第8話 KHM12 エルマとの出会い 2
「尾行に気づかないとでも思ったか?」
ハイゴブリンはエルマの髪をつかんで首にナイフを押し当てた。
「その子を離せ」
「指図される筋合いはないよ。せっかくここまで育てたんだ。果実だけを食わせて育てた処女の肉ほどうまいものはないんだよ」
ハイゴブリンはよだれを垂らしてエルマに顔を近づけ、頬にキスをした。エルマは「ひっ」と悲鳴を上げ身を縮ませる。
「少し早いが見つかってしまっては仕方がない」
耳まで裂けた口がにやりと曲がる。ナイフに力が入る。彼女の首の皮が切れて、血が滴る。
俺はハイゴブリンの後ろに転移した。奴が首を左右に振って俺を探している間にナイフを持つ手をつかんで引きはがす。エルマは地面に投げ出される。
「ええい! 邪魔をするな!」
ハイゴブリンが俺を突き飛ばして、ナイフを突き付ける。俺は窓の近くに後ずさった。尻が濡れている。一瞬漏らしたのかと思ったが違う。甘い香り、果実がつぶれたようだ。俺はポケットに手を入れてつぶれた果実を取り出した。果実を見たハイゴブリンはぎょっと目を見開く。
「俺の庭から持ち出したのか。おい、近づけるな」
俺は汁の滴る果実を奴の鼻先につきだした。一滴、ハイゴブリンの鷲鼻に果汁が滴る。
途端、
「ぎゃああああああぁぁぁぁ」
ハイゴブリンは悲鳴を上げた。果汁がついた部分が煙を上げて焼けただれたようになっている。俺は果実を奴の胸に押し付けた。
絶叫。
ハイゴブリンは後ずさり、壁に背をつけた。俺は暴れまわる奴の腕をつかんで窓まで引きずると、さらに果実を押しつけた。ハイゴブリンは悲鳴を上げながら果実から逃れようと体を背け、バランスを崩して窓から身を投げ出した。
悲鳴が森の中に消えていく。
ゴシャ。
地面に真っ赤な果実がぶち当たり、飛び散る。
呼吸を荒げて、俺は地面に手をつく。
「ねぇ……ねぇナイフが」
エルマが俺の肩を指さして言った。見ると、刀身の半分あたりまでナイフが肩に突き刺さっていた。
言われた瞬間、痛みが頭を貫く。俺は叫ぶ。
痛い……痛い……。
俺はエルマのそばに体をひきずっていった。
「お父さんのところに連れて行ってあげる」
「でも……怪我してる」
「連れていくって約束したんだ」
俺はエルマに抱き着いて、転移した。
どうやら気を失っていたらしい。目を覚ますとエルマが俺の顔を覗き込んでいた。
「よかった……生きてた……」
エルマは俺の体に縋りついて泣き始めた。
「ここは?」
「私の家。本当の家族の家だよ。ありがとう。戻ってこれた」
しばらくして、エルマの父親がやってきた。
「君にはなんとお礼を言っていいかわからないよ」
エルマの肩を抱いて、頭をなでながら彼はそういった。
それから俺たちは週に一度会うようになった。俺の肩の傷はそれから2ヶ月くらい治らず、畑仕事ができないと両親に文句を言われたのは言うまでもない。
◇
俺は目を覚ました。どうやらエルマに襲われた後ベッドに仰向けになったまま眠ってしまったようだ。
「おはよう」エルマはやわらかいローブを身にまとってベッドのわきに座っていた。
「いつのまにか寝てた」
「お湯沸いてるから使って。石鹸もあるから」
石鹸などという高価なものがあると言われても使い方がわからない。
エルマは俺の手を引いて、廊下を進む。通された部屋には確かに湯舟があって湯気が充満していた。
「石鹸ってこれか」白い固形の物体が置いてある。
「そ。ジェナが作ったの。彼女一応、天才とか言われてるから。研究の副産物でできたんだってさ」
「どうやって使う?」
一通り使い方を教わった後、俺は服を脱ぎ始めた。エルマは部屋を出て行った。
なるほど、俺の体は汚かったらしい。見る見るうちに白かった泡が茶色く染まっていく。なんなら黒い。頭から何らかのインクでも分泌しているのではないかというほど黒い。
何度か布を洗い、体を洗い、インクが出なくなったところで俺は湯舟に浸かった。
自然と声が出た。何という贅沢だ。エルマお前は貴族なのか。
「ぐはあ」とか「ふうう」とか言っていたらノックされて、衝立の向こうにメイドが現れた。
「お湯加減はいかがでしょうか」
「最高です」
「服を置いておきます」そういうと彼女が出て行く音がした。
風呂から出て食事の席に着く。干されていない肉というものを久しぶりに見た。自然とよだれが出る。
「たくさん食べて」エルマはにっこりとほほ笑んだ。がつがつと平らげていると、エルマは言った。
「明日教会を叩き潰すけど、ヘンリーはここで待っててね?」
俺はせき込んで水を飲み、何度か喉を鳴らしてから言った。
「いや、俺も行くよ」
「まってて。これ以上危険にさらしたくない。それに、その足で戦うの?」
俺は黙りこくる。
「心配しなくてもスキルを取り戻す方法は聞きだしてくるから、ね」小さな子供に言って聞かせるようにエルマは微笑んで言った。