人でぶつぶつ言っている。少女はさらに女に尋ねた。
「それはどんなものなの?」
「わからないわ」
短くそう答えて、女は再び自分の思考に戻る。少女は再び首を傾げた。
「どんなものかもわからないのに、どうやって探すの?」
「そうなのよ!」
女は勢い込んで少女に顔を近づけ、その手を取って両手で包んだ。よく分かってくれた、とでも言いたげな様子だ。
「探し方がわからないの。今のところ手当たり次第に探しているのだけれど、それでは見つけるのは難しいかもしれないわね。だからといって効率的な方法なんて思いつかないし、結局は地道に探すしかないと思っているのよ。ねぇ、あなた。もしもっといい方法を知っていたら教えてくれない?」
「わからないよ、そんなの」
少女は慌てて首を横に振り、女に握られていた手を引っ込めた。女は残念そうに「そう」とつぶやくと、またも腕を組んでぶつぶつと考え始める。少女は白馬の顔を見上げた。白馬は何の興味も無さそうに大きく欠伸をした。
「それは本当にあるの?」
「あるに決まっているわ」
おかしなことを聞く子ね、と女は不思議そうな顔で少女を見る。
「だってそれはとても大切なものなのよ? それがなければ私は『完成』しないの。『不完全』なまま生きていくなんてどうしてできるの? 私が私でいるために、それは絶対に必要なの」
いったいどこにあるのかしら、早く見つけなければ、女はそう言って虚空を見上げる。少女は「そうなんだ」とつぶやくと、続く言葉を見つけられないでいるように女を見つめた。白馬が首を下げ、少女の頭に噛みついた。
「あたっ! ちょっと王子! 何すんのさ!」
少女が白馬を手で払う。白馬はふんっと鼻を鳴らし、澄ました顔で道の先を示した。もうこの女に付き合うのに飽きたということだろう。少女は女に向かって言った。
「それじゃ、私たち、行くね」
女はしかし、もはや少女のことなど眼中にないというように、自らの思考に沈んだまま返事もしなかった。少女が白馬に乗ると、白馬は勝手にさっさと歩き始めた。時間を無駄にした、とでも言いたげな白馬の首を、少女はなだめるように軽く撫でた。
女は少女たちがいなくなったことも気付かぬように、ずっと独りで何か言っていた。
「必ず見つけなければ。だってあるはずなのよ。ないなんて、ありえない」
二.探されるのを待つ人
太陽は中天を過ぎ、容赦なく世界を照らしている。のんびりと先へ進む少女と白馬の目に、街道脇にどっかりと腰を下ろした一人の男が飛び込んできた。あぐらをかき、背筋を伸ばして、油断なく周囲を見渡している。その強すぎる存在の主張を受けて、少女は思わず白馬から降りると、おそるおそる男に声を掛けた。
「あ、あの、こんなところで何をしてるの?」
男は威圧するほどの眼力で少女を見上げると、厳かに告げる。
「君は、何かを探してはいないかね?」
少女は戸惑いながらも首を横に振った。男は落胆の表情を浮かべ、「そうか」と言ってうなだれてしまった。悪いことをしたと思ったのだろう、少女が再び男に声を掛ける。
「探し物をしている人を、探しているの?」
男は「うむ」と尊大な様子でうなずき、少女を見上げた。
「私は、探しものなのだ」
男の言葉に、少女は首を傾げる。意味を捉えかねたのだろう。伝わらなかった雰囲気を察したか、男は言葉を続けた。
「私は人に求められている存在だ。この世には私を必要とする人間がいる。だが惜しむらくはその人は私と未だ出会っていないのだ。それはなんという不幸だろう。私にとっても、相手にとっても」
男は悔しげに唇を噛み、天を仰ぐ。少女はどうにも理解できない様子で男に問うた。
「誰があなたを探しているの?」
「わからない」
さも当然のように、男は即答する。少女は軽く眉を寄せた。
「わからないの?」
「皆目見当もつかぬ」
堂々と言い切る男の態度に、少女はこめかみに右の人差し指を当てて何かを考えるような仕草をした。
「あなたを探している人は、本当にいるの?」
「いるに決まっている」
おかしなことを言う子供だ、と男は不思議そうな顔で少女を見る。ブルル、と白馬が鼻を晴らした。少女は困った顔で腕を組むと、しばし悩み、そしてはっと何かを思いついたように言った。
「向こうで、何か探している女の人がいたけど」
「なに!? それは本当か!」
男が勢い込んで身を乗り出し、少女に顔を近づける。しかし男はすぐに元の姿勢に戻り、小さく首を振ってしかめ面を作る。少女は男を見つめた。
「自分で探しに行かないの?」
「私は求められているのだぞ? 探すのは私ではない。相手の方でなければならん」
うーん、と小さく唸り、少女は口を閉ざした。男は若干イライラした様子で、「しかし遅い。いつになったら現れるのだ」などとブツブツつぶやき始める。彼は自分の思考に沈み、もはや少女に興味はなさそうだった。白馬が首を下げ、少女のほおを鼻で押した。先に行くぞ、と言いたいのだろう。少女は白馬にまたがると、
「それじゃ、私たち、行くね」
男にそう声を掛けた。白馬は男の返事を待たず足を踏み出す。もっとも男は少女に返事をすることもなく、独り言を続けていた。
「私は求められてる。必ず見出される。さあ、早く見つけるのだ、早く――」
三.探し疲れた人々
太陽は徐々に傾き、風景を鮮やかな赤に染める。少女と白馬は急ぐでもなく、パカパカと音を立てながら街道を進んでいた。すると彼女らの前に、疲れ果てて動けなくなったとでも言うように、座り込んでいる人々の姿が映った。少女は白馬から降り、膝に顔を埋める人々の中の一人に声を掛けた。
「どうしたの? だいじょうぶ?」
声を掛けられ、顔を上げたのは若い青年だった。青年は憔悴しきった顔で少女に答える。
「……見つからないんだ。どれだけ探しても。何も、見つからない」
気力は失せ、かすれた小さな声の青年を心配したのか、少女は話を続ける。
「なにを探していたの?」
「わからない」
青年が呆然とつぶやく。少女はさらに問いを重ねた。
「探さないといけないものなの?」
「わからない」
「それは本当にあるの?」
「わからない」
力なく首を振り、わからないと繰り返す青年に、少女はかける言葉を失くして困ったように腕を組んだ。青年は独り言のようにつぶやき続けた。
「あるはずだったんだ。でも、見つからない。本当はなかったのか? あるべきものがないのだとしたら、僕は、どうしたらいい――」
青年は再び自らの膝に顔を埋めた。どうすべきか迷うように口を結ぶ少女の後ろ襟を、白馬が咥えて持ち上げる。体が宙に浮き、少女は慌てた様子でじたばたと手足を動かした。
「ちょっと、降ろしてよ王子! 危ないじゃないのさ!」
少女の抗議に不快そうに鼻を鳴らし、白馬は少女を解放した。恨みがましい目で白馬を軽く睨み、少女は青年を振り返ると、
「それじゃ、私たち、行くね」
と言って白馬の背に乗った。青年は何も答えず、膝に顔を埋めたままだった。
何の興味も無さそうに、白馬は座り込む人々の横を澄ました顔で通り過ぎる。夕暮れの街道を、かすかなすすり泣きを乗せた風が吹き渡っていった。
四、見つけた人
太陽はもうすぐ今日の仕事を終えようとしている。街道は薄く藍色に包まれ始めていた。今日は野宿だな、姿を見せた気の早い一番星に向かってそうつぶやいた少女は、こちら側に向かって歩いて来る一人の旅人の姿に気付いた。少女は白馬の足を止め、旅人とあいさつを交わした。
「こんばんは、旅の人」
「こんばんは、小さな旅人さん」
旅人は律義に帽子を取り、立ち止まって少女に軽くお辞儀をした。両者が立ち止まったことで、ほんのわずかの間、奇妙な沈黙が流れた。沈黙に耐えられず、少女が思わず笑う。旅人もまた、照れたように破顔した。
「あなたは何か探しているの?」
取り繕うように少女はそう話しかけた。何か言わないとバツが悪かったのだろう。旅人は少し首を傾げて答えた。
「いいえ。どうして?」
少女は今日出会った人たちのことを旅人に話した。何かを探す人、探されるのを待つ人、探し疲れた人々。旅人は「へぇ」と相づちを打ちながら少女の話を聞いていたが、少し何かを思い出すような仕草をして、「実はね」と言って話し始めた。
「私はね、見つけたの」
「見つけたの!?」
少女は身を乗り出し、話の続きを促す。白馬は少女が落ちぬように体の向きを変えた。旅人はうなずき、少女の好奇心に応える。
「私も昔は探していた。でもどこにも見つからなかった。探し疲れて、でも諦められなくてね。あるときふと思ったの。まだ探していないところがあるって」
どこ? と聞く少女に、旅人はニッと笑うと、無言で自分の心臓の辺りを指さした。
「何を、見つけたの?」
急かす瞳に苦笑しつつ、旅人ははっきりと答えた。
「自分自身」
少女は自らの口の中で、はんすうするように旅人の言葉を繰り返した。そしていまいち理解できないというように渋い顔を作る。
「自分自身を、見つけたの?」
「そう」
旅人は大げさにうなずいてみせた。少女は「うーん」と眉間にシワを寄せる。
「自分自身を失くしていたの?」
「そうね。そうなるわね」
やはり理解できなかったのか、少女は不満げに口を尖らせた。旅人はおかしそうに笑い、そして少女に一つの質問をした。
「どうして旅をしているの?」
少女はぱちくりとまばたきをして、質問に答える。
「理由なんて無いよ」
旅人は驚きを顔に表し、感心したように言った。
「理由を求めずにいられるのは、強さなのかもね。理由を求めるから迷うし、悩むし、動けなくもなる」
不思議そうな顔をする少女に、旅人は帽子を被り直して微笑んだ。
「そろそろ行くわ。日も暮れそうだしね。さようなら、小さな旅人さん。あなたの旅に幸多からんことを」
よい旅を、と応えて、少女は旅人に手を振った。旅人は白馬に「あなたもね」と声を掛けると、少女たちの横を通り過ぎ、振り向くこともなく去って行った。
エピローグ
星々が輝く夜空の下、少女は白馬と共に焚火を囲んでいる。馬だというのに白馬は火を怖がりもしない。焚火の炎を見つめながら、少女は白馬に話しかける。
「ねぇ、王子。今日もいろんな人に会ったねぇ」
白馬は取り立てて興味も無さそうに澄ました顔をして、耳だけをひょこひょこと動かしている。頭上の王冠が焚火の光を受けてキラキラと光った。
「探してた人の探し物って、結局何だったんだろうね。探してくれる人を待ってた人は、いつか出会えたりするのかな? 疲れちゃった人たちは、明日になったら元気になるといいね。旅人さんは、よくわかんなかったな」
白馬はブルルルと鼻を鳴らすと、少女を鼻面で小突いた。少女は不満そうな顔を作り、白馬の首を撫でた。
「わかったよ。もう寝ます。いいじゃん、ちょっとくらい。……じゃあ、おやすみ、王子。明日も、よろしくね」
毛布にくるまり、少女は身体を地面に横たえた。白馬は少女には決して見せない優しい瞳で少女を見つめる。少女が寝息を立て始めると、白馬は首を上げ、空を見つめた。空には雲一つない満天の星。そしてわずかに欠けた青白い月が、静かに世界を照らしていた。