再生の息吹~廃世のストレンジ・サバイバークリスマス短編
世界が破壊されつくした第三次世界大戦から三世紀。
世界は、神が見捨てた世界、廃棄した世界として廃世と呼ばれる地にまで成り下がっていた。
放射線による汚染も半減期が過ぎたにも関わらず、地上は荒廃を極めていた。破壊されたのはかつての日本も例外ではない。国家という概念は消滅し、人々は生き延びる為に各地に存在していた大型核シェルター"ヴィレッジ"の名を冠した共同体に身を寄せていた。
ブリガンドと呼ばれるならず者やそれらの集まりであるブリガンド集団、ギャングや軍団と呼ばれる凶悪な連中との資源の奪い合いは日常茶飯事。環境汚染によって変異したミュータントや凶暴化した野生動物等の危険に晒され、復興の兆しは未だ無い。
暗雲立ち込める灰色の空の下、人々はただ生きるのに必死だった。
殆どの人間の心には暗い影が差し込み、互いに疑い合い、騙し合い、奪い合い、殺し合う。それが当たり前の事であり、誰もがみなそれをいつしか普遍的なものだと考えていた。
例外はもちろんあった。
ヴィレッジに住む者の中でも地下シェルター育ちの人間は比較的戦前の教育が行われていた。彼らは協力する事の大切さや、文化的生活の精神面における重要性を知っているのだ。
全てが灰と瓦礫の下に埋もれてしまった世界で、若い風が再生の息吹をもたらそうとしていた。
それは小さな事であったが、確実な前進であった。
渋谷ヴィレッジ――。
かつては多くの人間で溢れ、流行の最先端を行き、多くの娯楽で溢れていたこの地も破壊から逃れる事はできなかった。
渋谷駅と駅の南東に位置する軍事病院の地下に広がる大型核シェルターというふたつの拠点に分かれた渋谷ヴィレッジは地下シェルターから地上に拡大したヴィレッジ。それ故比較的他者に友好的であり、多くの他のヴィレッジと交易する地である。
季節は冬。もうじきクリスマスだというのにひとりの少年、理緒はそれも知らずにひとり厨房に立っていた。
(ようやく以前の感覚が戻ってきたぞ……)
そう思いながら並べた調味料の味を確かめつつ、片手でフライパンを返している。
料理の天才。などと呼ばれていた少年だったが長らくブリガンドとの戦いに身を投じる事となり、料理の世界から離れていたのだ。
そんな理緒も尊敬する年上の女性、ステアーや、その仲間達と共に暮らすようになり、その生活の中で少しずつ鈍った感覚を取り戻していた。
瓦礫や廃材、ガラクタで組み上げたオンボロの家であったが、住めば都。最初ステアーは理緒が馴染めないのではないかと心配していたが、秘密基地のような程よい狭さと暗さ、絶妙に組みあがった建材を前に男の子心がくすぐられたのか、あっという間に馴染んでいた。
ステアーをリーダーとして結成された傭兵団。仲間達は元々住んでいた場所も生き方も違う。そのため、お互いのプライベートを尊重するために同じヴィレッジ内でも住まいは別に用意していた。それでも理緒とステアーは同郷で、なによりステアーを尊敬していたのと幼い頃から一緒にいた家族のような存在だった事もあり、ふたりはひとつ屋根の下暮らしていた。
ひとり感覚を研ぎ澄ます理緒のもとに、玄関の扉が開く音が飛び込んだ。
「理緒、ただいま」
ステアーだった。冬休みといわんばかりに少しまとまった休みを得たにも関わらず、ひとりで出かけると言ってでかけていたのだ。
その声を聞くよりも早く、扉の音に気付いた理緒は既にステアーの元に駆け寄っていた。
「おかえりステアー!」
理緒の声は軽やかで、かつてクロスボウを操りブリガンドを暗殺して回っていた少年の面影はもうない。
五体満足で帰ってきたステアーに理緒は抱きついてお迎えする。懐いている弟のような愛らしさにステアーは理緒の髪をそっと撫でた。サラサラの茶色い髪が撫でられ揺れる。
ステアーはしばらく抱きつく理緒をそのままに、部屋中に満ちていた香りに鼻腔をくすぐられた。理緒が料理の練習をしていた事に気付くのは難くない。
「今日もやってたのね」
「やる事が無いと気付いたらキッチンに向かっちゃうんだよね……あはは」
理緒の言葉を聞きながら、部屋の中央にあるソファにホルスターを放り、背負っていた鞄を下ろすと理緒を背にごそごそと鞄の中を弄る。
「どこ行ってたの?」
「小杉ヴィレッジの跡地。あそこの駅ビルは崩落の危険があるとかで資源がまだ眠っている可能性があるって噂を聞いて、少しサルベージしにいってみたの」
少し等とお散歩気分に言っているが、崩落しかけているビルの中に探索に行くというのはベテランの探索部隊員でもやらない所業であり、傭兵業を営む者でも報酬を出されても拒否するような事である。ヴィレッジ近くにあるビルなのにも関わらず、一度も探索されずに放置されていたという事はそういう事である。
命知らずな行為だというのに何事もなかったかのように話すステアーの背中を見て、理緒は眉をひそめた。
「本当いつも危険な所に行く時はひとりなんだね。少しは人を信用したら?」
「そういう訳じゃないんだけど。今回は理緒にこれをプレゼントしたくて」
そういいながらステアーは鞄の中から一冊の本を取り出して、理緒に見せた。酷く表紙は痛んでおり、所々焦げている。しかし中身は読める程度には形が保たれていた。表紙には辛うじてレシピという文字だけ読み取れる。
それを見て理緒は少し戸惑いながらも、差し出された本を受け取る。
「プレゼント? 誕生日でもないのに……」
パラパラとページを軽くめくる。中身はしっかりと読める状態で、写真付きの解説がある料理の本であった。
少し恥ずかしそうに頬を掻くステアー。僅かな沈黙の中、木製のコーヒーテーブルの上に置かれたオンボロのラジオがノイズ混じりに曲を流し始める。
それは遠い昔に録音された、大戦前の音楽。冬の恋愛ソングのようで、ロック調の演奏に男性ボーカルの声量のあるパワフルな歌声が室内の生ぬるい空気を切り裂いた。
「今日、クリスマスって言う特別な日らしいの」
「クリスマス? 聞いた事無いなぁ」
「私も最近知ったんだけど――」
――ステアーは世界が今の姿になる前、今日という日を世界中で祝っていたのだと概要を話す。
理緒はその話を聞きつつも、見た事の無い料理の数々に心を躍らせていた。
「それで、その、いつも世話になってる理緒にお礼というか、ね……。噂になってたビルには昔図書館が入っていたって聞いたから、もしかしたら料理の本とかもあるかなって思ったのよ」
声がどもりながらもお礼がしたいというステアーの気持ちに、理緒は笑みを浮かべ、貰ったレシピ本を大切そうに胸に抱いた。
その笑顔を見て、ステアーは顔から火が出そうなくらい顔を熱くさせていた。それに反応してか、部屋を暖かくしていた薪ストーブの上に乗せていたやかんがけたたましい音を立てた。
「ありがとう! じゃあ今度は僕がステアーにそのクリスマスプレゼントってやつをあげる番だね!」
理緒はそういうと慌しくキッチンのほうへ駆け出した。
レシピ本を開きながら、冷蔵庫の中や食品をしまった棚等を慣れた手つきで素早く確認していく。その表情は真剣そのもので、ステアーはそんな理緒を見ると邪魔をしないように静かに自室へ引っ込んでいった。
本の中には様々な料理のレシピが掲載されていたが、理緒はクリスマスの話を聞いて作りたいものは決まっていた。それは今の時代の料理の殆どを知り、作る事の出来る理緒が全く見た事が無く、未知の料理だった。
つまり、廃世に失伝していた料理。理緒はその料理を作りたいと思った。未知の料理を作ってみたいという好奇心、ステアーを喜ばせたいという愛情、そして料理人としてこの世に料理を蘇らせられるのではという高揚感に突き動かされていた。
13という若い少年の情熱と行動力は凄まじく、手に入らないであろう物の代用品を考え、足りない材料はヴィレッジの商業地区へ買いに走った。
***
物資が不足しがちな廃世において嗜好品になりそうなものや、まとまった量を作るのが難しいものは高価であり、少し財布を痛めたがそれは今の理緒にとっては些細な事だった。
石窯に薪をくべて熱していく理緒の顔は緊張と喜びで無意識に口角が上がっていた。
(生クリームなんて作れないけど、似たようなものなら何とかなるか……)
そんな事を考えつつ、買ってきたばかりの牛乳を瓶から少し別のビンに移し、蓋をすると猛烈な勢いで振り始めた。
バシャバシャと音を立てるビンは次第にその音も湿った何かがベチベチとぶつかるような音が混じりだしてくる。牛乳の表面に現れた小さい脂肪の塊を、丁寧に救い出す。それを何回も繰り返した。
顔が真っ赤になってきた頃、それを火にかけ溶かし、溶けた脂肪に塩と砂糖、牛乳を足すと再び泡だて器でよく混ぜる。白く少し粘り気のあるそれを見て、理緒は心の中で強くガッツポーズをした。
鳥の卵を黄身と白身に分け、卵黄と砂糖を混ぜ、食用油を足し、そこへ小麦粉を足して混ぜていく。
卵白に砂糖を入れ、泡だて器でかき混ぜる。ラジオから流れる歌を口ずさみながらの作業時間はあっという間に過ぎていく。
使えそうな鉄の容器に作っておいた生地を流し込み、空気抜きしてそれを石窯に放り込む。
焼き上がるまで、理緒は石窯の前に椅子を置くと足をぶらぶらさせながら待ち続けた。焼き上がった生地を取り出すまで、その場を離れなかった。
出来上がったふわふわのそれを型から出せるように冷まし、取り出すと皿に移して、上からたっぷりクリームを塗り、飾りに食べられる野草であるキクイモの花を添えた。
「できた……できたぁ!」
思わず大きな声をあげてしまい、慌てて口を手で覆う理緒。
しかし一度出した声を引っ込める事はできない。
ばたばたと足音を立てて、ステアーが顔を出してきた。
「どうした? 理緒?」
「あ、ああ、ステアーにあげるプレゼント。できたよ!」
ゆるゆるに緩んだ口元をつぐもうとして唇を震わせながら、皿の上に乗ったそれをステアーの前に差し出した。
台形に盛り上がった真っ白なそれはステアーも見た事の無い物だった。
今まで食べてきた料理には無かった、よもや料理と思えぬ雪のように白いそれを見てステアーは驚きながらも皿を受け取った。
ふたりでソファに座り込むと、理緒はフォークをステアーに手渡した。
「ケーキっていうんだ。焼き菓子の一種で、その白いのはクリームだよ」
ケーキ、クリーム。聞きなれない単語にステアーは理解はできなかったがお菓子ということだけで理緒を信用したようで、おもむろにケーキにフォークを入れていく。
ふわっとした感触に押しつぶさないようゆっくりした手つきで切り分ける。切り分けたケーキを、ステアーは迷う事無く口に運んだ。
「……美味しい」
ステアーは静かにそういうと、頬をほころばせながら、直ぐにケーキを複数切り分けた。
「理緒も一緒に食べよう」
「あ、うん!」
パタパタとせわしなく動き回る理緒、自分の食器を持って来るついでに、沸かしていたお湯で紅茶も淹れて運んでくる。
ふたりだけの暖かな冬の夜。
狭く、僅かな空間に限ってだが、廃世にクリスマスが蘇った瞬間であった。
少ししぶめの紅茶に、甘いケーキがよく合う。
理緒とステアーは夜が明けるまで、その後用意したローストチキンをつまみに思い出話や、ステアーの土産話に花を咲かした。
世界も人も荒みきった世界で、少しずつ取り戻していく人の文化と心。再建の小さな一歩だが、確かな一歩だった。
今はふたりだけの幸せだが、この幸せが、いつか廃世を満たしていく事だろう。
その日はいつもより、少しだけ廃世は暖かかった。
再生の息吹 完
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■別の作品案内
新作「境界線上の人形達」
ジャンル:ハイファンタジー短編
URL:https://ncode.syosetu.com/n4623ib/
代表作「廃世のストレンジ・サバイバー」
ジャンル:世紀末アクション長編
URL:https://ncode.syosetu.com/n4188ds/