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封じられた姫は覇王の手を取り翼を広げる  作者: 有沢真尋
【間章】 たとえ石が黄金を砕こうとも
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蒼穹に羽ばたく(3)

 イグニスにとって、主は生涯ただひとり。

 出会った頃は常に自信がなさそうで、何をするにもどこへ行くにも惑っていたひ弱な少女。


(いつ見限ろうか。そればかり考えていた……)


 放っておけばすぐにも死ぬだろう。興味も抱かぬまま、職務でそばにいた。

 それが、己の無力さを呪い、知らぬ間に牙を研いでいた。イグニスが気づいたときには、少女は自分を阻む者たちに無謀にも立ち向かう算段をしていた。


 ――そんな穴だらけの作戦でどうする。死ぬぞ。みすみすあんな奴らに、殺されてやるつもりか。皇帝の血筋の姫でありながら。


 そのとき、自分が相手の命を惜しんでいることに、初めて気づいた。

 少女はそれまでの弱々しさをかなぐり捨て、イグニスを見据えて不敵に笑ったのだ。


 ――たとえ石が黄金を砕こうとも、石の価値が上がるわけでもない。それを知らぬ者たちに、殺されてなどやるものか。


 この黄金を、砕かせてはならない。決して。

 胸の内に芽生えた意志はいつか、少女がこの動乱の時代、古き帝国の皇帝になることすら夢に見た。その実現のために、共に歩む決意はすでに固まっていた。

 幾つもの苦難と流血の末に、少女は皇帝となった。


(危険はいつも。あの国では、王座こそが死地。長く生きられないだろうと、知りながら。それでも私はあの方を、アテナを皇帝にするのが歴史の要請だとすら思っていた。だが……)


 いまイグニスの目の前には、滅びの国から来た青年がいる。

 その剣の腕以外に何も持たぬはずの彼は、しかし天より降り注ぐ光をその身に受け、時代を吹き抜ける風にすら祝福されているかのようである。

 白金色の髪。金色の瞳。

 ひとを魅了してやまない、生命力に溢れた笑み。

 見つめていられずに、イグニスは目を細めた。


「人間はね、太陽を直視できないように出来ているんですよ……。そんなことをしたら、目が潰れてしまうから」

「決して目を潰さぬ太陽が、この地上にある。いま、あなたの目の前に」


 揺るぎない、ラムウィンドスの微笑。品があり、優しい獅子を思わせる。


(アスランディアとイクストゥーラの民は手先が器用で彫刻の技術にも優れている。彼らの住まう宮殿や神を祀る神殿には、草花や動物が装飾を凝らされて彫られるが、猛々しい獅子さえも優美な姿をもって描き出されるとか。いつか、そんな話を聞いたな)


 溢れ出す記憶をたどりながら、アテナ、とイグニスは心の中で主の名を呼んだ。

 忘れないように、ただひとつの光を。遠き砂漠の地にあって、決して見失わないように。


(私はあの少女の輝きに賭けたんだ。この時代に生まれ落ちた自分自身の命を。才のすべてを。それは、アテナこそが王の資質と信じたから――)


 その思いを、目の前の太陽は色褪せさせかねない。

 初めて会ったときにはこれほどとは思わなかった。それが、いつの間にかもはや誰も間違えようないほどに、王者の風格をその身に宿している。

 その理由は、知れている。


「『覇王を導く姫君』に選ばれし者だからか、その自信は」


 ぶっきらぼうに尋ねたイグニス。

 ラムウィンドスはやわらかな表情を崩さぬまま、言葉で答えることはない。

 それが面白くなくて、イグニスは腹いせのように言い捨てた。


「我が君は女の身でね、たとえ姫君と面と向かう機会をもっても、覇王として選ばれることはかなわないのだ。さて私は、悔しがれば良いのか悲しがれば良いのか……」

「俺とて、姫の心を縛ることはできはしない。あなたの主と姫が会ったとき、何が起きるかは予測などできないが」


 イグニスの投げやりな態度をとがめることなく、ラムウィンドスは生真面目な口調で言う。

 それを見つめて、イグニスは自分の気持ちが戦う前から負けていたことに気づき、奥歯を噛みしめる。すぐに、にやりと相好を崩した。


「あっそ。なるほどなるほど。総司令官殿がこの先姫君にふられてしまう線もあると。そして我が君にもまだ、勝機があるわけか。ありがと。そういう柔軟な思考は大好きだよ」


 言うなり、大げさに両腕を開いて「友よ!!」と声を張り上げてラムウィンドスの体を抱きしめる。

 逃げたり、拒んだりといった反応はなかった。ただ立ち尽くし、手荒な抱擁を受け止めながら、近づいてきたイグニスの耳元に、ラムウィンドスはそっと囁いた。


「息抜きにはなりましたか。この後は三日三晩でも働けますね?」

「鬼か」

「なんとでも。黒鷲はあなたに託します」

「ふざけんなっての。私にはもう心に決めた主が」


 引き締まった両腕をつかんで、真正面から向き合う。わずかに目線の高いラムウィンドスは、まなざしに柔らかさを残したまま、告げた。


「あなたの機知によってこの地はすでにずいぶん救われています。そしてこの先も、あなたなら困難を切り抜ける術を考え出せるでしょう。そうして、一見無関係に見える者まで救うことで、あなたはあなたの大切な主を守るんです」

「言われなくてもそのつもりだ。せいぜい奴隷働きをして報いてもらうさ、黒鷲には」


 手を離す。そのまま立ち去ろうとした。

 そのイグニスの腕を、ラムウィンドスが無言で掴んだ。

 まだ何か、と目で尋ねたイグニスを見つめ、鋭い声で囁いた。


 エスファンドを使え、と。


 常より輝きを増した金の瞳に、真摯な光を宿して重ねて言う。


 ――俺がいない間、この地の太陽(アスランディア)を受け持つのはエスファンドだ。あなたが思っている以上にあれは危険で使える人間だ。困る前に使え。絶対に逃がすな。


 その言葉の意味を、イグニスはやがて戦火の中で知ることになる。


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✼2024.9.13発売✼
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