第10話 事後とメイド
目を覚ますと、エルマはまだ眠っていた。俺の腕――というか肩を枕にして、小さく寝息を立てている。
……ああ、やってしまった。
あの後の記憶はぼんやりしている。俺は攻められるだけではなくて……。だからその……。
薬の力って怖い。なんてものを作ったんだ、ジェナ。ひどく腰が痛かった。いつもは使わない筋肉を酷使した気がする。
自分を抑えきれなかった。暴力的に脳を支配するあの感情を、欲望を俺は思いだして身震いした。
自己嫌悪に陥っているとエルマが目を覚ました。
「おはよぉ。ふああ」小さくあくび「ご褒美たくさんきもちよかったにゃあ」
ふふふ。そう言って俺の肩にキスマークを付ける。やわらかい太ももが足に絡む。
「ねえ、またする?」上目づかいでエルマが誘う。
「しないよ」
「なんでぇ。あ、赤ちゃんできるの心配してる? 大丈夫だよ。薬飲んだからできないよ。いくら出してもいいんだよ」
俺は赤面して顔をそむけた。くすくすとエルマは笑う。
エルマが俺に覆いかぶさる。やわらかい双丘が俺の胸に押し当てられる。
「しようよお。ねーえー」頬に何度もキスをしてくる。
と、いきなり、ドアがノックされる。
「エルマ様! エルマ様、入りますよ!」
アゼルの声だ。
「どうぞ」エルマは布団を肩までかけると答えた。
いやいや! どうぞじゃないよ!
ドアが開く。案の定、俺たちの姿をみたアゼルは固まった。
「何を……何をしている!」顔を真っ赤に染めて俺を睨む。
「朝早くから勝手に押しかけてきてそれはないでしょ。要件はなに」
エルマはあくびをして、早くしろとでもいうかのように目を細めた。アゼルはしばらく下唇を噛み、顔の色は赤を通り越して黒くなりかけていたが、いくつか深呼吸をして、エルマを見ると言った。
「早急にギルドにお越しください。ドラゴンが街の近くの山に下りたとの情報がありました」
「そんなのAランク冒険者に……」
「エルマ様!」
「わかったわかった」しっしっとあしらうように手を振って、エルマは答えた。
「ギルドでお待ちしています」
アゼルはまた俺を睨み、血が出るのではないかというほど下唇を噛んで部屋を出て行った。ドアが力強く閉められる。
「もー、せっかくいいところだったのにぃ」エルマは俺の胸に顔をうずめた。
「仕方ないよ」
「じゃあ、帰ってきたらたくさんする」
「……しない」
「するの!」エルマは俺の――を握りしめた。
「わかった! わかったからやめて!」
「ふふ。じゃあ留守番おねがいね」
エルマは立ち上がるとローブを着て、手を振って部屋を出た。
広い部屋に10人は腰掛けられるであろう長方形のテーブルがあって、その短辺、主人が座るであろう席で俺は朝飯をとっている。すでに陽は高く開かれた窓から、庭師なのか雇っている農家なのかわからないおじさんが作業する音が聞こえてくる。
メイドは壁際に背筋を伸ばしたまま立っていて、まっすぐに切りそろえられた前髪の下から釣り目でじっと俺を見ている。睨んでいるようにも見えるが、何も話しかけてこない。
気まずい。
「あの……」俺は食事の手を止めて、話しかけた。
「何でしょう」
「見られていると食べにくいのですが」
「…………ちっ」
舌打ちされた。舌打ちされたんだけど。
「昨夜はお楽しみだったようですね」
俺は咳き込んだ。住み込みのメイドである彼女の存在を忘れていた。いや知っていたとしてもエルマに襲われたようなあの状況では、彼女の存在など考える余裕はなかった。
メイドはいきなり感情をあらわにして、眉間にしわを寄せた。
「どうして……、どうしてエルマ様がこんな奴と……。アゼル様ならまだしも……」
両手を握りしめてうつむき震えている。
「私だって……」
え?
「私だって、エルマ様と……」
そのあとは親指の爪を噛んでぶつぶつと何かをつぶやき続けていた。この家の住人はみな心に闇を抱えているらしい。
俺はスープとパンをかきこむようにして食べ、席を離れた。
部屋を出るときもまだメイドは爪を噛んでいていて、血が出ていて、俺を睨んでいた。
「寝ている間に――――を切り取ってしまおうか」
背筋が凍り、俺は逃げ出すように部屋を出た。
自室に戻って俺は頭を抱える。あのメイドはなんなんだ? エルマに対する憧れからあんなことを言っているのか? それとも恋愛感情? 俺にわからない世界だ。
なんにせよ、彼女に恨まれているのは事実だ。あの表情。背筋が凍る気味の悪いきっと睨むような目。俺にどうしろというんだ。
そんなことをしばらく考えていると、ノックがあって、メイドが入ってきた。親指には布が巻いてあって血がにじんでいる。彼女の姿を見た瞬間、身が縮む。
「な……なんでしょう」
「シーツを取り替えます。汚れているでしょうから」メイドの目が剣呑なものになる。
仕方なく俺は部屋を出た。
そのあとも彼女は俺を追い出そうとするかのように、理由を作ってはそばに来て睨みつけてきた。
「あの、なんですか?」
陰湿な圧力に耐え切れなくなった俺は尋ねた。メイドは睨んだまま何も言わない。すでに両手の親指から血が出ている。手を口元まで伸ばして、それに気づくと舌打ちをする、を繰り返す。
「赦せない」
彼女はふとつぶやいた。顔が真っ赤になっている。持っていたほうきを真っ二つにおると、窓からの光に粒子が舞うのが見えた。俺は後ずさる。
「いきなり家に上がり込んできたと思ったら、エルマ様の貞操を奪うなんて! それに何なんなのあんた。いつまでここにいるつもり? 私とエルマ様の神聖な家にあんたなんか必要ない!」
メイドは折れて先端が鋭くなったほうきを俺の喉元に突き出した。俺は慌てて一歩下がるが、彼女は追撃の手を緩めない。どうかんがえても武術の心得がある動きで、的確に急所を攻撃してくる。
右足のない俺によけきることは不可能だ。
俺はスキルを使い、部屋に転移した。メイドの叫び声が聞こえる。
「どこに行きやがった! あの――――がああああぁあぁ!」
聞いたこともない汚い言葉で罵ってくる。彼女はあらゆる部屋の扉を開けて探しているようだったが、ふと気づいたのか、こちらへ近づいてくる。地面を割るのではないかというほど大きな、足を踏み鳴らす音が近づいてくる。
俺は慌てて転移した。この場所にはいられない。
別の幼馴染のもとへいこう。挨拶もしなくちゃいけないしな。




