紫の太陽(4)
彼と自分を隔てるもの。
物理的な距離を詰めてなお無視できないのは、お互いが置かれた立場の問題だけではない。
血縁関係への疑念も、セリスにとってはかなり大きな心理的負担になっている。
戦争の最中、太陽王の妻であったイシスが月へと戻されて、兄王との再婚を強要されたという過去。
(イシス様は、わたしの母。そして、はっきりとは確認がとれていないけど、ラムウィンドスが太陽王の血筋だというのなら、母を同じくしているかもしれない……)
彼にひかれる心に、決着をつけるのは、かえっていけないことになるのではないか。その恐れが強い。
セリスの横顔を見ていたアルスは、のんびりとした口調で言った。
「いずれにせよ、いまその相手が目の前にいないのなら、結論を急ぐ必要はないでしょう。もしどこかで偶然会って、惚れ直す機会があれば、それでいいのではないですか」
「惚れ直す、ですか。わたしにそれが許されるとは」
優しい言葉につられて、本音がこぼれた。アルスはふっと笑って、穏やかな声音で続ける。
「そんなに、自分に厳しくする必要はありません。人間には心がありますから、心に振り回されることはあります。その全部を否定していては、なんのために心があるかわかりません。とはいえ、感情に流されて目的を見失うのもいけない。あなたの真の目的は、なんですか」
「わたしの、目的……」
目の前に広がる光景。耳に聞こえる音。鼻腔に押し寄せる匂い。乱舞する色、立ち並ぶ石の神殿、すべてを包み込む空の青。
思いもかけなかった世界が、自分の目の前にある。
離宮にいた頃には、想像もしなかった世界。
(離宮に閉じこもって、どこへも行けなかった小さな姫はもういない。わたしは、ここまで自分の足で来た……)
「世界はとても大きくて、うつくしいのだと思います。僕は、とても小さいですが、僕がここにいるのは自分の気を紛らわす為でも、力なさに絶望することでもなくて。そうですね、目的があります」
(アルザイ様を止めるために来た。月との戦争を、始めさせてはならない)
徐々に、風が吹き込むように身体に力が巡りはじめる。
セリスはその場に立ち上がった。
そのセリスの一挙手一投足を注意深く見ていたアルスであったが、最後にセリスの目を見据えた。セリスもその目を見返した。そして、言った。
「神殿の中に入ってみたいです。この機会に、アスランディアについて知りたいんです。できるだけ多く」
「わかりました。行きましょう」
アルスはすばやく立ち上がる。
法衣の裾が階段をさらうのも気にせず、すたすたと上り始めた。その後に続きながら、セリスは声をかけた。
「旅人が神殿に滞在するのは可能でしょうか」
「もちろん。普段ここに滞在するのは主に信徒ですが、アスランディアはイクストゥーラの民を歓迎します」
セリスは顔を上げた。
この地におわす数多の神々。ひとびとが信仰を違えていることには、大きな意味がある。それはときに、深い断絶ともなるはずなのに。
そうであるにも関わらず、アルスは月を太陽の輩であると認めた。
振り返ってセリスに顔を向けてきたアルスは、紫水晶の瞳を細めて、笑って言った。
「私はずっと待っていたんですよ、月からの旅人を」