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第3話 奴隷の生活

 それからはただ日々が過ぎて行った。


 俺たちは吐くほど走らされ、腕が上がらなくなるまで剣を振った。訓練の後は地面に崩れ落ちるように倒れ、死んだように眠る日々。配給される食事はパンと味のしない豆のスープが基本で、数日に一度塩辛い干し肉の小さな破片が出された。


 奴隷にされて数日は両親のことを考え泣くこともあったが、疲れと空腹と体の痛みで徐々に考えることができなくなっていった。



 そう、奴隷たちは考えることをやめた。

 どうして、自分がこんな目にあわなければいけないのか。両親は殺されなければならなかったのか。剣を振りつづけなければならないのか。

 皆の目は死に、光を失い、焦点が合わない。



 俺はずっとそれを観察し続けていた。観察することで、正気を保とうとしていた。

 考えられなくなることが怖かったんだ。俺はここから出ていく。いつか逃げ出してやる。その思いが消えてしまうことが怖かった。






「おいネズミ、遅れてるぞ」

 ドレークは剣をふらふらと力なく振っていた男を蹴った。腹を蹴られた男は剣を落とし、膝をついてうずくまった。俺が奴隷になったときにはすでに隊にいた男で、俺よりずっと年上だ。俺はそれを遠くから見ている。






 ドレークは気に入らないやつを動物の名前で呼び理不尽に虐げた。それが隊を統率する方法なのか、奴隷を扱う術なのかはわからない。訓練の間、ほかの奴隷以上に蹴りをいれ、殴り、走らせる。


 そいつが死ねば誰かがまた選ばれて動物の名前で呼ばれた。はじめは『ミミズ』で、次は『ナメクジ』、そして今は『ネズミ』だ。



 彼の本当の名前はエリオットといった。



 出っ歯で、飛び出るんじゃないかってほど目が突き出している上に、頭頂部まで額が後退しているエリオットは『ネズミ』のあだ名にふさわしい容姿をしている。数年前『ナメクジ』がドレークに異常なほど蹴られて死んだあと、エリオットが虐げられる番になっていた。


 ドレークは奴隷たちにも彼らを虐げるよう指図した。考えることをやめた奴隷たちは命令に従順だった。






 訓練が終わり、食事が配給されると、当然のようにエリオットはパンを奪われ、スープを地面にたたきつけられていた。奴隷たちの顔に笑みはない。虐げることによる快感は皆無。無表情で、まるで、任務を遂行するように食事を奪い、エリオットのそばから立ち去っていく。


 俺はエリオットに近づくとパンを半分に分け、手渡した。エリオットは涙を目にためて、パンを受け取ると何度も礼を言った。






 奴隷たちが並んで眠る場所で場所が奪われたときは、俺が詰めて背中を合わせて眠った。『ミミズ』にも『ナメクジ』にも同じように接してきた。


 俺は聖人君子じゃない。救おうと思ったのは逃げ出すときに助けてくれると信じていたからだ。いや、それは建前に過ぎない。すでに、逃げられないことはわかっていた。



 俺は、怖かった。



 自分が選ばれた時が怖かったんだ。ドレークに虐げられる番が来ることが怖くて、選ばれても誰かに、同じように救われたかったんだ。


「人に与えた恩はいつか返ってくるものだよ」父さんのその言葉を信じ続けていた。


 そうして救うことが彼らのためになると思っていた。



 あの日までは。





 俺は独房に連れていかれた。石造りで湿っている独房は、廊下にあるたいまつでかろうじて近くにいる人間の顔が見えるというくらいの明るさだった。俺は壁についた手錠に固定された。



 それから二日飲まず食わずで過ごした。



 誰も独房には来なかった。俺はなぜこんなことをされるのかわからなかった。ただ思いつくのは、エリオットが死んだのではないかということだった。

 エリオット亡き後、虐げられる順番が俺に回ってきたのではないかという考えだけが頭のなかを渦巻いていた。



 唇はひび割れ、舌やのどまでひび割れるのではないかと思うほど乾燥し、ざらついていた。何度も喉がはりついて、頬を噛んで唾液を出し、出なくなると血を出してまで喉を潤した。





 三日目。誰かが独房に入ってきた。金属が地面にこすれる高い音がしていた。



「やあヘンリー」



 エリオットの声がして、俺は顔を上げた。

 エリオットは俺の目の前に水の入ったバケツを置いた。俺は手錠が食い込むのも構わずバケツに頭を突っ込んだ。飲み込むとじゃりじゃりと泥の味がした。



「おいおいそんなにがっつくなって」エリオットがバケツを俺から遠ざけた。

「よこせ!」かすれる声で俺は叫んだ。

「水をください、エリオット様、だろ?」



 俺は一瞬躊躇したが、喉は恐ろしく水を吸い、さらなる水分を求めていた。

「……水をください、……エリオット様」

「もっと大きい声で」

「水をください、エリオット様!」

「意地きたねぇな。ほらよ」エリオットはバケツを蹴った。バケツは倒れ、水が流れる。

 俺は地面に流れる貴重な泥水をなめようとしたが、手錠が邪魔で舌が届かない。

「ひゃっひゃっひゃ」エリオットはこれ以上面白い演芸はないと言わんばかりに腹を抱えて笑っていた。

「無様だなぁ、ヘンリー」

 俺は顔を上げた。本当にエリオットなのか?



 配給された黒く硬いパンを半分に分け、手渡したとき、涙ぐんで受け取ったエリオットの姿を思い出す。

「すまねぇ。必ず恩は返す」

 彼はそういって何度も頭を下げた。目はたれ、卑屈に笑っていた。

 今ここにいるエリオットとはまるで違う。



「エリオット。お前どうしたんだよ」俺の髪から水が滴る。

「エリオット様だと言ってるだろ」

 暗闇の中から蹴りが飛んでくる。つま先が俺のこめかみをとらえる。一瞬世界が暗転する。目の前で何かがはじける。うめく。



「ドレーク様に言われたんだ。選択しろってな」

「選択?」

「お前を俺が痛めつけて動物に蹴落とすか、俺が死ぬ代わりに次の動物にお前が選ばれないようにするか、どちらか選べってな」



 エリオットの顔が暗闇に浮かんでいる。奴の口がへの字に曲がった。



「俺のことを3年間助けてくれたヘンリー。硬いパンをわけてくれたヘンリー。そんな恩人を痛めつけるなんて、俺と同じ目に合わせるなんてできないよ」

 くつくつと笑いだす。

「『ナメクジ』も『ミミズ』もおなじ選択を迫られたってよ。奴らがどっちを選んだと思う?」 

 エリオットは泣く真似をしていたが、徐々に口角が上がり、ヒステリックに笑いだした。

「自分の死を選んだんだってよ。優しい優しいヘンリーを痛めつけることはできないってさ」

 笑い声が頭の中に響いた。

 偽善。

 目の前が暗くなる。死んだ二人の顔が思い出される。

 俺が殺したようなものだ。そう思った。

 


「ぶぁかだよなぁ。なんでお前何かのために死ななきゃなんねえんだ? 俺のことをさんざん見下してるお前なんかのために!」拳が飛ぶ。口の中に鉄の味がどっと広がる。

「なあ俺のこと見下してたんだろ。だから、俺に情けをかけてきたんだろ。かわいそうな奴だって思ってたんだろ!」

「違う! 俺は……」

「違う! わけ! ねぇだろ!」何度も打撃が頬を貫き、口からはぼたぼたと血が流れる。俺はそれがもったいなくて、すすり、飲み込む。



「俺は選択したよ。お前を痛めつけるってな。ドレーク様はお喜びになったよ。それでこそ我が隊の兵士だ、ってさ」うっとりとした表情をうかべ、にやにやと笑っている。

「やっときたんだこの時が。3年も耐えてきた。ついに俺は報われるんだ」

 エリオットは地面においていたものを手に取った。それを見て俺は戦慄した。背筋が凍った。

「エリオット……何をする気だ」

「エリオット様だと言ってるだろ! お前は今日から下等生物になるんだよ。汚くて醜い下等生物にな!」



 叫びながら近づいてくる彼の手には斧が握られていた。



 エリオットは俺の脚を蹴って伸ばし、踏みつけて地面に固定した。

「選択したって言っただろ。お前を痛めつけるって。ドレーク様は俺に言ったんだ。お前の脚を切断してこいってさ」



 エリオットは斧を振り上げた。



「やめろ! やめてください! エリオット様!」

「手元が狂うだろ。騒ぐなよ」ひひひ。



 エリオットは斧を振り下ろした。



 重い刃は弧を描いて俺のすねに当たる。鈍い音がして、その振動が膝を伝って、腹まで届く。





 俺は絶叫した。





 斧の刃は途中で止まっている。骨に当たって、止まっている。泥水で濡れていた領土を俺の血液が支配していく。

「一発で切れなかったか。くくく。斧は初めて使うんでね」

 エリオットはそういうと、斧を引き抜いた。



「ぐあああああぁぁぁ!!!!」



 骨が見えている。切断されたふくらはぎから血が滲みだしている。

 俺は叫び続けていた。意識が何度も遠のいて、そのたびに痛みが俺を現実に引き戻した。

「おら、もう一発だ」

 エリオットは俺の脚から降りると、勢いをつけて斧を振り下ろした。

 木を折るような音がして、俺の脚が外れた。





 耳鳴りがする。





 吐き気が襲う。





 記憶が飛ぶ。





 何かが舞っている。

 それは痛み。

 誰かが叫んでいる。

 遠くで誰かが……。



「いままで親切にしてくれたからよ、いいよな。俺はもう疲れたんだ。俺の場所代わってくれよ」



 エリオットは笑って、切り取った俺の脚をひきずり、独房の外へ出た。

 返せ! 返せ!





 もう夢なのか現実なのかわからない。

 すべては夢で、俺はまだ13歳で、父さんの畑で居眠りをしているだけなんだ。

 そう思いたかった。



 激痛が意識を現実に連れ戻す。

 おびただしい量の痛みが、ないはずの右足を襲う。

 俺は独房の中でわけのわからないことを叫ぶ。




 ローブをまとった老人たちが俺の右脚に群がっている。太い針を何度も傷口に突き刺している。



 もう、誰が何を話しているのかわからない。


 なんだ。


 だれだ。


 エルマ。


 記憶か。


 馬か。



「今度は私が助けてあげる」



 真っ黒な人影が俺を覗き込んでいる……。








 目を覚ますと、右脚に布が巻かれていた。布は血で汚れていた。右脚はすねの途中からなくなっていて、じりじりと痛んだ。

 その日から虐げられるのは俺になった。




 意識が飛ぶ。




「おら、立てよ、カエル」エリオットが俺を見下ろしている。

 訓練場だ。俺たちの周りを同じ隊の奴隷が囲んでいる。ドレークが少し離れた場所に座り、俺たちを見ている。

 俺は木の棒を右足に括り付けて義足の代わりにしていた。

 左足だけで立ち上がるが、すぐに足払いをされて、倒れこむ。



 俺は木製の剣を杖代わりにして立ち上がる。

 右脚を地面につけると腹のあたりまで激痛が走る。歩くときは右足を引きずるようにして、ひょこひょことジャンプするように移動していた。

 周りからは『カエル』と呼ばれ、殴られ、蹴られるようになった。



「お前の負けだ、クソガエル。ほら、訓練場1周して来いよ」

 エリオットはにやにやしながら出っ歯をなめ、両手を広げる。早くしろというように。



 俺はひょこひょこと訓練場を走り始める。隊員たちは死んだような目で俺を見ている。まるであの日、俺の両親を殺した騎士みたいに表情がない。俺を殴るときも蹴るときも、感情というものが一切排除されている。

 右足を地面につくたびにふらりと重心がずれ激痛が走る。左足を必死で前に出して倒れないようにする。

 エリオットが大げさに笑っている。



 1周回り終えると、隊長のドレークが立ち上がった。肩を揺らすようにして歩いてくると、俺の前に立った。

「クソガエル、熱心だな」

 ドレークがにやりと笑うと、隊員たちは小さく笑った。条件反射みたいにただ命令に従っているだけだ。目は依然死んでいる。



「今日もお前が雑用係だ」ドレークはそう言って、地面に落ちていた木製の剣を拾うと俺の肩をゆっくり突いた。

「お前のような弱者がいると、我が隊の評判が下がる」

 ドレークは静かに、しかし響く声で俺に近づいてくる。

「この脚が! 醜い脚が! お前を弱者にしているのだ!」俺はうなだれていた。頭のすぐ近くでドレークの声がする。

 たぶん、俺も周りの人間と同じように、死んだような顔をしているのだろう。


 俺はもう、考えることをやめた。

 すでに、ただの奴隷になっていた。





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