不穏な提案
頭にまきつけた布から零れ落ちた豊かな黒髪と、漆黒の瞳。褐色の肌。薄汚れたマントを身に着けていて、身体の線は判然としないが、その声音は高く澄んだ女性のものだった。
年の頃はいくつくらいだろう。
くっきりとした鮮やかな印象の顔立ちに、強い光を放つ瞳。セリスより二、三歳上か、同じくらいか。
「少し、お話をしませんか? 困っていることがあるんです」
そのひとは、いま一度誘いの言葉を繰り返した。
セリスはちらりと横を伺う。
アーネストが、明らかに面倒くさそうな態度をとっているのがひしひしと伝わってきた。
(絶対に断る)
ただでさえ、お荷物のセリスを抱えているのだ。その上で、こんな訳ありな様子で話しかけられても、アーネストが「はい」と言うはずがない。
セリスもまた、困っているというのは嘘かもしれないと思ったが、この街に関して少しでも情報を仕入れたいと考えていたため、先手を打つことにした。
「わかりました。お話だけでしたら、ぜひ」
「……あんなぁ……」
呆れたように、アーネストがぼやく。
気にしたら負けとばかりにセリスは黙殺した。
「歩きながらか、もしくはどこか落ち着ける場所に行って……」
セリスはそう言いつつ、数歩進んで女性に近づく。
その次の瞬間に、セリスは女性の手元に銀の輝きを見て身を引いた。
すでに横につけていたアーネストが、ナイフで切りかかってきた女性の手首を危なげなくとらえる。
「……っ」
よほど強い力で抑えられたのか、女性は押し殺した呻きとともにナイフを取り落とした。アーネストは息も乱さずに低い声で言った。
「追いはぎに構ってる暇ないねんて。警備兵来ても面倒やし、俺らこのまま行くで」
冷ややかにな囁きとともに、無造作に相手を解放する。
一方、それでは収まらないとばかりに相手は、眉間にぐっと皺を寄せて、アーネストを睨みつけた。
「追い剥ぎではない、無礼者め。試しただけだ」
「抜かせ」
アーネストは、およそ容赦の欠片もない侮蔑まじりの一言を放つ。
「二人とも、落ち着きませんか?」
高まるばかりの緊張感に耐え切れず、セリスはナイフを拾いながら声をかけた。
果たして、不機嫌な二人にまともに視線をぶつけられることとなる。
少なくとも、旅の間に、アーネストの冷ややかなまなざしに耐性はできている。セリスはにっこりと目元だけで微笑んでみせた。イライラとした様子のまま、アーネストは髪をかきあげる。
「何や、さっきからずーっと何かが後ろからついて来とるとは思ってたけど。とんだ小者やったわ。あほらし」
アーネストが言うと、女性はさっと顔を強張らせた。
「小者ではない」
「知らん。そっちが何者かなんて興味ない。こっちにも興味持たんでほしいわ。さっさと行きな」
顎をしゃくるような、絶妙に相手を煽る動作まで。普段のアーネストはそんなことをしないので、よほど腹に据えかねて怒りをぶつけているか、挑発をしているのか。
「うううぅぅ……この私を、顎で使おうなんて」
「せやから、使う気なんか無い。消えろって言ってるだけや」
アーネストは、厳しい態度を崩さない。相手が気の毒になるが、セリスとて、人の見た目だけで危険度を判断しようとは思わない。知らない相手は、誰でも脅威になり得るのは知っている。
しかし見たところ、相手は一人だ。
(どこかに仲間がいるかもしれないし、困っているというのも嘘かもしれないけど……。アルザイ様の都市で、犯罪をする者がいるなら、どういったやり口なのか見極めてみたいかも)
アーネストの態度が強固なのは、セリスの命を預かっているからだが、少しくらい危険を犯さねば情報は手に入らないだろうと、セリスは女性に友好的な態度で声をかけた。
「僕たちはいま、何か食べようと思っていたんですけど、一緒にいかがですか」
「施しを受けようとして、声をかけたわけではない」
「おごるとは言ってません。屋台で買い食いしますので、その間僕達と歩くのは自由です。困っているという、そのお話だけは聞きます。手助けはお約束できません」
すかさずセリスが言うと、相手は少しひるんだ表情になった。
すぐに強気な態度を取り戻すと、ちらりとアーネストを見てからセリスに向き直った。
「あなたはお人好しね。そっちの野獣とはずいぶん違うわ」
「誰が獣だ、しばくぞ」
「ごめんなさい。獣に失礼だったわ」
「オレの連れにもめたくそ失礼やわ。なんやお人好しって」
力でやりこめられた後なのに、強気な調子で女性はアーネストにくってかかる。アーネストもまた、やられた分はやり返す性質なので、すぐさま言い返し、そこからは舌戦の応酬となった。
口を挟む気のないセリスは、のんびりと歩き出す。
「世の中に、こんな口も意地も悪い美人がいるなんて思いもしなかったわ。優男は、形だけでも女性に親切なものだと思っていた」
白熱のやりとりのさなかに、女性がアーネストに対して忌々しげに呟いた。
露店で串刺し肉を二本買い求めていたセリスは、その嘆きにふと振り返る。
まさにその時、女性がアーネストと睨み合いながらセリスの背後に迫ってきて言った。
「顔も綺麗そうだし、あなたでいいわ。あのひとじゃ話にならない」
何かに選ばれたな、と他人事のように思いつつ、セリスは串を一本アーネストに差し出す。それを、横から手を伸ばしてきた女性が鮮やかに掠め取った。
「えぇー……」
セリスの抗議の声も空しく、女性はおそろしく自信過剰な様子で言い放った。
「あなた、私の恋人になりなさい」
「お断りします」
一瞬の躊躇いもなくセリスは却下したが、女性は気にした様子もなく、手にした串でアーネストを指し示した。
「あなたたち、恋人同士?」
「まったく違います」
「手を繋いでいたわよね。どういう関係なの?」
「僕とアーネストは、商家の生まれです。年も近いということで、お互いの両親に旅をすすめられて故国を後にしてきました」
すらすらと旅用の作り話をするセリスから目を逸らさず、頷きもせずに聞いていた女性だが、セリスが言い終えるのを待っていたかのように言った。
「嘘ね。少なくとも、そっちの背の高い方は兵士でしょう? 動きが綺麗すぎるわ」
不機嫌あらわだったアーネストが、すっと意識を研ぎ澄ませたのを感じた。
(このひと、目利きだ。きちんと見ている)
居丈高な物言い、強い自信。身の程知らずでないのなら、それなりに腕に覚えもあるのだろう。
何より、瞳に凝った老成の気配。
「あなたはオアシスの……、どこかの都市の支配階級の方ですね。こんなところで一人で、恋人探しだなんて、不自然です。家出でもしてきましたか」
セリスが何気ない調子で言うと、相手はさして驚いた様子もなく頷いた。
「報酬はそれなりに用意する。折り入って頼みたいのよ。私の恋人として、私の婚約者に会って欲しいの。結婚を潰すには、それしかないわ」
「今はべつにお金に困っていません」
セリスがすげなく返しても、少女は取り合う様子もなくにこりと笑った。
「私に協力してくれたら、あなたたちにも協力するわよ。私はいずれ、このマズバルを手に入れるわ。そのときに、望みのものをあげる。悪くない取引になるはずよ」