三年の月日
剣をひけと言ったはずの指揮官自ら戦闘行為に明け暮れている間に、話がついていたらしい。
「そうか。アーネスト、少し待っていてくれ」
ラムウィンドスは無表情となり、きわめて落ち着いた調子で言った。
「待っ……」
アーネストは絶句してしまい、いつものように啖呵がきれない。
彼とはもう、上司と部下ではない。
それどころか、緊張感ある二国の軍人同士。
寸前まで切り結んでいたというのに、なぜ「待て」が通用すると思うのか。背中を斬られないという絶対の自信、この図太さは一体なんなのか。言いたいことがあるのに「待て」をされたために言えなくて、そんな自分にアーネストは胃が痛くなる。
(この男……つくづく、強い以外に取り得がないっちゅうに。姫様はなんでこんな奴のこと)
「ライア様。手荒な真似をしてすまない。黒鷲が、あなたが市街にいると聞きつけたらしく、お会いしたいと。王宮までご足労頂けるだろうか」
「本当に、手荒な真似でしたね。こんなところで傷物になったら婚約は破棄しなければならないかと、心配しましたわ」
男のやや慇懃無礼な物言いに対し、ライアはぴしゃりと皮肉を言った。
(無理や。通じる相手やない)
茶番でしかない会話に、アーネストは「あほらし。やってられんわ」と小さく呟く。そのアーネストに向かって、ライアが勢いよく駆け寄った。
「このひとも、私の護衛です。頼りになる」
言いながら、ライアはアーネストの腕に腕を絡めた。
「おい」
低い声で恫喝めいた呼びかけをするも、さらに腕に力を込められ、柔らかい身体を押し付けられただけ。
男は軽く小首を傾げた。
「アーネストが、王女の護衛を?」
ライアは、もの言いたげにちらりとアーネストを見上げた。
「こちらの黒鷲の部下らしい方と、あなたはお知り合いなの?」
「昔の……上官」
「あれは、月の国から迎えられたという、太陽の遺児にして黒鷲の側近という男じゃなくて?」
とぼけたことを言うかと思えば、ライアはしっかりとラムウィンドスの正体を把握しているようだった。
(それだけ事情に通じてるなら、俺の素性にも見当ついてるんやろ。月の人間だと)
アーネストは、ラムウィンドスに対して、言葉を選びながら答える。
「ライア様に関しては、なんや。いろいろあってな」
「では、あの方のそばには」
おそろしく平坦な、それゆえに強い緊張を漂わせた声に、アーネストはようやくラムウィンドスの本気を感じ取って、薄く笑った。
「今更。そんなにあのひとのこと心配するくらいなら、自分で守れば良かったんと違う?」
嫌味ではなく、限りなく本音。
(お前がすべてを捨てて出ていって、三年。姫様が、どんな決意のもとにこの日々を過ごしてきたか。父王が寝込んだことにより、新たな王として立ったゼファード様が、どれほど変わり果てたか)
口ほどに物言う目で、アーネストは正面に立つラムウィンドスを見つめる。
砂漠の乾いた風になぶられる、白金色の髪。瞳は金。紛うことなき太陽を体現したその姿は、月の国にいた頃よりもずっと精悍で、気高い。
そのくせ、口を開けば、「この三年、お前は何してたんや」と遠慮容赦なくどつきたくなることを言うのだ。
「とりあえず、アーネスト。メシはすませているのか」
ほら、これだ、とアーネストは冷たく睨みつけて答えた。
「普通に上司と部下感覚で俺のこと誘うの、やめてな。腹立つわ」
二人を交互に見ていたライアが、小さく吐息する。
「あの男の強烈なズレ方、最近見た気がする……あなたの連れのド天然と……月ってなんなの?」
「月のせいなんやろか。本人たちは、組み合わせとしては最悪だってわかってないんや」
「組み合わせ?」
ライアが、うっすらと苦笑を浮かべた。
それを見て、アーネストもまたにやりと笑う。気を許したような、いたずらっぽい笑み。
間近で見てしまったその笑顔に、ライアが顔を真っ赤にして凝固したことには露程も気付かず、アーネストはライアにだけ聞こえる音量で言った。
「そうそう。セリスとあの男、浅からぬ仲なんや」
そして、ライアの腕をふりほどく。呆然としていたライアはされるがままに置き去りにされた。
「総長、会った方がいい人がここに来てるで」
「俺か? 心当たりが多すぎるな」
「何ふかしてんのか知らんけど、自惚れも大概にせえや。月で、そんな人気あったつもりなんか」
嘯くラムウィンドスを邪険にいなして、アーネストは周囲に集った人々の間に視線を投げる。
見慣れたセリスの姿を探す。
すぐに、見つかると思っていた。何も疑っていなかった。
違和感は、ぐるりと辺りを見回したときに、唐突に胸に湧きおこる。
音が遠のき、足元が揺れるほどの嫌な緊張に襲われる。
(いない?)
それまで片時も離れないできたのだ。
こんなところで見失うとは考えてもいなかった。
この日、わずかな時間目を離した隙に、セリスはアーネストの前から忽然と姿を消してしまったのである。