第1話 村が襲われ、奴隷になる
また意識が飛ぶ。
俺は奴隷たちの中で周回遅れで訓練場を走っている。
右脚は切断されて間もなく、まだ傷口が完治していない。地面に義足をつくたびに激痛が走る。義足と言ってもただの木の棒を括りつけているだけだが。
「遅いぞカエル」
エリオットが俺を突き飛ばす。とっさに右脚をついてしまった俺は痛みにうめいて倒れこんだ。エリオットの高い笑い声が聞こえる。
「何してんだクソガエル!」
隊長のドレークが怒号を上げ、近づいてくる。俺は立ち上がろうとするが、右脚にべっとりとはりつくように痛みがうずまいて立ち上がれない。
腹に衝撃、蹴りを入れられる。喉が必死で空気をもとめるのに、水中にいるかのように肺は膨らまない。俺は体をおりまげて地面に額を押しつけ、呼吸をしようともがく。
「誰が休憩していいと言った!」ドレークの蹴りが容赦なく俺の背中に飛ぶ。脇腹に飛ぶ。
「すみません。すみません」なんどもつぶやくが声にならない。
空気が戻ってきて、俺の声が聞こえるまで、ドレークは蹴りをやめなかった。
「10周追加だ。走れ! カエル」ドレークが戻っていく。
何とか立ち上がって、すでに走り終えた奴隷たちにじろじろ見られながら走り出す。奴隷たちは死んだ顔を張り付けているが、エリオットだけがにやにやと笑っている。
どうしてこんなことになってしまったのだろうか。
俺は幸福な人生を送っていたと思う、そう、13歳の秋までは。
俺たちの村はやつらに襲撃された。
何気ない秋の日だった。太陽は高く上り、牛が牧草を食んでいた。村の男たちは畑で、いつもより少ない収穫を嘆いていた。俺は父さんについて畑にいき、収穫の手伝いをしていた。心地よい風が吹いていた。父さんは今日の夕飯について語り、俺は肯いた。
そんな日が、ずっと続くと思っていた。
蹄が地を蹴る音が鳴り響いた。俺は諸侯か、もしくは王都に向かう兵士たちがそばを通っているのだろうと思った。父さんは手で日よけを作って遠くを見やった。
そして、その表情を曇らせた。
「家に戻るぞ」
父さんは俺の腕をつかむと、収穫物を投げおいて走り出した。俺はぎょっとして、父さんを見上げた。
「どうしたの、父さん」
「わからない。ただ、何かが来てる」
俺は振り返った。背の高さほどもある麦の向こう側に人の頭がいくつも現れた。その数がどんどん増えていくにつれて、俺は、馬に乗った何者かが村に近づいているのだと気づいた。
兵士だった。アイアンプレートの鎧を着ていた。頭には何もつけず無表情で彼らは駆けてきた。鬨の声も上がらなかった。
家にたどり着くころには異変に気付いた村人たちが逃げまどっていた。戸を開けて母さんが外の様子を眺めていた。
「家に戻れ!」
父さんが母さんに向けて怒鳴った。これほど大きい声を出す父さんを初めて見たから、俺は体をこわばらせた。
「黒い腕輪をつけている奴らを捕らえろ! 他は殺して構わん!」
俺は声に振り返った。男たちは畑を踏み荒らして、すでに家々の近くまで来ていた。
ローブに身を包んだ男が、鎧の兵士たちに指示していた。ローブの男の左眼には大きな傷跡があった。体は細く、長い杖を振り回して、兵士を操っていた。
ローブの男の顔を、俺は知っていた。
数日前のことだ。何とかいう教会の司祭と数人の付き人が村を訪れた。柔和な顔をしていた。左目は布で隠されていた。少ない収穫を嘆いていた村人たちは彼を歓迎した。
「どうか神様に来年は実り多くなるようお伝えください」司祭はそれを聞き入れた。
「未来は若者に託されるものだ」
司祭は付き人から黒い輪を受け取ると、俺たち若者につけるよううながした。俺は父さんを見上げた。父さんは嬉しそうに肯いた。俺は輪に腕を通した。黒い輪は収縮して、手首にピッタリ張り付いた。
今思えばそれが前兆だったのだ。その日から、俺はスキルが使えなくなった。
鉄の鎧を着た兵士が村の中を駆けていく。俺たちの手首を見ていた。
黒い輪がついていると見るや、馬の上に引き上げ、馬車の中へ連れていった。
輪のついていない村人は即座に首を切り落とされた。
それは淡々と執行される作業。まるで種を蒔くみたいに。まるで鍬を下ろすみたいに。
父さんは俺の背を押して、家の中に入った。
「ヘンリー。お前はここに隠れているんだ」
俺はベッドに下に押し込まれた。父さんは細い腕で鍬を構えると家の入口を凝視した。母さんはベッドの隣、扉から遠い場所にいた。母さんの足が見えた。
空気は凍り付いていた。少し動けば兵士に気づかれるのではないか、そんなことを思った。
悲鳴とも、うめき声ともとれる、血に濡れた音たちが外から聞こえてきた。
俺も父さんも母さんも、身動き一つしなかった。呼吸すら、聞こえなかった。
「その家を調べろ!」
言葉と同時に、家の扉が突然蹴り破られた。ブロンドの髪を持つ兵士が、家の中に足を踏み入れた。
「あああああ!」
父さんが死に物狂いで鍬を振り下ろした。が、恐怖で手元が狂ったのか、鍬の先は兵士の肩当てにぶつかっただけで、傷一つ与えることはできず鍬は折れた。
父さんは折れた鍬の柄を手に持ったまま、兵士を見上げた。兵士はゆっくり父さんを見ると、首を殴るくらいの速度でつかみ持ち上げた。脚が地面から浮く。父さんは脚を振っていたが、兵士を蹴ろうとしているのか、地面を探しているのかわからなかった。
俺は両手で口を押えてそれを見ていた。父さんの顔が徐々に生気を失っていくのを、ただ、見ていた。
種の撒き方、農地の耕し方、家畜の世話の仕方。笑顔で説明する父さんの姿が重なった。夏の過ごし方、冬の過ごし方。まだ教わっていないことはたくさんあった。俺は無力で、何も知らないガキだった。
涙がとめどなくあふれた。俺は必死になって声を殺した。
母さんが飛び出して兵士にしがみついた。
「やめて! やめてぇ!」
鎧を殴りつける。母さんの両手は徐々に赤く染まり、鎧に手形がついた。
父さんの脚が動かなくなった。ズボンの股の部分が濡れていた。兵士は父さんの体を投げ捨てた。壁にぶつかり鈍い音がして、そのままピクリとも動かなかった。
兵士が母さんを見下ろした。母さんの顔が恐怖に染まった。振り下ろしていた腕が止まる。両手は血が滴るほど傷ついていた。
母さんは逃げようとして、躊躇した。一瞬視線が俺のほうを向きかけた。
俺のせいで逃げられないのだと悟った。
逃げろ! 逃げてくれ! 母さん!
心の叫びは届かない。
兵士は拳を握りしめ、母さんの頬を殴りつけた。歯が飛び、鼻から血が噴き出す。
母さんは地面に倒れ、茫然とした。兵士を見上げた。
次の拳が飛んだ。
父さんは母さんを殴らなかった。いくら酒に酔っていても決して暴力を振るわなかった。
「やめっ、あっ、ぐっ」
母さんは声を上げたが、呼吸すらままならないほどに、兵士は殴り続けた。
母さんの顔が真っ赤に染まり、徐々に声が聞こえなくなった。
俺はズボンが濡れるのを感じていた。怖かった。兵士の顔には山賊のような略奪の喜びも、任務を果たそうとする誠意もなく、ただ、死んだような皮が張り付いているだけだった。
人ではない。俺はそう信じた。彼という存在が恐怖でしかなかった。
母さんの顔からあふれ出した血液が俺のそばまで流れてきて、両手を濡らした。俺は悲鳴を上げそうになった。呼吸が乱れ、恐怖に打ち勝てず、俺はとっさにスキルを使った。
腕につけられた黒い輪が光り、スキルが消去された。
まずい。そう思った時にはすでに遅かった。
光に気づいた兵士は立ち上がると、つかつかと俺の目の前にやってきた。鎧の脚がみえた。
兵士が覗き込んだ。
俺は悲鳴を上げた。