風の知らせ
アルザイをして、優れた連絡手段と言わしめる黒鷲が、アルザイの腕から空へと飛び立った。
目に染みる、紺碧の青空。
露台の手すりに半身を預けながら、アルザイは音もなく歩み寄ってきた青年に笑いかけた。
「おお、来たか。面白い話がある。イルハンの王女が行方不明になったらしい」
「それのどこが面白いのか、俺にはさっぱりわからない」
そっけない口調。
にやにやとした笑いを絶やさずに、アルザイは続けた。
「イルハンは俺のことが気に入らない。一筋縄ではいかないと思っていたが。まさか、王女が出奔したから婚姻は延期とは」
「それは妙ですね。王女の行方不明など、起こりようがないです。身代わりなど、いくらでもたてられる。本気で潰す気なら蛇に噛まれて死んだとでも言ってくればいい。行方不明など、場合によっては、責任を追求される形で、イルハンが不利な立場になるだけです」
青年の冷めた反応に、アルザイは声を上げて笑ってから、意味ありげな視線を投げた。
「それと、情報はもう一つ。月の国の話だ。聞くか?」
「言いたくて仕方ない顔をしながら、聞かれても。知らないよりは、知っておいた方が後々面倒がない。正確な情報であれば、あって困ることはない」
どこをとってもふてぶてしい話しぶりであるが、要するに青年は「もったいぶらずに教えろ」と言っている。アルザイは相好を崩して、非常に愛想よく言った。
「ゼファード王が『予言の姫』との婚姻を発表した。おぞましき月の国は、父子二代に渡って兄妹婚を繰り返すらしいな。異母兄妹とはいえ、姫は叔母の娘。血が濃すぎる」
青年は、表情を一切変えなかった。
アルザイは砂漠を渡って来た風に片目を細め、雲一つない青空を見上げる。豊かな黒髪を覆った赤い布が翻る。
「姫には、ゼファードのそばにいて欲しいと、俺が言った。子を成すために契りを交わすかどうかは、知らない。だが、姫はゼファードの側を、離れないはずだ」
視線を彷徨わせながら、青年はまるで自分に言い聞かせるように言った。
(「俺が言った」か。だから、セリスはその通りに動くと? その自信は、何なんだろうな)
ひとまず、アルザイはその言葉を飲み込む。
「俺とお前に対抗する為に、ゼファードは使えるものをすべて使わざるを得ないというのは、あるだろうな。さて……姫はこの三年でどう成長したかね。さぞかし美しき、姫の中の姫となっているだろう」
抜け目のないことで評判の、砂漠の黒鷲である。
後世の歴史書においても、その治世における辣腕は評価され、特に情報収集力と天性の勘の冴え渡ることは並ぶ者なきとまで書き記されるアルザイであるが、実はこの件に関しては完全に読みを外していた。
セリスはすでに月の国にいなければ、姫らしき女性の装いすらしていなかった。
そのことを知るのはこれより少し先である。