叶わぬ恋を知る
「あの黒装束、アルザイ様の手兵ですね。『精鋭』だ」
「『精鋭』やな。お姫様、完全に黒鷲に目ぇつけられてたんと違う?」
セリスとアーネストは妙に落ち着き払っていたが、ライアはぐっと奥歯を噛み締める。
「黒鷲は、彼らを公開処刑でもして、私を追い詰めようとしている?」
おそらく単独、もしくは数人に分かれて市井に紛れていたはずの護衛が複数見つかっている事実に、ライアはさすがに表情を厳しくする。
しかし、セリスはなぜか長閑な調子を崩さず小首を傾げた。
「それは……、どうでしょう。『精鋭』は手練れだと思いますが、アルザイ様の意向で動いていますから、無闇と処刑じみたことはしないのではないでしょうか」
「何を言ってるのか、さっぱりわからないんだけど。黒鷲が冷酷ではないとでも言うつもり? あの男が、どういう手でのし上がっているか、知らないわけではないでしょう?」
セリスは、アルザイの姿を脳裏に描く。
(言動のすべてが、どこまで本気か冗談か、掴みにくい方だった。次にどう動くかが、全然わからない……)
いずれにせよ、アルザイが動いていることを考慮に入れてこちらも行動せねばと、セリスは表情を引き締めて言った。
「どうしましょう。助けますか? 逃げますか?」
「あのこれみよがしの示威行動の目的が私だとすると、黒鷲の狙いは何かしら」
「アルザイ様のことだから、単純にライア様と話してみたくて探しているんじゃないかなって気がします。王女が王宮飛び出して、自分のところまで来ているなんて、面白いですから。ただ、実際に顔を合わせて話し合ってみた結果、ライア様を見限った場合……」
そこで言葉を区切って、セリスはライアにちらりと視線を流す。
「ライア様を『イルハンからの刺客』に仕立てて、大々的に『暗殺未遂』を発表し、一気にイルハンに攻め込むことも考えられますね。アルザイ様は器の大きい方だと思いますが、ご自分に逆らう者にどこまで情けをかけるのかは、僕にはわかりません」
冷え冷えとした言い様だった。ライアはセリスの視線を受け止めて、小さく呟く。
「私には、結婚して、マズバルに屈する以外の道はない……」
「お二人の結婚が、砂漠の趨勢にどれほどの意味を持つのか、僕にはわかりません。僕はただ、ライア様が、ご自分を納得させるために、アルザイ様に会いに来たのだと思っていました。避けられない結婚だとしても、ご自分で決めた結婚にしたかった。そういうことなのかなと。ならば話し合うことには意味があるように思います」
遠くを見るようなセリスの緑の瞳。頭に巻き付けた布から幾筋かこぼれているのは、銀の髪。まるで伝え聞く月の王のような色合いだ。──まさか。こんなところに、月の王族がいるわけがない。
あらざる考えを否定し、ライアは言葉を探す。おそらく、時間はあまりない。
「あなたは……。あなたは、ずいぶん黒鷲に詳しいのね。まるで、会ったことがあるみたい」
セリスは、答えない。戸惑いが瞳に浮かんでいる。
言うべきか、悩んでいる。
それがもう、答えだ。彼に会ったことがあり、知っている。ライアは、そう受け止めた。
「私は黒鷲に会ったことが無いから、実際どんな方なのか知らないわ。黒鷲だけでなく、私は世界の広さを知らないの。私は狭い世界で、子どもの頃からずっとわがままで、烈しい性格と言われてきた。でも、本当に我を失ったことはないのよ。いつだってきちんと計算していた。だからこの縁談が来たとき、最後に、本当に、わがままをしてみようと思ったの」
計算づくで生きてきたのは、自分が支配階層の人間だと知っていたからだ。
たとえばあの人が気に入らないと言えば、簡単に命を奪ってしまえる。
思い知っていたからこそ、本当のわがままは口にしなかった。
周りの者が叶えられることしか、言わなかったのだ。そして、気づいた。本当のわがままは、きっと自分自身の行動によってしか叶えられないのだと。
「最後のわがままとは、なんですか?」
セリスに問われて、ライアはにこりと微笑むとセリスの耳に唇を寄せた。
「『恋とはどんなものかしら』知りたかったの。恋ゆえに生まれ持った役目を放り出すような愚かさを。王宮にいたときの私には、恋する相手すらいなかったというのに」
囁いて、ライアは顔を背ける。旅の途中に見かけて、一目で心をさらってしまった男を追いかけてきたのだが、いまはその姿を見ないようにした。
言葉を交わすことができて、彼にもどうにもできない恋心があることを知った。
ライアは、セリスを真正面から見つめた。
(この世には、きっと泣き叫んでも叶わない「恋」がある。知らなかったことを知れた。それだけで、十分)
「私、出て行くわ。護衛がいない状態で市中を歩き回るより、彼らと一緒に王宮に連行された方が安心じゃない? 黒鷲に会いに来て、向こうも私に気づいているならちょうどいい。私が行かなければ」