第17話 赦し
『殻の中』にいた。なぜだ。
ここは俺の世界だったはずだ!
俺は立ち上がると壁に引っ付いているヘンリーを見た。やつは俺を睨んでいた。
「俺はお前を赦さない」
「壁に引っ付いて何もできないやつが、わめいてんじゃねえよ!」
「本当に何もできないと思うか?」
心なしか、やつを取り巻く赤いツタが少なくなっているような気がした。どうしてこう、計画が崩れる。ヘンリーは前のめりになって、右腕のツタをちぎった。
「お前はエルマを汚そうとした」
奴は壁から解放された。最後にちぎり取ったツタを俺のほうにぶん投げてきた。
「俺の手で殺してやるよ。クソガエル」
奴の右脚が強靭な魔物のそれに変形した。
奴は右脚だけで殻の天井まで飛び、壁を蹴って俺を強襲した。奴の脚は瞬間、刃物に変形した。
俺は地面を転がってよけた。やつの刃は地面に突き刺さり、殻にヒビを入れる。
「落ち着けよヘンリー」
「わかったんだよ。俺はお前を殺さなきゃならない。お前がエルマを汚そうとして初めてわかったんだ。弱い俺を笑えよ、クソガエル」
「なに言ってっかわかんねぇよ」俺は奴の攻撃をよける。また殻にヒビが入る。
「罪に耐えられなかった俺はお前に意識を押し付けたんだよ。お前はカエルだったときの俺だ。奴隷で、何も感じなくなった俺だ」
刃物の蹴りが俺の両腕を切る。
どっと血があふれて、俺は叫んだ。
「ぐあああああぁぁあぁぁ」
「罪を償うのはお前じゃない。俺だ。誰か罰してもらうものじゃない。俺が何とかしないといけないんだ」
「俺は殺せない! 殺せないんだ! ヘンリー! 理解しろ!」奴は回転し俺の腹と首を切った。
俺の体が倒れ――
止まる。首と両腕、腰から下のないトルソーが体をもたげる。赤いツタが俺の体を包んで、首を生やす、腕を生やす、腰が連結する。
奴は舌打ちをすると、体を取り戻した俺の胸に刃を向けた。
「やめ――」
付け根まで刃が突き刺さる。俺の口から血があふれ出す。引き抜かれた刀身は真っ赤に染まっていた。
俺は血を吐いて、四つん這いになった。また赤いツタが俺の胸を駆け巡って、穴がふさがる。
「どうなってる」奴は狼狽した。俺は息を切らしながら答える。
「俺はお前の一部だ。わかんねぇのか。お前は自分を傷つけてるだけなんだよ」
俺はふらつきながら立ち上がる。
「そんなに罪を返してほしけりゃ返してやるよ。重いぞ。数十人殺した罪だからな」
俺は奴の胸に手を当てた。手を伝ってどす黒い罪がやつに流れていく。徐々にそれはヘンリーの体を締め付ける。
奴は地面に倒れ苦しみだした。
「お前のターンだ。せいぜいがんばれ」俺は深く眠りについた。
俺は目を覚ました。ベッドの上でまるで胎児のように体を丸めている。
「ハル? 大丈夫? ハル?」
エルマは俺の体を揺さぶり涙を流していた。
なぜか知らないがメイドも部屋にいて、恐れながらも俺を見下ろしていた。
俺の口からは血が溢れていた。
「俺は、どうなったんだ?」
「いきなりもがきだして、自分のこと叩いたりして暴れだして。もう何が何だか分からないうちに倒れたの。ねえ、どうしたの?」
心臓が重い。罪とはこれほどまでに重いのか。
苦しみから逃げるための存在だった『無意識の俺』がいなくなった今、俺は俺のなすべきことをやらなければならない。
逃げてはいけない。
俺は体を起こすとメイドを見上げた。彼女はナイフを持っていたはずだ。メイドは一瞬ひるんだが、俺が俺であると知って安どのため息をついた。
俺は言った。
「ナイフをくれ」
「え?」
「持ってるだろ。ナイフをくれ」
彼女は恐怖した。
「嫌です。また、私のことを脅すつもりですか?」
「どういうこと? ハル、何? どうしたの?」エルマが動揺している。
俺は頭を振った。
「脅さないよ。今ならわかるだろ。あのときの俺は俺じゃなかったって」
メイドはためらったが、最後には俺にナイフを渡した。
エルマは困惑の表情を浮かべて俺を見ている。
「何をするつもり?」
「誰も傷つけるつもりなんてなかったんだ」
途端、涙があふれた。メイドはぞっとしたように顔を真っ白にして後ずさった。エルマが驚いて俺の背に手を当てる。俺は彼女を見た。
「エルマ、ごめん。俺は……俺はエルマを汚そうとした。はじめからこうすればよかった。俺が俺を罰すればよかったんだ」
俺はナイフを振り上げて、心臓に突き刺した。
何度も、
何度も。
何かが破裂する感覚が胸のなかにあった。破裂した場所に血が流れていく。腕に力が入らなくなっていく。口から血があふれる。体が前方に倒れていく。
悲鳴が聞こえる。
「だめ!!!」
エルマが叫んで、俺の腕をつかみ、胸に手を当てて回復魔法を使った。傷が治ってしまう。
これでは、罰が……。
俺はナイフを振り下ろそうとしたが、エルマの力は強い。俺は手首を返されてナイフを落とした。メイドがナイフを蹴り飛ばしたのを見て、俺は手を伸ばす。エルマが俺を抱きしめるようにして止めた。
「はなせ!」
「どうしてこんなこと!」
「俺はアゼルを利用した。煽ったんだ。そうすれば殺してもらえると思った。エルマのことだって利用しようとした。汚して傷つけようとした。そうすれば殺してもらえると思ったんだ! 俺は自分で死ねない弱くてどうしようもない人間なんだ。ごめん、エルマ。ごめん」
俺はエルマの腕から崩れるようにうずくまって額を地面に押し付けた。震えていた。涙が絨毯を濡らしている。何度も頭を地面にぶつける。
「こんなふうに傷つけるなら、初めから一人で死ねばよかった。罪のない人を殺すくらいなら、生まれてこなければよかった! 俺は……俺は……。ごめん、ごめんエルマ」
「ハル……ハル……?」
エルマが涙声で俺の肩に触れた。俺は顔をあげた。彼女は目をつぶって涙を頬に流した。
「ごめん……ごめんね」彼女はそういった。
「なんで謝るの? 俺は利用したんだよ。汚そうとしたんだ。エルマの気持ちを踏みにじろうと」
「うん……それはわかった。けど、ハルは思いとどまってくれた。それに私は、ハルがそこまで苦しんでたのに気づいてあげられなかった。私ね、ハルが戻ってきてくれて嬉しかった。抱きしめてもらうだけで安心した。なのに、私は、ハルに安心をあげられてなかった」
エルマは鼻をすすって、俺の頬に触れた。
「ハル、ごめんね。私はハルのこと大好きで、だから、ハルがどんなことを考えていようが気にしてなかった。ただ一方的に、大好きで愛してたから、何も見えてなかったの。今それがわかった。ハル。私はハルの味方だよ。そばにいてちゃんと見てるよ。罪を犯しても、私を利用しても、ハルのこと赦すよ。ごめんね、ハルのこと考えてあげられなくて」
俺は目を見開いた。次から次へと涙があふれて顎から零れ落ちた。
殻が割れて、光が差し込む。崩れ去る。
俺は勘違いしていた。エルマを傷つければ、愛なんて彼女の幻想は崩れ去ると思っていた。赦しをもらっても、それすら幻想だと考えていた。
幻想なんかじゃなかった。
エルマの愛は本物だ。赦しは本物だ。
「どうして……俺は……俺は……」
心の理解が追いつかず、俺は狼狽して、あたりを見回していた。
「ごめん、ごめんねハル」
俺は声をあげて、泣いた。
産声のように。




